第三話 前世の友人に婚約を申し込まれる
「……お前があいつの何を知っているんだ」
軽々しく言ってはいけないことをどうして言ってしまったのだろう。きっとセドリフでなければレオランドは心を開いてくれない。
(前世がセドリフだったなんて言えない。隠し通さないといけない)
「何も知らないのに、知ったふりをして……すみませんでした」
素直に謝ると、レオランドの態度は軟化した。
「あ、あぁ……見ず知らずの君に自分のことをペラペラと話すなんてどうかしているな」
レオランドは頭を触る。気が動転しているときに頭を触る癖があった。照れ隠しで、相手の頭を撫で回すことも。
「知らない人の方が話しやすいってこともありますよ」
辛い気持ち──前世の私との関わりを忘れさせてあげれば、楽になれる。記憶を消すことは、ルナセーラにしてみれば容易いことだったが、レオランドがそれを望んでいないような気がした。
「そうか、そうだなぁ……」
そう言って、手を口許にあてて思案にふけった。
レオランドは昔を思い出したようで、優しげな眼差しになり指先をピクッと動かした。
(きっと、頭を撫で回したいって衝動を我慢しているんだ。私が女の子だから、そうしないだけで……)
ルナセーラがクスッと笑うと、レオランドは「どうして笑うんだ?」と尋ねるように不思議そうな顔をする。
「……もしかして。私の頭、撫でたいんじゃないですか?」
「い、いや……どうして、わかるんだ」
レオランドの碧い瞳が大きく見開かれる。
ルナセーラはコホンと咳払いした。まるでインチキを流布する占い師にでもなった気分だ。
「だって……レオランド様の手がピクピク動いていたからです」
「うっ……そうか」
軽い溜息を吐きながら、レオランドは再度頭を触った。どうやら図星らしい。
そう思ったのもつかの間、レオランドは真っ直ぐにルナセーラを見つめてきた。
「君は──頭を撫でられたいのか?」
「……え? ええ⁉︎」
レオランドが頭をかき上げると、金髪がさらりと流れた。イケメンな顔で流し目をしてくる。
(そんな顔で見つめられても……困る!)
レオランドの酒の入った赤ら顔は、どこか色気があるように見える。ルナセーラは酒を飲んでいる訳でもないのに頬に熱が集まってくるのを感じた。
「クッ……ククッ……お前は、面白いな」
レオランドは笑いを堪えきれないようで、腹を抱えて笑った。
(……レオランドの笑った顔、久々に見た)
からかわれたと、わかっているのにどこかホッとした気持ちになる。
レオランドの笑った顔を見たのは、かつての友人だった時だ。セドリフの頭をグシャグシャと触りながら、笑っていたような気がする。
笑顔を見せるなんて、酒が入って気が抜けたのだろうか。
「子どもをからかうなんて、ひどいじゃないですか」
「……君もおじさんをからかっているじゃないか」
「おじさん!?」
ルナセーラは目をパチクリさせながら、レオランドを見る。
張りのある肌に長い鼻梁、服を着ていても胸板が厚く、鍛え上げられた体躯だとわかる。
おじさんとは、レオランドは謙遜して言っているに違いない。
「おじさんなんて思いませんよ」
「……そうか?」
「あえて言うなら、お兄さんです」
意表をつかれたのだろう、驚いたようなレオランドの瞳と見つめ合う形になる。直近で見ると、レオランドの涼しげな目元や整った顔立ちがよくわかる。
視線に耐えきれなくなったルナセーラは、パッと顔を背けた。
「……なんか恥ずかしいので、これくらいにしませんか。というか、もう寝る時間ですよ」
「そうだな……」
レオランドの視線から外れた一瞬の隙を狙い、ルナセーラは無詠唱で魔法を放つ。
魔法は通常詠唱を必要とするが、ルナセーラはその代わりにイメージを思い浮かべるだけで、それを魔法として具現化し、放つことができた。
(レオランド。ちょっとの間、眠っていてね)
レオランドの瞼がゆっくりと落ちていくのを、ルナセーラは微笑みながら見つめていた。
☆☆☆
セドリフは白い霧の中にいた。
歩いていくと霧が晴れていって、黒い人影が見えた。その人影は警戒したように一歩後ろに下がった。
「久しぶり!」
「セドリフ……?」
セドリフは「よっ」と声をかけて、再会した友人に軽く片手を上げた。まるで昨日会ったばかりの友に挨拶するかのように。
たれ目で瞼が半分落ちている目は眠そうに見えるが、これが通常。
信じられないという顔をしているレオランドへ向けて、「最近はどう?」と問いかける。
「どう? って言われても、仕事はまあまあだな。……そういえば、俺の心の中にズカズカと入ってくる、変わった娘がいた」
「──知っているよ。彼女のことはよく知っている」
「どうしてセドリフが死んだ後のことなのに知っているんだ?」
ギクッとなる。夢の中なのに、レオランドは鋭すぎる。まさか、転生して宿屋の娘になりましたなんて言えない。
「幽霊だから知っているんだよ。君と彼女のやり取りは、ほら、頭上の方から見下ろしていてさ」
やや苦しい言い訳だとは思ったが、あっさりと通じて、レオランドは納得するように頷いた。
「幽霊ってのも、セドリフがそうなったら楽しそうだな。……もし、君が生きていたら酒を酌み交わしたかった」
レオランドは真っ直ぐにセドリフを見る。背後で操るルナセーラは全て見透されているような錯覚を覚えてしまう。
が、レオランドは諦めるように長い睫毛をそっと伏せた。
セドリフが亡くなったのは二人がお酒を覚える前のこと。この国では十八歳になると成人と見なされて酒を飲む許可が与えられる。十五歳のルナセーラは飲んだことはなく、味の想像はできない。
だけど、夢の中でお酒を飲んでいる気分になれる魔法を使う分には、誰のお咎めもないだろう。
セドリフはニッと口角を上げた。
「今、やろうよ。これは夢だから、お酒を出すのも簡単なことさ」
「ああ、そうだな。……これは夢だ」
セドリフは両手に木樽ジョッキを出現させ、その片方をレオランドに渡した。
「さぁ、心行くまで飲もう。乾杯!」
☆☆☆
(悪夢にうなされて不眠か。レオランドは意外と繊細だったんだね)
カウンターに突っ伏して、両腕の間で寝静まったレオランドの背中にそっと毛布をかける。
英雄として人々の注目を浴びる騎士団長と、宿屋の娘。住んでいる場所が違いすぎる。
生まれ変わってから、レオランドとこんなに長く語らうことができるのは、きっとこれで最初で最後だ。
レオランドはこの先、きっと悪夢を見なくなる。セドリフという少年がいたこともきっと忘れるだろう。
少し寂しいという気持ちは心の中にしまい込んだ。ルナセーラは名残惜しそうにレオランドを振り返った後、その場を離れた。
☆☆☆
窓辺から差し込んでくる光を浴びて、レオランドは体を起こした。布が床に落ちる乾いた音がして、毛布がかけられていることに気づく。
頰に違和感を覚え、手で触れると一筋の涙の跡があった。
何か、楽しいような悲しいような夢を見たように感じたが、レオランドは覚えていない。
「久々によく寝たなぁ……」
欠伸を一つして、手を天井に向けて大きく伸びをした。
☆☆☆
騎士団の一行が去ってから、宿屋は平穏を取り戻した。
数日後には里帰りも終わり、魔法学校の授業も再開する。
魔法学校で出会った友人には幸い恵まれていて、充実した日々を送っている。
チャリリン。
入り口の鈴が鳴る。
両親が不在だったため、ルナセーラが扉を開ける。
騎士団長のレオランドがいた。
「どうしましたか? 何か忘れ物でも」
数日前に会ったばかりなのに懐かしい。そんな気持ちを隠しながら、ルナセーラはお客様に向ける、普段と変わらない微笑みを浮かべる。
「……君と話をしてから悪夢を見なくなった。なぜだろうか?」
レオランドはルナセーラをじっと見つめる。
(やば! 何か感づかれた?)
「友人の死を忘れないように、友人の最期を毎日夢で出るように自分で魔法をかけたんだ」
レオランドが悩まされていた悪夢は自分自身でかけたものらしい。
「……私にはどうしてかはわかりません」
「まあいい。悪夢から解放されてからは、気分がスッキリした。結局は解放されてよかったんだと思うよ」
レオランドはルナセーラの心配を否定する。
悪夢を解いた張本人だから、その事実はもちろん知っている。けれど、伝えてしまえばどうしてそんなことをしたのかを問い詰められるだろう。
いっそのこと、前世がセドリフだとバラしてしまおうか。
「私は、私は……」
いや、ダメだ。誰であろうとも……そうレオランドであっても秘密にしなければならない。
「お礼を言いに来たんだ。そんなに固くならなくても」
「お節介でしたよね。お礼だなんて、滅相もない……」
縮こまるルナセーラに、レオランドはクックッと笑った。氷のような表情の騎士団長には思えないような、爽やかな笑みだった。
「そういえば、もう一つ伝えたいことがあるんだ」
「何でしょうか」
「周囲から結婚はまだか、と聞かれて、仕事が第一で考えたことがないと突っぱねて来たんだ。だが、町外れの宿屋の娘のような人がいいと何気なく言ったら話がトントン拍子に進んで……」
「え? トントン拍子に進んで?」
悪い予感がしながら、おうむ返しで聞く。
「君が魔法学院を卒業してからだが、俺と婚約を交わす話が進んでいる」
「ええー!」
衝撃の一言に叫ぶことしかできなかった。
(待ってよ! レオランドと婚約? ありえないでしょ)
「ご両親に話を先にしたところ、あっさりと了解をもらえた。あとは君だけだ」
(外堀を埋められたってことね。……っていうか、順番が逆じゃない? 本人に先に話をしてよ!)
呆れてものが言えない。レオランドは戦争の功績を称えられて伯爵位を賜っている。
両親は爵位に目が眩んだわけではないだろう。きっと魔法の勉強に没頭するルナセーラの将来を案じて了承したのだ。
レオランドはルナセーラが黙っているのを承認だと受け取ったようだ。
「よろしく。婚約者どの」
ルナセーラの心臓がとび跳ねる。
(しまった……こいつは顔だけは良かったんだった)
誰も頼りになる人はいない。しっかり話さなくては。
「お互いのことを知るのが先でしょ? 一旦白紙に戻してください!」
「それは、そうか」
レオランドは納得しかけて、さらに口を開いた。
「そうだ。では、魔道具の店にでも行かないか」
「魔道具……!」
王都には庶民では入れない店もある。興味でウズウズしてくるが、必死にその気持ちを消す。
「いや、行かなくていいです」
「まずは、お互いを知るために必要だ。行こう」
強引さに負けて、頷いてしまった。
レオランドに溺愛されて困り果てる日々が来るとは知らずに。