SECT.27 騎士
帰ってきたモーリは、ヤコブを見て驚いた顔をしていたが、神父のヤコブ=ファヌエルだと名乗ると、首を傾げてこう言った。
「貴方は人間が好きなんですね」
「……やめろよ、ホズの司祭。ヒトの過去を見んのはあんまいい趣味じゃねえぜ?」
「ああ、すみません。癖になっているものですから」
モーリは不思議だから、ヤコブがウリエルだってこともすぐに分かってしまうんだろう。
ルゥナーのように驚きすぎて思考停止することはなかったが、物珍しそうにヤコブを見ていたのも事実だった。
そして、そんなモーリからもたらされたのは、ヤコブの言った情報とほぼ一緒だった。
天使に滅ぼされた悪魔の国の騎士が、オリュンポスの軍神アレスに下った。
軍神アレスの居城がある街は今、その噂でもちきりだという。
「ヤコブはどうしてこの街にいたのにそれが分かったの? 誰かに聞いたの?」
「……いんや。俺様はその街で誰かが噂してんのを『聞いた』だけだ」
「聞いた? この距離で?」
「あの街をここの屋上から『見た』お前が言うのかヨ、黄金獅子の末裔」
「あっ……」
千里眼。
おれはこの場所にいながら、あの街の様子を『見る』事が出来る。
もしかすると、ヤコブはおれと同じ能力を持っていて、あの街の声を『聞く』事が出来るのかもしれない。
そう、このヒトは『孤高の伝道師』ウリエルなのだ。
「いったいどうしてウォルジェンガさんが軍神アレスのもとに下った、などという噂がたったのか……ウォルジェンガさんの意思なのか、それとも単純にとらえられているのか、それは分かりませんでした」
「もしかすると、アレイさんが自分の意思でそこにいるかもしれないってこと?」
「ええ、その可能性はあります。こうやって噂になってしまえば、グレイス、貴方に自分の位置を知らせる事が出来ますからね。現にいま、私たちも噂で彼の居場所を知ったのですから」
「ああ、なるほど」
「はぁ? そんな自らセフィロト国に身を曝すような事、普通するか?」
「アレイさんならやるよ」
あのヒトは、自分の身を盾にしていつもおれを守ってくれるから。
「じゃあ、まずおれは真正面からアレイさんを迎えに行けばいいんだね」
「……一筋縄じゃいかねーと思うがな」
ぼそりとヤコブが呟く。
「うん、でもやってみるのが一番だよね。最初はそうしよう」
「そうですね、争わずに済むならそれが一番いいですから」
モーリはそう言って笑った。
「さて、では明日の朝に出発しましょう。今夜のうちに出立の準備を整えます。ルゥナー、劇団員全員に連絡を」
「分かってるわ」
「グレイスはシドと一緒にいてくれますか? きっと貴方と一緒ならシドも無茶はしないはずです」
「分かった」
モーリの指示を受けて、おれは頷いた。
もうすぐアレイさんに会える。
どきどきした。
今夜はちゃんと眠れるだろうか?
シドの病室から、暗くなっていく町並みを眺めていた。
白い壁に影がおり、少しずつ暗くなっていく。
窓から漏れる明かりが目立ち始め、星空のような転々とした灯りが街中にともる。
「お休みにならないのですか?」
シドがおれに尋ねた。
「もうちょっとだけいるよ」
「そうですか」
シドは出ていけ、なんていうはずないし、必要がなければ話しかけてこないし、余計な事をしなければお説教される事もない。
要するに、とても居心地が良かった。
その雰囲気が少しだけアレイさんに似ているせいもあるかもしれない。
彼は悪魔の国の騎士だから。
と、おれはふと気付いた。
「ねえ、シド」
「何でしょう」
「さっきさ、カイン……ケテルに会ったっていったじゃん」
「……ええ、聞きました」
先ほどその事でこってり絞られたばかりだ。
シドは、またなにを言い出すかのかと構えたようだった。
「んでねぇ、そのカインってさ、もともと聖騎士団の副団長だったヒトなんだ」
「ええ、剣の腕はセフィロト国随一であると聞き及んでいます。20代で聖騎士団の副団長になるのは前例がないとか」
やっぱりカインは有名人らしい。
「そのヒトがさぁ、なんかすげーシドに似てんの」
「私がセフィラと? どこが似ているというんですか?」
「んー、頑固そうなところ。あと、口調かな? 有無を言わせない感じのとこが似てる」
カインを前に、敵のように思えなかったのはそのせいかもしれない。
普段は表情があまりないシドの眉間に、きゅっと皺が寄った。
あ、この表情、まるでアレイさんみたいだ。
「また貴方は敵と仲良く談笑でもされたのですか? 何度も申しあげているでしょう、貴方は警戒心というものが皆無です。それもケテルは神官を束ねる長、さらにその場にはフェリスもティファレトもいたのでしょう」
騎士になるヒトってどことなく似てるのかなあ?
結局はじまってしまったお説教をききながら、おれはぼんやりと考える。
「そもそも、なにも言わずに飛び出していく事があり得ません。私の怪我が完治した暁には、絶対にそんな行動は……」
そう言われてみれば、アレイさんも説教癖があるよなあ。最近ではあきらめたのかあまり長いお説教を聞く事は無くなったけれど。
ぱくぱくとよく動くシドの口をぼんやりと見ていると、シドの視線がおれを貫いた。
「聞いてらっしゃいますか?」
「あ、ごめん、聞いてなかっ……」
おれにはどうやら学習能力とかいうものが存在しないらしい。
極寒の視線をおれに投げかけたシドは、大きくため息をついてさらに説教を重ねたのだった。
心の中で、カインもきっと説教魔なんだろうな、なんてぼんやり考えながら。
次の日の朝、おれたちは国境の街アクリスを出発し、軍神アレスの居城があるミュルメクスへと向かった。
リュケイオンに入る時は、モーリとルゥナー、そしておれとシドしか乗っていなかった馬車に、ヤコブとアウラが増えていた。
アウラはシドの主治医としてついてきてくれたのだ。
怪我が治らない限り、私の見ている前で動く事は許さん、と言い切ったアウラがいればシドの怪我も完治するだろう。
夕方ごろまで馬車を飛ばすと、ふっと風の匂いが変わった。
「お香の匂いがする」
「そう? ミュルメクスの街が近づいたせいかしら?」
ルゥナーが窓を開けると、真っ赤な夕日が飛び込んできた。
その夕日を背景に、真っ白な軍神アレスの居城が浮かぶ。
さすがのおれも緊張してきた。
グリモワール王国にもセフィロト国にもなかった不思議な円柱形の構造物がおれを迎える。
あの場所にアレイさんがいる。
「到着して宿を決めたりしていたら遅くなるでしょうから、軍神アレスに会いに行くのは明日にしましょう」
「えー、待てないよ!」
「もうすぐ会えるのですから、わざわざ夜中に行って不興を買う事もありませんよ」
モーリが諭して、おれはしぶしぶそれを受け入れた。
リュケイオンで発祥したというお香の匂いがアクリスと少し違っていた。
軍神アレスの居城があるミュルメクスは、落ち着く香りだったアクリスと違い、どこか攻撃的で不安を誘う香りが漂っていた。