SECT.8 ルゥナー=ミタール
静まり返った舞台で、最初に動いたのはフェリスだった。
「うっ……うわああああああ!」
絶叫と共に引き抜いた大剣を放り投げ、血に染まった両手で頭を抱えた。
「シド!」
続いて舞台袖から座長のモーリが飛び出してきた。
目の前で起きた惨劇に、ルゥナーが放心している。
「動かすな!」
アレイさんが客席から一喝した。
「腹部を貫通している。おそらく臓器にも損傷があるだろう。動かさず、傷口を押えて……引き抜いたせいで出血がひどい。とにかく止血するのが先だ」
長い間、本物の戦場にいた彼だから、きっと処置の仕方も的確だ。
「おいくそガキ、そこで放心してる主役をとっととここから遠ざけろ」
「わかった。……ねぇ、アレイさん」
別れる瞬間、耳元にこっそりと。
「フェリスに、気をつけて」
アレイさんは、分かっている、とでも言いたげな表情でシドの方に向かった。
おれは茫然としたルゥナーの手を引いて舞台を後にした。
フェリスがシドを剣で貫いた。
驚いた顔をしていたけれど、あの瞬間に放った殺気は本物だ。
昨日の組み手の時もそうだったけれど、フェリスはきっと飄々とした仮面の下に、何かを隠しているようだ。
テントの外、中央広場の噴水の縁に座ったところで、ようやくルゥナーが口を開いた。
「もう大丈夫よ、グレイス。ありがとう」
言葉通り、蒼白ではあったが先程よりかなり落ち着いているように見えた。
「大丈夫だよ、アレイさん、お医者さんじゃないけど処置には慣れてるよ。それに、ここは戦場じゃない、大きな街だからきっとすぐにお医者さんに診せられる」
貫いたのが胸じゃなくて良かった。おそらく、シドが直前で殺気を察して無意識に急所を避けたからだ。
出血は多かったが、処置が早ければ命は助かるだろう。
「……少しびっくりしただけよ。大丈夫」
ルゥナーは陰りのある笑顔を見せた。
その笑顔で少しほっとした。
どうやら本当に、驚いたという感情が一番大きかったらしい。
ルゥナーはすぐに落ち着いたがいまだ処置が続けられているだろうテントへ戻るわけにもいかず、しばらくルゥナーといろんな事を話した。
ルゥナーがモーリのお父さんに誘われて歌劇団に入り、故郷のケルトを離れた時の事。そのお父さんが病気になって、モーリが団長になった事。
それからも苦労の連続。
でも、大国ケルトを出て各国で巡業するようになって、いろんな国の団員が増えていって。
「モーリは役者に向いていそうな人を見つけると、すぐに連れて来ちゃうのよ。ほら、昨日、グレイスとウォルジェンガさんを連れてきた時みたいに」
「シドやフェリスもそうなの?」
「ええ。シドは、旧グリモワール国領のトロメオという都市で仲間になったの。フェリスはもう少し前ね、旧王都のユダ=イスコキュートスで……二人とも、モーリがどこかから勝手に連れてきて。この歌劇団に入ってから半年くらいになるかしら」
「へぇー。半年であんなに上手になるんだね」
「二人とも、もともと武術の心得があったのよ。あの二人がいたからこそ今回の演目をやろう、とモーリが言いだしたのよ。フェリスとシドなら、サヴァールとロキの役を演じる事が出来るもの」
「確かにあの剣舞はかなり上手じゃないと無理だもんね」
「お陰さまで、フレイアとフレイの役を出来る人がいなくて困ってたのよ。何しろ、王族の役なんて恐れ多くてみな、尻込みしてしまって。モーリときたら本当に考えなしなんだから」
「それで、おれと……えと、ウォル、に?」
ルゥナーはにこりと笑った。
「そう。今、歌劇団ガリゾーントは、セフィロト国を東西に横断して、リュケイオンを通ってケルトに戻る、丸二年以上かけた興業の途中なの。ほら、大きな戦争があったから、少しでも楽しい気分をわけてあげられたら、と思って。一生懸命モーリを説得して」
大きな戦争。
セフィロト国が、グリモワール王国を侵略し、喰い尽くした戦争。
その爪痕は、まだ各所に残されているはずだ。
「ケルトにも住む場所を失ったグリモワールやセフィロトの民が多く流入したわ。それだけじゃない、戦争で多くを失った人は本当にたくさんいると思うの。だから、私は少しでも何かしたくって」
ルゥナーの瞳は真剣だった。
真剣だけれど、その瞳が放つ灯りはとても優しかった。
「私はリオートみたいに剣を学んでいるわけではないし、革命をする心の強さなんて持ってない、ましてや、戦女神の声を聞く事も出来ない。隣に最強の将軍がいるわけでもない。でも、歌と踊りと、それから演技で、誰かの心に訴える事は出来るわ」
そう言ったルゥナーは、まるでさっき、舞台の上で見たリオートのように凛とした眼差しで前を見つめていた。
「私、リオートの役、好きよ。リオートは強いけれど、いつも迷っているの。戦女神のフレイア様は革命の手助けをとおっしゃるけれど、本当にこれでいいのかしら、革命を起こして、たくさんの人の命を賭ける事が、本当にみんな望んでいる事なのかしら、って」
ルゥナーは微笑んだ。
「それでも、何かをしようと精一杯に頑張っているリオートの姿は素敵だと思うわ。だから、私も何かを頑張りたい」
「うん、おれもそう思うよ」
リオートだけじゃない、ルゥナーもとっても強い。
「グレイスもきっとそうなんでしょう。戦争で悲しい事がたくさんあったはずだわ」
「おれは」
一瞬、言葉に詰まった。
いろんな感情が一瞬でおれの中を駆け抜けていった。
「……うん、おれも、たくさんのモノを失くしたよ。おれの力が足りないばっかりに取り返しのつかない事もしちゃった」
心の底から一番大切だったヒトを亡くした。本物の戦女神のように強く、美しく、気高く、そして誰より優しかったヒト。おれに『ラック』という名前をくれて、職を与えて、生きる場所をくれたヒト。
すでに自分のものでない左腕。そして篭手で隠した右腕には、多くの刻印が刻まれている。
左手の甲に埋まったコインだけではない。この2年で旧グリモワール国領からセフィロト国を横断する旅をする中で発見したコインを破壊、出来る限りで紋章契約を行ってきた証が多く刻まれていた。
額にリュシフェル。
左手の甲にラースのコイン。
そして、右腕には5つの悪魔紋章。
両腕に装備している篭手を外してしまえば、目を背けるような状態の腕が姿を見せる。
今のところ、コレを知っているのは一緒に旅をしているアレイさんを除けば、旧グリモワール国領の南端に身を隠している革命軍のトップ、サン=ミュレク=グリモワール、そして戦争時には同じレメゲトンだったライディーン=シンの2人だけだった。
これは、おれの罪の証であり、誓いだ。
左手の甲をぐっと抑える。
革命を起こす事が本当にいいことなのか――リオートの葛藤は、まるでそのままおれが迷っている事を言葉にしたみたいだ。
「だから、すごく嬉しいよ。ありがとう、ルゥナー。おれたちみたいに戦争を経験した人の為に、何かしてあげたいと思ってくれて。こんなに遠くまで、本当に来てくれて」
本当に、心の底から嬉しかった。
すごく遠い土地で戦争の傷を知ったヒトが、こんなに近くまで来てくれて。
「おれにはきっと出来ない事だから、ルゥナーに頑張ってほしいよ」
そう言うと、ルゥナーはにっこりと笑った。
「大丈夫よ、グレイス。貴方だって同じ力を持っているわ。貴方もきっと、悲しんでいる人に、少しでも楽しい気分を与えることが出来るはずよ……そうでしょう? フレイア」
「……おれはフレイアになれるかなあ?」
「なれるわ。だって私やモーリは最初からグレイスが戦女神に見えたのよ」
「ありがとう、ルゥナー」
ルゥナーはとってもかわいい。
ルゥナーはとっても強い。
ルゥナーはとっても……優しい。
「おれ、本当に、ルゥナーに会えてよかったと思うよ」
「私もグレイスに会えて嬉しいわ」
同じくらいの年の友達なんて、騎士団で修行してた時にヴィッキーたちと友達になって以来だったから。
本当に嬉しくて、心から微笑んでいた。
だからきっと、ルゥナーにはちゃんと聞けると思った。
「あの、こんなこと聞いていいかわかんないけどさ……」
「なあに?」
「フェリスとシドって仲が悪かったの?」
大丈夫。
ルゥナーは強くて優しくて正直で、一生懸命だから、聞いても大丈夫。
ずばり、と聞くと、ルゥナーは少しだけ停止したが、すぐに長く息を吐いて落ちついた。
「いいえ、そんな事は……確かに喧嘩ばかりしていたけれど、もともと、グリモワール出身のシドがセフィロト出身のフェリスに対して、あまりいい感情を持っていなかったというだけの話よ。初めて会った時からシドがフェリスと喧嘩を――でも、違う。あの二人は、本当は仲が良かった」
まるで自分自身を落ちつけるように、ルゥナーは呟いた。
「あの場面では、偽物の剣を使う事になっていたの。それが、なぜか本物に……」
毎日、剣の稽古をしているフェリスだ。本物の剣の重さに気がつかないはずはない。
そう思ったが、口には出せなかった。
ルゥナーがフェリスの事を微塵も疑っていないのが、ほんの短い間に伝わってきたからだ。
「もう少ししたら、戻って様子を見に行こう」
知っている事を、分かっている事を単純に口に出せないのって、何て苦しいんだろう。
あの頃みたいに、思ったままを口に出せたらいいのに。
おれを育ててくれたブロンドの戦女神も、一緒に旅をする言葉少なに自分を盾にする彼も、いつもこんな気持ちなんだろうか。
とても、複雑だ。
大切なヒトを守るのって、やっぱりとっても大変だ。
おれは今更ながらに、自分の事を守ってきてくれた人たちのすごさを思い知った。