SECT.28 拒否
そして次の日、おれはルゥナーとアウラに連れられ、共に軍神アレスの居城へと向かった。
こんな変な建物は見た事がない。
いったいどこに入口があるのかも分からない。
「この城は、リュケイオンの伝統的な宮殿と闘技場のコロセウムを合わせた造りになっている。年に一度、ここでは大会が開かれ、国中の戦士が頂点を競うんだ」
アウラが煙草の煙を吐きながら教えてくれた。
「ここ、闘技場なの?」
「ああ、外見は神殿を模しているが、中身は闘技場だ。そのさらに上に積み重ねて住む場所があるらしいが……私は入ったことなどない。いったいどうやって上に行くのかも分からん」
「え? じゃあどうしたらいいの?」
「とりあえず、闘技場の入口に行ってみよう」
アウラは、その大会の時だけ開かれるという、居城唯一の入口へと向かった。
兵団が出入りするのかと見まごうほどに大きな扉は、固く閉ざされている。柱や壁と同じ素材だろう。街をつくっているのも、同じ白い石のような素材だ。
ところがそこには誰もいない。
唯一、扉の真ん中に小さな窓のようなものがあり、開くと中を覗けそうだ。
「軍神アレスはオリュンポスの一人だからな、本来ならそんな簡単には会えんだろう」
アウラが言って、肩をすくめた。
「どうする? グレイス」
「んー、一応聞いてみるよ」
おれは小さな窓に手をかけた。
「あのー、すみません」
中を覗いて、目に付いた衛兵さんに声をかける。
じろり、と睨んだ衛兵さんはシドと同じくらいの歳だろう。
「ええと、すみません、軍神アレスに会いたいんですけど」
「何用だ」
さらに睨みつける衛兵さんに負けず、おれは大きく深呼吸。
「ここにおれの大切なヒトがいるって聞いた。だから、迎えに来た」
衛兵さんは眉をひそめたが、少し待っていろ、といって先輩らしい衛兵さんに話を聞いていた。
どうやらその扉の中を守っている衛兵さんの中で一番えらいだろうというヒトが出てきて、おれの前に立った。
目線がずいぶん上だ。アレイさんと同じくらいか、それより大きいかもしれない。
「お名前と要件を伺おう」
そう言われて、ほんの少し迷ったが決心して告げた。
「おれはラック=グリフィス。元グリモワール王国のレメゲトンだ。同じレメゲトンのアレイスター=クロウリーを迎えに来た」
「……ここで待っていろ」
そのヒトはおれを置いて中へと入っていった。
どきどきする。
アレイさんに会いたい。
いま目の前に現れたら、なにも考えずに腕の中に飛び込もう。
そう思って待っていると、先ほどの衛兵さんが戻ってきた。
さっきと変わらない威圧感でおれの目の前に立ち、こう告げた。
「彼は確かにここにいる。だが、君には会いたくないと言っている。お引き取り願おう」
「え?!」
そんなバカな?!
「嘘だ! アレイさんかそんな事言うはずな」
続けようとしたおれの目の前で、小さな窓がばたんと閉じられる。
危うく鼻の頭をぶつけてしまうところだった。
「何で――?!」
愕然とした。
アレイさんがおれに会いたくないって?
心の底が抉り取られるような感覚に陥った。
「なんで?」
どうして、リュケイオンで会おうって言ったのに。
生きてここへたどり着くって言ったのに。
嫌がったって傍を離れないって言ったのに。
「どうして? 何で? アレイさんはおれのことキライになっちゃったの――?!」
「落ち着いて、グレイス」
ルゥナーの声ではっとした。
「ルゥナー、アレイさんは、おれに会いたくないって……」
「歌姫の言うとおりだ、お前はちょっと落ち着け」
新しい煙草に火を付けたアウラがおれの額をぺん、と叩いた。
「ウォルジェンガさんがグレイスに会いたくないなんて、そんな事があるはずないわ。それは、ほんの少ししかウォルジェンガさんに会っていない私にだって分かる事よ。そうでしょう?」
「あ……」
ルゥナーの蒼い瞳を覗いて、その真剣な眼差しにようやく少し落ち着いた。
「まあ、軍神アレスかその周囲の人間が隠ぺいした、と考えるのが普通だろうな。まさかヤコブの言葉が本当になるとは……」
「そう……だよね。アレイさんは絶対に約束を破ったりしないもん」
ヤコブはもしかすると、こうなる事が分かっていたのかもしれない。
「帰るぞ」
アウラはくるりと踵を返す。
「ここにいてもらちがあかん。帰って対策を立てる必要がある。どうやらヤコブも軍神アレスについて多少知っているらしいから、まずそこからだな。ヤツは気まぐれだから、協力するとか言っても素直に話すか分からんが」
「う、うん……」
おれもアウラを追って、軍神アレスの居城に背を向けた。
すぐそこにいるのに。
ほんのすぐそこにいるのに。
アガレスさんの力を借りて飛べば、一瞬で行けるかもしれないのに。
「アレイさん……」
会いたい。
今すぐ会いたい。
じわりと目の端に涙の粒が浮かぶ。
隣を歩くルゥナーに気づかれないよう、こっそり腕でぬぐった。
「まあ、そうなるだろうな」
おれたちを出迎えたヤコブはそう言った。
「やはりお前は分かっていたんだな、ヤコブ」
「んー、まあな」
事もなげに言うヤコブ。
「ねえ、ヤコブ。軍神アレスについて教えて。どうしてアレイさんをとらえたりしたの? どうしておれが行っても会わせてくれなかったの?」
「ん、その話はおいおいしよう」
「すぐにしてよ!」
そう叫ぶと、ヤコブは首を横に振った。
「駄目だ。とりあえずお前は頭を冷やせ。そんな状態じゃ軍神アレスに返り討ちだ、と言わなかったか?」
「でも、でもっ」
「いいからいまは駄目だ」
「……っ!」
頑として動かないヤコブ。
アウラはため息をつき、ルゥナーは困ったようにおろおろとしている。
「ヤコブのばーか!」
おれはそう叫んで、部屋を飛び出した。
今すぐにだってアレイさんのもとに行きたいのに、どうしてヤコブは分かってくれないんだろう?
行き場のない思いを抱えて、おれは隣のシドの部屋に逃げ込んだ。
「どうされました?」
おれの様子が尋常じゃないのにすぐ気づいたんだろう。
シドは藍色の髪を揺らして尋ねた。
今日はだいぶ顔色がいい。かなり回復してきているようだ。
「シド……」
ふらふら、と引き寄せられるようにシドのベッド脇に座りこみ、シドを見上げるようにして訴えた。
「アレイさんが、おれに会いたくないって言うんだ」
「……え?」
シドが珍しく驚愕の表情を素直に示した。
「クロウリー伯爵が直接そうおっしゃったのですか?」
「ううん、違うけど……」
そう言うと、シドは小さく息を吐いた。
「それで落ち込んでらっしゃったのですか」
「え? 分かる?」
「分かりやすいですよ」
苦笑したシドの笑顔が珍しく、思わずじっと見てしまった。
「大丈夫です。クロウリー伯爵が貴方に会いたくないなどどおっしゃるはずがありません」
シドはきっぱりと断言した。
「……だよね」
おれもそう思う。
そう思ってるんだけど、会いたくないそうだ、といった衛兵の声が耳の中でリフレインする。
絶望が心に芽生えそうになって、左手が疼く。
「それでも、悲しかったんですね」
シドの声にハッとした。
そう。
頭の中で分かっていても、心の底から信じていても、どうしても悲しいんだ。
それはきっと、おれがアレイさんのことを世界でいちばん大切に思っているからなんだろうけれど。
相手の事が好きであれば好きであるほど、不安は大きくなるんだ。
かつておれが、育て親のねえちゃんの前で泣くのを必死で我慢していたように。
「うん、悲しい」
素直にその言葉が口から滑り出ると、あとはもう止まらなかった。
「どうしよう……アレイさんがおれのことキライになったらどうしよう」
鼻の奥がつんとして、さっき我慢した涙がじわりと滲んだ。
「そんな事はありえませんよ」
シドの声は優しかった。
おれは泣き顔を隠すように、ベッドに両手を組んで顔をうずめた。
「だってさぁ、だって、アレイさんはリュケイオンで会おうって言ったんだよ……?」
直接聞いたわけじゃないから、悪魔を通したメッセージだったけれど。
アレイさんはセフィロト国の注意を全部自分に引き付けて、危険を冒して国境を越えた。
おれはアレイさんを追いかけて国境を越えてきたのに。
「何で会いたくないなんて言うんだよっ……!」
アレイさんの言葉じゃない、と信じていても、悲しかった。
胸が張り裂けそうなほどにショックだった。
「会いたいよ……アレイさん……」
一度流れ始めた涙を止める術はなかった。
シドはいつかおれにやってくれたみたいに、おれの頭を優しく撫でた。
「大丈夫です。きっとすぐに再会できます。クロウリー伯爵もきっと、貴方に会いたいと願っていますから……」