子供の読解能力が下がってるそうで・・・
なんか日本の子供の読解能力が下がってるそうで、理由はスマホやSNSで簡略化された文字に慣れすぎたせいでは――― なんてことが言われています。
ここで文章を書いてる者としては色々と思うことがあるのですが、確かになろう系の作品を見ていても昔のラノベと比べ、だいぶ頭空っぽにして読めてしまう作品が多い。
日本語は数ある言語の中でも最も複雑で優れていると言われ、複雑な分、言葉遊びや表現の幅も広く「文学」としても他の言語では表せないような表現の幅があり、それはとても「面白い」ものなのです。
自分は決して文学オタではないのですが、太宰のような人を殴りつけるような荒々しい文章や、ヘッセ(高橋健二訳)の情景の目の前に広がるような文章には感銘を受けたものです。
もう何年もページを開いていませんでしたが、この話題を聞き、久々に開いて読んでみたらしびれますね。
「孤独の静けさが安全な城のように私を包んでくれた。」
「庭や小さな新築の家がうららかに日なたに横たわっていた。」
「風は相変わらずやわらかに生ぬるく吹き、長い黒雲をかなたに追い、はだかの樹頭をかきまわした。」
これはヘッセの「春の嵐」という小説を適当に開いたページに書いてあった一節です。感じ方は個人で違うので何も感じない人にとっては「はぁ?」って内容なんでしょうけど、自分はこういった胸にきゅんと響くような表現が好きなのです。
一つのページに文字がぎっちり詰められて、その中で読み手を引き付ける光り輝く一節があって、本を読むって宝探しみたいな一面があるんですよね。
少なからず文章に触れている人なら少なからず心に残る一節があるはず。多くの人にもっと「文学」に触れてほしい。
思わずこんなエッセイのようなものを書いてしまいましたが、自分が他のランキング上位に食い込むような個人視点での作品とは違う書き方をしてるのは、少なからずそういった想いがあるわけで、うまくは言えませんが言葉遊びや、言葉による表現というものを感じてくれたら幸いですということ。
つたない文章ですが自分の作品に少なからずそういったものを感じてくれる人がいいな、それで応援してください、という下心を紡いでこのエッセイを閉じたいと思います。