SECT.3 歌劇団ガリゾーント
モーリ、と名乗った歌劇団の座長は、おれたちをテントの中へと迎え入れた。
外から見たとおり、いや、それ以上に広大な空間を有するそこでは、真ん中に大きく丸いステージが置かれており、周囲を取り囲むようにして何重もの客席が取り巻いていた。階段状になった客席にはおそらく1000人近くを収容する事が可能だろう。さらに、ステージを彩る色とりどりのカーテンが翻り、華やかな照明が床や柱に刻まれた複雑な紋様を照らし出す。
豪華というよりも荘厳な印象を受ける雰囲気に圧倒された。
「……すっげ」
思わず口をぽかりとあけて外から見るよりずっと高い天井を見上げた。
その瞬間、ステージの照明が一斉に点灯した。
思わず釘付けにされたおれたちの目の前に、鮮やかな衣装を纏った踊り子が舞い降りる。
すべての光を一身に浴びた踊り子は、周囲の視線を一斉に引きつけた。
そこへ、舞台から美しい声が響く。
「 フレスヴェルクの丘に 朝露が輝く
あの丘でフィヨールが 真実の愛を教えてくれた
愛を忘るる事など出来はしない
愛しきフィヨールのためならば
死など怖れず 命を捧げよう 」
緩やかに響いたのは、北の大国ケルトの民謡。
生まれの違いで引き裂かれた恋人が相手を想い唄ったのだという。
美しい旋律と、どこか悲しい響きに、胸がぎゅっと締め付けられた。
細くしなやかな手足を惜しげもなく晒して、踊り子はくるりくるりと舞った。鮮やかな衣装を翻し、身を飾る宝石を光に煌めかせながら。
どこからともなく聞こえる伴奏は、きっと耳でなく心が捕えた音なのだろう。
たった一人の踊り子の姿に、心が震えた。
唄うたいの愛の深さに胸が締め付けられ、思わず隣にいたアレイさんの袖をきゅっとつかんでいた。
歌が終わり、踊り子はゆっくりと優雅に一礼した。
澄んだ青い瞳、雪のように白い肌――ケルト人の特徴をよく反映した彼女は、整った顔に微笑みを浮かべ、こちらに笑いかけてきた。
一緒に舞台を見ていたモーリは軽く拍手しながら彼女に笑い返す。
「やあ、ルゥナー。今日も美人だね」
「貴方のストレートなお世辞は聞き飽きたわ、モーリ」
踊り子は肩をすくめた。
それよりも、とおれとアレイさんを物色する。
「誰なの? まさか、またその辺で拾って来たんじゃないでしょうね」
踊り子さんは思ったよりも気の強いヒトみたいだ。
腰に手を当て、眉根を寄せてモーリを怪訝な表情で見た。
「そうなんだ、新しい演目にぴったりだと思わないか、ルゥナー」
「……まったく、貴方って人は……」
ルゥナーと呼ばれた踊り子は、大きくため息をついた。
モーリは対照的ににこにこと笑いながらおれたちの方を見た。
「彼女はルゥナー。この歌劇団『ガリゾーント』の歌姫です」
「ルゥナー=ミタールよ。初めまして」
にこりと微笑んでお辞儀をした踊り子は、唄った時と同じ、美しい声で名を告げた。はきはきとした口調に似合う、利発そうな女性だった。歳はおれと同じくらいだろうか。
おれも女の子の中に入れば大きい方なんだけれど、ルゥナーはそれよりさらに拳一つ分くらい大きかった。それも、顔が小さくて手足が長く、すらりとしているから遠目に見るともっと背が高く見えるだろう。
透き通るような青い瞳を見て、育て親に習った『行儀のいい挨拶』を早速実践する。
「はじめまして、ルゥナーさん。おれ、グレイシャー=ロータスといいます。よろしくお願いします!」
「グレイシャーね。貴方、私と同じくらいの年かしら? 私のことはルゥナーでいいわよ」
「んじゃ、おれのこともグレイスって呼んで!」
そう言うと、ルゥナーは少しだけ首を傾げた。
その仕草がたまらなく愛らしい。
「グレイスって、自分のこと『おれ』って言うのね。こんなにきれいなのに、変なの」
「そう?」
ずいぶん前からそうだからあんまり気にしていない。アレイさんもやめろって言わないし。
育て親はずっとやめろって言っていたけれど。
「それに、さっきは同じくらいの年に見えたのに、話してみるとなんだかすごく年下に見えるわ」
「んー、そう?」
「お前は阿呆の鳥頭だからな」
アレイさんが目も合わせずにぼそりと言い放った。
言い返そうと見上げたが、文句を言う前にルゥナーの可愛らしい笑い声が聞こえた。
「わ、笑わないでよ、ルゥナー」
「ごめんなさい、グレイス。ええと、その方は? 兄妹……には見えないわね。貴方の恋人かしら?」
「ん、恋人って言うか……えと」
別に、口に出す事に抵抗があるわけじゃないんだけど、未だに現実離れしていて、口に出すのを妨げていた。
「名乗り遅れた……ウォルジェンガ=ロータスだ」
少し躊躇っていると、ため息をつくような調子でアレイさんが告げた。
「ロータス?」
ルゥナーがびっくりした顔でおれとアレイさんを交互に見た。
おれが名乗ったのは『グレイシャー=ロータス』そして、アレイさんは『ウォルジェンガ=ロータス』――兄妹ではないのなら、結論は一つしかない。
「……結婚、してるの?」
「ええと、ん……はい」
うわあ、改めて口に出すとすっごく恥ずかしいんだけど。
確かにおれとアレイさんは2年前に結婚してるし、実は遠くに置いてきた子供もいる。そろそろ2歳になる、男の子と女の子の双子だ。
それは紛れもない事実なのだが、わけあって未だに夫婦、という関係には違和感があるのだった。
「そうなの、とっても素敵ね!」
「あ、ありがとう」
それでもにこりと微笑んでくれたルゥナーが可愛くて、おれも一緒に笑ってしまった。
歌姫ルゥナーと団長のモーリを交えて談笑していると、ステージでは打って変わって剣舞の練習が始まった。
剣舞には、本物の剣技とはまた違った美しさがある。魅せるために作られた派手な動きは、戦いには向かないがどこか踊りに似ている。
それでもおれは、実用を兼ね備えた本物の剣の方が好きだ。生き残るため、自らの大切な物を守るために振るわれる剣の美しさの方が、おれの心を捕えて放さない。
ふいとアレイさんを見上げると、眉間のしわの数が減っていた。
天才的な剣技を持つ彼も、剣を使った舞踏は気になるらしい。
「アレイさんの方がもっと綺麗だよ?」
思わずそう言うと、彼は綺麗な顔を引きつらせて何とも言えない表情を見せた。
本当に、心の底からそう思ってるんだけど、信じてもらえてないのかな?
そう思った時、歌劇団の団長を名乗ったモーリが唐突に切り出した。
「ウォルジェンガさん、グレイシャーさん。お二人にお願いがあります」
「……何だ」
アレイさんは、いつもおれに敬語を使えと口を酸っぱくして言うくせに、自分は敬語を使おうとしないんだ。
それが理不尽でならない。
「私たち歌劇団ガリゾーントは、今回、この街でケルトの伝説を舞台にしようと思っています」
「ケルトの伝説って?」
「言うなれば、セフィロト国で言う天使たちにあたる、私達ケルトの民が信仰する『王族』と呼ばれるモノの紡ぎ出す物語です」
「へえー」
何処の国にも、セフィロト国の天使のように信仰の対象があるのだろう。
いつか、そんなモノたちに会ってみたいと思うのは、おれの我儘だろうか。
「そこで、お願いします」
モーリが身を乗り出した時、アレイさんにはだいたい次の言葉が予想できていたんだろう。
もともとそんなによくない目つきがさらに不機嫌さを増して、モーリを睨んだ。
アレイさんの極寒の視線を浴びながらも動じず、にこにこと言い放ったモーリはすごいと思う。あの眼を向けられながらワガママを言うのはとっても難しい事だからだ。
「私達の歌劇団の次の演目で、舞台に出ていただけませんか?」