第1話 出立の日 (2) 深夜の独唱 ③
「あ…!やっぱり!もう…ハルカさん!こんな時間に一体、何をやっているんですか!?」
ようやくのことで戦橋側面の梯子を降り、ツバサを背負ったまま何度も折れ曲がる螺旋状の鉄階段を歩いてきたハルカは。重い鉄扉を開けるとそのまま、なんとか戻ってきた居住エリアの廊下にガックリと崩れ落ち、ガクガク震える腕でどうにか疲れきった身体を支えていたが。その姿を目ざとく見つけた「艦長」の声が、廊下の向こうから足早に向かってくる。ちなみにハルカの背中から降りたツバサは、「ンー!」と向こうを向いて気持ち良さそうに背伸びをしている。
「戦橋外部の人感センサーに反応があったから。一応確認に来たんですよ?屋上で一体、何をやって…?」
必要以上にセクシーなネグリジェ姿のシホは寝起きで不機嫌なのか、プリプリと怒り、プリプリと胸を揺らしながら近づいてくるが。うずくまるハルカの隣で背伸びをしているツバサの姿を目に止め、「あっ…?艦ちょ…?」と何かを言いかける。
「おねえちゃぁあん!!」
シホの言葉を遮り。突如、ワーと泣き出したツバサが大きく開いたネグリジェの胸の谷間に飛び込む。「えっ…ええ!?」と困惑するシホにお構い無く、ツバサは「おねえちゃぁん!こわかったよぉお!!」とわざとらしく泣き叫び続ける。
「おぉ!!艦長どのの妹さんでありましたか!!」
その様子にハルカは、シャッキと立ち上がって敬礼を決めた。
「えっ…えぇ!?」
シホは既に、否定したいことが山ほどありすぎてツッコミが追いつかない。おまけにツバサはさりげなくさっきからシホの胸を揉んでいる。深夜に警報で叩き起こされてこの意味のわからない扱い。このシホ、なかなかに不憫な存在である。
「…もぅ!」
諦めたシホは溜め息を吐く。
「とにかく、もう遅いんですから。ハルカさんは早く部屋に戻って寝てください。明日は7時起床の8時半に朝礼開始ですからね!」
ね!と眉に皺を寄せ、シホが叱るようにハルカに告げた。
「了解であります!艦長どの!」
ビッシと真顔で敬礼を返すハルカ。シホは難しい顔で「(うーん…。)」と頭を抱えている。
「おねぇちゃん!ありがとー!またねー!!」
シホの胸に挟まったツバサが、ばいばい!と元気よく手を振る。
「うん!ツバサちゃん、またね!」
大きく手を振り返すハルカ。部屋へと帰るその脚がもつれ、壁にゴーンと頭をぶつけた。思いの外、身体への疲労が積もっている様子である。
「…正月の方は、ま、合格ってトコか。」
よれよれとよろけながら歩いていくハルカの背中を見送り、ツバサは意味ありげな言葉を呟く。
「なんですか、それは。」
やれやれと呆れたように、屈んでツバサと目線を合わせたシホが困った顔で言う。
「…新人で遊ぶのやめてくださいよ、艦長。またそんな、悩ましげな格好して…!」
咎めるような厳しい視線で、シホはツバサの体操服を眺めた。
「スゲーだろこれ?日本で買ったんだ。ブルマーに見えるだろ?実はスクール水着なんだぜ!しかも旧型!」
ツバサは誇らしげに体操服の裾を捲ってみせる。体操服の下からスクール水着。同じように「つばさ」と大きく書かれたゼッケンが、胸に縫い付けられているのがチラリと覗く。真っ赤になったシホが慌てて目を背ける。
「…だいたい、なんで私がお姉ちゃんなんですか。艦長の方がずっと歳上なんですよ?」
そこだけはどうにも、納得のいかないといったシホの問い。
「『ママー!』って呼ばれなかっただけ、ありがたく思え。」
答えつつ。そっぽを向いたツバサはシホに見えない角度でニヤーと笑う。
「なっ!?」
言葉を失うシホを尻目に。ザッハッハッハッハ!と笑い飛ばし、ツバサはさっさと自室に帰っていく。その肩はアメリカ人のようにすぼめられている。
「明日は7時起床の8時半に朝礼開始ですからね!ちゃんと起きてくださいよ!?」
もうっ!と頬を膨らませながら。シホはツバサの背中に、先ほどハルカに言ったのと同じ言葉を投げ掛ける。
「了~解!」
ツバサは背を向けたまま。右手を垂直に曲げて返事をした。
「(さすがに覚えちゃいねえ…、か。)」
独り歩むオバマの廊下。ツバサは少しだけ寂しげに、自嘲気味な笑みを漏らすのだった。
翌朝。
昨晩起きたあれやこれやの疲れですっかり寝過ごしたハルカは、寝癖の立ったままの頭で食堂に駆け込んできた。時刻は8時29分。食堂には既にアキノやシホ、イソジニール少佐。機関部のペンギンたち、ゴリラ、タコの教授に至るまで。オバマの乗員が勢揃いして出迎えている。
「走らなくても大丈夫ですよ、ハルカさん。まだ遅刻じゃありませんから。」
懐から銀時計を取り出し、ハッハッハッハッハといかにも楽しげに笑うイソジニール少佐。
「…もっとも。ハルカさん以外の我々は15分ほどまえからここに集まっていますがね?」
少佐の銀の瞳が冷たく光る。
「すいません…。」
ハルカはしょんぼりと肩を落とし、とぼとぼとと皆の列に加わった。
「…おぃース…。」
追うようにして。明らかに起き抜けの寝ぼけまなこを擦りつつ、着崩れたタンクトップ姿のタツミがふらふらと食堂へ入ってくる。相当朝に弱い体質なのか。いつもの無駄にハイテンション過ぎる快活さは、今の彼女からは欠片も感じられない。
「タツミさんは遅刻ですので。走ってください。」
銀時計を構えたイソジニール少佐が冷たく言い捨てる。
「悪い悪い…なんか昨日、テンション上がって眠れなくってさあ…。」
むー、と眼を閉じながら、タツミはとりあえずの謝罪の意を示している。その前ではシホが、例によって「もうっ!」と頬を膨らませている。
「いつまでくっちゃべってんだテメーら!!8時半はとっくに過ぎてンぞ!?さっさと並べやコラァ!!」
突然、食堂に怒声が響き渡った。ギョッとしたハルカは声の方へ慌てて振り向くが、そこには何かの冗談なのか、食堂のパイプ椅子の上にクマのぬいぐるみが置いてあるだけである。
そそくさと隊列を整える一同。その前で。クマのぬいぐるみの目が、ビカッ、ビカッと定期的に赤く光る。
「…おーし、揃ったな?ではこれより、己様からテメーらに、本日のありがたいお話をくれてやる。直立不動で心して聴け。」
やたらと偉そうなぬいぐるみのクマを前に。食堂に集まった一同はシーンと静まりかえる。数秒の沈黙。クマの目がビカッ、ビカッ、と赤く光る。
「…あぁーん…。」
クマからおもむろに、艶ましげな嬌声が漏れ始めた。
「ぁん…ダメぇ…いやぁん…。」
反応に困っている一同に構わず。ぬいぐるみのクマは赤く目を光らせ悶え続ける。
「あっ…!ダメッ!ダメえー!!」
困惑した顔でタツミを伺うハルカ。
「あぁ。たぶんこれ、真面目に聴かなくていいヤツだぞ。」
興味なさげにタツミが呟く。
「えー。では、皆さん。本日も安全作業で頑張りましょう!」
あんっ!ダメッ!ダメッ!ダメなのぉーッ!と馬鹿な叫びを上げ続けるクマのぬいぐるみの前に割り込み、ニコニコと笑ったシホがその場を強引に纏める。そのこめかみがピクピクと痙攣しているのは何かの見間違いであろうか。
「(艦長!起きられなかったなら普通に言ってくださいよ!!)」
背後に鎮座するふざけたクマのぬいぐるみに、皆に聴こえないようシホは小声で囁きかけた。
「馬鹿め!かかったな!!ソイツは囮だ!!」
食堂の入り口の扉がバーンと開き。先ほどから悶えているクマとまったく同じ声が食堂の空気を震わせた。一同は一斉に後ろを振り返る。
体操服に、ブルマー。桃色の髪をツインテールに縛り上げ。必要以上にロリロリしい典型的な幼女が、きらびやかな艦長服をその肩に羽織り。いかにもしてやったりと言う表情で、フフンと胸をそびやかしている。言葉を失う一同の後ろで、クマのぬいぐるみが溶けちゃう!溶けちゃうぅぅぅぅううう!と絶頂の叫びを上げ続ける。
「…おぅ。何しに来たんだ艦長。」
数秒後。タツミがようやく呆れたような声を上げた。
「艦長…って…。えっ!?…えぇっ!?」
ハルカはぶんぶんと首を振り、食堂の奥と入り口。それぞれに立つシホとツバサを交互に見回している。
「あれ?ああ、初めてだっけ。こいつ艦長。私らの上司な。」
つかつかと歩み寄ったタツミがポンポンとツバサの頭を叩く。ツバサはフフン?と自慢げに、ますます胸をのけぞらせて見せる。
「だ、だって…昨日、シホさん、艦長さんって…。」
助けを求めるように今度はシホを伺うハルカ。シホは困ったような顔で、気まずそうにしている。
「「艦長」…、代理、です。」
申し訳なさそうな声で告げるシホ。ハルカは理解が追いつかず、「!?…!?」としきりにきょろきょろ首を振っている。
「なんだぁ?シホちんよぉ。自分のこと艦長とか、新人どもに名乗ってンのか?ンん?」
下から睨みつけるようにして。ツバサがシホに絡んでいく。
「なんだオイ?己様の艦長の椅子狙ってんのか?そんなに己様の艦長の座が欲しいか。ンん?」
質の悪い絡み方をしてくるツバサに、困った笑顔を浮かべるシホ。
「お前いつもどっか行ってていねーじゃん。実質的にシホが艦長みたいなモンだろ?」
やれやれといった様子で助け船を出すタツミ。
「あぁ?さっきからなんだテメーはこの豚野郎。表出ろ。」
今度はタツミに絡み出すツバサ。タツミは「はいはい。」といった様子でツバサの襟首を掴み合げてしまう。
「あ、あの…ツバサちゃん…?艦長…さん、なんだ…?」
状況がようやく理解出来てきたハルカが、ネコのように吊り下げられているツバサに声をかける。
「艦長と呼ばんかァッッッ!!!」
一喝。ツバサの怒号が食堂内に炸裂し、残響がビリビリと窓を揺らす。
「す、すいません!!すいません!!すいません!!」
ハルカは思わず背筋をビッシと伸ばし、空中でぷらぷらしたままなんか威張っているツバサに何度も何度もペコペコと頭を下げる。
ていっ、とタツミの手から逃れ、床に飛び降りたツバサがツカツカとハルカに歩み寄った。おそるおそる頭を上げたハルカの前で、ツバサはニヤーと笑ってみせる。
「…キャプテンつばさ。」
ボソッ、とツバサが呟いた。
「あぁ。たぶんこれ、真面目に聴かなくていいヤツだぞ。」
真面目な顔のまま固まっているハルカに、タツミはやれやれといった様子で先ほどと同じ台詞を発した。
「…仕事、始めないんですか?」
白く眼鏡を光らせるアキノの後ろで。
クマのぬいぐるみはいつまでも、ダメぇ!ダメえぇーッ!と悶え続けていた。




