試練の先に待つもの
女性は事態が把握できていないのか、驚いたように目を見開いていた。
俊彦はパニックになりながらも、事態をどうにかしようと女性に近づき――
「こ、これには深いわけが……」
――パァァン
乾いた音が浴場に木霊した。
「命がけで魔族を撃退したと聞いて、少しは報われたと思っていたのに……こんな人のために、姉さんは……あなたが死ねばよかったのに!!」
頬を打たれ、呆然としている俊彦を射抜くように睨み、女性は走り去っていった。
打たれた頬が熱い。このような状況で出会ってしまった以上、罵られるのは仕方ないと思えたが、予想以上に女性の言葉が重くのしかかっていた。
自分はここで生きていてはいけないような、そんな想いが心を占領していく。
「あちゃー、やっちゃったねトシヒコ」
湯に浸かりながら見ていたのであろうカリーナが、すいーと泳ぐように近づいてきて、湯船のヘリにちょこんと顔を乗せる。
「まあ、男の子だし、こういうのに興味出る年頃だよね~」
「いや、オレは……」
「じょーだんよ、じょーだん。アクセルに乗せられたってとこでしょ? ほんと、いい年してのぞきなんて、いつまで経っても子供なんだから」
顔を上げ、困ったように笑う。湯気でよくは見えないが、目のやり場に困る状況だった。
「その、オレ行きますね」
「ん、それはやめた方がいいんじゃない? いま出てくと死ぬよ?」
死ぬなんて大げさな。と思ったが、アルバートと共にいた場所では依然として爆音が鳴り響いている。爆発音の合間に、遠くから長く尾を引くような男の悲鳴が聞こえてきて、俊彦は身震いした。
「寒いなら一緒に入るー?」
「え、遠慮しときます……」
いたずらっぽい笑みをこぼしながら、カリーナが手招きする。冗談なのか本気なのかよくわからないが、女性と一緒に風呂につかることなどできるはずもなかった。
恥ずかしさを紛らわすように、カリーナに背を向ける。
「初心だね~。ま、ほとぼりが覚めるまではここに居なよ。ここは王族専用の区画で、勇者の子達は入ってこないから」
そういえば、先程からカリーナ以外の気配がない。彼女の言葉を信じるならば、ここには王族以外はいないということになる。であれば、先程の女性は王族なのだろうか。
恨むような目で俊彦を睨んで去っていった女性。彼女のことを思い出すと心がずしりと重くなった。
「……先程の女性も王族なのですか?」
「ええ、そうよ。私の姪っ子のアレクシア。可愛かったでしょ?」
可愛い……たしかに、綺麗な人だと思う。でも、それよりも、彼女は……
「怒っていました」
「そりゃあね、王族だって言っても年頃の娘だから。お風呂にいきなり男が入ってきたら怒るよね」
「……そういうのとは、違う気がします」
倫理観や恥じらいによる怒りとは違った。どこか、俊彦のことを恨むような、そんな怒りだった。
「タイミングがね、悪かったわね」
「……なにか、あったんですか?」
ちゃぽん、という水をすくうような音が聞こえた。一拍の間を置いて、カリーナは俊彦に告げる。
「アステアが死んだわ」
「……!!」
心臓が締め付けられるような気がした。
アステア……アステア・ラングリーズ。ラングリーズ王国第一王女。そして、数々の勇者をこの世界、レーベンガルズへと召喚した巫女。
会ったことはない。顔も知らない、声を聞いたこともない女性の死を告げられただけだ。しかし、その女性の死には自分が大きく関与している。
「貴方は、悪くないのよ。タイミングが悪かっただけ」
俊彦を召喚した時に大きな事故が発生した。事故によって俊彦は数日間眠っていただけであったが、召喚の巫女であるアステアは眠りから覚めることなく、この世を去ったという。
自分が眠っている間に、そんなことが起きていたなんて知らなかった。そして、そんな時にこんなふざけたことをしている自分が嫌になった。
「ま、二週間も前のことだし、そろそろ皆にも立ち直ってもらわないといけないからね。だから貴方も気にしないようにしなさい」
「二週間!? オレ、そんなに眠ってたんですか?」
「うん。アステアが死んだのは、魔族が襲撃してきた日。貴方はその日から眠りこけてたわ」
そんなに眠っていたなんて思わなかった。昼寝をして目を覚ましたくらいの感覚だ。
二週間も眠っていたら身体が弱っていそうな気もするが、むしろ以前よりも調子が良いくらいに思える。
「顕現した神器と身体が馴染むための眠りだと、ヤヨイが診断してたわ。アクセルやカナミは心配して日に何度も貴方の様子を見に行ってたみたいだけどね」
「伽奈美ちゃんは無事だったんですね」
「ええ。貴方のお陰でね。今日の湯浴みもカナミの治療を兼ねてだし、そろそろ戦線に復帰できるくらいには回復してるんじゃないかしら」
眠っている間に見た夢のこともあり、伽奈美の無事を聞いて少しだけ安堵した。
「さて、と。そろそろのぼせてきちゃったし、私は先に上がるわね。少ししたら迎えを寄越すから、それまではここでゆっくりしてなさい。あ、美女が入った後のお湯を堪能してもいいわよ~。それじゃね~」
そう言ってカリーナは浴場から消えた。
気がつけば、遠くから聞こえる悲鳴も、爆音も鳴り止んでおり、辺りは静寂に包まれていた。流石に風呂に浸かる気にはなれなかったが、不思議と不安もなく、カリーナの言う通りにゆっくりと迎えを待つことができた。
程なくして、手に鎖を巻き付けた男性が浴場に現れ俊彦は無事、部屋へと戻ったのであった。