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《刑事課長・朝見陽一の事件簿》 第4話 アルプスの老女

作者: 軽井沢康夫

          

        《刑事課長・朝見陽一の事件簿》

          第4話 アルプスの老女



アルプスの老女1;プロローグ

2017年5月10日 午後2時ころ 丹波篠山の今宮神社


電話でアポイントを取った時刻に朝見陽一は忌部神時いんべしんじを訪問していた。


「朝見陽一さんか。玉木の秘書から儂の名前を聞いて儂の事を調べた様やな。」と忌部が言った。

「ええ。それが仕事ですから。」

わしもあんたの事を調べさしてもろたで。」

「そうですか。中野学校の出身者だけあって、情報網は多くお持ちのようですね。」

「まあな。あんた、浅見陽祐さんの孫やそうやな。それで、儂に何が訊きたいんや。登戸のぼりとの事なんかやったら、そこら辺の本屋で中野学校の本をうたらええやろ。」

「登戸の事ではなく、近衛文磨総理大臣による軽井沢でのヒトラーユーゲント歓迎レセプションの事を知りたいのですが。」

「なんや、そんな事まで知っとるんか。」

「はい。外務省の戦前の記録を調べましたから。」

「そうか。警察庁の力を借りたんやな。そうか・・・。それやったら、アメリカの公文書も調べよったな・・・。」

「まあ、調べさせてもらいました。」

「あんた、はっきり言うな。」

「それで、お話願えますか?」

「ええやろ。それで何が知りたいんや。まさか、あんたのお祖父じいさんのことや無いやろな。」

「もちろんです。フルトヴェングラーから贈られた楽譜の事です。近衛総理が受け取った楽譜を忌部さんが預かったそうですが、その楽譜はその後、如何どうなったのですか?」

「えっ。」と一瞬、忌部が戸惑った顔をした。そして、続けて言った。

「それを知って、どうするつもりや?」

「スイスで水死した松崎重成まつざきしげなりがドイツへ行った理由が判るのではないかと思いましてね。」

松崎重成まつざきしげなりか・・・。」と、忌部が考えるように言った。

「やはり、松崎を御存じなのですね。」

「あっはっはっは。あんたの誘導尋問に乗ってしもたようやな。儂としたことが、耄碌もうろくしたな。」

「松崎重成が宿泊していたホテルに残されていたスーツケース中から見つかった旅行メモによれば、イタリアからスイスに入り、更にドイツ、オーストリアに入国しています。そして、オーストリアからスイスに戻ったという記録はありませんでした。ただ、松崎が水死していたボーデン湖はスイス、オーストリア、ドイツの3国にまたがる湖です。水死体の発見がスイスの国内地域であっただけで、死亡したのはオーストリアであったかもしれないのです。旅行目的は観光と登録していましたが、松崎はオーストリアのハルシュタット湖の水を飲んで死亡していました。遺体が発見されたボーデン湖の水は肺には残っていませんでした。これはスイスの警察署の解剖所見です。」

「そうか。松崎は誰ぞにオーストリアで殺され、スイスに運ばれたんか・・・。」

「はい、その可能性が考えられます。ただ、死亡した時点での宿泊先はスイスのホテルだったのが何か意味があるのかどうかです。あるいは、松崎重成を殺した人物がそのホテルに泊まったのかもしれません。いずれにしても、ホテル側のフロント係の話では東洋人がチェクインして、その時以外はフロントに姿を見せていないそうです。そのため、松崎の顔は覚えていないそうです。」

「たぶん、松崎の目的はかねやな。」

「お金ですか?」

「ナチスが作った偽札やないで。ほんまもんの金や。」

「ヒトラーの黄金列車ですか?」

「違う。あんた、稲城の上野家の事も調べたんやろ。」

「はい。」

「松崎は上野家の蔵などからいろんなもんを盗み出しよった。」

「骨とう品などを盗み出して転売していたことは聞いていますが。」

「骨とう品では無い、たぶん、何かの記録文書みたいなもんを見つけたはずや。」

「何の記録文書ですか?」

「さあな。詳しい事は知らんが、上野家は明治以来、当時のプロイセン王国人、現在のオーストリア人、ドイツ人などとの交流があったようや。現在もそれが続いている。戦争末期、上野家の土地に儂がトンネルを掘っとったことは調べたやろ。そのころ、上野家の爺さんと話したことがあった。ああ、爺さんと云うのは現在の上野家のあるじとちゃうで。今の主は忠雄と云いよるが、その父親やった忠介と云う人物や。明治か江戸末期の生まれで、今は墓の中や。その爺さんの話では、ナチスはバチカンに多額の寄付をしとったそうや。」

「バチカンというと、カトリック教会のバチカンですか?」

「そうや。ヒトラーがナチスドイツを第三帝国と標榜した意味を知ってるか?」

「はい。第一帝国が神聖ローマ帝国。第二帝国はプロイセン王国の鉄血宰相ビスマルクが率いたドイツ帝国。それに続く第三番目の帝国と云う意味だったと思いますが。」

「違うな。それはナチスを外部から見た第三者の見解や。ヒットラー本人は第一帝国が西ローマ帝国。第二帝国が神聖ローマ帝国。それに続く第三番目のローマ帝国と云う意味や。カール大帝が即位した西ローマ帝国に始まり、歴代のローマ皇帝はバチカンの教皇から王冠を受ける戴冠式を実施している。教皇が国王をローマ皇帝と認めると云うことはキリスト教徒の支配者であると云うこっちゃ。キリスト教神学では第三国という言葉の意味を『聖霊による来たるべき理想の国家』と考えとる。これは『ヨハネの黙示録』に出てくる三位一体の考え方から出てるんや。父と子と聖霊の三位さんみ。第一の国は神である父による律法の国。第二の国が子であるイエス・キリストによる救い国。そして、第三国が聖霊による理想の国家だ。ヒトラーは聖霊に導かれる自分が理想の国を支配する者であると考えていたんや。教皇から王冠を授かることを考えて、ナチスはバチカンへの寄付をしたんや。狙いはそれや。」

「その寄付金が何処かに隠されていると云う事ですか?」

「いや、違う。ナチスの寄付金が隠されているのとちごうて、バチカンの所有の金や。しかもアメリカドルや。」

「バチカンのお金とは、如何どういう事ですか?」

「バチカン銀行が持っとる金は莫大や。総額は不明やが、その金が何処にあるかや。バチカンもナチスからの多額の寄付金を公表するのは二の足を踏むと云うこっちゃ。」

「松崎がそのお金の有り場所を知ったと云う事ですか?」

「いや、場所は知らんかったやろ。たぶん、お金の運搬経路を上野家の記録文書から知ったんとちゃうかな。戦争末期に上野家の爺さんがそんな事を話したことがあった。」

「どんな運搬なのですか?」

「それは知らん。」

「そうですか。」


「ああ、そう云えば・・・。」と忌部が口ごもった。

「何か?」と陽一が忌部の顔をのぞきこむように言った。

「まあ、ええか。」

「はい、お願いします。」

「軽井沢のユーゲント歓迎レセプションの時、その爺さんが来とった。外務省に招待されたとか言うとったな。」

「外務省の招待ですか・・。」

「ユーゲント訪日団の日本国内の行動計画は文部省が決定したのやが、外務省の役人や青少年同盟団の役員も随行を許されとった。」

「青少年同盟団とは?」

「当時、日本には帝国少年団教会と大日本少年団連盟、それと大日本連合青年団とかがあってな。そいつらの団体をひっくるめて中野学校では青少年同盟団と云うとった。ヒトラーユーゲント訪日団と交換でドイツに行ったのはこの青少年同盟団の連中や。」

「なるほど、そう云う事でしたか。」


「後は、何が知りたい?」

「上野家を訪問している西洋人とはどういう人なのですか?」

「それも知らん。ただ、滅亡した神聖ローマ帝国の人物が地下組織を作り、それが現在まで続いていると云う事を特務機関員時代に聞いたことがあったな。中野学校は単なるスパイの養成機関や。特務機関はスパイ活動の司令部や。各国の情報は特務機関本部に入る。」

「秘密結社ですか?」

「まあ、そんなとこかも知れん。よう判らんわ。」

「そうですか・・・。本日はありがとうございました。」

「あんた、お祖父さんによう似とるな。」

「そうですか・・・・。」

「あんたのお祖父さんは第一次近衛内閣が成立するまでは内務省警保局に所属していたが、近衛総理に見込まれて内務省大臣官房秘書課に移動させられよった。ヒトラーユーゲントが来日することが決まった時、一時期だけやけど、警保局に戻されて軽井沢の歓迎レセプションなど、ユーゲント訪日団の警護の責任者を任されよった。それだけ近衛文麿に信頼されとったと云うことや。ヒトラーユーゲントを護衛するために、ユーゲントたちの日本国内旅行に同行しとったな。」

「忌部さんも近衛総理に大変信頼されていたそうですね。陸軍中野学校の創始者である秋草中佐のお考えでは、特務機関員は頭脳明晰でインテリジェンスがあり、かつ国家のために命を投げ出すことができる人間であること。そして、何よりの他人から信頼される性格であることが重要と述べておられます。」

「インテリジェンスて何や?」

「断片的な情報から対象の全体像を推理し、認識出来る能力でしょうか・・。」

「中野学校ではそんな問題をぎょうさん出題されたわ。わっはっはっは。」



アルプスの老女2;

1997年6月15日の午後6時過ぎ  銀座のステーキレストラン「マツヒロ」の個室


朝見陽一と警察庁警備局長の村越栄一がワインを飲み、ステーキを食べながら話している。


「それで、忌部神時との話はどうだった?」と村越が訊いた。

「やはり、忌部氏は情報網をたくさん持っているようです。私が忌部氏の事を調べていることを知っていました。」

「と云う事は、警察庁や外務省に忌部の息がかかった人物がいると云う事になるか・・・。」

「組織的なのか、単に個人的な知り合いなのかは不明ですが・・・。」

「陸軍中野学校では、終戦の一年前くらいから日本の敗戦とその後の戦いを想定して、連合軍が駐留する地域に諜報員を残す訓練を始めていたそうだ。それを『残置諜者』と称した。終戦後もフィリピンのルバング島で1974年までゲリラ戦を展開しながら米軍の情報収集活動をした小野田少尉も『残置諜者』の訓練を静岡県の二俣分校で授けられたそうだ。」と村越が言った。

「『残地諜者』ですか・・。すると、国内にも同様の諜報員が残された可能性がありますね。」

「その可能性は考えられるね。」

「忌部氏の情報網はその『残置諜者』の人々と云う事になりますかね・・。」

「まあ、それだけではなく、戦時中に知り合った幾人かの人物も居るのではないかね。」

「と言いますと?」

「忌部は参謀本部に協力して黄金を隠匿する活動に従事していた。そう考えると、参謀本部の重朕たちと交流があったはずだ。戦後はソ連の手先となったと揶揄される瀬島龍三など、企業活動をしている人物も多く居る。瀬島は政治家の中曽根康弘の顧問もしているが、戦争末期には近衛文麿の意向を受けてソ連を数回訪問している。アメリカとの停戦仲介を依頼するつもりだったようだが、ヤルタ会談でソ連は連合国軍として参戦したので不調に終わったがね。ソ連は日本との不可侵条約を反故ほごにして日本を攻撃してきた。ヤルタ会談でアメリカはソ連が日本攻撃に参加することを条件に、ソビエトのドイツ・ベルリンへの一番乗り入城を秘密裏に約束した。アメリカ軍が2週間もベルリン入城を控えている間にソ連兵はドイツ人に対して略奪・暴行を繰り返した。この為、ヒットラーをはじめナチスの要人たちの逃亡情報は消えてしまったと、日本の特務機関員に協力していたドイツ人からの情報があったそうだ。」

「なるほど、忌部氏の情報網は強力ですね。」

「我々も足元をすくわれないように注意する必要がありそうだな。」

「はい、用心します。」


「ところで、来月に10日間の夏休みを取るそうじゃないか。海外旅行でもするのかい?」と村越が訊いた。

「はい。ヨーロッパ旅行を計画しています。」

「どこの国へ行くのかね?」

「イタリア、スイス、ドイツ、オーストリアを巡るつもりです。」

「松崎重成の足取りを辿るつもりかね?」

「はい。」

「あちらの警察に協力依頼をしておこうか?」

「いえ、それは止めてください。私がヨーロッパへ行くという情報が相手側組織に漏れると行動を妨害される可能性も考えられますから。」

「それはそうだね。まあ、注意したまえ、松崎の二の前に成らないようにね。」

「はい。十分に注意します。」

「まあ、君の事だから安心はしているけれどね。」

「ありがとうございます。」



アルプスの老女3;

1997年7月1日  京都市文化財保護課の会議室


明日の京都市会議場での「山鉾巡行くじ取り式」を控え、くじ取らずの9基を除く24基の山鉾の町世話役たちが集っている。


「山鉾巡行の順番でご意見がいろいろと出ておりますが、明日のくじ取り式を平穏に行うために

この場で意見を取りまとめたいと思います。はじめに、京都府警本部の組織犯罪対策国際課の朝見課長さんからご意見を述べていただきます。」と会議司会者である万茶屋の美浦宗右衛門が言った。

「はじめまして。京都府警の朝見と申します。ちょっと場違いの所に警察が出てきまして申し訳ありません。しかし、京都の治安維持の観点から警察よりお願いがあり、この会議に出席させていただきました。よろしくお願いいたします。」と陽一は立ち上がって言った。

「それで、警察が何を言いたいんどすか?」と一人の世話役が言った。

「はい。実は、山鉾巡行の順番決めの裏で東京の暴力団が動いています。」

「何やて?」と場内がざわめいた。

「ここにご出席の皆様に判らない形でその暴力団は動いています。警察の調査ではどの山鉾が狙われているのかを掴んでおりますが、そのことは申し上げられません。ただ、数基の山鉾が標的になっております。従来からのくじ取り式に変更を加えることが実行されると祇園祭に関係する町内の秩序が乱れ、その隙に暴力団は入り込んでまいります。警察からのお願いは、そのような事がないように皆様方にご配慮をお願いすると云う事でございます。なにとぞ、その意をお酌み取り頂き、平穏に山鉾巡行の順番が決まられることをお願いする次第です。警察からのお願いは以上でございます。ありがとうございました。」と言って、陽一は席に座った。

「それでは、ご意見がある方は挙手願います。」

「はい。」と数人の町役が手を挙げた。

「それでは、そちらの方。」と司会者が一人の町役を指さした。

「今まで通りのくじ取りでええんとちゃいますかな。」

「そやそや、今まで通りで行きましょ。」と多くの人物が声を上げた。

「他にご意見のあるかたは?」と司会者が訊いた。

手を挙げる者はいなかった。

「それでは、決を取ります。今まで通りのくじ取り式でええと思うかたは手を上げておくれやす。」

24人全員が手を挙げた。



アルプスの老女4;

1997年7月20日 午後4時ころ  スイスのアルボン市警察署の玄関ロビー


イタリアのミラノ空港でヨーロッパ入りした朝見陽一は松崎重成が残していた行動メモに従ってイタリアからスイスに入り、更にドイツからオーストリアを訪問する予定である。


「すいません、突然にお邪魔しまして。」と朝見陽一がドイツ語で言った。

「やあ、お久しぶりです。今回は旅行ですか?」とフェデラー警部が笑顔で陽一と握手をした。

「まあ、名目は旅行ですが、松崎重成の死亡事件をもう少し調べてみようと思いましてヨーロッパに来ました。」

「やはり、納得が行きませんか。」

「ええ。」

「私もです。それで、その後も個人的に色々と調べて判ったことがあります。ここでは何ですから、応接室に行きましょう。」と言って、フェデラー警部は陽一を警察署内部へ案内した。


警察署の応接室


「松崎重成が残していた行動メモでは最終訪問地はオーストリアです。ですから、本当にこの町のホテルに宿泊したのかどうかです。」

「ホテルのフロント係の証言では東洋人が一人で来てチェックインしたが、その人物の顔は覚えていないと云うことでした。その後、通関検査員などにも聞き込みましたが、重成松崎が通関した記録はありませんでした。」

「そうですか。」

「ホテルにチェックインしたのは死体が発見された三日前の夕刻の5時ころでした。しかし、フロントに姿を見せたのはチェックインした時だけでした。宿泊予定は4日間でした。そう云った経緯から、私はチェックインした東洋人は重成松崎ではないと考えています。」

「その男は日本人だったのかどうかですが・・・。」と陽一が言った。

「それと、何故なぜスイスのホテルに宿泊した事にしたのかですね。」

「殺害現場を隠したかったと云う事ですかね。確か、死亡推定時刻は遺体発見前日の午後8時から午後11時の間だったですね。」と陽一が再確認した。

「その通りです。」

「まあ、そう云う事でしょうな。」とフェデラー警部が言った。


「ところで、ハルシュタット湖からこの町に来るにはどのような方法がありますか?」

「重成松崎の殺害現場はハルシュタット湖とお考えですかな。」

「ハルシュタット湖の水が松崎の肺に残っていたのですから、そこで死んだと考えています。殺されたかどうかは別にしてですね・・・。」

「ハルシュタット湖から重成松崎の遺体をボーデン湖まで運ぶとして、公共交通機関を利用することは考えに難いです。たぶん自家用車か小型のトラックでアルプスの山道を走ったのでしょう。」

「その場合、ハルシュタット湖からボーデン湖までの必要時間はどのくらいですか?」

「そうですね、ハルシュタット湖からボーデン湖までは400Km弱の距離です。山道をよく知っていて、運転が上手な人物が運んだとすれば・・・、5時間から6時間ですかね。」

「この町でレンタカーを借りたいのですが・・・。」

「判りました。明日、私が車でご案内しましょう。明朝8時に出発しましょう。どちらのホテルにお泊りですか?」

「松崎重成が宿泊していた『ホテル・ボーデンクロイツ』です。」

「では、明日の8時にお迎えに参ります。」

「よろしくお願い致します。」

「実は、ハルシュタット市には朝見さんにご紹介したい老女が住んで居ます。」

「老女ですか?」

「はい。ルーテル教会のシスターですが、ドイツ人です。」

「ドイツ女性ですか・・・。」

「重成松崎の目撃者を探していた時に偶然に出会った人です。日本人や日本の事に興味がある方で日本刀をお持ちです。」

「日本刀ですか。」

「そうです。ところで申し訳ないですが、今日中に片づけておきたい仕事がありますので詳しい話は明日、車の中でお話します。シスターには後で私から電話を入れておきます。」

「よろしくお願いします。本日は突然の訪問で失礼いたしました。」

「どういたしまして。」

「それではこれにて失礼いたします。それでは明朝に。」

「承知しました。」



アルプスの老女5; ヒトラーユーゲントの訪日

1997年7月21日 午後4時ころ  オーストリアのハルシュタットの聖職者館の応接室


アルプス山脈の中に位置するハルシュタットはドイツとの国境に接するザルツブルク市から40Km南東にあるオーストリア中北部の人口900人程度の小さな町である。ハルシュタット湖は世界一美しい町と謂われている。近くの山中から岩塩が採れる。


午前8時にアルボン市を出発した朝見陽一と休暇を取ったフェデラー警部がハルシュタットに到着したのは午後3時過ぎであった。

フェデラー警部の知っている民宿ホテルに車を留め、ルーテル教会の隣にある聖職者館に徒歩で向かった。

なお、車中で朝見陽一にフェデラー警部がルーテル教会の老シスターについて話した内容は次のようなものであった。

『老女は戦時中にはドイツ女子青年団に属しており、ヒットラーユーゲントたちとの交流でひとりの青年と恋に落ちた。その青年から終戦間際に日本刀を預けられ、別れ別れになったという。その後、消息は判らず、現在に至るまで再会出来ていない。松崎重成とは会ったことはない。』と云う事であった。


「こちらが日本から来た陽一朝見さんです。」とフェデラー警部が陽一を老シスターに紹介した。

「朝見陽一です。お会いできて光栄です。」

「始めまして、朝見さん。イングリッド・バウアーと申します。」と老シスターが言った。

「フェデラー警部から日本人にご興味がお有りと伺いましたが・・・。」

「はい、そうです。」

「何故に日本人に興味があるのですか?」

「私の恋人の事は警部さんからお聞きになりました?」

「ええ、ヒットラーユーゲントで有ったそうですね。」

「はい。ユーゲント訪日団30名の一員でした。」

「日本での話はその恋人からお聞きになられましたのですね?」と陽一が訊いた。

「はい、いろいろと聞きましたわ。特に彼は『ビャッコタイ』の話が好きでした。」

「白虎隊ですか・・・。」と陽一は呟いた。

「ユーゲント達は1938年に3か月間日本に滞在し、様々な場所を訪問した様です。」

「そうです。日本年号では昭和13年の8月16日から11月12日まで約3か月間滞在したそうです。」

「朝見さんはユーゲント達が日本のどのような場所を訪問したかご存知ですか?」

「はい、知っております。お話しましょうか?」

「お願いします。彼から聞いた話だけでは日本での事がよく判らないことが多くありますから。」


陽一は、ヨーロッパに来る前にヒットラーユーゲントの訪日経過を調べ暗記していた。

「8月16日に東京湾にある横浜港に入港したのが初日です。3000人の大観衆が熱狂的に歓迎したそうです。」

「その話は彼からも聞きましたわ。大変感激したと言っていました。」

「あなたの恋人だった青年のお名前は何と仰る方ですか?」と陽一が訊いた。

「オリバー・エアハルトです。恋人だったのではなく、今も私には恋人です。」

「そうですか。それは失礼いたしました。」

「ユーゲント訪日団のお話を続けていただけます?」

「はい。横浜に上陸した後、東京では高等女子師範学校生による歓迎式典があったり、日本の過去の聖霊・英雄たちを祀っている靖国神社というお宮に参拝されたり、日本の最高峰である富士山に登ったりされたようです。」

「富士山は東京から見ると美しかったけれど、登ると岩だらけだったと言って、彼は笑ってましたわ。」

「なるほど。その様な印象をお持ちでしたか。日本人にとっては霊的な信仰対象の山です。」

「それは申し訳ない事でした。オリバーに代わって謝りますわ。」

「その後、軽井沢と云う避暑地で当時の総理大臣・近衛文麿氏によるユーゲント訪日団歓迎レセプションが実施されました。」

「そのレセプションも印象的だったと言っておりした。ドイツの高名な交響楽団指揮者であるフルトヴェングラーからの贈答品目録と楽譜が代理人であるバイオリニストの女性から日本の総理大臣に贈呈されたそうですわね。」とイングリッド・バウアーが思い出したように言った。

「よく御存じですね。」と陽一が言った。

「当時、フルトヴェングラーさんはナチスに利用されて大変お苦しみになっていました。私たちドイツ女子青年団でもお気の毒に思ったものです。ヒットラーユーゲントであるオリバーも、気の毒ではあるがドイツ人だから国家に尽くすのは当然とも言っていました。」

「ドイツ人の間でもいろいろな葛藤があったのですね。」

「当時の風潮に逆らえば自身に危険が及びますから、誰も逆らえなかったのです。時代とは恐ろしいものです。」と老シスターが言った。

「日本も同様だったようです。」

「そうですか・・。」

「8月23日の軽井沢での歓迎レセプションの日程を終えた後、日光東照宮と云う寺院を見学し、その後に会津若松と云う地ある『白虎隊隊士』のお墓に参拝したようです。それが8月31日の事です。激しい風雨にも拘わらずユーゲント青年たちの要望で墓参を強行したと云う事です。」

「オリバーは自分たちと同じ年齢の『ビャッコタイ』隊士の国に殉ずる精神に大いに感銘を受けていたようです。『総統(フュ―ラー)の為にはビャッコタイと同じように命も惜しまない』と常々言っていました。」

「よほど感銘されたのですね・・・。」

「その会津若松という土地での宿舎が純日本風の和風旅館だったそうで本当に楽しかったと言っていました。その『ビャッコタイ』墓参の時に宿泊した旅館で、オリバーはユーゲント訪日団を護衛していた警察隊の隊長さんから『護衛の極意』を教わったそうです。その方は、あなたと同じようにドイツ語が堪能な方だったそうです。その時に得た知識と技能のおかげで総統(フュ―ラー)の身辺警護を命じられたそうです。総統(フュ―ラー)の暗殺を阻止したこともあった様で、総統(フュ―ラー)からは大いに信頼されていると言っていました。」

「オリバー・エアハルトさんは優秀なボディーガードだったのですね。」

「オリバーは終戦間際に総統(フュ―ラー)から日本刀を頂いたのです。それが今、私の部屋に飾ってあります。敗戦を覚悟した総統(フュ―ラー)が国を脱出する決意を固めた時に頂いたそうです。その時、『この日本刀はユーゲント訪日団が訪問したのと同じ日本刀鍛冶所から私へ贈られた物だ。お前に遣るからユーゲント訪日の時に貰った短刀と一緒に持っておれ。』と総統(フュ―ラー)が言われたそうです。その後、オリバーも総統(フュ―ラー)の国外脱出に随行する一員に選ばれました。そこで、私との別れ際に『日本刀を自分と思って持っていて欲しい。』と言って私に日本刀を渡しました。」

「その日本刀は1936年の独日防共協定の時に岐阜県の関町にある日本刀伝習所で造られ、ドイツ大使経由でヒットラー総統に贈られた物です。その後、イタリアのムッソリーニ元帥にも同様の日本刀が贈られました。その土地は、昔は美濃国と呼ばれており、『関の孫六』と呼ばれた有名な刀工達が居た土地で、ドイツのゾーリンゲンと交流のある町です。ユーゲント達全員にも短刀が1本づつ贈られたはずです。」

「その短刀も私の部屋にありますわ。」と老シスターが言った。

「実は1936年の独日防共協定の時、ヒットラー総統にはもう一振りの日本刀が日本国政府より贈呈されています。その刀は『備前国宗』と呼ばれる刀鍛冶が鍛錬した名刀です。ヒットラー総統は芸術的美しさを持つ『日本武士の魂』が戦火によって焼失するのを惜しんで日本人武官に名刀『国宗』を託し、日本への返還を希望したそうです。」

「総統(フュ―ラー)は芸術をよく理解されていました。若い頃は画家を目指したことがあったそうです。」と老シスターが言った。


その後、伊勢神宮から奈良法隆寺、京都清水寺、大阪城、福岡、別府、広島厳島神社などに行った話の後、神戸オリエンタルホテルでの送別交歓会の話になった。

「神戸港はユーゲント訪日団が帰国の途に就いた港ですが、日本からドイツ訪問青年団が出港し、帰港した港でもあります。」と陽一が言った。

「神戸は西洋風の建物がある港町だったとオリバーは言っていました。小高い山が港に迫り、フランスのニース似た印象だったそうです。」

「そうですか。神戸は1865年ころに江戸幕府の輸入外国船の操縦を訓練する海軍操練所があった場所です。それ以降、外国船が入港する国際的な貿易港として栄えています。1938年5月27日にユーゲント訪日団の来日前にドイツ訪問日本人青年団が神戸を出港し、フランスのマルセーユ港からイタリア経由で7月2日にドイツのケルンに到着し、以後ドイツ領土内を巡りました。そして、7月12日に訪日するユーゲント達とブレーメンで交歓会を行いました。」

「ええ。7月12日にブレーメンに到着した日本人青年団と出発するユーゲント訪日団の交歓会はドイツ国内でも評判になりましたわ。私も新聞記事を丹念に読んだ記憶があります。」

「その後、東プロイセン、ポーランド、オーストリアから9月15日にドイツのライン川ほとりのジュセルドルフを出て、パリ、ロンドンを訪問した後にナポリを出港し、11月12日に神戸港に帰港しました。この日、帰国するユーゲント訪日団と神戸オリエンタルホテルで交歓会が行なわれています。また、神戸港はドイツから持ち帰った多くの贈答品を陸揚げした港でもあります。なお、ユーゲント訪日団は7月12日にドイツのブレーメンを出発しましたね。」と陽一が説明した。


アルプスの老女6;老シスターの思い出

1997年7月21日 午後4時30分ころ  ハルシュタット聖職者館の応接室つづき


「はいそうです。でも、その時はまだオリバーとは知りあっていませんでした。知りあったのは、彼が帰国してからです。翌年、1939年のニュルンベルクでのナチ党大会の開催準備をしている時ですわ。戦争が始まってしまい、9月に開催予定だったナチ党大会は中止になりましたけれど、私とオリバーにとっては記念すべき年でした。」


(※著者注記;ブレーメンは北海にそそぐヴェーマー川を河口から60km逆上った位置にある。河口の町はブレーマーハーフェンであるが、1800年代に川の改修工事が実施され、外洋船がブレーメンまで入港できるようになっている。)


「日本刀を受け取った時すなわち、オリバー・エアハルトさんと別れた時の状況などをお話願えますか?」と陽一が遠慮がちに訊いた。

「ええ、よろしいですわ。あれは、ロシア赤軍がベルリン攻撃を開始する10日くらい前でした。ポツダム会談での秘密協定でベルリンにはロシアが一番乗りすることになっており、アメリカ軍はベルリン郊外で待機していました。ロシアがベルリン攻撃を開始するまでの2週間くらいはベルリンの街は空襲もなく、平穏でした。その間に総統(フュ―ラー)は国外脱出をすることになり、オリバーもその脱出行に同行するように命じられたそうです。無事に脱出できるかどうかは判らないので戦死することも考え、彼と私は別れ一夜を過ごしました。その時に長短二本の日本刀を彼の形見として受け取りました。」

「歴史では、ヒットラー総統は自殺したことになっていますが?」

「地下の死体は影武者です。ロシア赤軍がベルリンで破壊・暴行・略奪を繰り返したために真実は判らなくなってしまったのです。」

「オリバーさんは何処に逃げるとか話されていましたか?」

「それは誰にも話せないといっていました。総統(フュ―ラー)の国外脱出はごく側近の数名にしか話されていないと言ってました。」

「それで、あなたはオリバーさんと別れてどうされたのですか?」

「オリバーが手配してくれたある親衛隊将校の逃走用車両に翌日に乗り、このハルシュタットのルーテル教会に到着し、身を隠しました。親衛隊将校の方と同乗しておられた女性はスイスに向かわれると仰っていました。」

「その将校のお名前は?」

「イスラエルの諜報機関がナチス将校の残党狩りを行っていますので、名前は申し上げられません。」

「そうですか。それで、この町の教会の修道女になられたのですね。」

「そうです。」


「ハルシュタットのルーテル教会を選ばれた理由は何ですか?」

「このハルシュタットは戦時中にオリバーが夏季休暇の時に一緒に遊びに来た街です。オリバーがユーゲント訪日団の時に知り合った女性の別荘に宿泊しました。もちろん、二―ナさんも私たちと行動を共にして下さいました。その思い出があり、このハルシュタットの町に決めました。」

「その二―ナと云う女性はどのような方ですか?」

「二―ナ・グロスナーという方です。グロスナー家はドイツ統一の中心人物であったプロイセン王国の宰相ビスマルクに繋がる家系です。当時、二―ナさんのお父様は日本のドイツ大使館の駐在武官をされており、オリバーが訪日した時にお会いした方です。そのご縁でオリバーは総統(フュ―ラー)と出会ったのでした。」

「二―ナさんのお父さんのお名前は?」

「確か・・・・、すいません、よく覚えておりません。」

「その別荘と云うのは今もあるのですか?」

「建物はありますが、所有者は変わりました。ああ、そうそう、思い出しましたわ。アルブレヒトが二―ナさんのお父様のお名前です。」

「アルブレヒト・グロスナーですか・・・。」

「それから、二―ナさんは戦後、実業家のマクシミリアン・ライヘンバッハ氏の息子さんとご結婚され、今はニュルンベルク郊外のエルランゲンと云う町にお住まいと私の母が死亡する前に聞きました。」

「エルランゲンですね。」と陽一が念を押した。

「そうです。そう云えば、ライヘンバッハ家のものだと云う別荘がハルシュタット湖畔にありますわ。そこが二―ナさんがご結婚されたライヘンバッハ家の別荘なのかどうかは判りませんがね。」

「二―ナさんとはその後、お会いになりましたか?」

「いいえ、一度も会っておりませんわ。どうされているのかも知りません。」


「そうですか。その後、オリバーさんの消息はお聞きになりましたか?」

「いいえ。生きているのか、死んでしまったのか、まったく情報はありません。」

「そうですか。」

「もしや、日本で生きているのではないかと思い、日本の観光客が来られると、それとなく日本のお話を聞くようになったのです。」

「2年半前の秋にこの男性はハルシュタットに来ていませんか?」と言って陽一は松崎重成の顔写真を見せた。

「フェデラー警部からも訊かれましたが、私はお会いしておりません。秋に観光でこの町に来られる日本人はあまり居られません。この方はボーデン湖で水死体で発見されたそうですね。」と写真を見ながら老シスターが言った。

「はい。肺から検出された水はこのハルシュタット湖の水でした。」

「それでは、この町で死んでからボーデン湖まで運ばれたことになりますわね。」

「必ずしもハルシュタット湖で死んだとは断言できませんが、可能性は大いにあります。」

「お役に立てなくて、申し訳ありません。」

「いいえ、バウアーさんが謝る必要はありません。」


3人が応接室を出て聖職者館の玄関に来て別れの挨拶をしたと時、一人の神父が教会から帰ってきた。

「どちらの方ですか?」とシスターに向かって神父が声をかけた。

「日本から来られた刑事さんです。2年半前の秋にこの町へ来た日本人の方をお探しです。」

「二年半前と云うと、1994年の秋ですね。」と神父が呟いた。

「この人物ですが、お見かけになりましたでしょうか?」と言って陽一は松崎の顔写真を神父に見せた。

「二年半前の秋ですか・・・。」と写真を見ながら、再び呟いた。

「二年半前が何か?」と陽一が訊いた。

「この方だったと思いますが、教会の時計塔の中を見たいと申されました。日本のジャーナリストで、日本の雑誌にここの教会を紹介する記事を書く予定であると申されました。そこで、塔にご案内しました。」

「神父様、その時に何故私に日本の方を紹介して下さらなかったのですか?」

「あの時、シスターはケルン大聖堂のミサに参列するためにドイツに行って不在でした。」

「あら、そうでしたか。」

「それで神父様、その時の様子を覚えていらっしゃいますか?」と陽一が訊いた。

「この写真の方は鐘にはそれほどご興味を示さずに、時計の構造にご興味がある様で、写真を撮っておられました。そう云えば妙な質問を受けました。」

「どのような質問ですか?」

「『この時計はナチスが寄付したものですか?』と云った意味の質問でした。」

「この教会の時計はナチスが寄付したものですか?」

「もちろん、違います。教会の時計は古く、マルタの職人が造ったものです。」

「マルタ?」

「地中海に浮かぶマルタ島で造られる時計は昔からのイタリア人から技術を受け継いだマルタ職人が作るので有名です。」

「マルタ十字と言われる紋様はスイスにある時計メーカーのシンボルにも採用されていますわ。」と老女バウアーが言った。

「マルタ十字とはマルタ騎士団の記章でV字形をした三角形を4つ合わせて十字を象ったものです。その十字には8のかどがあり、その8つの角は、忠誠、敬虔、勇気、名誉、率直、庇護、敬意、そして死命を意味するものと考えられています。」と神父が言った。

「18世紀のプロイセン王国で家臣の功積を称える為にマルタ十字のプール・ル・メリット勲章が制定され、ドイツ帝国時代にはドイツ軍が鉄十字勲章と呼ばれた勲章をパイロットなどの兵士に与えました。しかし、第一次世界大戦の終結でドイツ帝国が崩壊すると勲章授与は中止されました。ゲーリングやロンメルなどが授与されています。しかし、ヒットラーがドイツ総統になって復活させました。」とフェデラー警部が付け加えた。

「マルタ島とはどのような歴史があるのですか?」と陽一が神父に訊いた。

「マルタの文明は古く、石器時代の巨石神殿が残っています。聖パウロが裁判を受けるためにローマに移送される時、地中海で嵐に会い、マルタ島の海岸に船が打ち上げられ無事だったそうです。フェニキアやローマの支配の後、長くイスラム帝国の支配下にありましたが、12世紀にノルマン人、15世紀にはスペイン人に支配されました。16世紀にはギリシアのロドス島を追われた十字軍の聖ヨハネ騎士団が支配し、マルタ騎士団と呼ばれるようになります。18世紀末にナポレオンが占領しましたがほどなくイギリスに支配されてしまいます。イギリスはマルタ島をインドに至る重要拠点としました。第二次世界大戦ではアフリカやイタリア上陸のための軍事拠点となり、ドイツ・イタリアからの空襲がありました。そして、1964年にイギリス連邦マルタ共和国として独立し現在に至っています。第一次世界大戦の時、同盟国イギリスのために日本から駆逐艦が地中海に派遣され、ドイツのUボート潜水艦に対するイギリス艦船の護衛をしたようです。この時に戦死した日本人のお墓がマルタ島にあります。」と神父が言った。

「バチカンの影響はありますか?」

「カトリック教信者が98%と云われていますが、経済的にはシシリー島のマフィアの影響力があると言われています。歴史的には地中海における軍事拠点の島と云えるようです。」

「そうですか。その他に松崎重成の事で何か気になるような事はありませんでしたか?」

「いいえ。時計塔の内部を見た後はすぐに帰って行かれましたよ。」

「どこかへ行くようなことを言っていましたか?」

「いいえ、何も。他に何か訊いて来られたと云う事もありませんでした。教会を出て、近くの遊覧船乗り場の方へ歩いて行かれましたよ。」

「ハルシュタット湖の遊覧船ですか・・・。」

「そうです。」


その後、老シスターの部屋で日本刀などを見せて貰い、陽一とフェデラーは教会を立ち去った。



アルプスの老女7;

1997年7月21日 午後6時ころ  ハルシュタットの民宿ホテル


教会から民宿ホテルに戻った陽一とフェデラーがロビーで話している。


「シスターの部屋にあった懐中時計ですが、マルタ十字のマークがありましたね。」と陽一が言った。

「そうですね。あれは、スイスのジュネーブにある名門の時計メーカーのものです。」とフェデラーが答えた。

「シスターが言っていた時計メーカーのことですね。」

「はい。バロン&エンペロル社が製作した特別注文の懐中時計でした。バロン&エンペロル社の創業は18世紀で、その技術精度には定評があります。」

「時計の表側の蓋にはイタリアからスイス、オーストリア、ドイツ、ギリシア地域の地図が描かれていました。裏側には製作年度の1932の文字が彫られていました。」

「時計の文字盤は世界時計になっていたでしょ。世界時計が初めて製作されたのが1932年でした。中央のダイヤルを中心にして回転するディスクが取り付けてあり、31の世界都市の名前が書かれている外側のベゼルによって24のタイムゾーンを設定できるようになっています。」

「あの時計はドイツからの車に同乗していた女性から預かったとシスターは言っていましたね。」

「そうですね。その女性はナチス親衛隊将校と一緒にスイスに向かったそうですから、上流階級の女性だったのでしょう。ただ、二人がスイスに留まったとは考えにくいですね。スイスを経由してフランスかイタリアの地中海沿岸の町からUボートでジブラルタル海峡を通過して、太西洋に出て行ったのでしょう。」とフェデラー警部が言った。

「バチカンが逃走経路を準備したのでしょうか?」

「そう云う噂もありましたが、確かな証拠はありません。ナチスの秘密工作機関がヨーロッパ全土に配置されていたとの噂もありましたが、実体は不明です。」

「誰があの時計の製作を依頼したのか判りますか、フェデラー警部。」と朝見陽一が訊いた。

「さあ、誰でしょうね・・・・。」

「ナチスの人間では?」

「ドイツの実業家の可能性もありますね。時計を持っていたご夫人がドイツ人だったのですからね。」

「なるほど、実業家ですか・・・。」

「スイスに戻ったらジュネーブのバロン&エンペロル社で1932年頃の製造記録を調べてみます。」

「お願いします。」

「でも、何故にシスターに預けたのでしょうね。当時は単なるドイツ女子青年団の一員に過ぎなかった人ですが・・。」とフェデラーが疑問を呈した。

「連合国から追跡されるであろう親衛隊将校と一緒に居る自分が持っているよりも単なるドイツ人女性のイングリッド・バウアーさんが持っている方が安全であると考えたのではないでしょうか?あるいは、ヒットラーのボディ・ガードをしていたオリバー・エアハルトに関係しているのではないでしょうか?」と陽一が言った。

「オリバー・エアハルトの家系ですか?」

「いえ、ヒットラーそのものです。オリバー・エアハルトはヒットラーから日本刀を譲り受けたほどの人物です。常にヒットラーの信頼を受け、その傍にいる人物です。その恋人であるシスターはそのうちにオリバーやヒットラーと何処かで出会うはずと考えたのではないでしょうか?」

「そうすると、あの懐中時計はヒットラーがバロン&エンペロル社に依頼して作らせたと云う事になりますかね・・・。そうすると、親衛隊将校と一緒にいた女性はヒットラーの関係者と云う事ですかね・・・。」

「そうとは断言できませんが、何か意味がある時計です。」

「例えば、どのような意味があるのでしょうか?」

「松崎重成は教会の時計を見たがっていました。私は、松崎が日本の上野家の倉庫にあった何かの記録を見てヨーロッパに来たと推理しています。」

「上野家とは?」

「上野家は、1890年頃からプロイセン王国、あるいはハンガリー王国と繋がりがあり、オーストリア人、あるいはドイツ人と現在も交流がある家系ですが詳細は不明です。」

「なるほど。それで、松崎死亡事件は捜査中止になった訳ですか。スイス政府、或いは日本政府を動かす力がある組織が、あの懐中時計を作らせたとすれば・・・。」

「そうです、何か秘密が隠されていることが考えられます。あの蓋に描かれた地図か、あるいは裏蓋を開ければ・・・。」

「それが、松崎重成がヨーロッパに来た理由ですかな・・・。」

「そして、それを阻止するために松崎重成は何かの組織に殺された可能性があります。しかしながら、日本国政府の意向もあり、私の上司からの指示は殺人犯を特定することではありません。松崎重成を殺害した可能性のある組織の実態を知り、日本の組織との関係を把握し、今後の犯罪防止・治安維持対策に役立てることなのです。」

「それは大変な職務ですな・・・。」とフェデラー警部が呟いた。


「明日の朝、バウアーさんが言っていたライヘンバッハ家の別荘を身に行きたいのですが。」と陽一がフェデラーに言った。

「松崎重成が殺された現場かどうかを確認する訳ですな。」

「まあ、そのようなところです。」



アルプスの老女8;

1997年7月22日 午前8時ころ  ハルシュタット湖畔のライヘンバッハ家別荘


朝食を7時に済ませ、民宿をチェックアウトした朝見陽一とフェデラー警部が湖畔の別荘周辺を見ている。

「湖に面してボート小屋がありますね。」

「別荘から直接ハルシュタット湖にボートで乗り出せる訳ですな。」

「必ずしもボート上で松崎が殺されたとは限りませんが・・・。」

「別荘を訪問しますか?」とフェデラーが言った。

「いいえ。万一、この別荘が殺人現場で、別荘内に殺人事件の関係者が居れば、ちょっと面倒な事態にもなりかねません。それに、殺人の証拠が見つかるとも思えません。」

「なるほど。犯人の逃走を助けることにもなりまねませんな。」

「あるいは、我々の身に危険が及ぶことも想定しておかなければなりません。我々はハルシュタットに土地鑑がありませんから、相手に比べると弱者です。」

「朝見さんは慎重ですな。」

「ここの警察署か役所で、別荘の持ち主であるライヘンバッハ氏の住所を確かめたいのですが。」

「判りました。役所に行きましょう。」



アルプスの老女9;

1997年7月22日 午後4時ころ  ドイツ・ケルン


スイス警察のフェデラー警部の助力でライヘンバッハ家の住所がドイツのエルランゲン市にある事を確認した朝見陽一は、フェデラー警部の車でザルツブルグ駅まで送ってもらい、そこでフェデラーと別れた。

オーストリアのザルツブルクから列車に乗ってドイツのケルン中央駅で陽一は下車した。

そして、駅前広場から見えるゴシック建築の三角屋根の教会を見上げた。


「エルランゲンのライヘンバッハ家を訪問するとしても、日本に帰ってライヘンバッハ氏の家系調査をしてからだ。いま、不用意に動いては問題が発生しかねない。それよりも、イングリッド・バウアーさんがケルン大聖堂を訪問した理由がミサに参列するためだったとは思えない。ルター派のミサとカソリック派のミサは異なるはず。ミサはカソリック教会の用語。ルター派ではミサと謂わずに、マスとかホリー・コミュニオンとか謂うのだったな。ケルン大聖堂はカソリック派の教会であり、ハルシュタットのルーテル教会はルター派のはず。まあ、何も見つからないかもかも知れないが、イエスキリストの誕生を予見してナザレのイエスを訪問した占星学者・東方三博士の遺体や遺物が入っていると云う黄金の聖櫃を観光しておいても悪くはない。確か、三博士がイエスに贈った品物は黄金と乳香と没薬だったな。黄金は王の持ち物で神殿の至聖所を飾る物。乳香は神が居る場所を清める香りを出すものであり、活力を生み出すもの。没薬は神と交信するときに飲む薬であり、また防腐作用があるので死すべき運命にある者の遺体を長く保存することができる物だったな。それにイタリアのミラノ空港に降りた松崎重成はスイスのジュネーブからドイツのケルン、そしてオーストリアのハルシュタットと云う小さなアルプス北部の町を訪問していた。ミラノには元元、東方三博士の遺体が安置されていたのだった。それを神聖ローマ帝国の皇帝がミラノを破壊して遺体と遺物を奪い、ケルンの聖ペテロとマリアを祀る教会に持ち帰り安置したのだった。しかし、松崎重成は何を追いかけていたのだろう?また、ハルシュタットの役所の人の話ではライヘンバッハ家の別荘には日本人の男が時折出入りしていると云う事だったが、バウアーさんはそれを知らなかったのだろうか。その日本人の事は話に無かったが・・・。ライヘンバッハ家別荘の日本人とは誰だろう?」と、陽一は取り留めもなく考えを巡らせていた。


ケルン大聖堂を観光した朝見陽一はその夜ケルンで一泊したあと、帰国の途に就いた。



アルプスの老女10;

1997年7月25日  午後6時過ぎ  銀座のステーキレストラン「マツヒロ」の個室 


朝見陽一と警察庁警備局長の村越栄一がワインを飲み、ステーキを食べながら話している。


「ヨーロッパからの報告電話で依頼を受けた『グロスナー家』と『ライヘンバッハ家』について外事課で調査してもらったよ。」と言いながら村越警備局長が資料を陽一に渡した。

「この資料の内容を簡単に教えていただけますか?」と陽一が言った。

「よかろう。『グロスナー家』と云うのはドイツ東部のユンカーと呼ばれた農業貴族の家系だ。ユンカーと云うのは中世の騎士出身者で農民を使って農業経営に従事した者たちの呼称のようだ。まあ、日本風に云えば武士あがりの大地主と云うところかな。狛江の上野家と同じだ。そのグロスナー家と繋がりがあるプロイセン王国の首相ビスマルクもユンカーの出身であったようだ。ビスマルクの母親の家系は学者で父親はプロイセン国王の内閣秘書官をしていた御用学者だ。その母方の血を継いだのか、ビスマルクは大学で法学を学び政治家を目指したようだ。ビスマルクの親戚には農業地主だけでなく、職業軍人もいたようだ。グロスナー家も同様に政治家や政府役人になるものが居たようだ。軽井沢でのヒットラーユーゲント歓迎レセプションで近衛文麿首相にフルトヴェングラーからの贈答品目録を手渡した二―ナ・グロスナーと云う女性と同じ姓を持つアルブレヒト・グロスナーと云う武官がドイツ日本大使館に駐在していた記録があるようだ。 その二―ナと云う女性が嫁入りしたと云う『ライヘンバッハ家』はドイツのブルジョアの家系のようだ。」

「ブルジョアの家系?」

「ブルジョアと云うのは、中世ヨーロッパでは上層階級の貴族・僧侶や下層階級の農民・労働者の中間の階級として存在した自由主義経済を主張した商工業者たちの呼称だ。近代になって資本家と呼ばれるようになったがね。1851年、プロイセン国王から外交の特権大使に任命されたビスマルクは、金融都市のフランクフルトに着任した。そしてビスマルクは国を強くするには軍隊が必要であり、軍隊を支える経済力が重要と考えて、フランクフルトのブルジョアと協力するようになった。余談だが、後に首相となったビスマルクから『富国強兵』の重要性を教えられたのが岩倉具視訪欧使節団の大久保利通や伊藤博文だった。ビスマルクは英国やフランスの植民地主義には反対だったようだ。このころに『ライヘンバッハ家』と『グロスナー家』の交流が始まったものと考えられる。もともと、ビスマルクの家系は14世紀には商人であったが、当時の伯爵家から貴族の身分と領地を与えられてユンカーになったようだ。」

「ドイツの農業経営をする騎士。日本の農業に従事した武士。『グロスナー家』と『上野家』とは似た境遇ですね。」

「その『上野家』の子息の上野淳という男だが・・・。」

「ドイツに行って仕事をしている云う男ですね。」

「そう。上野淳はライヘンバッハの経営する会社で働いているようだ。それも、対日貿易部門に居るようだ。大学を出た上野淳は大手商社の武藤忠商事に入社し、神戸支店で輸入商品の取り扱いをしていたらしい。その時にライヘンバッハ社にスカウトされてドイツに渡ったようだ。」

「松崎重成は上野淳を追いかけてヨーロッパに行ったと云う事ですかね?」

「それはこれからの君の調査で判明するのではないかな。」

「そうなればいいのですが・・・。」

「自信が無いのかね?」

「今のところ、今後の動き方がよく見えていませんので・・・。」

「その、動き方のヒントだが・・・。」

「はい?」

「ドイツから帰国したばかりで申し訳ないが、ライヘンバッハ社のあるエルランゲン市に出張してもらいたい。」

「何を調査するのですか?」

「実は、外務省の知人からの情報だが、松崎重成死亡事件の捜査中止はアメリカ大使館から外務省への要請だったらしい。」と村越が言った。

「アメリカ大使館が日本人の死亡事件に介入してきたのですか・・。」

「松崎重成がアメリカ政府と関係があったとすれば、その関係機関はCIAか海軍情報局と推理出来る。松崎重の大学時代の知人からの情報だが、溜池にあるアメリカ大使館に行くことがあったらしい。そうすると、金回りが良くなって、酒を奢ってくれたそうだ。」

「アメリカ大使館に情報を売っていたと云う事ですか。」

「上野家の蔵にあった資料がその情報源だったのだろう。これは想像だが、上野家に出入りしている松崎重成を見てCIAの情報部員が松崎に近づいたのだろう。」

「CIAは上野家を訪問するヨーロッパ人をマークしていたと云う訳ですね。」

「たぶんな。そのヨーロッパ人がライヘンバッハ社と関係があるのかどうかですね・・・。」

「先ほども言ったように、『富国強兵』の重要性を教えられた大久保利通や伊藤博文はビスマルクを尊敬していた。明治維新に政府要人とのつながりがあった上野家がプロイセン国、すなわちドイツ連邦の政府、或いは秘密組織と交流があった可能性が考えられる。」

「ライヘンバッハ家は事業で生計を立てているようですが、上野家は事業を何か行っているのですか?」

「地主だから、都内へ通勤するサラリーマン向けの賃貸マンションの家賃が主な収入だ。家族が生活するには充分な金額を得ているようだ。」

「そうだとして、現在も白人な訪問してくる理由が何なのかですね・・・。」

「それをエルランゲン市で見つけてほしいのだ。」

「エルランゲン市で見つかりますでしょうか?」と陽一がやや弱気な発言をした。

「エルランゲン市は第二次世界大戦でベルリンが崩壊したあと、ドイツの主要企業が戦後の再建を目指して本拠地とした都市だ。何故エルランゲンかと云うと、ドイツ人を裁く国際軍事裁判が行なわれた隣接するのニュルンベルク市の街は空襲で破壊されており、アメリカ占領軍はエルランゲン市に本部を置いた。ソビエトに管理されるのを嫌った電機機器製造のシーメンス社をはじめとして、エネルギー産業、電気電子製品、電気通信事業などの企業がエルランゲンを足場として大きく成長している。ライヘンバッハ社もその一企業だ。それからケルン市だが、戦前・戦中にナチスに資金提供をする銀行集団が活動した都市でもある。シュロ―ダー男爵と呼ばれた銀行家が中心となってヒットラーを首相にするための資金を提供した。君が疑問に思ったハルシュタットの老シスターがケルン大聖堂に行った目的だが、老シスターが何らかの情報機関か秘密結社と接触するためだった可能性も考えられる。ナチス将校たちの逃走経路を使えたのにはケルンの銀行集団が関係していたからかもしれない。


ところで、松崎重成と接触があったCIAは、戦後に対ソビエト諜報機関として創設された組織だが、創設当初はナチスの東ヨーロッパや対ソビエト諜報組織を指揮したラインハルト・ゲーレンがCIAを主導したのだった。ナチス時代にソビエト国内に諜報網を張り巡らし、様々なソビエトに関する情報を集め、ナチスが敗れた後のアメリカとソビエト共産党の対立を見越して多くのソビエト情報が書かれた大量の書類をアルプス山中に隠し、戦後すぐにアメリカに近づいた。ゲーレン機関と呼ばれた組織は元ナチスSS将校などが活躍したのだが、諜報能力が劣るCIAは黙認せざるを得なかった。ゲーレンは元ナチス将校たちを世界の国々に逃走させる為に組織された『オデッサ』と呼ばれる秘密結社を後援したとも謂われている。たぶん、『オデッサ』は西ヨーロッパの国々を諜報するためのナチス情報機関員で構成されていたのだろう。ゲーレンと『オデッサ』の指揮者は面識があったのだろう。老シスターが乗っていた車に居たナチス親衛隊将校を逃走させたのは『オデッサ』組織と考えられる。『オデッサ』組織の資金源が何処に在ったのかだが・・・。」

「スイスの銀行に預けてあったナチス諜報活動資金だったのですかね・・・。」

「ヒットラーしか知らない軍資金があり、ヒットラーの逃走を計画した『オデッサ』はその資金を使う事が任されていたと推理出来るだろう。その軍資金が何処に隠されていたのかだが・・・。」

「確かに、老シスターはヒットラーのボディー・ガードをしていた男の恋人でしたからね。」

「何故に松崎重成が教会の時計を見たがったのかだが、君に何か考えがあるかね?」

「上野家の蔵にあった文献にナチス将校たちの逃走資金となる黄金や貴金属などを隠した場所が書かれている時計がハルシュタットにあると書かれていたとすれば、松崎重成がハルシュタットの教会やライヘンバッハ家の別荘に行った理由にはなりますが。」

「ライヘンバッハ家の別荘のボート小屋で松崎重成は水死したと云う君の推理も正しいかも知れないね。ライヘンバッハ家の別荘の時計を調べるべく侵入したが、見つかって殺されたか・・?」

「松崎重成を水死させた人物の背後の組織と松崎重成をヨーロッパに行かせたCIAの目的は黄金や貴金属、軍資金ではないとすれば、どうなるのでしょうか・・・。」

「エルランゲン市かケルン市にその答えがあり、ライヘンバッハ社か、或いは他の組織か不明だが、その組織の日本での活動実態が見えてくると云う事だ。出張は橘刑事局長から京都府警に依頼することになるが、出張経費は警備局から出すことになっている。行ってくれるかね。」と村越警備局長が言った。

「はい、承知いたしました。」

「君の肩書は日本商社の顧問弁護士で、貿易対象の会社を調査するためにドイツを訪問したことにする。英語で書かれた名刺と簡単なブリーフィング資料は後ほど君に渡るように手配する。」

「エルランゲン市のライヘンバッハ本社を直接訪問しては君の身に危険が及びかねないので、ライヘンバッハ社の関連企業を4社ほど外務省の協力で調べておいた。これがその4社の名前と住所、電話番号、業務内容が書かれたメモだ。その会社から調査を始めてくれたまえ。」と村越が陽一にA4サイズのペーパーを1枚渡して言った。



アルプスの老女11;

1997年7月30日  午後4時過ぎ  エルランゲン市内の企業 


朝見陽一は村越警備局長から指示のあったライヘンバッハ社の関連企業の3社の訪問を終え、最後の一社であるライヘンバッハ・ケミカル社を訪問していた。

「我社の蓄電池を輸入することをご検討されているとの事ですが、それで我社の何をお知りになりたいのですか?」と総務部長のトーマス・シュレーゲルが言った。

「過去に日本で販売した実績と協力会社はあるのでしょうか?」

「我社は1974年の創業ですが、1985年に大和電気株式会社を通じで2年間の販売実績がありますが、自動車メーカーに納入することは出来ず、日本から撤退しました。貴社が輸入販売を計画されているなら、ぜひとも日本の自動車メーカーへの納品計画をお示し頂きたいですな。」

「はい。それは契約交渉の時にお示しいたします。後日、輸入部門の担当者が御社に連絡をいたします。よろしくお願いいたします。」

「承知しました。」

「ところで、お話は変わりますが・・・。」と陽一が話題を変えた。

「何でしょう?」

「2年半前くらいですが、私の友人の松崎重成というルポライターが戦後ドイツの復興をテーマにした記事を経済雑誌に書くためにエルランゲン市を訪問しました。」

「ほう、ドイツの経済復興を記事にされたのですか。」

「ホテルから私に電話があり、ライヘンバッハ・ケミカル社を訪問してきたと申していました。」

「ほう、我社に来られたのですか。」

「しかし、スイスのボーデン湖で水死体となって発見されました。」

「それはお気の毒な事でしたね。」

「結局、記事は書けなかったのですが、電話での話ではドイツ復興の秘密が判ったと言っていました。」

「ほう、ドイツ復興の秘密ですか・・。」

「はい。松崎はボーデン湖畔にあるアルボン市内のホテルに宿泊していたのですが、その遺品にメモが残されていました。」

「いえ、大した内容ではありませんでした。ヨーロッパでの訪問先とそこで得た話を簡単にまとめたものでした。」

「ドイツ復興の秘密は書かれていなかったのですか?」

「はい。私が電話で聞いた内容はメモにはありませんでした。」

「その、松崎さんが仰っていたドイツ復興の秘密とはどのような事でしたか?」

「いえ、もう忘れてしまいました。私には興味がない内容だったのでね。」と陽一が意味ありげに言った。

「そうですか・・・。」

「それでは、私の訪問目的は終了しましたのでこれにて失礼をいたします。」と言って陽一は立ち上がった。

「そうですか、アウフ・ビーダー・ゼーエン。」



アルプスの老女12;

1997年7月30日  午後8時過ぎ  エルランゲン市内 


朝見陽一は市内にあるレストランで夕食を済ませ、外灯がところどころ点灯しているやや薄暗い人通りの少ない道をホテルに向かって歩いていた。


背後から走ってきた自家用車が陽一を追いに抜き、急停車した。

その車から3人の男が飛び出して来て、陽一に襲い掛った。

陽一はとっさに合気道の護身術を使って男たちの動きをかわした。

しかし、男たちはナイフを取り出して更に襲ってきた。

陽一はナイフをかわし、相手の腕を取って引きまわした。

その時、「パーン」と一発の銃声音が聞こえ、男の声がした。

「今度は命中させるぞ。」

3人の男たちは自家用車に飛び乗って走り去った。


「お怪我はありませんでしたか?」と男が陽一に訊いた。

「はい。御蔭さまで助かりました。」

「それは良かった。」と男が言った。

「失礼ですが、警察の方ですか?」

「いいえ、違います。」

「しかし、拳銃をお持ちですが・・・。」と陽一が男の手にあるピストルを見て言った。

「はは、これですか。これは火薬で音を出すだけのおもちゃのピストルです。」

「なぜ、そのようなものをお持ちなのですか?」

「申し遅れました。私はライヘンバッハ社長のボディガードをしているハンス・エアハルトと申します。このピストルは、イザと云う時の小道具です。」

「エアハルト?」と呟きながら陽一は聞き覚えのある姓名を思い出していた。

「エアハルトが如何どうかしましたか?」

「失礼ですが、あなたのお父様のお名前は何と云いますか?」

「父ですか。父は死にましたが、オリバー・エアハルトです。」

「お母様のお名前は?」

「母の名前は知りませんし、会ったこともありません。私は父の祖母によって育てられました。ただ、父は1982年に突然祖母と私の前に現れました。」

「お祖母様やお父様からお母様のことは何か聞きましたか?」

「祖母も父も何も話しませんでした。私の誕生日は終戦の前年1944年ですが、母は戦争で死んだと思っています。」

「お父様がそう仰ったのですか?」

「いいえ。先ほども言ったように、オリバーは戦前・戦中の事は何も話しませんでした。」

「オリバーさんは何時いつお亡くなりになりましたか?」

「1991年です。」

「場所はこのエルランゲン市ですか?」

「いいえ。私はケルン市で育ちました。父もケルンで亡くなりました。エルランゲンに来たのはライヘンバッハ社に入社してからです。ライヘンバッハ社長のボディガードになったのはある事件がきっかけでした。」

「ある事件とは?」

「2年前でした。急ぎの仕事があって会社で徹夜作業をしていた時に、社長の部屋に盗賊が入ってきました。社長室はビルの5階に会ったのですが、4階の事務室で仕事をしているとで何かドアーを壊すような音が聞こえたので、5階に上がって行ったのです。すると、電気が消えている社長室から物音がするので、不審に思って用心しながら社長室に近づいて行きました。」

「そこで盗賊と格闘になった訳ですね。」

「はい。盗賊は二人でしたが、二人とも捕えました。」

「素手でですか?」

「はい、そうです。」

「何か、格闘技でもやっていたのですか?」

「いいえ。父からボディガードの術を教わりマスターしていましたので、二人をねじ伏せるのは簡単でした。それで、ライヘンバッハ社長の運転手兼ボディガードになることになったのです。」

「今夜は偶然にここに来られたのですか?」

「偶然ではありません。社長から日本人の朝見陽一と云う人物が関連企業を訪問して来るから行動を見張るように命令を受けました。それで、あなたを尾行していたのです。」

「ライヘンバッハ社長は私がエルランゲンに来ることをご存じだったのですか?」

「はい。ケルン市にも行くだろうから見失わないように注意されました。」

「日本で情報が漏れている。どこだろう、外務省か、それとも警察庁か。あるいは京都府警・・・。」と陽一は考えを巡らせた。

「それで、ハンス・エアハルトさんはケルンまで私を尾行するのですか?」

「はい。社長の命令ですから?」

「そうですか。それでは、明日、ご一緒にケルン市に参りましょう。今日はホテルに帰りますから、明日の朝9時過ぎにホテルのロビーでお会いしましょう。」

「ケルンで何をされるのですか?」

「ある老人が1994年の11月22日頃にケルン大聖堂のミサに出席したかどうかを調べたいのです。」

「それでしたら、教会に出席者リストが残っていると思いますよ。ただし、個人情報保護の観点から閲覧は拒まれるかも知れませんがね。」

「警察による事件捜査であればいいでしょかね?」

「警察の捜査なら見せてもらえるでしょう。」

「手配しておきます。」

「そうですか。では、明日、私の車でホテルまで迎えに来ます。ちなみに、11月22日は私の父が死亡した日です。アウフ・ビーダー・ゼーエン。」


陽一は、老シスターのイングリッド・バウアーの事をハンスに話すべきかどうか迷っていた。



アルプスの老女13;

1997年7月31日  午後2時ころ  ケルン大聖堂前の広場近くの建物 


ケルン大聖堂の前でフェデラー警部と落ち合った朝見陽一とハンス・エアハルトはハンスが知っていると云う司教を訪問した。

カソリックのケルン大司教区に勤める司教たちは大聖堂ではなく、ケルン中央駅から10分くらい歩いた所にあるレンガ造りの建物に居た。


ケルンは古代ローマの植民地として始まり、西歴180年頃にはキリスト信者が住んで居たと謂われている。

313年にローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認した時に聖マテルヌスがケルン教会の司教に任命されたのがケルン教区の始まりである。

795年、大司教区となり近隣の教区をまとめることになる。

1164年、誕生したばかりのイエス・キリストに乳香、黄金、没薬(防腐作用があり古代エジプトではミイラの腐敗を防いだとされる)の贈り物をしたとされる東方三博士(占星学者)の遺骨などがイタリアのミラノからケルン教区に運ばれてきた。

1248年、ケルン大聖堂の建築が開始され、632年後の1880年に完成した。

1998年8月15日、設立750周年の祝賀祭が催された。この年の10月11日にはケルン出身の修道女エディット・シュタインがバチカンにより列聖に叙された。

現在のケルン大司教区はドイツで一番大きい教区である。


3人は建物内に入り、職員に司教の呼び出しを頼んだ。


「やあ、ハンス。久しぶりだね。」と50歳くらいの司教が奥から出てきて言った。

「お久しぶりです、フリッツエン司教。」とハンスが言った。

「元気そうで何よりだ。」

「司教もお元気そうですね。」

「エルランゲンではうまく生活しているかね。お祖母さんも、お父さんも亡くなってから元気がなかったから心配していたよ。」

「司教の紹介で就職したライヘンバッハ社で元気に仕事をしています。」

「そうかね。それは良かった。今日はお祖母さんも、お父さんのお墓参りでも行くのかね。」

「いいえ、違います。こちらの方が知りたい事があるということで、ご案内してきました。」

何方どなたかな?」

「スイス警察のフェデラー警部と日本の警察官の陽一朝見さんです。」

フェデラーと陽一はドイツ語で書かれた名刺を司教に渡した。

「警察の方ですか。何か国際事件でもあったのですかな?」と名刺を見ながら司教が言った。

「いえ、違います。スイスで水死していた日本人が訪問した場所に関係した人物の動向を調べております。」

「やはり、国際事件ですな。」

「事件の直接の関係者ではないのですが、イングリッド・バウアーというオーストリアのハルシュタット教会に務める老シスターの件でお訊ねしたい事があります。」

「ルーテル教会ですね。」

「その老シスターが1994年11月22日頃にケルン大聖堂のミサに出席していたかどうかを確かめたいのです。」

「出席者リストを調べたいのですね。」

「そうです。」

「個人情報になりますので、大司教に確認を取ってまいります。しばらくお待ちください。」と言って司教は奥に戻って行った。


そして、10分後くらいにフリッツエン司教ともう一人の人物が戻ってきた。

「大司教を務めておりますアッセンマッハです。」

「これは、大司教様。スイス警察のスタニスラス・フェデラーと申します。」

「日本の警察官で陽一朝見と申します。」

「日本からケルンまでようこそお越しくださいました。お尋ねのイングリッド・バウアーさんの件ですが、1994年11月22日のミサにもご出席されていました。バウアーさんはアメリカのケネディ大統領が暗殺された1963年の翌年から2,3年に一度はミサにご出席されております。」と大司教が言った。

「大司教はバウアー老シスターをご存知でしたか。」

「はい。ミサを終えた後によくお話いたします。」

「どのようなお話をされるのですか?」と陽一が訊いた。

「まあ、立ち話ですから、ハルシュタットの近況などが多いですね。」

「昔話などはされないのですか?」

「昔の事はほとんど話しませんね。シスターは戦争時代の古傷がお有りの様ですから。」

「最近のお話が多いのですね。」

「まあ、そうです。ミサの後はお墓参りをされているようですね。」

「ご親戚のお墓参りをされているのですか?」

「いえ、ご親戚ではない様です。」

「何方のお墓参りですかね。」とフェデラーが訊いた。

「それは、そこに居るハンス・エアハルトさんのお父上とお祖母様の御墓です。」とフリッツエン司教が言った。

「オリバー・エアハルトさんのお墓ですか・・・。」と陽一が呟いた。

「そうです。あれは、何年前でしたか・・、11月22日のミサのときに老シスターとケネディ大統領に施された『終油の秘蹟』の話題になった時、私がオリバー・エアハルトさんの臨終の際に『病者の塗油』を行ったとお話しましたところ、老シスターが顔色を変えてオリバー・エアハルトさんのお名前を叫ばれました。詳しくはお聞きしておりませんが、戦争中のお知り合いだったとの事でした。それで、お墓の場所をお教えしたのです。」

「フリッツエン司教。その話は初耳です。詳しくお話願えますか?」とハンスが言った。

「そうですね。あなたには話していませんでしたかね。」と司教が言った。

そして、フリッツエン司教は話を続けた。

「あれは、ある年のミサの後でした。老シスターのバウアーさんとケルン大聖堂の前の広場で偶然にお会いしたのでした。老シスターが、ケネディ大統領の死を悼んでケルン大聖堂のミサに参列される話は聞いておりましたので、『ミサは無事終わりましたか?』と聞きました。そこで彼女が『はい。今年は大司教様がイエスへの聖油の塗布のお話をされました。』と申されました。なるほど、『終油の秘積の話ですね。』と私が言うと、彼女が申されました。『はい、そうです。』『私も昨年、11月22日にお亡くなりになった御遺体に聖油を塗りに参りました。』と申し上げたところ、老シスターが『そうでしたか。その方はどのようなお方でしたの?』と訊かれました。『はい。その方はオリバー・エアハルトと云うお名前の方で、ある企業の方からのご依頼で塗油致しました。』と答えると、表情を変えたシスターが私に『オリバー・エアハルト?ご年齢はおいくつの方でした?』と訊かれました。『あなたと同じくらいの年齢でした。依頼企業の方からの話では、戦争中にドイツのために重要な貢献をされた方との事でした。』と答えました。その時、『それでは、後ほどにその方のお墓の場所を教えていただけますか?』と申されたので、後日に墓所をお教えいたしました。」

「その事に関して老シスターから何かお聞きになっていますか?」

「いえ、オリバー・エアハルトさんの事は、その後は何も申されません。」

「『終油の秘積』を依頼してきた企業とは何処ですか?」と陽一が訊いた。

「確か、フィンランドに会社がある『バルト工業』と云う機械部品メーカーとのことでした。バチカン経由でケルン教区に依頼が来たのです。」

「フィンランドの会社ですか・・・。住所とかは判りますか?」

「残念ですが。費用と寄付金は事前にケルン教区事務所の銀行口座に振込まれていましたので、住所は不明です。その後、『終油の秘積』の依頼でケルン教区事務所に現れた人物とはお会いしておりません。」と司教が言った。

「その方のお名前は?」

「すいません。覚えておりません。」

「ハンスさん。『バルト工業』と云う名前に聞き覚えはありますか?」と陽一が訊いた。

「いいえ。初耳です。」


「フリッツエン司教、バウアー老シスターは何故にケネディ大統領に対するミサに参列されているのですか?」

「さて、その件に関するお話をしたことがありませんので、判りません。」

「アッセンマッハ大司教は如何ですか?」

「そうですね、ケネディ大統領の演説の中で『あなたの国があなたの為に何ができるかを問わないで欲しい。あなたがあなたの国のために何ができるかを問うて欲しい』と云う一節が御好きだったようですね。その考え方が彼女にとっては戦後を生きていく支えだったと申されていました。」

「『ドイツ国のために・・』と云うことですか。」と陽一は考えるように呟いた。


質問を終えた陽一たち3人は大司教たちに礼を言って、ケルン教区司教事務所を辞した。


アルプスの老女14;

1997年7月31日  午後3時ころ  ケルン中央駅近くのカフェテラス 


朝見陽一、スタン・フェデラー、ハンス・エアハルトの3人が歩道に面したテーブル席でコーヒーを飲みながら話している。


「ハンスさんはお父上の過去を何もご存じではないのですね。」と陽一が言った。

「はい。父は戦前、戦時中の事は全く話しませんでした。」

「そうですか・・・。」

「それでは、私が知っている事をお話しましょう。」

「えっ、私の父の事をご存じなのですか?」

「ほんの少しだけですが。」

「ぜひ。お聞かせください。」


「あなたのお父上は戦前、日本を訪問したヒットラーユーゲント30人の一員でした。」

「年齢から父がヒットラーユーゲントであった可能性はあるとは考えていました。訪日団の一員であったのですか。そうですか・・。」とハンスは考え深げに言った。

「実は、私の祖父はその訪日ユーゲントの警備を担当した警察官でした。そして、あなたのお父上に要人警護の具体的な方法を教えた張本人でした。」

「あなたのお祖父さまが私の父に要人警護の方法を指導してくださったのですか。」

「そうです。祖父の当時の警語日記が遺品の中にあり、その中に、要人警護に対する資質が優れている人物としてオリバー・エアハルトと云う若者の名前が書かれていました。柔術を指導した時の理解力と警護に関する考え方、位置取り、目配り、要人との距離の取りをよく理解していると書かれていました。何よりも敏捷的な動きは祖父を凌駕していると書かれていました。」

「父から柔術や空手を教えられましたが、いくら練習しても父には敵いませんでした。」

「ドイツに帰国したのち、ユーゲントを卒業後はヒットラー総統のボディガードをされていたようです。」

「それは本当ですか?」

「はい。オリバー・エアハルトさんの恋人出会った女性から聞いた話です。」

「えっ、父には恋人がいたのですか。そうですか。その女性は生きていますか?」

「はい。ご健在です。」

「どこにられるのでしょうか?」

「オーストリアのハルシュタットです。名前は、イングリッド・バウアーです。」

「えっ。ケルン大聖堂のミサに参列されたオーストリアの老シスターが父の恋人だった女性ですか・・・。」

「そうです。あなたのお父上の事はその方に訊けば、もっと詳しい事が判るでしょう。」

「ハルシュタットのルーテル教会でしたね、バウアーさんが修道女をされている教会は・・・。」

「そうです。」

「よく教えて下さいました。ありがとうございます。ところで、お願いがあるのですが、あなたのお祖父さまの代わりに陽一朝見、私の父の墓に参拝していただけますか?父は、いつも申しておりました。父に警護指導をして下さった人物が日本人で、大いに尊敬している人物であったと。しかし、お名前は聞いたことありませんでした。」

「ぜひ、墓参をさせてください。あなたのお父上は、風雨の中、日本の白虎隊という十代の若い侍たちのお墓に参拝されました。その墓参に対する感謝の気持ちを込めましてお父上のお墓に参拝させていただきます。」

「ビャッコタイとは?」とハンスが訊いた。

「1886年頃に自分たちの国を守るために戦争に参加した16歳くらいの若者たちが戦いに敗れ死亡しました。その若者たちに共感した訪日ユーゲントの皆さんが雨中にも拘わらず墓参を希望されたのでした。」

「1886年頃といえば、プロイセン王国の鉄血宰相ビスマルクがドイツ統一に向けて活躍していた頃ですね・・。日本でも内戦があったのですね・・・。」とハンスが呟いた。


「ところで、ケルン教区司教事務所から二人の男が我々を尾行してきて、あそこから見張っていますが、どうしましょうか?」とフェデラー警部が言った。

「通りの向こう側にあるビル陰に立っている男たちですね。あの男たちはイスラエルの情報機関の人間です。バチカンの動きを常時監視している男たちです。日本人の朝見さんに興味があるのでしょう。」とハンスが言った。

「別に危害を加えられることがないなら、気にしないで置きましょう。」

「霊園まで着いてくると思いますが、よろしいですか?」とハンス・エアハルトが訊いた。

「いいですよ。気にしないで置きましょう。変に勘ぐられる方が困りますから。」と朝見陽一が言った。



アルプスの老女15;

1997年7月31日  午後4時ころ  ケルン中央駅から3kmくらいの所にある墓地


『メラテン・フリードホフ』と入口アーチに書かれ霊園に3人は入った。

「メラテン平和庭園か・・・。かなり昔からある霊園のようだな。」と思いながら陽一はハンスの後を歩いた。

ハンスと陽一とフェデラーは途中の花屋で購入した小さな花輪を一本ずつ手に持って歩いている。

木立に囲まれた3m幅の道を3分ほど歩いたところにその墓はあった。


黒っぽい花崗岩の石板が二枚立っている。

左の石板には『マリー・エアハルト、21.1.1890 + 16.7.1978 』

右の石板には『オリバー・エアハルト、23.8.1916 + 22.11.1991 』

と彫刻されている。

そして、陽一はマリー・エアハルトの墓石の左側に鉄十字勲章を象った墓石に目を移した。

その石板には『A・V・H・A・A 、ゲフロイテル、20.4.1889 + 15.8.1976 』

と彫刻されている。

3人はそれぞれ手に持っている花輪を墓石に手向け、祈りを捧げた。

「ゲフロイテルと云う事は、ドイツ帝国軍人では上等兵か下士官くらいの階級だな・・・。87歳で死亡か・・・。」と陽一は思った。

「ハンスさん。そのお墓は何方どなたのものですか?」と陽一が訊いた。

「ああ、それですか。父のオリバーがお世話になった軍人さんらしいです。父からはその方のお名前は聞かされていません。でも、父と一緒に祖母の墓参に来た時は、父から祈りを捧げるように言われました。今でも、墓参の時には三人に祈りをささげています。」


祈りを終えた後、陽一の持っていた写真機で墓前での記念撮影を始めた。

最初はフェデラーとハンスが墓石の横に立ち、陽一がシャッターを切った。

次に、陽一とハンスが被写体になり、フェデラーが写真を撮った。

次にハンスがカメラを手にした時、一人の男性が通路を歩いて来た。

「すいませんが、3人一緒の写真を撮って頂けませんか?」と陽一が男に言った。

「好いですよ。」と言って男はフェデラーから写真機を受け取った。

「日本の方は写真がお好きですね。」と男は言いながら、カメラを構えシャッターを押した。

「ダンケ・シェーン(ありがとうございます)」と陽一が男に礼を言った。


相変わらず、イスラエル情報機関の二人は木陰から陽一たちを監視していた。



アルプスの老女16;

1997年7月31日  午後6時ころ  スイスのボーデン湖畔のアルボン市に向かう車中


ケルン中央駅近くの駐車場でハンス・エアハルトと別れた陽一とフェデラーの二人は、フェデラーの運転する乗用車でスイスのアルボン市に向かった。夏の夕日が西に傾いているが外はまだ明るい。陽一はもう一度、水死体となって発見された松崎が宿泊していたホテルとボーデン湖周辺を調査してみるつもりである。

出発して片側一車線の道路を15分くらい走るとライン川が右手に見えるようになった。

道路を走る車は少なく、フェデラー車の前方に見える車は無く、車は軽快に走っている。左側の対向車線を走る車とは時々すれ違う程度である。そして道路の右手がやや断崖になっている場所に出た。


「ハンスは社長のボディガードをしているそうだが、ライヘンバッハ社と云うのはそんな危険な会社なのか?」とフェデラーが助主席に座っている陽一に訊いた。

「どうなのかな、そこまで調べは進んでいない。」と陽一が答えた。

その時、前方100mくらい先の木陰が『ピカッ』と小さく光ったのを見た陽一が叫んだ。

「ブレーキ!」

その声を聞いたフェデラーがブレーキペダルを踏んだ瞬間、右前方車輪のタイヤから『パーン』と音がし、ハンドルを右に取られて車がライン川の方へ寄って行った。

とっさにフェデラーはサイドブレーキレバーを引いて後輪をロックさせ、ハンドルを左に切り、車をスピンターンで停止させた。

車は反転して停まっており、左側車輪が断崖の傍にあった。

二人は、しばらく車内に伏せて様子を窺がったが、何も起こりそうもなかった。

後続車や対向車の運転手たちが何があったのかと停車して窓からフェデラーの車を見つめている。


「ふーうっ。若い頃に自動車ラリーに夢中になった経験が役立つとは思わなかった。名ナビゲータのお蔭だな。」とフェデラーが言った。

「警察学校で射撃訓練をしていた時の記憶が役立つとは思わなかった。」と陽一も言った。

車外に出た二人はパンクしている前輪タイヤを調べた。

「銃弾はタイヤの中にありそうだな。アルボンに帰ってから調べてみよう。兎に角、スペアタイヤに取り換える。陽一、作業を手伝ってくれ。」とフェデラーが冷静に言った。

「警察へは届けないのですか?」と陽一が言った。

「これは、我々と狙撃犯との問題です。いや、我々と狙撃犯の背後に居る組織との問題です。ドイツ警察に手を煩わせるのは止めておきましょう。」とフェデラーが言った。

「その組織に心当たりがあるのですか?」

「確証はありませんが、オリバー・エアハルトの横にあった鉄十字勲章の墓の主に関係がありそうです。」

「どういう事ですか?」

「まず、生まれた年月ですが、1889年4月20日はヒトラーの生まれた日です。そして、名前の略称であるA・V・H・A・Aはアドルフ・フォン・ディ・ヒトラーズ・アウス・デル・オーストリア。すなわち、オーストリアのヒトラー家から出たアドルフ、と読むことが出来ます。ヒトラーは第一次世界大戦では兵士として参戦しています。階級はゲフロイテルでした。また、二級鉄十字勲章を何回か叙勲されています。」

「ヒトラーの死亡年月日が1976年8月15日と云う訳ですか・・・。」と陽一が呟いた。

「ええ。連合国の公式発表では1945年4月30日死亡とされていますが、当時、ヒトラー逃亡に関する様々な情報が流されていました。結局、真偽不明のまま、ナチスの再生を懸念した連合国側が地下室で発見した顔の破壊された遺体をヒトラーと断定し、その後にヒトラーが表舞台に出てきたとしても、それは偽物であると出来る下地を作ったと云う事です。」

「ヒトラーは何処で死んだのでしょう。」

「ケルン司教事務所に『終油の秘積』を依頼したフィンランドのバルト工業がどのような会社か判りませんが、バルト海沿岸国には十字軍に参加した『ドイツ騎士団』たちの子孫が多く住んでいます。ドイツ軍人の中には『ドイツ騎士団』の血を引く者たちがいました。『ドイツ騎士団』の紋章が鉄十字です。ヒトラーの逃亡先がフィンランドの何処かであった可能性がありますね。私の推理ですが・・・。」とフェデラーは言った。



アルプスの老女17;

1997年8月1日  午前11時ころ  スイスのアルボン市ボーデン湖畔


松崎重成が宿泊したとしてスーツケースなどの所有物が発見されたホテルに宿泊した朝見陽一はホテルロビーなどの人物往来状況やボーデン湖の遺体発見現場の人通りなどを再視察していた。何か目撃証言に繋がるような事態があったのかどうかを調べる為であった。


「松崎がハルシュタット湖で死亡したならここのホテルにチェックイン出来るはずがない。生きてチェックインした松崎をハルシュタット湖の水で水死させる意味が犯人にはあったのかどうか。その場合、どれくらいの水がハルシュタット湖から運ぶ必要があるのかだが・・・。犯人は監視カメラが設置されていないここのホテルを選んだとすれば、この地域の事を知っている人物が関係していることになるかな・・・。ここのホテルにチェックインしたと云う東洋人が上野淳だとすれば、話は簡単なのだが・・・。ハルシュタット湖のライヘンバッハ家別荘で水死した松崎をボーデン湖に運んで遺棄した。そうした理由は何かだが・・。上野は松崎を知っている。自分が殺人犯人にされることを避けるためだったか、誰かをかばうためだったのか・・・。たとえば、別荘の管理人夫婦をかばうためか・・・。あるいは、ライヘンバッハ社が関係する組織が表面化するのを恐れての行為であったのか。そうすると・・・、やはり東京の狛江市にある上野家を訪問しているヨーロッパ人の素姓を明らかにしなければならないな。もう一度振り出しに戻ることになるのかな・・・。」とボーデン湖畔を歩きながら陽一は考えを巡らせた。


ボーデン湖の遊覧船で観光を楽しんだ陽一がホテルに戻ったのは午後4時ころであった。

そこへ、フェデラー警部がやって来た。

ロビーのラウンジでコーヒーを飲みながら二人が話している。


「タイヤから取り出した銃弾は民間用の0.308ウィンチェスター弾でした。線条痕を分析した結果、フィンランドの銃器メーカーのサコー社製のTRG21と云う手動装填式の狙撃銃が使用されていたと思われます。」とフェデラーが言った。

「軍用銃ではなかったと云う事ですか。」

「サコー社は1921年創業のライフル製造メーカーです。フィンランドとイタリアで軍用銃が採用されているようですが、ドイツでは採用されていない様です。」

「では、今回の狙撃犯はどのような組織の人物と想定できますか?」と陽一が訊いた。

「フィンランドのバルト工業を調べましたが、そのような会社は見つかりませんでした。」

「架空の企業と云う事ですか・・・。」

「いえ、もう少し調べてみないと何とも言えませんが、その可能性が高いですね。」

「そうですか。」

「ところで、重成松崎の件で何か判りましたか?」とフェデラーが訊いた。

「いえ、何も新しい事実は見つかりませんでした。ただ、今回ハルシュタットを訪問して調査方針ははっきりしてきました。」

「どのように進めるのですか?」

「日本の上野家に来ているヨーロピアンの正体を追及してみると云うことで、まあ振り出しに戻っただけですが・・。」

「いや、捜査に重要な事は信念を固めるということです。人間の意志が道を開きます。幸運を祈ります。」とフェデラーが言った。



アルプスの老女18;

1997年8月3日  午後6時前ころ  銀座通り


京都駅から新幹線に乗車して東京駅に到着し、山手線に乗り換え有楽町駅で下車した朝見陽一は銀座のステーキレストラン『マツヒロ』に向かって銀座通りの歩道を歩いていた。

歩道は会社帰りの人が増えてきて少し歩きにくくなっている。


銀座通りでタクシーを慌ただしく降りた和服姿の女性が人々を追い抜きながら早足で歩いている。

和服は着なれているようで無駄のない歩き方をしている。

陽一が左手に持っていたA4サイズの紙封筒に和服女性の右手にあるハンドバッグが当たった。

『バサーッ』と音をたてて紙封筒が地面に落ちた。

紙封筒が少し破れ、中に入っていた書類が顔を出し、焼付写真3枚ほどが地面に散らばっている。


「申し訳ありません」と言いながら、女性は紙封筒を拾い上げようとして腰をかがめた。

そして、3枚の写真と紙封筒を拾い上げ、陽一に渡そうと立ちあがった。

「あら、朝見君。」と女性は驚いたように言った。

「相変わらずだな、君代ちゃんは。高校時代と同じでお店に遅刻しそうなんだろう。」と陽一が言った。

「遅刻しそうじゃなくて、遅刻なのよ。紙袋、破れちゃったけれど許してね。」と香取君代が言った。

「まあ、しょうがないかな。君代ちゃんじゃな。」

「あら、この写真の人、松崎さんじゃない?」と手に持っている顔写真を見た君代が言った。

「君代ちゃん、この男を知っているのかい?」

「お店のお客さんよ。でも、2年以上お見えになっていないわね。」

「2年半前にスイスの湖で水死体になって発見されたよ。」

「えっ。お亡くなりになったの・・・。」と君代が驚いたように言った。

「松崎重成とはどう云う人物だった?」と陽一が訊いた。

「アメリカ大使館の方と時々来られたかな。」

「どんな話をしていた?」

「そうね、2年半くらい前だったかな、フライング・ソウサーとか、ゴールド・バーとか、何か推理小説みたいな話をしていらっしゃったわね。それが最後ね。私たちと話す時は日本語だけれど、大使館の方と話す時は英語でヒソヒソと会話されていたわ。」

「推理小説の話って?」

「私、英語の読み書きは得意だったけれど、聞きとりは苦手なのよね。単語しか覚えていないわ。たしか、私たちが高校時代に観た映画の題名が話の中に出てきていたわ。」

「映画の題名?」と陽一が呟いた。

「ナチスドイツの関係した『オデッサ・ファイル』って映画があったでしょ。その『オデッサ』って言葉を何回も聞いたわ。」

「オデッサ、ね・・・。」

「朝見君、ごめんなさい。私、急いでいるので、これでね。」と言って、香取君代はクラブ『プリンセス』に向かって急ぎ足で立ち去って行った。



アルプスの老女19;

1997年8月3日  午後6時過ぎ  銀座ステーキレストラン『マツヒロ』の個室


いつものように、朝見陽一と警察庁警備局長の村越栄一がワインを飲み、ステーキを食べながら話している。


「君にしては珍しいね。何かあったのかね?」と、破れた紙袋を見て村越が言った。

「銀座通りでクラブのホステスにぶつかられまして、この袋が地面に落ちて破れました。」と、警備局長に渡す出張報告書類と写真を紙袋から取り出し、村越に渡しながら陽一が言った。

「クラブのホステスね。若い女性だったのかね?」

「いえ、私と同じくらいの年齢でした。」

「そうか、それは災難だったね。」

「それが、怪我の功名でした。」

「ほう、どう云うことかね?」

「この写真を見たその女性が松崎重成を知っていたのです。」

「クラブの常蓮客だった訳かね。」

「はい。その通りです。アメリカ大使館員と二人で時々クラブに来ていたようです。」

「アメリカ大使館員とはCIA職員だな。やはり、松崎はCIAの下働きをやっていた訳だ。」

「たぶんそうです。」

「それで?」

「二人の会話の中に空飛ぶ円盤とか、金塊とかの単語が出ていたそうです。それと、『オデッサ』です。」

「『オデッサ』か・・・。ナチス親衛隊将校たちを全世界に逃亡させる為の組織、あるいは将校たちで構成された軍事組織の可能性もあるという話だったね。」

「そうです。落合信彦と云うフリーのルポライターが取材して集英社と云う出版社を通じて

著した『20世紀最後の真実』と云うドキュメンタリーの中で、ヒトラーが1945年の2月にラジオ放送で述べたという言葉が書かれていました。」

「たしか、『まもなく、東と西がぶつかり合う日が必ずやってくる。その時、その結果を左右するような決定的な役割を演ずるのは我々ドイツ人の“ラスト・バタリオン(最後の軍隊)”である』だったね。」

「そうです。たぶん、1945年2月の時点で敗戦を覚悟したヒトラーたちによって『オデッサ』計画は企画されていたのでしょう。」

「“ラスト・バタリオン”は『オデッサ』機関ということかね。」

「たぶん、そうでしょう。それと、イギリス情報部が掴んで、戦後に必死になって探していたと云う空飛ぶ円盤の製造工場。1945年2月の時点では空飛ぶ円盤の完成の目途が立っていたのではないでしょうか。すでに“ラスト・バタリオン”の戦闘機として活用する計画は出来上がっていた可能性もあります。戦後の1947年のアメリカ民間人のアーノルド氏がはじめてUFOを目撃しました。1948年にはアメリカ空軍パイロットがUFOと遭遇し、追跡したマンテル事件やゴーマン事件がありあした。この頃に空飛ぶ円盤は完成したのでしょう。」

「アメリカ国防総省は“ラスト・バタリオン”の基地は南極大陸にあると判断して1946年12月に海軍による南極大陸探検隊を派遣した。その隊長のバード海軍長官は記者会見で『もし、新しい戦争が発生した場合、アメリカ大陸は、極地から極地まで考えられない速度で飛行できる物体の攻撃にさらされるのは真実である。』と言った様です。」と陽一が言った。

「松崎重成はCIAの要請で『オデッサ』機関の情報を求めてヨーロッパに行った可能性があるわけだね。それで、松崎が上野淳に会ったかどうかだが。それはどうだった?」

「上野淳には会えませんでした。というより、会うのは避けました。私がエルランゲンのライヘンバッハ社の関係会社を調べる情報はライヘンバッハ社に漏れていました。その出張報告書にも書いてありますが、ライヘンバッハ家はプロイセン王国のビスマルクと繋がる家系ですから、ドイツ語圏の国である、ドイツ、スイス、オーストリアなどの政府要員の中に商売上の情報網を構築している可能性があります。それを知っているのが上野家でしょう。今後、上野家を訪問して来たヨーロッパ人を調査する必要があります。」

「そうですか。出張ご苦労さまでした。」



アルプスの老女20;エピローグ

1997年8月15日  午後2時ころ  オーストリアのハルシュタットの聖職者館


「私がイングリッド・バウアーですが、どちら様ですか?」と老シスターが訊いた。

「ハンス・エアハルトと謂います。オリバー・エアハルトの息子です。」

「ああ、オリバーのお子さんですか。」と、意外と冷静に老シスターが言った。

「日本警察の陽一朝見さんからバウアーさんが父の恋人であったと聞きましたので、若い時の父の事をお聞きしたいと思いまして参りました。」

「はい。オリバーの事はよく知っていますわ。決して忘れる事はありませんわ。ここでは何ですから、この館の門を出て左へ50mくらいの所に『エスタンジア』と云うカフェがあります。そこでお待ちいただけます。着替えをしてすぐに参りますから。」

「判りました。それでは、お待ちいたします。」と言って、ハンスは聖職者館を出て行った。


              カフェ『エスタンジア』


「お待たせしました。」と、私服に身を包んだイングリッド・バウアーが道路に面したテーブル席に座っているハンス・エアハルトに言った。

イングリッドは手に持っていた日本刀をコーヒーが置かれているテーブルの上に置いた。

それから、スカートのポケットから懐中時計を取り出してテーブルに置いた。

「これは?」とハンスが訊いた。

「これらの物についての説明はこれからお話することの後にしますわ。」

「はい、判りました。お話をよろしくお願いします。」

「のっけから驚かせて悪いのですが、あなたはオリバーの子ではありません。」

「えっ?」とハンスが驚いて声を出した。

「あなたは、ある人の愛人が生んだ子です。」と言いながらイングリッドは周囲に人が居ないのを確かめた。

「声を出さないで下さいね。ある人とは、この方です。」と言ってイングリッドが数人の男たちが写っている一枚の写真を見せて、その中の一人を指差した。

「えっ!この人物が私の父ですか?」とハンスが訊き返した。

「まちがいありませんわ。オリバーはこの方のボディガードをしていました。」

「父はこの人のボディガードでしたか・・・。」

「敗戦が決定的になった時、多くの将兵を世界に逃亡させ、再起を期する計画が立てられました。オリバーもあなたのお父上と同行することに決まり、私と離れ離れになることになりました。終戦が近づき、ベルリンから逃亡を実行するタイミングが来た時、私の事を心配したオリバーが、この町のルーテル教会を私の避難先に手配してくれました。」

「私はどうだったのですか?」とハンスが訊いた。

「将兵たちの逃亡計画が決まった時に、あなたはオリバーのお母様に預けられ、オリバーの子と云う形で育てられました。敗戦を見越して、お母様と貴方はベルリンを離れ、お母様のご実家で育てられることになったのです。私は実家の場所を聞かされませんでした。万一、私が連合国側に逮捕されても、あなたの居場所を知らなければ白状することはできませんからね。あなたのお父様は用心深い方でしたわ。」

「そうでしたか・・・。」とハンス・エアハルトは複雑な思いに捉われた。

「この日本刀と時計はオリバーがあなたのお父上から頂いたものです。刀剣は日本の刀鍛冶養成機関からあなたのお父上に贈呈されたものです。また、この時計にはある物品を隠した場所が示されていると云う事です。物品が何なのか、またその場所が何処なのかは聞いていません。オリバーは私がベルリンを離れる時にこの日本刀と時計を私に託して言いました。『僕が生きていたとしても再び君に会う事はない。連合国側は我々を何処までも追跡してくるだろう。特にユダヤ人は決して我々を許さない。君やハンスがユダヤ人や連合国の情報機関に監視される可能性を考えれば、ハンスの素姓が判ってしまう事がないようにしなければならない。戦争が終り、万一、君が大人になったハンスと出会う事があれば、この刀剣と時計をハンスに渡してほしい。さようなら、我が愛するイングリッド・バウアー。本当にさようなら・・・。』と。」と言ってイングリッド・バウアーは涙を流した。


カフェのBGM用スピーカーからはエンゲルベルト・フンパーディンクが歌う

『太陽は燃えている(Love Me With All Your Heat)』が流れている。


  ♪Love me with all of your heat♪

  ♪that is all I want,love♪

  ♪・・・・・・・・・・・・♪

  ♪Just promise me ・・・・♪

  ♪・・・・・・・・・・・・♪

  ♪Every winter,every summer,every fall♪

  ♪・・・・・・・・・・・・♪

  ♪With every beat of your heart♪



          第4話   アルプスの老女  完

                 軽井沢 康夫

          2020年 9月26日 午後9時50分 脱稿



参考文献;遺譜(上)(下) 内田康夫著 角川書店 2014年7月31日 初版発行

      別冊・週間現代プレミアム 講談社 2019年8月7日 第一刷発行  

      神々の黙示録  金井南龍ほか著 徳間書店 1980年4月30日 初刷

      20世紀最後の真実  落合信彦著 集英社 1980年10月 第一刷発行



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