SECT.7 リオート=シス=アディーン
次の日、おれとアレイさんは、揃って歌劇団のテントへ向かった。
朝市が開かれている大通りを過ぎ、中央広場へ。
中央のミカエル像は昨日と変わらずそこに佇んでいた。朝日を浴びて柔らかな乳白色の滑らかな肌を惜しげもなく晒しながら。
「グレイス!」
「あっ、おはよう、ルゥナー!」
駆け寄ってきた歌姫に笑いかけると、ルゥナーも笑い返してくれた。
「ウォルジェンガさんも、来てくださってありがとう。モーリも喜ぶわ」
「……こいつが勝手に決めた事だ」
アレイさんは不機嫌そうに呟いた。
「そろそろ稽古が始まるの。フレイとフレイアが決まってなかったから台詞や場面がいくらか抜けたままだけれど、今日は通し稽古をするってモーリが言ってたわ。きっと、貴方達に見せるために」
「ほんと?!」
「だから、グレイスは客席の方で見ていて」
練習とはいえ、歌劇団の舞台を見るのは初めてだ。
わくわくしながらテントに入り、通し稽古が始まるのを待った。
静かなステージに、ぴぃん、と張った弦の音が響いてきた。
その旋律に合わせるように、コツリ、コツリと靴音が響いてくる。
暗いステージの中に、ふっとルゥナーの姿が浮かび上がった。灯りを手にしたルゥナーは、視線を上げた。
その真っ直ぐな瞳に、思わず釘づけになる。
「私は、夢を見たのです」
凛とした声。
ルゥナーではない。
あれは、この物語の主人公、革命少女リオート=シス=アディーン。
「戦女神フレイアのお声を聞きました。サヴァール=ヴァイナー将軍の元へ参じ、尽力せよと」
200年前、大国ケルトに革命を引き起こした現ノルディック王家の元へと現れたわずか16歳の少女は、革命軍の先頭に立ち、勝利へと導いた。
その瞬間、舞台がばっと明るくなった。音楽も、弦一本から重厚なモノへと変化する。
舞台上ではリオートを取り囲む多くの騎士たち。そして、その中心でリオートと見えるのは、巨躯の騎士だった。
巨躯の騎士が堂々とした声で問う。
「面妖な事を。戦女神がお主のようなか弱き者を遣わすと言うか」
「私はフレイアの意志を確信しております」
ざわりざわりと騎士の間に疑惑が走る。
リオートは、そんな周囲を一掃するように、芯の通った声で告げた。
「必ずや、革命軍に勝利をもたらしてみせます」
押し殺した笑いが漏れる。
このような少女に何が出来るのか、という嘲笑だった。
「幼く、力なき少女よ。戯言はそれまでに、早々にこのサヴァール=ヴァイナーの元を立ち去るがよい」
取り付く島もない巨躯の騎士は大剣をリオートの鼻先に突きつけた。
「戦女神の名を騙った罪、軽くはないぞ」
「虚言などではありません」
鋭い剣先を突き付けられても、リオートは退かなかった。
「私は戦女神フレイアから宣託を賜りました」
それどころか、ますます鋭い眼光で巨躯の騎士を睨みつけた。
「貴方こそ、サヴァール=ヴァイナー将軍の御名を騙るのはおやめください」
その瞬間、舞台の空気が変わった。
二人の周囲を取り巻いていた騎士たちのざわめきがなくなり、全員が幼いリオートに釘づけになる。
彼女は巨躯の騎士にくるりと背を向けた。
取り囲んでいた騎士たちはリオートの視線から逃れるように一団となって舞台の端へと追いやられていく。
リオートは、その一団ににこりと微笑みかけた。
「サヴァール将軍、私は、貴方に会うために此処へやってきました」
すっと跪いたリオートは、騎士の一団に向かって手を伸ばした。
「どうか、私が貴方の傍で尽力します事をお許しください」
すると、騎士たちがいっせいに跪いた。
その中で、一人だけその場に立ったまま跪くリオートを見下ろした人物がいる。
フェリスの演じる、サヴァール=ヴァイナー将軍その人だった。
騎士たちの間を縫って、跪くリオートの眼前に立った。
「配下に紛れていた俺を見つけ出したな、名も知らぬ、幼き少女よ」
「戦女神は、貴方の元に、とおっしゃいました」
「あくまで自分は戦女神の傀儡だと主張するか。いいだろう」
サヴァールは、リオートの手をとった。
「この瞬間から、お前は戦女神が俺に遣わした勝利の刻印だ」
「光栄にございます」
いつしか舞台には、リオートとサヴァールだけが残されていた。
「名乗れ、少女。俺は戦女神の遣いの名を知らねばならぬ」
「リオート=シス=アディーンと申します、サヴァール=ヴァイナー将軍」
舞台暗転。
おれはずっと舞台に釘づけになっていた。
戦女神の声を聞き、サヴァール将軍の元へ向かったリオート。帝国軍との戦いの中で、何度も傷つき倒れそうになるが、いつしか恋慕の情を抱くようになったサヴァール将軍と、夢の中で助力を与える戦女神フレイア、またその兄の豊穣神フレイが彼女の支えだった。
そんな彼女の元に、シドの扮する一人の青年が現れる。
ロキ、と名乗った黒衣の青年は、あの手この手でリオートの不安を誘い、革命をやめさせようと画策する。
日々、憔悴していくリオート。
そんな中、サヴァール将軍が病に倒れた。
悲しみに沈むリオートの元に、ロキが再び現れた。
「やぁ、リオート。将軍が倒れたって? よかったじゃないか、これで革命軍もお終いだね」
漆黒の衣を纏い、闇にとける姿で革命軍本部最上階の窓から何の苦もなく入り込んだ。
昨日のシドの様子からは考えられないセリフの多さだった。
「ロキ、貴方はきっと人間ではないのね。だって人間は飛べないもの」
「僕が誰なのか、なんていうのはどうでもいい事さ、戦女神の愛娘リオート。フレイアは、君のサヴァール将軍を助けてはくれないのかい?」
「いいえ、フレイア様は……」
「君はこれほどフレイアのために働いているっていうのに、フレイアは君の為に何もしてくれないの?」
僅かな不安と疑念をえぐりだされ、リオートは揺らいでいた。
言葉巧みに革命をやめさせようとするロキは、少しずつリオートの心を削いでいく。
少しずつ、少しずつ。
連日の戦闘とサヴァール将軍の病で憔悴しきっていたリオートは、ロキの誘いに傾いた。
「一緒に逃げよう。さぁ、リオート」
ロキは手を差し出した。
リオートはその手を――
「リオート!」
そこへ、鋭い声が飛び込んできた。
はっとするリオート。
そこには、大きな剣を手にしたサヴァール将軍の姿があった。が、剣を支えに、かろうじて立っている様子だった。
「将軍、お身体が」
「リオート、そいつから離れろ」
リオートが舞台の端に寄ると、サヴァール将軍とロキの――フェリスとシドの剣舞が始まった。
大剣を振り回すサヴァール将軍、細身の剣でそれを避けるロキ。
激しい音楽が鳴り響き、剣戟が交差する。
どうやら本物の刃がついた剣を使っているらしい。飾り剣ではないようだ。
あんな大きな本物の剣を振りまわすなんて、フェリスは思ったよりも、昨日手合わせした時よりもずっと強いのかも。おれが女だからって、まだ手加減していたんだろうか。
と、思った時だった。
「ここまでだ、ロキ!」
台詞と共に、鋭い殺気が放たれた。
これは、本物だ。本物の殺気――
サヴァール将軍の剣がロキを貫いた。
驚いたロキの――シドの表情。
舞台上に、鮮血が飛び散った。