第二十話 魔法騎士団の稽古を見る
友人のミリルからは「魔法は上手なのに、歌うと壊滅的に下手になるのはどうして?」とよく聞かれる。壊滅的に下手だと言われるのは、あながち嘘ではない。
前世の歌の音痴を引きずっているらしい。
歌だと思うと、どのように音程をとればいいのかわからなくなってしまうのだ。
魔鳥の世話が終わってルナセーラが一息ついたとき、レオランドに誘われて城内の庭園に向かった。
レオランドはベンチに腰掛けると、眩しそうに目を細める。
「こんなに日差しが暖かいと昼寝をしたくなるな。……そうだ、ルナセーラ。歌でも歌ってくれないか」
「え、ええ? 歌ですか!? ダメです! 私、歌って苦手で……」
音痴なのは、レオランドが講師で魔法学院に来た時にわかっただろう。
なぜ、わざわざ音痴な歌を聞きたいのだろうか。
「下手でも構わない」
断固拒否したいところだったが、レオランドに押し切られてしまった。
「ええと、それじゃあ。コホンッ」
咳払いをして、町娘がよく歌う「花摘みの歌」を口ずさむ。
第一声からレオランドが顔をしかめた。
(ほら、言わんこっちゃない!)
近くを通りかかる使用人が「なんだ?」と横目で見てくる。
レオランドは聞くに耐えかねたようで、腕を組んで視線を落とす。
歌が歌い終わるのと羞恥の限界が来たのは同時だった。
レオランドは下を向いていると思いきや、スヤスヤと寝始めていた。
(ね、寝てる!?)
レオランドの上半身が傾いて、ルナセーラの肩に軽く触れる。
起こしてしまうのも忍びなくて、しばらくそのままでいた。
下手な歌は聞き慣れていたから、逆に安心したのかもしれない。
セドリフだった時は、幸か不幸か、下手であることを知らずにレオランドの前でよく歌っていたから。
しばらくそのままでいると、レオランドが目を覚ましたようだ。
レオランドはハッとした表情で、すぐさま体を起こす。
「……ルナセーラ、ずっと肩を貸してくれたのか?」
「よく寝ていましたので」
ルナセーラは否定しなかった。肯定だと理解したようでレオランドは頭を下げた。
「申し訳ない! 昔、音痴な奴がいて、そいつの歌を聞くとなぜかよく眠れる……というのを思い出して試してみたらこんなことになった」
音痴な奴とはセドリフのことだろう。どうやら子守唄の代わりになっていたらしい。
「私の歌でもよく眠れたんですね。……ということは、私もだいぶ音痴ってことですよね」
「ま、まぁ……そうだな」
レオランドは歯切れ悪く答える。
「否定してもらいたかったのに。自分でも下手だってわかっていますけれど」
「音を外しまくっているのに、魔法を発動できるのが不思議なくらいだ。過去に音痴でも魔法が使える奴がいたが」
「失礼じゃないですか。音痴でも魔法は発動できますよ」
歌うフリをしながら魔法を使うのはお手のものだ。さすがのレオランドでも見抜けまい。
誤魔化すことに成功したのか、レオランドからその後の追求はなかった。
「……ルナセーラ、今何時だ?」
「城の鐘が鳴ったから、一時過ぎでしょうか」
城の鐘は朝の九時、昼の一時、夕方の五時の三回鳴る。
レオランドはポケットから懐中時計を取り出して固まった。
「一時過ぎだと! 早く仕事に戻らなくては」
「すみません。もっと早く、起こせばよかったですね」
「いや、俺の時間管理が甘かった。今日は部下に稽古を付ける日だったんだ」
レオランドは立ち上がると急ぎ足で去っていく。
ルナセーラは魔法学院が休みで、魔鳥の世話が終わるとあとは寄宿舎に帰るだけだ。
(……あれ?)
ルナセーラはレオランドが座っていた位置に、黒革の手帳が置かれていることに気づいた。
(レオランドの忘れ物?)
仕事で使う手帳かもしれない。
ルナセーラは肌馴染みの良い手帳を鞄にしまい込むと、レオランドの向かった方面に早足で歩き出した。
(稽古を付けるって言っていたから、鍛錬場にいるのかな)
城内の構造は頭の中に入っていたが、増設された建物があるようでセドリフの記憶とは違っているところもある。
「ルナセーラさん、どこに行くのかい?」
門番のおじさんがルナセーラに話しかけてくれた。
「レオランド様にお忘れになった手帳を届けようかと思いまして」
「そういうことか。さっき、レオランド様はこの先の鍛錬場に向かって行ったぞ」
「ありがとうございます」
記憶はほとんど合っていたらしい。この場所をさっき通ったということは、もうすぐ追いつけるかもしれない。
ルナセーラは門番のおじさんに背を向けて走り出す。
「でも、今は……」
気持ちが早まるあまり、門番のおじさんの次の言葉を聞き損ねてしまった。
『今は練習を始めたばかりだから、もう少し後に行った方がいいよ』
(着いた!)
木剣が空気を切る音と、激しい剣戟の音が聞こえる。
練習の時に聞こえる音だ。懐かしい。
ルナセーラは入り口に顔だけ出して鍛錬場を覗き込むと、目にしたものが信じられずに固まった。
上半身裸の筋骨隆々とした隊員が沢山。更衣室が別にあるが、無頓着な者はその場で訓練着に着替えを済ませていた。着替えを済ませた者から鍛錬を開始しているらしい。
前世では見慣れた光景だったが、少女である今はとても恥ずかしい。目のやり場に困る。
「可愛いお嬢ちゃん、誰に用かい?」
既に着替えを終えた男から話し掛けられる。
「レオランド様なんですけれど……」
「レオランドー!」
隊員の声に呼応して現れたレオランドは上半身裸だった。腹筋が六つに割れているのが少し離れていてもわかる。見てはいけないとわかっているのに、思わず見入ってしまう。
(あの傷……もしかして)
ルナセーラに衝撃が走った。
腹部の縫った痕跡があるのを見ると、男性の裸を見てしまった罪悪感は消えていた。魔法戦争の傷痕だろう。
ルナセーラの姿を発見すると、レオランドは顔を赤く染めて回れ右をした。
「女の子が来ている時は、そう言ってくれ!」
隊員を叱り飛ばしたレオランドは、訓練着を急いで着込むとルナセーラの元にやってくる。
「すみません。着替えているところだとは知らず……」
「いいんだ。俺を呼んだあいつが悪い」
色んなタイミングが悪かった。ルナセーラが謝罪すると、レオランドは決してルナセーラのせいにはしなかった。
「レオランド、手帳を忘れていきませんでしたか?」
黒い手帳を差し出すと、レオランドは「そうだ、忘れていた!」と言いながら受け取る。
「稽古が終わったら会議で使うんだ。助かったよ」
「鍛錬の邪魔になってしまいましたね。誰かに預けておけばよかったです」
「いや、ルナセーラにお礼をすぐに言えるから、直接届けてもらえて嬉しい」
こちらを傷つけずに対応してくれるレオランドの懐の深さを感じて、ルナセーラは心が軽くなったのだった。
「今日は魔法学院が休みなんだろ。練習、見ていくか?」
「いいんですか!」
剣技も一流だと言われるレオランドの稽古を見られるのは、有り難い申し出だ。
ルナセーラは目を輝かせた。
レオランドは両手を数回叩いて、隊員の元に戻っていく。隊員は着替えが済んでおり、顔もキリッと引き締まっている。
「稽古を再開するぞ」
「「はい!」」
「数人まとめて相手をする。かかって来い!」
三人が一斉にレオランドに向かって木剣を振りかざすが、レオランドの一閃によって弾き飛ばされる。
(レオランドの動き。十代の頃と比べると、さらに磨きがかかっているなぁ……)
離れたところに用意された椅子に座っているルナセーラでも、レオランドの身のこなしはハッキリとわかった。
低い姿勢から繰り出される薙ぎ払いに、他の者が対応できていないように見える。
「レオランド、今日は一段と厳しくないですか?」
床にへたり込む隊員の一人が口を開くと、他の隊員も頷いた。
よく見ると、レオランドの直属の部下の一人だった。
「女の子が見ているからって、気合が入りすぎなんですよ」
冷ややかな視線を送るのは、これも部下の一人である。
「そんなことはない。今日の稽古が厳しいと感じた者は気が緩んでいる証拠だ。気を引き締めるように」
隊員は引きつった顔をするが、レオランドの瞳が厳しく光る。
「返事は!」
「「はい!」」
(セドリフがいたとしても、悲鳴上げるんじゃないかな。これ……)
ルナセーラはレオランドの稽古に耐える隊員に同情の視線を送った。




