第一話
一週間ぶりに外に出て、柄にもなく月がきれいだなぁなどという風流なことを思った絵里は、次の瞬間、青白く眩しい光に包まれた。
周囲が真っ白になって目を開けていられない。
やっぱり家から出るんじゃなかった……。
後悔しながら意識を失った。
「……い。……きろ! おい、起きろ!」
がやがやと騒がしい音に絵里の意識が覚醒する。
目を開けて真っ先に視界に入ったのは、首に突き付けられた刃と目の前に立つ美丈夫。
純白の服を身にまとった彼の、輝く金髪と怜悧な青い瞳にゾクゾクする。
――こっ、これは……理想の攻め!!
首に当たる冷たい感触など何のその、お得意の妄想が頭の中を駆け巡る。
そしてそのまま鼻血を噴いてぶっ倒れた。
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二度目の目覚めは最悪だった。
かび臭い牢屋のような場所にいる状況に混乱する。
――確か、今日締め切りの小説をようやく書き終わってコンビニに行こうと外に出て……なんか光ったと思ったら……はっ! 理想の攻めに会ったんだ! あれ? あの人はどこ? てかここどこよ!? こんな萌もときめきも生まれないような場所になんで私がいるのよー!!
明らかに今まで一度も見たことがないような場所にいてさえ、不安がることなく通常回転の絵里はよほど豪胆なのか、はたまたバカなのか。
「まったく、なんで私がこんなところに閉じ込められるのよ。臭いし寒いし最悪だわ。まあ、確かになんだかよく分からない内によく分からない場所に来ちゃって不法侵入とか言われたらそれはそれで困るけど……。でもわざと来たわけじゃないし、話くらい聞いてくれてもいいじゃない! 疑わしきは罰せずなのに! ああー、ときめきが足りない。せめて男二人で見張りに立ってほしかった。こんな誰もいないところで萌は生まれないのにー!」
独り言……ならぬ不平不満さらには要望を、結構な大声でぺらぺらとしゃべり倒す絵里。
しまいには汚らしい床に寝そべり、先ほどの怜悧な瞳の持ち主で妄想をほとばしらせる。
「あー、さっきの人にもう一回会いたい。陰から見つめるだけでいいから会いたいよー。あんな理想的な攻めには初めて会ったわ。てか現実にいるのね。あの人は……ロバート……いや、ロベルトって感じよね! なんだか高貴な感じ。彼の受けキャラになるのは、やっぱり飄々とした男だわ! 普段はニコニコ笑顔を壊さないけど、ロベルトの事になると豹変するのよ! くぅー、なんておいしいの!!」
興奮したのか、たらりと流れ出る鼻血。
こんな状況下で鼻血を流すほど興奮できる絵里は大物だ。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
絵里が本日二度目の鼻血を出してから数時間後、ようやく誰かが近づいてくる音が聞こえた。
ゴロゴロと床を転げまわっていた絵里は慌てて飛び起きたが、時すでに遅し。
バッチリ目撃されてしまった――推定、ロベルトに。
待ちに待った理想の攻めとの再会にただただテンションが上がる絵里。
さらに、その横には柔和な表情を浮かべた男が立っている。
――キター!!
――受けと攻めのコンボ!
――なんのご褒美だよ!
――ああ、神様ありがとう!
踊りだしそうなほどの胸のときめきに、絵里の鼻はぴくぴく動き、熱のこもったギラつく瞳で二人を凝視した。
――二人とも騎士服だわ! 騎士服が純白とかどこまで萌えさせるのよ!
――きっと二人は団長と副団長っていう関係ね。肩の金のラインが素敵だわ!
――ロベルトは真面目な団長で、隣の男が穏やか副団長。
――職務と愛の間に揺れる二人の関係にときめきが止まらない!
――これぞ理想のカップリング……! 目に焼き付けなければ!!
この間約一分。
わずかな間で妄想に必要な情報を手に入れ、萌とときめき溢れる世界を創る絵里には恐れ入る。
対して、絵里が盛大に妄想に浸っている間に、騎士たちも尋問の準備が整ったようだ。
「おい、これを飲め。自白剤だ」
ロベルト団長(推定)が絵里にグラスを差し出してきた。
いくら呑気な絵里でも、流石に得体のしれない飲み物を飲むわけにはいかない。
「えっ? 普通に嫌ですよ。毒じゃない証拠なんてないじゃないですか」
当然でしょ、と言わんばかりに何の衒いもなく言ってのける絵里。
まさかこの状況で拒否されると思っていなかったのか、ロベルト団長(推定)は口をパクパクさせて二の句が継げないようだ。
代わりに、副団長(推定)が口を挟んだ。
「ねえ君。自分の置かれた状況が分かってますか? いいんですよ、こっちは。自白剤を拒否するってことはやましいことがあるってことですから。大手を振って君を斬れます」
いっそ優し気ともいえる彼の言葉。
普通だったらビビるだろう。
不安になるだろう。
だが、やはり絵里の感性は常人とは違った。
――腹黒じゃんっ! この人絶対腹黒じゃんっ!
腹黒受けとかどんだけ萌えさせる気だよ!
盛大に鼻をぴくぴくさせて……喜んでいた。
さらには、萌をくれたことへの感謝としてためらいもなく自白剤を飲んだ。
――萌は世界を救う。
絵里の座右の銘だ。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
絵里の瞳がぼんやりとしたのを確認し、早速尋問を開始する騎士二人。
「お前の名は?」
「大山絵里、十九歳。好きな食べ物はハンバーグ、嫌いな食べ物はピーマン」
聞いてもいないことまでぺらぺら話す絵里。
稀にいるのだ。
自白剤を飲むと自分からどんどん情報を開示する者が。
彼らは大抵の場合、何のストレスも感じない能天気な者たちだ。
気を取り直し、質問を続ける。
「出身国はどこだ?」
「えーっと、日本だよー。生まれは静岡だけど、育ちは神奈川。でも私静岡の方が好きだなー。静岡ってほんとにお茶がおいしくてー……」
「聞いたことにだけ答えてくれ」
うんざりしたように団長(推定)が絵里の話を遮る。
「日本という国は聞いたことがないぞ……」
「私も知りません」
聞いたことのない国に、男二人は首をかしげる。
だが、自白剤を飲んでいる以上、絵里が嘘をついているわけでもない。
「お前はどうやってこの城に侵入した?」
疑問は後回しにして、とりあえず情報を得ることに集中する。
「はぁ~? 城? 城になんか侵入してないし。てゆうかここどこ? 久々に家から出たらわけわかんない光に包まれてわけわかんない場所にいて……。文句言いたいのはこっちよ!」
もはや酔っ払いのごとくしゃべり続ける絵里。
何度も脱線しそうになる絵里の話を何とかまとめると、どうやら絵里はスパイや暗殺者ではなく、異世界からの送り人のようだ。
送り人はここ三百年近くこの国には現れておらず、他国で確認されたのも百年は前だ。
もはや伝説として語り継がれるのみとなっていたことや、神秘的とは程遠い絵里の性格も相まって、なかなか信じなかった二人。
だが、神殿が所有する、異世界人のみが光らせることができるとされている水晶に絵里の手を置いたところ、まばゆいばかりに光った。
異世界人は丁重にもてなさねばならない。
こうして絵里の容疑は晴れ、かび臭い牢屋から解放された。