第6話 クソったれな現実に
———歯医者でもないのに予約かよ。
俺は内心でツッコミを入れつつ、美容院の看板を眺める。
この店で間違いないはずだ。
店名の頭文字が「d」だし、その後に「’」とか「ll」とか続いているから、字面的には合っている。
……問題は一つ。店名が読めないことだけだ。
「畜生、『10Qカット』を見習えよ」
小声で毒付きながら、やたら重い美容院の扉を押し開けた。
俺はクソったれの現実で戦うための装備を手に入れる。
———
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……Yu-noが取り乱した、あの晩から4日。
俺達はまるで何もなかったかのように、毎晩『Re-liance』で落ち合っていた。
あの晩の出来事には触れず———今まで通り。
ただそれ以降、ゲームの進め方に気を遣うようにしている。
クエストの難易度に合わせて、回復薬の数を加減するのだ。
———アイテムが足りなくなったところを『Yu-no』の白魔法で何とか凌ぐ……
出来るだけこんな展開になるようにしている。
気付いたのだが、Yu-noはクエストの失敗を気にしない。
むしろ、Yu-noの援護を受けながら命からがら逃げ帰った時の方が機嫌がいい。
MMOの遊び方に決まりなんてない。
少し前までのランキングを意識しながらのプレイも充実感があったが、Yu-noとただ一緒に遊ぶだけのプレイはそれとは違った楽しみがある。
時間を決めているわけではないが、Yu-noは俺のログインする大抵の時間はRe-lianceの世界にいる———
……今晩はYu-noに髪型と服の報告をする約束だ。
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――――――
俺を担当する美容師のタツミは、片側のサイドだけを綺麗に刈り上げた小柄な男だ。
オシャレが服を着て歩いているような男だが、服がオシャレなのか脱いでもそうなのか、正直良く分からない。
「この髪、前はいつごろ切ったの?」
「え……確か……2か月くらい前ですかね……」
「あー、元からこんな感じなんだね」
……この人は喧嘩売ってるんだろうか。タメ口だし。
Yu-noとの練習で随分慣れたと思ってた世間話。
しかし、学校の外ではなかなか思うようにいかない。
俺は引きつった笑いを浮かべながら、髪を切られる鏡の中の自分を見る。
我ながら特徴のない顔だ。
低予算のノベルゲーだと、顔に陰影だけ付けられたモブキャラといったところか。
目、鼻、口。どれもこれもあっても無くても変わらない———
「あれだよね。これ、千円カットとかで切ったでしょ?」
「はあ……分かりますか」
「うん、分かる分かる。ほら、見てよ」
最後のは隣の同僚に向けた言葉だ。
坊主頭の同僚は俺をチラ見するなりボソリと呟く。
「あー、厳しいっすね」
「でしょ?」
やばい。俺、絶対喧嘩売られてる。
千円カットをディスる前に、千円やるから10分黙っててくれないだろうか。
……いくらYu-noの紹介とはいえ、美容院なんて来るんじゃなかった。
次は絶対千円カットにしよう。
あそこは10分で済ませてくれて、なにより黙っていてくれる。
「あの……そういえば」
「ん? どうかしたの?」
「どんな髪型にするかとかコースとか、最初に選ぶんじゃないんですか?」
「それなら、事前に彼女さんに全部聞いてるよ?」
……え? Yu-noが?
呆気にとられる俺に向かって、タツミは鏡越しに白い歯を見せて来る。
「———お客さん、愛されてるね」
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———
……誰だこれ。
俺は鏡に映る男の顔をぼんやり眺める。
少し茶色くなった髪の長さは、思ってたより変わらない。
全体的に梳いて軽くなった髪はワックスで毛先が色んな方を向いてるが、全体としてなんとなくまとまっている。
……これはアレだ。例えるなら、同じモブキャラでもチャラい方のモブキャラだ。
これが進歩なのかどうなのか。それに単にYu-noの好みなのか。
姿を消していたタツミがカメラを持って戻ってくる。
「じゃ、写真撮るね」
「え? なんでですか」
「うち、お客さんのカルテ作って管理してるから。次からまるで同じにも出来るよ」
……交わす会話が少しでも少なくなるなら、それもいいか。
最後にワックスの使い方や髪のセットの仕方を念入りに教えてもらい、椅子から立ったのは入店から二時間は過ぎた頃だ。
レジで財布を取り出した俺に、タツミは意味ありげな笑みを浮かべる。
「お代は彼女さんからもらってますよ」
……なるほど、愛されてるな。
店を出ると、次の予約の時間が迫っている。
次は服だ。
目的の店に向かいながらも、俺は疑問に思わざるを得ない。
———服って予約して買うものか?
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……ショーウィンドウに映った自分の姿に、俺は悪夢でも見ているような気持ちになる。
同じく名前の読めない店で選ばれたのが、寒色系のジャケットにパンツという組み合わせ。
下に着るシャツに襟が無いのも落ち着かないし、曇っているのに帽子を被らされてるのも良く分からない。
最近ようやく履き慣れたスニーカーも、茶色い革靴に変わっている。
揃いのコーディネートがあと二組、さっきまで着ていた服と一緒に宅配便で家に届くはずだ。
……まるでファッション雑誌を真似たお坊ちゃんだ。
自嘲気味に唇をゆがめながら、さっきの店での場面を思い出す。
———値段も分からず怯える俺に、店員が革のトレイを差し出してきた。
その上には数枚の千円札と貨幣……
“お釣り”との説明だったが、一円も払ってないのに服をもらってお釣りまでもらう———
―――これじゃ、まるでヒモだ。
お金はポイントにでも変換してYu-noに返そう。
……しかし、これだけ見た目が変われば、知り合いに会ってもばれないのではないだろうか。
ガラスに映る自分の姿を不思議に思いながら歩いていると、聞き覚えのある声が近付いてくるのに気付いた。
俺は思わず身を固くする。
若者らしいにぎやかな声の主。
正面から歩いてくるのは、雁ヶ音日南とその取り巻き達だ。
新装備の実戦投入は思ったよりも早そうだ———




