第四話
お読みくださりありがとうございます。
ダンスが終わったかと思えば次はこの世界やこの国についての常識――座学だ。
担当してくれるのは、御年七十の優しそうなおじいちゃん先生。
「ではまず基本的なことから説明しますね」
穏やかな声音が耳に心地いい。
おじいちゃん先生は説明上手で、本当に基本的なことから丁寧に教えてくれた。
彼の説明によると、絵里が今いる国・ヴェリトス王国は、隣接するハミン王国、サザール帝国と並ぶ大国であり、王都・パッツェは様々な国の民族が入り乱れてにぎやかな様相を呈している。
そしてこの国には身分制度があり、上から順に王族、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だ。
身分が上になればなるほど王都に近い広大な領地が与えられ、低くなるにつれて王都から遠ざかり領地の規模も縮小される。
ただし侯爵は例外で、彼らは辺境を守備するという重要な任務を担っているため辺境に屋敷を構え、有事の際にはいち早く対応できるようにしている。
なかなか王都へ出てくる機会はないが、その分独自の軍事的指揮権を有しており、大きな権力を持っているのだ。
今は戦もなく平和だが、数十年前はサザール帝国が近隣諸国に侵略するなど、各地で小競り合いや武力闘争が相次ぎ、今この国が国として平和に存続できているのも各地の侯爵の力によるところが大きいらしい。
――公爵×男爵。
身分差に葛藤する少年の純愛が愛おしい!
――いやいや、公爵×侯爵。
遠距離で紆余曲折ある設定がおいしすぎる!
なおかつ戦が起これば、公爵は城で王を守る一方、侯爵は戦場に出なければならないというジレンマ。恋人の無事が気になって仕方がない!
――それとも、王子×男爵の愛人ストーリは……ときめくわー!
真面目に話を聞いているのに、なぜだか思考が明後日の方へ飛んでいく絵里。
護衛として側にいるロベルトは、そんな絵里の様子に気づいてしまう。
そう、気づきたくはないのだが気づいてしまうのだ。
――またろくでもない事考えてるな。
ひくひく動く絵里の鼻を見てそう思う。
今ではすっかり絵里の習性に詳しくなってしまった。
「では次は異世界の送り人について説明しましょう」
自分のことに触れられて、絵里はいったん妄想の世界から帰還する。
「異世界の送り人とは、文字通りこの世界とは別の世界から極稀にこの世界へとやってくる人をいいます」
まさに絵里の状況そのものだ。
送り人が現れるサイクル、送られてくる人物の特徴、共通点など、ほとんどのことが未だ謎に包まれている。
分かっていることと言えば、送り人がこの世界にいる間、この世界の天候は安定し、災害も起こらず、送り人が幸せに暮らせば、その国は豊かで穏やかな治世となるーーそれだけだ。
「残念ながら、送り人を元の世界に返す方法は未だ見つかっておりません」
沈痛そうに告げるおじいちゃん先生。
隣ではロベルトも気遣うような視線を絵里に向けている。
だが、絵里に悲壮感は全くない。
そりゃあ、元の世界に未練がないと言ったら嘘になる。
まだ読んでないBL本だって大量にあったし、友人に会えなくなるのも寂しい。
だが、ここでの生活はそれらを上回るほど快適なのだ。
やはり実物に勝るものなし。
この世界には騎士も王族も貴族もいて、漫画のような展開が実際に起こりうる。
これがときめかずにいられるだろうか、いや、いられまい。
絵里はこの世界に来てから勝手気ままに生活している自覚は(ごくごくわずかだが)あり、何もしていない自分が(ほんの少しだけ)申し訳ないと感じていた。
だがおじいちゃん先生の話を聞く限り、こちらの世界、この国にとっても絵里がただ居ることにメリットがあると分かって気が晴れた。
――これからは何の気がねもなく毎日を過ごせるわっ。
今までだって大して気兼ねをしていなかったくせにどこからそんな考えが浮かぶのだろうか。
「そして、送り人は我が国では王族と同等の存在です。ですので、王が絵里さんに膝を折ることはありませんが、絵里さんも王の命令に必ずしも従う必要はないですよ。嫌なことは断っていいですからね」
続くおじいちゃん先生の言葉。
だが実際、絵里は取り立てて王と会うわけでもなし、何かお願いされたり逆にお願いすることもないので、あまり関係がない。
どちらかと言うと、王様でBLを妄想している絵里の方が不敬というものだろう。
「絵里さんはとても謙虚ですね。ドレスも宝石も欲しがらないと聞いています。歴代の送り人の中には我儘放題だった人もいたので、絵里さんみたいな人がこの世界に来てくれて嬉しいです」
「えへへー」
褒められてニマニマしてしまう絵里。
ただ単にドレスや宝石に興味がないだけで、むしろ謙虚と言う言葉がこれほど似合わない人もなかなかいないだろうというほどの自由人さ加減だ。
だが、おじいちゃん先生はそんなこと知らないし、絵里も自分が周囲を振り回している自覚はない。
心の中で突っ込むロベルトだけがただただ疲れを感じる。
いつの間にか外は薄暗くなり、授業の時間が終わりになる。
「おじいちゃん先生、今日はありがとうございました」
おじいちゃん先生と言われ驚いたのか、少しだけ目を見開いた先生。
だがすぐににこにこと笑って、
「おじいちゃん先生とは初めて呼ばれました。なんだかくすぐったいです」
――ロマンスグレーの紳士が照れる姿のなんと絵になることよ!
絵里は悶えたい衝動を何とかこらえ、顔だけは平常心を装って見送った。
先生が部屋から退出し、ドアがぱたんと閉まった。
「やばいやばいやばいやばいー」
せっかく習った行儀作法など何のその、ドアが閉まるや否や絵里は思いっきり床を転げまわった。
行儀の悪いその格好に、ロベルトはあきれ顔だ。
「ねえやばいんだけど! かっこよすぎ。あれで禁断の愛に走ったらステキよね!」
絵里の頭の中ではもう既にストーリーが出来上がっている。
こういう時だけ無駄に頭の回転が速いのだ。
――ああ、これは宥めるのが大変だ……。
遠い目をするロベルトだった。
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夕ご飯を食べた後は、おじいちゃん先生からもらった本を読むことにした絵里。
宗教に関する本で、とても興味深い。
自由気ままで勉強なんて好きじゃなさそうに見える絵里(実際そう)だが、宗教には多大なる関心がある。
……もちろん健全な興味ではないが。
元の世界でも、キリスト×ユダの妄想に悶え、神父×吸血鬼、牧師×少年などの作品は必ずチェックしていた。
こっちの世界の宗教を題材に、今度は自分で小説を書こうと思う絵里。
真剣に本を読む。
どうやらこの世界、三つの宗教が主に信仰されているらしい。
ここ、ヴェリトス王国ではバーマヤ神という男の神が。
隣国、サザール帝国ではマティア神という女の神が。
そして隣国であり、ヴェリトス王国と同盟関係にあるハミン王国ではラモス神という男の神が、それぞれ信仰されている。
絵里は絶対バーマヤ神とラモス神推しだ。
今この瞬間にも溢れ出るイメージが止まらない。
褐色の肌と漆黒の髪が美しいバーマヤ神と、色白で輝く金髪が特徴的なラモス神の王道ロマンス。
二人を取り囲む淡い色の繊細な花々までもが明確にイメージできる。
もちろん攻めはバーマヤ神だ。
――オラオラ系の神様……尊すぎます。
そしてそこに花を添えるのは儚げな美青年。
――王道だけど、神話がベースなら全然アリ!
――というよりむしろ王道だからこその萌よね!
絵里の妄想は止まらないどころか加速する。
最後には、神々同士の禁断愛がマティア神にバレ、二人は涙ながらに引き裂かれたという結末で幕を閉じた。
実際絵里の目にも涙が浮かんでいる。
――なんて感動的なのかしら! でもマティア神は許すまじ! あんなにお似合いな二人の仲を引き裂くなんてっ!
一応言っておくが、これは全て絵里の妄想の産物であり、現実の物語ではない。
にもかかわらず彼女は勝手に自分の妄想のキャラに対して怒っているのだ。
何度も言うようだが、もう一度言おう。
なんとも珍妙な娘である。
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