ルーンの力
思わせぶりに出現したゴブリンは、何もしないまま消えてしまった。聞いた話では、魔物も生物だったはずだが、この世界では生物が死ぬと光の粒子になって消えるのだろうか。
魔物の部位が錬金術や鍛冶の素材になると教わったが、消えてしまっては素材にはできない。ゲームのように、消えた後にアイテムとして残る可能性が考えられる。
それとも、先程現れて消えたゴブリンは特別な個体で、光の粒子となったのは何かの魔術や特殊な技を行使したのだろうか。
警戒を解かずに周囲を見回す。
アイシャが放った大魔術の名残りで辺りは熱気に包まれているが、他には動きはないようだ。
「……終わり?」
不安になったので、振り返って二人に声をかける。アルバートは既に剣を鞘に収めて腕を組んでおり、肯定するように頷いた。アイシャは口を開けたまま、ぽかんとしていた。
「なんだったんですか、今の」
空が割れ、禍々しい光と共に魔物が現れる。この世の終わりのような演出の末に現れたのは三体のゴブリンであり、何もしないままに光の粒子となって消えてしまった。
「私が放った魔法によって発生した地形効果によって、体力を失ったのでしょう。ええ、計算通りです」
胸をはって言い張るアイシャ。若干焦っているような気がしないでもないが、アルバートが感心したように頷く。
「なるほど、そいうことだったのか。地形や環境に影響を及ぼす魔術は存在する。あれほど強力な魔術であれば、地形や環境に及ぼす影響も大きいだろう」
アルバートは額に滲む汗を拭いながら続けた。
「炎のマナが強く残っているな。耐性がない魔物であれば、この場に立つだけで大きなダメージを受けるだろう。この効果も見越しての魔術行使であったか。流石だなアイシャ」
「ええ。ラングリーズ地方はマナ……大気に内包される魔力の量が非常に多い地域です。そこで力の強い魔法を行使すれば、大気のマナが反応して地形効果が発生すると思いまして。ええ、計算通りです」
この世界、レーベンガルズでは大気中にマナと呼ばれるエネルギーが満ちている。
魔術師と呼ばれる者達は、自らの体内で生成されるオドと呼ばれるエネルギーを操作して、大気中のマナに干渉することで様々な現象を起こす。それが魔術と呼ばれる技術である。
魔術は一時的にマナを変質させる技術であり、それほど長く効果を及ぼすことはない。一部の魔術は地形や環境を変質させることで戦局をコントロールすることができるが、それを目的とした魔術は直接的な攻撃に向かないのが一般的だ。
しかし、一部の強力な魔術はその威力故に周囲の環境を大きく変えてしまうものがある。そういった魔術は地域に及ぼす影響が大きいため、国家間協定によって禁止魔術に指定されている事が多い。
旅に出る前に王城で教えられた内容を思い出しながら、ゴブリンが消滅した辺りに近づく。
地面は赤熱しており、触ると火傷するほどに熱い。よく見るとゴブリン達が出現した場所から先の地面が、かなりの範囲で同じような状態になっている。
街道脇に魔物を殺せる程の地形効果を仕込んで大丈夫かと不安になりながらも赤熱した地面を見ていると、何かが落ちているのを見つけた。
「これは、宝石でしょうか」
赤く輝く物体は、表面に白い文字のような模様が刻まれていた。熱さを我慢しながら進み、宝石を拾い上げる。
「おお、運が良いな。これはルーンだ」
「ルーン……確か、マナが凝縮されて生成される力の結晶……でしたっけ?」
「よくご存知でしたね。結晶化したマナに、力を司る文字が浮かび上がったものがルーンです。神々からのの贈り物とも呼ばれていますね。見せてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
「……これはかなり上質なルーンですね。ちょっと待って下さい」
俊彦から受け取ったルーンを手にアイシャがなにか呪文のようなものをつぶやくと、呪文に反応したルーンがその輝きを増した。
「マナによるルーン強化ができるのか?」
「はい。あまり得意ではありませんが、多少の強化であれば」
「ふむ。ならばルーンの刻印もできるのではないか? 可能ならばトシにルーンを与えてやりたいのだが」
「そのつもりです。見たところトシヒコ様はルーンの加護をお持ちではないようですし、これほど上質なルーンであれば勇者に付与する価値もあるかと。トシヒコ様、こちらに来て少し目を閉じていてもらってもいいですか?」
言われて、アイシャの前に立つ。
何をされるかわからず不安になったが、言うことを聞かないといけない気がしてギュッと目を閉じる。目を閉じて待っていると、胸に硬い物が押し付けられた。
「怖がらなくても大丈夫ですよ。力を抜いてくださいね。初めてだと思うので、ゆっくりしますから」
優しく告げるアイシャの声に不思議と身体の力が抜けた。胸に押し付けられている硬い物――ルーンから、身体に力が流れ込んでくるのを感じる。
ルーンから流れ込んだ力は身体を巡り、やがて俊彦と一つになった。
「終わりました。目を開けてもらっても大丈夫ですよ」
目を開き、身体を動かしてみる。心なしか、身体に力がみなぎっているように感じた。
「身体が軽い気がします。あと、少し涼しくなりました?」
「ルーンの効果ですね。トシヒコ様に刻印したルーンには力と工芸の神ガデアの加護が付与されていましたので、火や熱に対する耐性が得られたのだと思います」
ルーンには神々の力が宿る。加護によって効果は様々であり、火に強くなるものや、寒さに強くなるもの、毒を中和するものなどもあるようだ。俊彦に刻印されたルーンは火や熱に強くなる加護がついていた。
試しにアイシャの魔術によって赤熱したままの地面を触ってみる。普通に考えると火傷しそうな程の熱を持っているはずだが、少し熱いと感じるだけで火傷するほどの熱は感じられなかった。
「凄いですね! この力があれば、過酷な環境でも旅ができそうですよ! 二人にもこの力を使いましょうよ!」
「残念ながらルーンは刻印された者の身体に同化するので、一つのルーンを複数の者に刻印することはできないのですよ。それに、一人の人間に刻印できるルーンの数にも制限があります」
「神々の加護は強力だからな。一人に刻印できる数は三つが限界といったところだ」
「え……それじゃ、オレはあと二つしか刻印できないんですか? それならもっと慎重に選べば良かったかな……」
「刻印したルーンは適切な処置をすれば結晶として取り出すことができますので、気にすることはありませんよ。上質なルーンを手に入れたら、入れ替えをすればいいのです」
「状況に応じてルーンを付け替えるのは、旅をする者の基本だな。ルーンの選択次第では旅も、戦いの難易度も大きく変わる」
戦いによって様々な加護をもたらせるルーンを手に入れ、環境や戦う敵の特性に合わせてルーンを刻印する。
「……まるで、ゲームみたいだ」
「ん? 何か言ったか? 」
「いえ、なんでもないです。それよりも、これからどうしますか? 先程空から落ちてきた光はここだけじゃないでしょうし、アレが全て魔物を発生させているなら、危険な気がしますが……」
空が割れて落ちてきた光。光の中から生まれた魔物。
空は何事もなかったように元に戻っているが、光はかなりの範囲に渡って飛散していた。放っておけば国中が魔物だらけになりそうだ。
「おそらく、王都でも魔物の発生は確認できているだろう。今頃、金獅子騎士団が対処のために動いているはずだ」
「規模は大きかったですが、生成された魔物の力はそれほど強いものではありませんでしたし、私たちは道中の魔物を駆逐しながら当初の目的地であるザマ砦に向かいましょう」
そう言って、アイシャは先導するように歩き出した。そして自身の魔術によって発生した赤熱した地面に足を踏み入れ、一瞬身体をびくつかせてから戻ってきた。
「う、迂回しましょう」
ローブの裾が若干燃えているような気がするが、大丈夫だろうか。歩き方もなにかおかしい気がする。
「あとで弥生に地形を戻してもらわねばならんな……ひとまず、西に迂回しつつザマ砦を目指そう」
「そ、そうですね。で、でも魔物の排除には役立つはずなので、結果としては悪くないと思います!」
遠く響く魔物の鳴き声を警戒しつつ、三人は赤熱した地面を避けるように街道を外れて歩を進めるのであった。