第五話
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ロベルト・バートラムの一日は、夜明けとともに起き、朝の鍛錬から始まる。
まだ薄暗い空の下、素振りを百回ほどして体を温める。
その後、ロバートの住まいでもある騎士寮の周囲を軽く二十周するとようやく他の騎士たちも起きてくる。
妻帯者は別だが、独身の騎士たちは大抵城の中にある騎士寮で生活している。
王宮騎士団の団員の大部分は子爵や男爵の子息で構成されている。
そのため、王都に屋敷を持たない彼らにとって、家賃がかからない寮はありがたい――むさい男どもと四六時中顔を付き合わせるのは楽しくないが。
ロバートは侯爵家の長男であるため、王都に屋敷があり、わざわざ騎士寮で生活する必要はない。
だが仕事一筋の彼は、何かあればすぐ動けるという理由で入団当初から騎士寮で生活している。
ロベルトがシャワーを浴びて食堂へ行くと、そこにはマックスがすでに来ていた。
彼も貴族であるにもかかわらず騎士寮住まいだ。
だがそれはロベルトのように仕事中毒というわけではなく、彼は侯爵家次男だからだ。
彼の家は辺境にあり、当主は滅多に王都へ出てくることがないため屋敷を構えていない。
だから、侯爵家という高い身分にも関わらず寮で生活している。
「おはよう、はやいな」
「おはようございます。私も今来たところですよ」
お互い挨拶をして、もそもそと朝食を食べる。
他の団員たちが食堂へやってくる頃にはロベルトは食事を済ませ、書類仕事をするために執務室へと行く――普段だったら。
だが最近のロベルトの行動は少し――いや、かなり違う。
まだ早朝だというのに、絵里が滞在している部屋の扉に前に陣取り、そこで書類仕事を始めるのだ。
廊下を通るメイドたちは邪魔そうだが、ロベルトは動かない。
実は絵里、最近勉強から脱走しようとしだしたのだ。
実際何度か脱走に成功している。
ダンスに続き、一般常識もなんとか詰め込んだ絵里は、夜会まで残り一か月となった今、テーブルマナーの授業に移行し、ドレスや髪型の確認、入念なボディケアなど忙しくしている。
最初の三日間くらいはなんとか我慢していた絵里だったが、我慢の限界を迎えるのは早かった。
そもそも、顔や体をいじられたり、窮屈な恰好が大嫌いな絵里。
さらにはテーブルマナーの教師はひっ詰め髪が特徴的な女ときた。
女には欠片もときめかない絵里。
その厳格な雰囲気も相まって、すっかり授業に嫌気がさしてしまった。
となれば選択肢は逃げる一択だ。
そこから始まった絵里とロベルトの攻防。
逃げ出したい絵里と、きちんと予定通りに行動してほしいロベルト。
一度朝に姿を消されて以来、ロベルトはこうして朝から張り込み、決して絵里を逃がさぬ構えなのだ。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
絵里の一日は早朝のすがすがしい空気とともに始まり、優雅な読書で幕を下ろす……ではなく、もう日がすっかり上った頃メイドたちに起こされて始まり、自作の小説を読んだり、創作活動にいそしんだり、妄想したりして幕を下ろす。
「絵里さん、起きてください。もうすぐテーブルマナーの授業ですよ」
メイドたちに結構な勢いで揺さぶられ、絵里はわずかに目を開ける。
カーテンが全開になっていて、寝起きの目には日光が染みる。
「うーん、あと五分……。お願い……」
むにゃむにゃしながら二度寝しようとするが、メイドたちに阻まれる。
「いけません。ロベルトさんも部屋で待っています。いい加減起きてください」
容赦ない力で布団をはぎ取られ、絵里はしぶしぶ起き上がった。
絵里はすさまじく寝汚く、誰かが起こさなければ平気で午後まで寝ていたという前科がある。
だから、絵里が異世界からの送り人だというのに、起こす方に一切のためらいがないのだ。
「おはようございます」
まだぼんやりしながら絵里はロバートに挨拶する。
絵里の部屋は寝室、浴室、居間が分かれていて、ロベルトはメイドが絵里を起こす間、居間で待っていてくれる。
「全然早くないぞ。この間脱走したときぐらい早く起きたらどうだ」
それは無理な相談だ。
この間は徹夜で小説を書いていて寝ていなかっただけで、早起きなどしていない。
だが懸命にも絵里は黙った。
言えば小言を言われることは学習済みだ。
朝食は部屋で食べる絵里……というより、朝食も昼食も夕食も最近の絵里は部屋で一人寂しく食べている。
少し前までは、騎士たちの食堂やメイドたちの食堂で昼食と夕食を食べ、ついでに面白いネタや噂を仕入れていた。
だがテーブルマナーの授業が始まったことで、復習をしなければならないという名目の下、部屋にコース料理や夜会で出るような豪華な食事が運ばれるようになってしまった。
はやく夜会が終わり、食堂に顔を出したいと思う絵里。
こんな寂しい食事、食べた気がしない。
食事が終わると、早速テーブルマナーの授業が始まる。
「はあ、絵里さん。昨日も一昨日もその前にも言いましたが、席に座るときは左側からです。そしてカトラリーは外側から使います。まったく、何度言えば覚えてくれるのかしら」
厭味ったらしい最後の一言にカチンと来てしまう。
――だーっ! なんなのこのおばさん! そもそも私日本人だし! 普段箸しか使わないし!
「あーもう、食器は音を立てないで! ガチャガチャしない!」
何度も注意されてしまう。
もともと絵里は大雑把でガサツな性格だ。
少し気を抜くと音を立ててしまう。
テーブルマナーは絵里とは相性が悪いようだ。
――この女教師とも……。
だが、どんなにこの教師を嫌っても、絵里は決して彼女を悪く言ったり、他の人と変えてほしいとは言わない。
普段は突拍子のない行動をとりロベルトを慌てさせる絵里だが、そういうところは清々している。
――そういうところは好ましいな。
ロベルトはそう思う。
教師の交代を思いつかないほど抜けているわけでなはない……だろう。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
正午の鐘が鳴ると、ようやく今日のテーブルマナー授業は終了だ。
絵里がお昼ご飯を食べている間、ロベルトは一旦護衛をマックスと交代する。
ロベルトもこのタイミングで昼食をとっているらしい。
一度、この部屋で一緒に食べればいいと言ったことがあるが、にべもなく却下されてしまった。
「護衛対象と呑気に飯食うやつがどこにいる」
――さすがは真面目人間である。
マックスにじっと見られながら食事をするのは見張られているようでソワソワするが、溢れ出る彼の腹黒オーラにはゾワゾワする。
――この視線がロベルトの前では甘くとろける……うへへへへ。
午前中にストレスを感じた分、ここぞとばかりに思いっきり妄想する。
ロベルトとマックスが繰り広げる甘い世界(絵里の頭の中にしか存在しない世界)に集中するあまり、せっかく習ったマナーは用をなさない。
ナイフとフォークがカチャカチャ音を立てるが絵里は気にしない……というより気づかない。
マックスは聞こえているが、彼もスルーだ。
ロベルトならここで注意するかもしれない。
彼はまじめだから。
だが、マックスは絵里を見守るだけだ。
――息抜きする時間も必要だろう。
そう思う。
――一日中誰かに見られ、挙句に行動をいちいち制限されるのは嫌だろう。
腹黒オーラは隠せていないが、なんだかんだで絵里を可愛がっているマックスだった。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
午後の時間はドレスの試着と髪型の確認、そしてボディケアに充てられる。
ドレスはコルセットをこれでもかというほどぎゅうぎゅうに締め上げ、髪型は禿げるかと思うほどきつくまとめられる。
息をする、瞬きをするのもしんどい格好に、本番は大丈夫だろうかと絵里は心配になる。
――きちんと男たちの楽園を目に焼き付けられるかしら。
ようやく拘束から解き放たれたと思うと次はボディケアだ。
まずはお風呂に入り、年かさのメイドたちに体中をごしごしこすられる。
――いっ、痛い。きっと薄皮一枚分くらいこすり取られてるわ。
こすり終わったら、息も絶え絶えな絵里を湯船に浸けるメイドたち。
彼女たちはパワフルだ。
髪の毛も丁寧に洗われ、されるがままの絵里。
ようやくお風呂から上がったかと思えば、今度はベットの上でいい匂いのするクリームを体中に塗りたくられ、マッサージされる。
さすがにこの時はロベルトは部屋の外で待機だ。
そしてこのマッサージ、恐ろしく痛い。
ごきゅごきゅ音を鳴らして押しつぶしてくる。
「ギブギブ! ちょっ、ほんとムリ。痛い痛い!」
絵里はたまらず叫ぶが、メイドたちは手を止めないどころかさらに力を入れてくる。
――死ぬー!
何度も何度もクリームを追加され、何度も何度もこね回され、ようやくすべてが終わったときには外はもう真っ暗だ。
ぐったりして口を閉じ、力なくソファーに寄りかかることしかできない絵里。
ロベルトが見守る中でおとなしく夕食を食べ、少し早いが寝ることにする。
「私もう寝ます、おやすみなさい」
それだけ告げると、よろよろと寝室へ向かった。
普段は小説を書いたり、ロベルトと少し話したり(ほとんど絵里がしゃべっているが)、自由時間を満喫するが、今日はほんとに疲れた。
――ベッドで想像するだけで我慢しよっ。
どんなに疲れていても、就寝前の妄想は欠かさないらしい。
こうして絵里の一日は幕を閉じた。
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