第2話 暮しゅうしています。 (3) オバマの天宙塾 ②
『NS60/EW30』
薄暗いpaiの操縦席。芒と薄白く光る画面に、英数字の列が打ち込まれていく。
「あ…えっと、Nは北でEは東だから、まず上から下に行って、で、東が右で右がお箸持つ方で…!!」
わたわたと焦るハルカの前で、画面に表示されたタイムゲージがアッという間に減っていく。
『ブー。時間切レデス。アナタハシニマシタ。デハ第29問。』
薄情な機械音声が終了を告げ、間を置かずまた開始を告げた。
『NS120/WE45』
非常に打ち出されていく英数字。
「ここだ!!」
ハルカは直感に従い操縦棹を押し込む。
『ブー。全然チガイマス。アタシバカヨネー、オバカサンヨネー。デハ第30問。』
抑揚のない機械音声に微妙に煽られ、ハルカはギリリと奥歯を鳴らす。
『B72/W58/H82』
画面に並ぶ見覚えのあるスリーサイズ。ハルカが画面を殴るガンッ!という音が狭い操縦席の中に響き、1号機の白い機体がゆらりと揺れた。
「30問終了です。アキノさん、ハルカさん、お疲れ様でした。」
純白の1号機と青の2号機。向かい合うように立つ2機のpaiの足元から、爽やかな美声が労いの声を掛ける。声の主は教授・リー、この氷の惑星・ペンタゴン星の隣星、オクタゴン星出身の人間大のタコである。
紫色の全裸の肌を白衣に包んだ変態ルックの彼に並んで、同じく痩身、長身の男性。ダンディーなイソジニール少佐が、目を細めて斜め上を見上げる。その視線の先は角度から考えて、1号機の頭頂部の搭乗口から鉄梯子を降りてくるハルカ。その、制服のスカートの中であるとみて間違いない。
「すいません…。」
とぼとぼと歩いてきたハルカが、変態二人の前で頭を下げる。遠目にはなんとも犯罪チックな絵面ではあるが。無論これは、なんらかの性犯罪の行われている現場ではない。伏し目がちにハルカは二人の間に立つ冗談めいた電光掲示板。カラオケの採点マシンめいた機械にデカデカと表示された、『正答率;3/30問』の文字を見て、気まずそうにまた目を逸らす。
「これでは…宇宙ごと全滅ですかなあ。」
銀髪のイソジニール少佐が渋い顔をして見せる。このとぼけた少佐は少佐で先ほどハルカのパンツを楽しそうに下から眺めていたのであるが、ハルカには返す言葉もない。
「…次はもう少し頑張りましょう。ハルカさん。」
タコが紳士的に励ましと慰めの言葉を掛ける。その声は無駄に美声である。元気なく項垂れるハルカ、その前に、カツカツと革靴の足音を立てて同じく制服姿の黒髪美少女。青の2号機から降りてきた眼鏡のアキノが近づいてきた。
ハルカは「あ…。」と何かを言いかけ、躊躇うようにまた目を伏せる。そんな同輩の目の前を、アキノは一瞥もくれずに通り過ぎていく。
「ではお昼の休憩後、ハルカさんは補習プログラムとなりますので。学習室に来てくださいね。」
初老のイソジニール少佐が若干サディステックな微笑みを浮かべながらハルカに伝える。ハルカは「はい…。」と返事をしつつ、電光掲示板に表示されている『正答率;30/30問』というアキノの得点を、恨めしげな目で見つめていた。
空間座標指数。自分の立っている場所を0点として、上下左右を東西南北に振り分け。それぞれの間を180°に割った数字を用いて0点から見た位置を示す空間認識学の基礎中の基礎である。
宇宙時代。ハルカたちの乗るpaiのような人型ロボットこそまだ珍しいものの、オバマのような宇宙戦艦や航宙機、小型の宇宙作業ポッドのようなものまで一般的に実用化されている「現代」において、それは中学生の数学程度の学問であるものの。この時代にあっても人類はまだ、基本的に平面180°の地の上で2本の足で立って生活しており。数学としての難度はさほど高いものではないにも関わらず、そもそもの「自分のまわりの空間を360°の球体として捉える」という部分の敷居が高く、初歩の初歩で拒否反応を示し、挫折してしまう者も少なくはない。
オホーツク軍指導部教官を勤めた事もあったという、イソジニール少佐の「わかりやすい」講義を既に予定よりかなりの時間を超過して履修しているにも関わらず。ハルカの理解度がさっぱりであるのはそういった、本来陸の生き物である人間の生来持っている空間認識。平面180°の世界の捉え方をまだ、彼女が捨てきれていないからなのだろう。自分が生来持って今まで生きてきた物の見方を綺麗に捨て去り、まったく新しい物を受け入れること。それは言うほど容易ではない。決してハルカの頭が特別に悪い訳ではないのだ。
ハルカたちの乗機であるpaiは、その卵型の丸みのあるフォルムの示す通り。周囲360°、すべての方向から襲ってくる敵機を迎撃する事を念頭において作られた空間戦闘特化型のロボット兵器。
本来ならば十分な飛行訓練、空中機動訓練を経て初めて宇宙に出る段取であるのだが、相次ぐ想定外のトラブルとツバサの「並ぶならヤメロ!」もとい、「習うより慣れろ」という方針。それに従い、搭乗者であるハルカが基礎中の基礎である空間認識学すら理解していないまま、今の今まで運用されてきていた。それが出来たのはひとえに、paiに搭載された人工知能によるナビゲーションシステム。その操縦補助に頼るところが大きい。
「…のですが何せ…ハルカさんの1号機は、載ってるAIが『アレ』ですので。その…今一つ信頼に値しないと言うか…。」
紳士的なタコの教授・リーは申し訳なさそうにハルカに告げる。ハルカは4発のハルカパンチでヒビだらけになった画面の中、ヘラヘラ嬉しそうに笑っている黒いひよこを思い浮かべ、彼の言わんとしている意味を察する。
「これからの戦闘では本格的に宇宙空間での運用がメインとなっていきます。一瞬の判断が生死を分ける事もある。AIだけに頼らず、搭乗者であるハルカさんが空間の捉え方を認識し、直感的な判断を行動に移せるようになること。それはどちらにせよ、必須であると言えるでしょう。慣れない内は難しいかもしれませんが、頑張ってください…ってのはわかってるんだけどさあ……。」
頭の中でタコの美声を反芻しつつ、ハルカは台詞を引き継ぐ形でうんざりとした声を上げる。学校の教室を模したふざけたデザインの「学習室」。二つ並んだ木机に制服姿の女子高生二人が並ぶ光景は、とても宇宙戦艦の内部には見えない。
「…何か。」
ハルカの隣に座るアキノが、読んでいる本から視線を動かさずに尋ねる。
「なんでもないです…。」
相変わらず素っ気ないアキノの対応に、ハルカは敬語で応えるしかない。仕方なく、ハルカはイソジニール少佐から与えられた分厚い「問題集」のページを開く。
「…えっと…Nが北…上だよね?で、NからS、下に向かって60°進むからNS60で、そこからWE?あー、Wはウェストで、ウェストは58…じゃなくてウェストは西だから左!WEだから左から右に向かって58…じゃなくてWE35!35°進むから…あれ?最初どこに動かしたんだっけ…?」
ブツブツと呟きつつ、存外と真面目に「問題集」に取り組むハルカ。彼女が今までの人生で培ってきた「常識」、地面は平らで世界は180°までだという認識と、黒ひよこによるいつものセクハラを多分に含んだ妨害行為、それらが彼女の思考を妨害し、頭の中があっという間にごちゃ混ぜになる。ハルカは手元のノートに十字を描き、60°、35°とノート自体をくるくる回し、あれ?あれ?と首を捻るが。悲しいかなノートの紙面は二次元の世界、そこにいくら図示したところで三次元空間を認識する手掛かりにはならない。平面の上で生活し、平面で物事を考える人生を送ってきた人間にとって。立体的に空間を捉えるというのは、ここまでの労を要する物なのである。決してハルカの頭が特別に悪いのではない。
「あーもう!!全ッ然わかんないよー!!」
「問題集」を投げ出し、頭を抱えて悲鳴を上げるハルカ。助けを求める眼差しをチラリと隣に座るアキノに向けるが。アキノは素知らぬ顔で本を読んでいるだけである。
「…委員長はなんでいるの…?」
遠慮がちにハルカは尋ねる。
「私はあなたの『勉強』を見てあげるよう、少佐に頼まれた。あと、あなたともう少し仲良くするよう言われた。」
白く眼鏡を光らせて答えるアキノ。ハルカの方を向く素振りすら見せないその態度からは、「ハルカの『勉強』を見る」様子も、「ハルカともう少し仲良くする」様子も微塵にも感じられない。
「…いいよね、委員長は。運動も勉強もなんでもできるし、ロボットだって乗れるし、偉い人達とも普通にお話できるし。おまけに美人でおっぱいも大きいし!あーあ、羨ましいなあ!!」
さすがに少々カチンときたのか、ハルカは珍しくムッとした様子で悪態を吐く。アキノが無言で読んでいた本をパタンと閉じる音が「学習室」の中に響き、その風圧で豊かな胸元が一度、たわんと揺れる。必要以上に高く硬質な音に驚いたハルカは思わずアキノの側を向き、当のアキノと真っ向から目が合ってしまってギョッと固まる。
「…私の実家はAKINO重工っていう会社で。宇宙空間作業用の重機を作ってる大手メーカーなの。」
蔑むような冷たいアキノの視線がハルカを突き刺す。
「私やあなたの乗るあのpaiを造っているのもそう。私はOMNKOに来る前からあのpaiのことを知っていた。知っていたどころか、あの青い2号機がこの戦艦に載せられる前にテストパイロットとして動作試験を行っていたのが私なの。操縦が出来るのは別に私がすごい訳でもあなたより優れているわけでもない、当たり前の事だわ。」
淡々と事実のみを告げるアキノ。論理的に反証を突き付けられたハルカは勢いでアキノを悪し様に言ってしまった後ろめたさもあり、グッと言い返す言葉に詰まってしまう。
「…小さな頃から私の身の回りにはその手の乗り物が当たり前のようにあったし、ずっとオモチャのかわりにして育ったから。操縦の仕方も今あなたが『勉強』している空間座標指数も、いつの間にか自然と身に付いていた。私にとっては食事の仕方や服の着替え方と同じ。出来るのが自然で、出来て当たり前の事なの。だから私には何故あなたがその『問題集』を解けないのか?いったい何がわからないのか。それすらまったくわからないわ。あなたを見ていると何故出来ないのか、不思議で不思議で仕方ないの。ごめんなさい。」
『ごめんなさい』と謝ってはいるが。アキノの態度は慇懃無礼、とてもではないが言葉のままに、申し訳なく思っているようには受け取れない。
「そんな言い方ッ!?」
馬鹿にされたように感じたハルカはガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。対するアキノも同じように立ち上がった。無音の「学習室」に睨み合う美少女ふたり。間抜けな内装とは不釣り合いな、修羅場の空気が室内を覆う。
先に眼を背けたのはアキノの方であった。眼鏡のアキノはハルカに背を向けると、何も言わずに扉の方へ出ていってしまう。しかも巨乳である。
「(怒らせちゃった…?)」
ハルカはどうしていいかわからず、アキノの美しい黒髪が流れる背中を見ている。『問題集』の解けない悔しさ、うまくいかない悔しさに苛立ち、それを当たり前に出来ているアキノに八つ当たりでぶつけてしまった。アキノの家庭の事情はなんとなく聞いてはいたが、今までアキノ本人の口から聴いたことは一度もなかった。ハルカにはよくわからないが。今の彼女の態度から察するにきっと、なにか複雑な事情のあること。アキノにとって、あまり人に語りたくない話であったのだろう。アキノとの付き合いはそれほど長くも深くもないが、そのくらいの事は今のアキノを見ていればわかる。
自分の思慮に欠ける言動が、アキノに話たくないことを話させてしまったという後悔が、ハルカの中には拡がっている。一方で。それでも心のどこかでは、「もうちょっと言い方ってものがあるんじゃない!?」という、アキノの態度に対する不満…というよりは。出会ってから今の今まで、どこか人を見下しているような。ハルカの事を軽んじているようなアキノの態度に対する積もり積もった憤懣が、いよいよこの場において留めきれなくなっており。「今のは自分が悪かったんだ!」という思いと、「いや、悪いのは委員長だ!」という想い、相反する二つの感情が、ハルカを身動きできないままそこに立たせている。
「…何を固まっているの。早く着いてきて。」
意外にも。この沈黙を破って声をかけたのもアキノの方からであった。ハルカの心情・思惑を気づいているのかいないのか。彼女は変わらず淡々とした様子であり、しかも巨乳である。
ハルカは想定していなかった展開にただ、「あ…。」とか「う…。」とか言うことしか出来ず。それ以上怒りをぶつける事も謝罪の言葉を伝える事もないまま、間の抜けた顔でアキノに着いて歩いていった。




