SECT.19 ヤコブ=ファヌエル
「ウリエル――?!」
グリモワール王国でコインの悪魔以外にもリュシフェルやメフィストフェレス、ベルフェゴールのように有名な悪魔がいたように、セフィラが召喚する天使以外にも多くの天使が存在する。
その天使たちの中で異彩を放つ存在、それがウリエルだった。
「ウリエルって、あの『孤高の伝道師』?」
「よく知ってんな、グレイシャー=ルシファ=グリフィス」
「有名だもん」
ウリエルに関する逸話は突飛なものが多く、天使の中では天使らしくない、と言わざるを得ない。
人間に協力的な働きをする事がないという点では、天使よりずっと悪魔に近い存在なのかもしれない。独自の考えを持ち、決して折れない。その意思の強さは時に、方向を間違っているのではないかと思われるほどに真っ直ぐだ。
そしてウリエルは、天使でありながら魔界の味方をし、天界の王メタトロンによって追放されたとも言われている。
「お前ほどじゃねぇよ、グレイシャー=ロータス。それともグレイシャー=L=クロウリーという名にでもなるのか? それともラック=クロウリーか? いや、お前が最初に名乗ったのはラック=グリフィスだったな。リュシフェルは確か……そう、ルークって呼んだなぁ」
「よく知ってるね」
思わず笑った。
そんなおれの様子を見て肩をすくめたウリエルは翼をたたみ、席に着いた。
「あ、翼閉じちゃうの? すごくきれいなのに」
「このままいたんじゃ、お前の隣にいる奇麗な人間の口がふさがらなくなっちまうからな。そりゃもったいねぇ。美しさはそれだけで宝だぜ?」
はっとみると、ルゥナーが隣で硬直していた。
「大丈夫? ルゥナー」
「……ええ、なんとか」
ルゥナーは額に手を当てて首を振った。
「ごめんなさい、ちょっと頭を冷やしたいの。少し、外に出てくるわ」
「うん、分かった」
自ら悪魔を召喚するおれでさえ驚いているのだ。
これまで天使とも悪魔とも程遠い生活を送ってきたルゥナーにとってどれほど驚くことだったか、想像に難くない。
ふらふらと部屋を出ていったルゥナーを見送って、おれはウリエルと向かい合った。
「さぁ、こっからが本番だぜ、黄金獅子の末裔。お前は俺様の正体なんかよりずっと知りたい事があるんだろう?」
「……ウリエルはほんとに何でも知ってるね」
「その名で呼ぶんじゃねぇヨ。俺様の名前はヤコブだ」
「じゃあヤコブ、教えてほしい事があるんだけど」
「何なりと」
ヤコブは金髪の間から真っ赤な目をちらつかせて笑った。
「おれのことを知ってるくらいだから、アレイさんのこと、知ってるよね?」
「ああ、知ってる。アレイスター=ウォルジェンガ=クロウリー。それとも、ウォルジェンガ=ロータスと言った方がいいか? マルコシアスの息子だろ、炎妖玉の息子って名をよく聞くな」
マルコシアス。
その名に心臓がぎゅっと掴まれる感覚を受けた。
「……うん、そう」
「知ってるぜ。3日ほど前にリュケイオンに飛び込んできた。サンダルフォンのヤツが追っかけてきやがったから追い返しといたけどな」
「え、追い返した?!」
「当たり前だろ、人が大人しく暮らしてるとこにわざわざ飛び込んできやがって、ったくもう、ふざけんな」
「んじゃ、アレイさんは生きてるの……?」
「ん? ああ、そりゃぁな。怪我はしてたようだが元気だったぜ?」
頭をがりがりとかきながら、ぶっきらぼうにヤコブは言い放った。
――アレイさんは生きている。
死なない、という誓いを信じていたけれど、改めて力が抜けた。
「生きてるんだ……」
心の底からほっとした。
ずるずる、と机に突っ伏した。
「よかった……!」
その瞬間、麻痺させていた心が動き出した。
約束したから。
必ず生きて、リュケイオンで。
「アレイさん」
会いたい。
会いたい。
会いに行かなくちゃ。
「ありがとう! ヤコブがアレイさんを助けてくれたんだね」
「助けてねぇよ。助けるつもりもねぇ」
もしかして、このぶっきらぼうな口調とやる気のなさそうな雰囲気は、見せかけ?
本当はもっと優しいヒト?
「じゃあ、アレイさんはどこに行ったか分かる?」
「それは知らねぇ。『テオゴニア』がのこのこ出てきやがったから俺様は逃げたしな」
テオゴニア。
アウラの話にも出てきた。
「その……『テオゴニア』って、なに? アレイさんはどこへ行ったの?」
「『テオゴニア』ってのは、リュケイオンの宗教組織だ。そうだな、確かにグリモワール王国出身のヤツには分かりにくい概念かもしれねぇな」
「どういうこと?」
「リュケイオンて国はな、グリモワールやセフィロトと違って、宗教と政治が全く独立してんだよ。要するに、お前の思うような王様や議会のほかに、全く別のヤツがレメゲトンをやってるってことだ」
「王様がレメゲトンを任命するものじゃないの?」
「違うな、王が悪魔を従える、という図式事態が違う。リュケイオンにおいて、王を擁する組織と悪魔を擁する気持ちは別のものなんだ」
「……?」
よく分からない話だった。
悪魔を使役するレメゲトン。レメゲトンを任命するのは歴代のグリモワール王家だった。グリモワール王家が悪魔を統括しているといっても過言ではない。
その二つが分離することはあり得ない、同一のモノだ。
悩み始めたおれを見て、ヤコブは笑った。
「まあ、細かい事は分からなくてもいいんだが、とにかく国家組織とは別の組織がもう一つあると思ってくれ」
「その二つは喧嘩したりしないの?」
「んー、あー、そこは難しいところだが、グリモワールとセフィロトのように戦争を起こすことはまずないだろうな。相互扶助だ、相互扶助」
うーん、ますますよくわからない。
もしグリモワール王国で――そんなことぜったいにしないといいきれるけれど――レメゲトンが王家から独立しようと考えたら、悪魔を擁護するヒトと王家を擁護するヒトとで国が真っ二つに分かれてとんでもない諍いになってしまうだろう。
「それ以上考えんのをやめやがれ、黄金獅子の末裔。お前の頭は難しい事を考えるのに向いてねぇヨ」
「……分かってるけどさ」
そんな台詞は言われ飽きた。
「じゃあ、『テオゴニア』ってのが何なのかは分かった事にしてさ」
「いや、お前わかってねぇよな?」
「そこは分かった事にさせてよ。どうせこれ以上教えてくれる気なんてないくせに!」
「ほー、よくわかったな。阿呆の鳥頭のくせに」
聞きなれた言葉にどきりとする。
そう、このヒトは『孤高の伝道師』ウリエル。
最も鋭い眼力と洞察力を持つウリエルは、この世のすべてを知るとも言われ、予言、啓蒙、解釈の伝道師だ。
「だからさ、結局アレイさんはどこへ行ったの? もうここにはいないんだよね?」
少なくとも、おれが感知できる範囲に悪魔の気配はないから。
「俺様はテオゴニアが出てきた時点で退いたから、ここからは噂話になるんだが――」
そう前置きして、ヤコブは机を指でなぞった。
すると、指が通った部分が光り輝く線になった。
「これがディアブル大陸だと思え。こっち、東が旧グリモワール、そこから内陸のセフィロト、南はアール、北はクトゥルフとケルト、そして西側にこのリュケイオンがある」
ヤコブは机の天板に指を滑らせ、さらさらと地図を描いていった。
「んで、いまいるのはここな、セフィロトとリュケイオンの国境だ」
ヤコブは地図の真ん中あたりを指す。
ぽう、と青白い光が灯った場所は、いまいるアクリスの街なのだろう。
「聞いたかもしれんが、宗教組織『テオゴニア』にはレメゲトンのように精霊たちを呼び出す事のできるヤツらがいる。それが『オリュンポス』といって12人いるんだが、その12人は国内に散らばっている」
地図の中に、白い点が12個現れた。
「ここからずっと西、首都には主神『ゼウス』がいる。北の国境には女神『ヘラ』、そしてここ、東の国境であるアクリスを担当してんのは、軍神『アレス』というオリュンポスだ」
ほぼ正三角形を描いた3つの点が地図の中で煌めいた。
「炎妖玉の息子をオリュンポスが連れ去ったというんだったら、おそらく相手は軍神『アレス』とみて間違いねぇだろうな」
「軍神アレス」
軍神、という名がつく以上、とても強いヒトなんだろう。
「目的は俺様の知るこっちゃねぇが、もし本当にアレスが炎妖玉の息子を連れ去ったとしたら、帰る先はアレスの居城しかねぇヨ」
「それはどこ?」
「ここから丸一日ほど西へ向かえ。そしたら、趣味の悪ぃでっけぇ城が建ってるからすぐわかるだろ」
「西だね。分かった」
聞いた瞬間に立ちあがっていた。
それを見て、ヤコブは肩をすくめる。
「おいおい、いまから行く気かよ」
「当たり前だよ。場所が分かったんならすぐに行くさ」
「やめとけ。今のお前の状態じゃアレスに返り討ちだぜ?」
「でもっ」
「まあ、落ち着け。茶でも飲め」
ヤコブはひょい、と指を動かすだけで容器を空中に浮かせ、おれのカップにあのいい香りのする飲み物を注いだ。
「今日はいろいろしゃべって疲れたからな。続きはまた明日、教えてやるよ」
「でも、おれ」
「今日は待て」
有無を言わさぬヤコブの言葉に、おれは口を噤んだ。
「明日の朝、もっぺん来い。リュシフェルには俺様も世話んなったからな、多少は手伝ってやるヨ」
「ほんと?」
ぱっと顔を上げると、ヤコブは、お前はゲンキンなヤツだな、と笑った。