SECT.20 決意
外で待っていたルゥナーと二人、病院へと戻った。
そわそわとしながらも大人しく待っていたシドのところへ行き、報告する。
モーリは次の興行をする予定の街を見に行っていて、いなかった。
「クロウリー伯爵の行方は分かったのですか?」
「うん、分かったよ! どうも、ヤコブが、あ、ヤコブって今行ってきた教会の神父さんなんだけどね、そのヒトが助けてくれたみたいなんだ」
「……人間じゃない、という噂も本当だったわ」
未だにショックを引きずっているらしいルゥナーはため息とともに言った。
「ヤコブって、天使だったんだ。ウリエルっていうんだけど、シド、知ってる?」
そう尋ねると、シドは大きく目を見開いた。
「貴方には警戒心というものがないのですか?」
あ、やべ、シドのスイッチはいっちゃった。
無口そうにみえたシドはものすごーく熱血で、頑固で、正直で、まっすぐで……説教魔だった。
「何のためにセフィロト国を抜け出したか、忘れてしまわれたのですか?」
いや、なんとなくそんな気はしてたんだけどさ。
淡々とした口調ながら、よく動くなぁとシドの口元をじーっと見ていると、それに気づいたシドがおれに向かっていった。
「聞いてらっしゃいますか?」
「あっ、ごめん、聞いてなかっ……」
しまった。
正直に答えちゃった。
隣のルゥナーがバカね、という顔をしていた。
シドはほんの少しさえ表情を動かさなかったが、怒らせたのは確実だった。
藍色の視線が零下まで冷え込んだ。
「ところで」
「あ、はい、なんでしょうか」
思わずシド相手に敬語。
「クロウリー伯爵の行方が分かったとおっしゃいましたが」
「あ、うん、そうなんだ!」
おれはぱっと顔をあげた。
「それ、私も聞きたかったの。ちょっと……驚きすぎて、とても話に参加できなかったもの。同じ部屋にいる事が無理だったわ」
ルゥナーがそう言って困ったように笑った。
「……俺も、目の前にしたら平静でいられる自信はない」
シドがぼそりと呟いた。
やっぱり天使って、そういうものなのかな?
「で、グレイス。ウリエルは……ヤコブ=ファヌエル神父はなんておっしゃったの?」
「あのね、ここから一日くらい西へ行ったところに、軍神『アレス』の居城があるんだって。そこにいるんじゃないかってヤコブは言ってたよ」
「軍神アレス、というとオリュンポスですか」
「シド知ってるの?」
「常識です」
おお、常識ときたか。
これは余計な事を言わない方がよさそうだ。
「あら、その街ならいま、モーリが視察に行ってるわよ?」
「え?」
「ほら、今度こそ革命少女リオート=シス=アディーンの舞台を演るっていったでしょう? その街が、その軍神アレスの居城がある場所なのよ」
「ほんとに?」
「モーリが帰るのは明日以降になると思うけれど、その報告を聞いたうえで劇団全体を移動させる予定だったのよ。この街に寄ったのはあくまでシドの治療の為だから」
シドは眉を顰めた。
それを見たルゥナーが先手を取る。
「ちなみにシドは最低でも一ヶ月は病院から動かない事。それが最低限、私が妥協できるラインよ」
「それはおれも賛成。こんな状態じゃ、おれだってシドを連れていくわけにはいかない」
二人揃って言うと、さすがにシドは言い返せなかったらしい。
きゅっと眉間にしわを寄せて黙りこんだ。
部屋に沈黙が下りる。
その沈黙を破ったのは、大きな足音だった。
「おい、グレイシャー」
ばん、と荒く扉を開けたのは女医のアウラ。
酷く不機嫌そうな様子だ。
「あれアウラ、どうしたの?」
「お前、ヤコブを動かしたのか」
「動かす?」
首を傾げると、アウラは大きくドアを開いて部屋に入ってきた。
そしてその後ろからついてきたのは。
「いるかぁ? 黄金獅子の末裔」
「あれ、ヤコブ」
先ほど教会で別れてきたばかりの神父だった。
長い金髪の間から深紅の目を光らせて。
「まだいたか。お前ならすぐにでも行っちまいそうだったから心配したんだぜ?」
「明日もう一回会うって約束したじゃん」
そう言うと、ヤコブは肩をすくめた。
「何だ、素直だな」
「おれは約束破ったりしないよ」
唇を尖らせてみせるとヤコブは、それは失礼したな、と笑った。
「だが、ちょっとマズい事になってるのが分かったもんで、先に来たんだヨ」
その声に真剣味を感じて、おれは思わず声のトーンを下げる。
「何があったの?」
尋ねると、ヤコブは金髪をさらりとかきあげた。
一瞬だけ整った顔立ちが露わになる。白い肌に似合う深紅の瞳、おれと同じかそれより若いくらいの歳に見えるが、本当のところはいったい何歳なのか。すっきりとつり上がった目は深い叡智を感じさせた。
その深紅に鋭い光を灯し、ヤコブは言った。
「軍神アレスがやりすぎたんだヨ」
「何? どういう事?」
「炎妖玉の息子が弱ってるのをいいことに、支配下に置きやがった」
「?!」
アレイさんを支配下に?! いったい、どうやって?!
思わず息をのんだ。
とん、とおれの額のリュシフェルの印をついて、ヤコブは言った。
「落ち着けよ、黄金獅子の末裔。俺様はリュシフェルに借りがある。その憑代であるお前を無茶に放り込むわけにはいかねぇんだ」
どうしよう。
心臓の拍動が速まっている。
今すぐに、アレイさんのもとに行きたい。
「まずは情報を集めてからだな……」
話を続けようとしたヤコブの額に、ぴしゃりと女医アウラの掌がヒットした。
「待て、ヤコブ。話が見えん。私にも、そこで呆けている美人と犬にも分かる様に話せ」
まるで息子を叱るような口調で。
「アホか、アウラ。聞いたら戻れねぇぜ?」
「それを言うなら、お前の正体を知った時点で戻れなくなっている、だろうが」
アウラの言葉で今度は特大のため息を吐きだしたヤコブは、先ほどから話についていけていないシドとルゥナーを見て、肩をすくめた。
「さあ、どうするヨ、黄金獅子の末裔」
「おれが決めるのか?!」
明らかに、ヤコブが殴りこんできて話がややこしくなった形なんだけれど。
「ヤコブ、お前結構、めんどくさいヤツだな」
「んー?」
誤魔化すように口元を笑いの形にしたヤコブを見て、おれはため息をついた。
「でも、ヤコブはおれのこと手伝ってくれるって言ったよね?」
「ん、まーな。正確にはお前じゃなくリュシフェルだが」
「ありがとう、ヤコブ」
それを確認してから、最初に女医に向かって尋ねた。
「アウラは、おれが頼んだら一緒に来てくれる?」
「お前に興味があるからな、ついていってもいい」
「ありがとう、アウラ」
次に、シドの方を見る。
「シドはどうせ一人でここに留まる気はないんだろう?」
「勿論です」
迷いなく返答した藍色の瞳に秘めた意思の強さは、とても心地よかった。
「ありがとう、シド」
最後に、おれはルゥナーに確かめる。
「ごめんね、ルゥナー。最初に頼んだのはリュケイオンに入るまで、っていう約束だったんだけど……もう少しだけ、一緒にいてくれる?」
おそるおそるお願いすると、ルゥナーは微笑った。
とても魅力的な笑顔で。
「グレイスはみんな巻き込んじゃうのね。無口だったシドも、リュケイオンの人も、人だけじゃない、天使まで」
「ヤコブがいるのはおれじゃなくてリュシフェルの為だよ」
「それでも、よ」
ルゥナーが笑う。
「不思議なのよね。自分の事より他人のことばっかりで、一生懸命で……グレイスを見ていると、放っておけなくなるの。一緒に頑張ってあげたくなるの」
さらりと長い銀髪をかきあげて、澄んだ青い瞳をおれに向けた。
「大丈夫よ、私は貴方がウォルジェンガさんと再会して次の目的地に向かえるようになるまで貴方をサポートするわ。きっと、モーリも同じ事を言うはずよ」
「ルゥナー」
おれは生まれてからこれまで、あまりにも普通とかけ離れた生活を送ってきたかもしれない。
15歳まで塔に幽閉され、グラシャ・ラボラスと契約してグリフィス家を滅亡させた。そしてリュシフェルに額の印を刻まれて、レメゲトンになって、戦争に行って、大切なものをたくさんなくして。そして、結婚してようやく幸せになったと思ったら全部壊されて、子供を遠くへ置き去りにして国境を越えて。
平穏を願ってもかなわない。
それは、身にしみている事だった。
でもそれ以上に、おれは周囲のヒトに恵まれている。
「ありがとう、みんな」
大丈夫、おれはまだ戦える。
くじけそうになるたび、心の中で呟いてきた台詞を繰り返した。
「軍神アレスのところに行こう」
これまでずっとアレイさんはおれを助けてくれた。
今度はみんなの力を借りておれが助けに行くよ。
だから、待っていて――