序章 忘られぬ青春の日々 (1) 外宇宙探査艦プレジデント・オバマ
19世紀の産業革命、20世紀のIT革命以降、停滞していた人類の科学が迎えた21世紀、人類史第三の技術大革新。
月の裏側から発見された謎の円環状遺物。無限ともいえるエネルギーを産み出すそれは。永遠に続く円周率の数字になぞられ、『π(パイ)』と名付けられた。
従来のエネルギー源の常識を超えた『π』の発見により、地球人類の科学技術は飛躍的に進化。こと、航宙技術の分野においては爆発的な進歩を遂げ、不可能とされていた太陽系外宇宙への航行をも遂に達成。
20世紀末より芳しい成果の出せないまま、永らく打ち捨てられていた各国の宇宙開発競争が再燃。人類史上初の本格的な宇宙開拓時代の幕開けと相成ったのであった。
やがて時は流れ、宇宙時代。異星文化との接触。新たに生まれた宇宙利権を巡る地球人類同士の宇宙戦争。幾度かの多大なる困難を乗り越え、地球人類は数百光年遥か彼方。
大いなる天宙の世界へと、現在、確実に新たなフロンティアを拡大しつつある。
「…というのが。現在までの、大まかな宇宙開発史の流れであります。本日、ご参加頂いている皆さんはもう、既にご存知のこととは思いますが。」
いかにも品の良い初老の紳士が、銀の口髭を歪ませて微笑む。ニコニコニコと優しげな笑顔、その実。線のように細くなったその目の奥の眼光は鋭く、「…当然皆さんは、そのくらいは把握した上でご参加頂いているのですよね?」とその視線は語りかけている。
「本日、ご参加頂いている皆さん」をぐるりと見回していたその灰色の瞳が、先程からふんふんふんと鼻息荒く、真っ正面、ベストポジションにおいて興奮の面持ちで熱心に彼の話に聞き入っている1人の少女の姿を捉える。
確実に「そのくらい」も把握せずに参加し、初めて聴いた話のようにらんらんと目を輝かせている彼女を見て。本日の「見学会」の案内を任されている初老の紳士、国際太陽系外宇宙探査開発機構・通称OMNKOの監査役。オホーツク国軍少佐であるところのイソジニール・ゴジューカッタ・ヤマガタ氏は、「本日ご参加頂いている皆さんのレベル」を察し、小さな溜め息をつくのであった。
「当艦、外宇宙探査艦プレジデント・オバマは大宇宙開発時代の黎明期に建造された最初期の『π』動力艦であり、太陽系外宇宙への往復を初めて成功させた記念すべき艦であります。老朽化に伴い、第一線を退き。現在は練習艦として使用されております。本日お集まりの皆さんが当、国際外宇宙開発機構、OMNKOの採用試験に合格されたあかつきには、この船で研修を受けて頂くことになります。」
イソジニール少佐の冷然とした眼差しが、選別するかのように再び「本日お集まりの皆さん」を見渡す。そう、「採用試験」は既に始まっているのだ。無言の重圧が場を包む中、お構い無しに興味津々、身を乗り出している少女は嫌でも目につく。イソジニール少佐は「見学会」スケジュールの円滑な進行のため、意識的に彼女の存在は出来るだけ無視する方向で進めることを決意した。
「…では、さっそく。皆さんには当艦の内部をこれから見学していただきますが。何かここまでの説明にご質問のある方は…。」
「ハイッ!!」
言い終わらない内に案の定、元気一閃手を挙げた目の前の少女を見て、イソジニール少佐は予想の範疇とはいえ思わずウンザリとした顔になるのを禁じ得ない。
しかし。だからと言ってこの状況、「ご質問のある方は」と問い掛けてしまった手前、最前列でピンと背筋を伸ばしムダに良い姿勢で挙手している彼女を無視するわけにもいかない。イソジ少佐は「(やれやれ)」と内心思いつつ、笑顔で「どうぞ。」と声をかける。
灰色の目に映るのは、誇らしげに胸を張っている少女の薄いバスト。制服のブラウスを申し訳程度に盛り上げている僅かな膨らみを見て。もし、自分に娘がいたら、このくらいの齢だろうか。ダンディな外見に反し五十路後半を独身に生きるイソジニール少佐は、何故か急にそんなことを思い浮かべた。
「無重力状態って、本当に体浮くんですかッ!?」
イソジニール少佐の感傷は一瞬で吹き飛ばされた。
「では、艦内の見学へ向かいます。」
少女の質問を無視し、背中を向けるイソジ少佐。「本日お集まりの皆さん」がその背に続き、艦内の通路へ歩を進める。
憮然とした表情で一同を見送っていた少女は、納得いかないという表情ながらもその列へ続く。
「(…あれ?あの人…?)」
列の最後尾についた薄い胸の元気な美少女。遥日奏歌はその列の中に、彼女と同じ学校の制服を身につけた少女、その見覚えのある後ろ姿を認め、首を傾げた。
闇の宇宙。
夜の野生動物のように眼が光る。
1匹。2匹。3匹。生物とも機械とも、人とも魔ともつかぬ「それら」は、眼下に青き地球を見下ろす。与えられた攻撃目標。甲虫のようにギチギチと牙を動かす音が、無音の宇宙に吼々と響く。
「それら」の背中に開いた翅。黒く艶々と輝く殻が、パタンパタンと閉じてゆく。虻ッと尻に火が灯り、闇の中に静止していた「それら」が一定の方向。「真下」へ向けて、急加速する。
「(早すぎる。よりにもよって、こんな日に…!)」
外宇宙探査艦プレジデント・オバマ、そのコントロール・ブリッジ。慌ただしく着座した金髪の女性が忌々しげにその美しい顔を歪める。制帽の庇を下ろす仕草は、周囲に己が感情、その僅かに心を揺らす動揺を読ませまいという心情からか。シートに預けた身体の中央で、豊かな双丘が大きく揺れる。
「3号機!」
サイドのモニター向け、女性が声を掛ける。
「オゥ艦長。こっちはいつでも出撃れるぜ!」
フランクな、荒々しい音声がモニターの向こうから応える。
「敵影は3!当艦は移動けないので、なるべく上空で迎え討ってください!タツミさん、お願いしますね!」
対する女性の声音からは、対象的に物腰のやわらかさと。そして、若干の緊張が感じ取れる。
「艦員は総員戦闘配置!見学者…民間人の安全確保を第一優先!地上戦の可能性もあります、4号機も出撃に備えてください!」
金髪の美女は正面、全艦放送モニターへ向け大きく掌を広げ、艦員への指令を下した。
ビコーン、ビコーンと警報が鳴る。
「総員、戦闘配置!諸君、これは訓練ではない。総員、戦闘配置!繰り返す、諸君、これは訓練ではない!」
バタバタと慌ただしい第1格納庫の空気。それに耳障りな艦内放送が重なり、嫌が応にも現在が非常事態であることを意識させられる。
「地上戦の可能性もあります…、ってか。」
移動台座に搭載せられ運ばれていく機体のコックピット。くつろいだ様子でどっかりとシートに身を預けた女性の顔が、笑みに歪む。
「この私が抜かれるとでも思ってんのかねえ?あの艦長サンはよ。面白れェ。」
よく日に焼けた褐色の肌。筋肉でゴツゴツと膨れた上腕。それほど大きくないはずの体格が、その落ち着いた態度と重なりひと回りほど大柄に見える錯覚を与える。
「総員!戦闘配置!諸君、これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない!」
艦内放送がけたたましく続いている。
ゴウン、ゴウンと重い機械音。球状の機体は発射台への坂道を昇る。
「タツミさん。今回の出撃は水平発進ではなく、63度昇角での射出になります。会敵は約12秒後を予想。射出後の警戒を怠らないでください!」
ビコビコッ、と手元に小画面が開き、「艦長」の警告を伝える。
「了解!」
褐色の女性パイロット。「タツミ」が口角を吊り上げる。
「諸君!これは訓練ではない。繰り返す!これは、訓練ではない!」
ビコーン、ビコーン。艦内放送がけたたましく鳴る。
坂道の登頂。
夏の眩しい陽射しが煌めく。
「タツミ」は正面のモニターに映る太陽に少し目を細める。そうか、夏か。海、行きてーな。唐突に彼女はそう考える。
モニターの中央。太陽に重なるように、円形の計測器が映び上がり、その数値を上げていく。ピピピピピピピと鳴る電子音が、次第にその音程を上げていく。
30%…56%…72%…。次第に充たされていく円グラフとシンクロするかのように、「タツミ」の心音も高鳴りを始める。
「諸君!これは訓練ではない。繰り返す!これは訓練ではない!繰り返す!訓練じゃないぞ!」
「さっきからうるせえぞ!?『お前』、それ言ってみたいだけだろ!?」
ビコーン、ビコーンと警報を鳴らす艦内放送の主へ、「タツミ」は思わずツッコミを入れる。…ったく、台無しだっつうの。モニターの前、「タツミ」はアチャーと頭を抱える。
「うるせえとはナンダッ!この豚野郎。傷ついたぞ!己様はテメーの上司だ。口の利き方に気をつけろ。あと、いいか諸君。これは訓練ではない。繰り返すが、これは訓練ではない、訓練ではないんだぞ。わかったか諸君。これは訓練ではないんだってばよ。繰り返す!」
「うるせえ!!」
「タツミ」は思わず全力で叫ぶ。
97%…98%…。「タツミ」がしつこい艦内放送に気を取られている間にもモニターの円グラフ、その数値は上がり続ける。ピピピピピピピピと鳴る電子音の、その拍動が速さを増し、遂には最高潮を迎える。
「諸君、これは訓練ではない!繰り返す、諸君、これは訓練ではない!」
この期に及んでなおしつこい艦内放送がそれに重なる。
99…100%!グラフが充たされた瞬間。切り裂くように/があらわれ、真円に重なる。
<SYSTEM ALL GREEN.>
<"π/s'RIDER" No.3 ACCEPTED.>
ビコビコッ。ビコビコッ。画面に打ち出される英文。
「タツミ」の大きく隆起した胸、その谷間に襷懸けられたシート・ベルトが敏と張る。
「3号機、出撃るぜ!パイスライドォ!!」
「タツミ」は両掌に握った操縦棹を、全開で前方へ押し込んだ。