第七話 かつての友人は両親に挨拶する
「どういうことなの、お母さん!」
ルナセーラが扉を勢いよく開けると、母はゆっくりと振り向いた。
母はルナセーラの慌てる様子がわからない、という顔をしている。
「どういうことって?」
「レ、レオランド様が私の婚約者って……!」
婚約の話が進んでいる、とレオランド本人から聞いた時、母は外出中だった。本当かどうか確認しようとしたら、夕方になってしまった。
レオランドは「ご両親からの了解はもらえた」と言っていたのだ。この母が知らないはずがない。
「ああ、それね……」
母は可愛らしく舌を出す。
「騎士団のご一行様が宿泊された後に、団長様から丁寧なお礼の手紙が届いたのよ。そこには『奥様には素敵なお嬢様がいらっしゃいますね』と書かれているじゃないの。さりげなく、私の娘を伴侶にいかが? なんて書いたら、トントン拍子に進んじゃって……」
「お母さん!」
どうして娘の気持ちを差し置いて、勝手に話を進めてしまうのだろう。
(前世の友人で……どのように接したらいいか、わからないじゃない)
「だって、国家の英雄なのよ? お手紙に返事をしないわけにはいかなかったの」
「そうじゃなくって、婚約の話。私の気持ちを置いて、どうして進めてしまうの!」
ルナセーラの悲痛な叫びを聞いた母は、シュンと項垂れた。
「だって……ルナセーラは、魔法の勉強に根を詰めすぎなのよ。頑張り過ぎて、体を壊してしまうのが心配。たまには気分転換をしてほしいの。それに、誠実で身元がしっかりしている人なら私も安心だわ」
つまり、ルナセーラの勉強し過ぎを心配しているらしい。新しい知識を吸収するのを楽しんでいたのに、どうやら裏目に出たようだ。でも、娘の婚約をそんなに安易に決めていいのだろうか。
「……お父さんは了承しているの?」
厳格な父だ。すぐには娘の婚約を認めるとは思えなかった。
「パパ? パパはレオランド様が今度、挨拶で見えるって話をしたら、『骨のある奴だな』って嬉しそうに言っていたわよ」
父には期待できないようだ。
(今、聞き捨てならない台詞を聞いたような……)
「ちょっと待った。レオランド様が今度、挨拶に見えるって?」
恐る恐る聞き返すと、母はまたしても問題発言をした。
「あら、言っていなかったかしら。三日後にレオランド様が我が家に来るのよ。早めに挨拶を済ませた方が、お互い良いのではないかって話になって」
(聞いてないよ! ……って、三日後!?)
「レオランド……様がこの家に?」
日付まで指定されているらしい。そんな重大なことをどうして知らされていないのか。
「だって、ルナセーラはまだ実家にいるでしょう?」
ルナセーラは脱力した。確かに夏休みはまだ数日ある。あるのだが……娘の予定は全く無視されている。
(そうだ、この母はまともに話しても、無駄に体力を削られるだけだった……)
☆☆☆
今日の宿屋は臨時休業だ。
入り口の来訪を告げる鈴が鳴ると、母は腰を浮かした。母は「私が出迎えるわ」と言って張り切っている。
「レオランド様、ようこそおいでくださいました」
「お招きいただきありがとうございます」
レオランドが母の目を見て返事すると、母は「きゃあっ」と小さく叫んだ。
どうやらレオランドの視界に入ったことが嬉しいらしい。ルナセーラの婚約が嬉しいのはむしろ母なのではないか。
「お父様、お母様、それにルナセーラさん。本日はよろしくお願いします」
レオランドは席に座る前に会釈する。今日は魔法騎士団の団服ではなく、ジャケットにズボンのラフな服装だ。
私的な訪問ということで服装を使い分けているらしい。
「こちらこそ、よろしくお願いします。どうぞ座って!」
普段は宿泊客が食事に使っている丸テーブルにレオランドを案内すると、母はうやうやしく椅子を引いて座るように促す。ルナセーラははやし立てられるままに隣の席に座ることになった。
母は期待と緊張が入り混じって落ち着かない様子だ。父は動じることなく腕を組み、足を開いて座っている。
「まずは、ルナセーラさんと婚約したいとの申し出を、お許し頂き、ありがとうございます。正式にはルナセーラさんが魔法学院を卒業してからですが、まずはご挨拶できればと思い参りました」
レオランドはスラスラと口上を述べた。
「どうして私なんでしょうか……」
ルナセーラは素朴な疑問を口にする。どうして自分が選ばれたのか気になったのだ。
「それは……私がルナセーラさんに一目惚れしたんです」
レオランドはルナセーラを真っ直ぐに見て言った。
顔の良い男性に言われると破壊力がある。
(何だか、レオランドに熱っぽい視線で見られるの、慣れないな……)
前世でのクールで、頼りになるレオランドとは印象が違う。ルナセーラはレオランドの視線から逃れるように身動ぎした。
「それに、初めて会ったような気がしないんです……運命を感じてしまいました」
レオランドは若干照れたように下を向いた。
(そりゃあ、そうでしょう! だって中身がセドリフだもん!)
できれば、レオランドにちゃんと話して訂正したい。
初めて会った感じがしないのは、ルナセーラに前世の記憶があるからだ。
どこかセドリフと重なる部分があって懐かしいと感じているのではないか。
でも、前世の記憶があるなんて、信じてもらえないだろうし、恥ずかしくて言えない。
「運命ですって! ルナセーラはどうなの?」
嬉々とした母は、ルナセーラに話を振ってくる。
「私はレオランド様のことをもっと知りたいです。お互いよく知った上で、婚約……できたらいいなと思います」
国家の英雄の申し出を無下に断ることはできない。
こう言うしかなかった。
「そうですね。ルナセーラさんが魔法学院を卒業するまで、あと三年あります。その中で私もルナセーラさんのことを知ることができたら幸いです」
レオランドが同意すると、母は「よかったわね」と囁いてきた。
(よかったの? まぁ、よかったの……かな?)
正式な婚約まで時間がある。ルナセーラのことを知ることで、「やっぱり違う」と言われる可能性もある。三年間のうちに作を考えれば、どうにでもなるのではないか。
「ですが、ルナセーラさんが私が夫としてふさわしくないと感じた場合は、婚約を断ってもらって構いません。そのための三年間だと考えています。ルナセーラさんの気持ちを大事にしたいのです」
「ご冗談を。レオランド様が夫としてふさわしくないなんてないわ」
母は苦笑を漏らしながら言った。
「いいえ。ルナセーラさんが私に愛想を尽かす時があるかもしれません。その時はルナセーラさんに不利がないように動きます。ルナセーラさんの幸せが一番ですから」
沈黙を貫いていた父は、腕組みを解いた。
「せっかく来たんだ。店の料理を食べていかないか」
「はい! ぜひいただきたいです!」
レオランドは父からの提案に大きく頷いた。
宿屋の料理はボリュームがたっぷりあることで有名だった。お金がない人でもお腹いっぱいに食べられるように、と赤字覚悟で経営を行っている。宿泊施設と合わせて経営しているからこそ、料理で多少の損があっても、借金も返済しながら何とかやっていけるらしい。
レオランドは涼しげな顔をしながら、大盛りの料理を平らげている。
(うちの店の料理、結構なボリュームがあるのにいいペースで食べている……!)
出された料理を綺麗に完食したことで、レオランドは父から認められたのだった。