SECT.17 アウラ=スーン
リュケイオンに入ってすぐの街で医者を探した。
おれの左手も深刻だったが、それ以上にシドの容体が危うかったからだ。
医者に、一度縫合された傷が開いている、怪我人にいったい何をさせたんだ? と問われた時、何も言い返せなかったのは事実だ。
シドを病院に押し込めて、一息。
おれは国境を越えたあたりでずいぶんと元気になっており、左手の痛みもラースの声もずいぶん遠ざかっていたのだが、念のため一日病院で経過を診る事になった。
その診療所にいたのは気の強そうな熟年の女医さんだった。そのヒトはおれの左手よりも、全身に刻まれた古傷の方が気になるようだった。
「……おまえもオンナなんだから、やんちゃするなよ」
アウラ=スーンと名乗った女医は、おれに向かってポツリとそう言った。
片手にタバコ、ふわふわ天然パーマの茶髪を後ろで無造作にくくった、彫りの深いリュケイオンのヒトらしい容姿の彼女は、おれのことをちょうど自分の娘くらいの年頃だ、と言った。
「これはだいたい全部戦争で受けた傷なんだ。これからは気をつけるよ」
「ああ、4年前の戦争か……お前みたいなガキも参加したのか?」
「……おれ、こう見えても23歳だよ、アウラ」
「はぁ? どう見ても16・7のガキだろうが」
「もう結婚してるし子供もいるよ」
そう言うと、今度こそアウラは目をむいた。
「これで母親?!」
「どうしても国に留まれない理由があって、子供は知り合いに預けてきたんだけどね」
そう言うと、アウラはふーっと細く煙草の煙を吐いた。
「……まあ、詳しくは聞かんよ。正義ってのは一口に語れるもんでもないからな」
「ん、ありがと」
「ワケアリなのは一目で分かるが、いったい何をした? なぜセフィロト国を抜けてリュケイオンに来た?」
アウラに聞かれて、おれは一瞬口を噤んだ。
「……おれは、戦争で大罪を犯したんだ」
おれの言葉に、アウラはふっと手を止めた。
「そのせいで、セフィロト国から追われている。でも、おれは罪を償うためには捕まるわけにいかない。だから、リュケイオンに逃げてきた」
「ふーん、お前、グリモワール出身か」
「うん、そうだよ」
「これから行く当てはあるのか?」
「一応ね、知り合いの故郷に向かおうと思ってるんだ」
「どこだ?」
「うん、海を渡って『ソルア』に行こうと思って」
最期のレメゲトン、ライディーンの母の故郷だという大地。世界の中心に位置するその国は『光の国』とも呼ばれている。
「一人でか? それとも、隣でくたばってるヤツと二人か?」
「シドもそうだけど……他に連れがいるんだ。えと、結婚してる相手なんだけど、先にリュケイオンに来てるはずで、早く探さないと」
アウラはそれを聞いて眉を寄せた。
「……詮索するようで悪いが、それは先日、セフィロト国の神官がリュケイオンに侵攻した事と関係あるか?」
おれは息を止めた。
それを見て、アウラはすぅっと細長く煙草の煙を吐いた。
「リュケイオンにも噂が流れている。セフィロト国の神官は、旧グリモワール王国の天文学者レメゲトンを追ってやってきた、と」
心臓の音が耳元で鳴り響いた。
「そのあと、どうなったって……?」
「私が聞いたのはすべて噂話だ。もしそれが本当だとすれば、レメゲトンは『オリュンポス』に拘束された、と聞いた」
「……オリュンポス?」
「ああ。グリモワール王国にかつて天文学者が、セフィロト国に神官がいるように、リュケイオンにも政治組織と別に、信仰を促す宗教組織が存在する。その宗教組織を『テオゴニア』と呼び、そこに属し、12の精霊を呼び出す事の出来る職に就いたものを『オリュンポス』と呼ぶのだ。要するに、オリュンポスはレメゲトンやセフィラと同義だ」
「じゃあ、アレイさんはその『オリュンポス』ってヒトたちに連れ去られたってこと――?!」
思わずそう叫ぶと、アウラは手にしていた煙草を床に落とし、ぐりり、と踏みつぶして火を消した。
「お前、よくそれでここまで逃げてこられたもんだな。私がセフィロト国とつながりを持っていたら、この瞬間にお前は強制送還だったぞ?」
アウラは大きくため息をついた。
が、おれは首を傾げた。
「アウラはそんなことしないじゃん」
「だからっ……まあ、いい。気をつけろ。リュケイオンと言ってもここはまだ国境からほとんど離れていないんだ。セフィロト国の者も多い」
「うん、分かった。ありがとう」
素直にうなずくと、アウラは再び眉を寄せ、とても23歳とは思えん、と呟いた後、一枚の紙切れをおれに渡した。
「これは?」
「町はずれの教会への地図だ。ここはセフィロト国の者も多いから、教会も多くてな。そこの神父はかなり話の分かるヤツだからここを離れる前に寄ってみるといい。おそらく、宗教組織『テオゴニア』に関しても『オリュンポス』に関しても、お前の知りたい事はだいたい教えてくれるはずだ」
「……そこの神父さんは、セフィロト国のヒトなの?」
「ああ。だが、気にするな。アイツは多少変わっていて……いや、多少というかかなり変わっていて、天使にも悪魔にも偏見はない。それで国を追い出された、と言っていたくらいだからな」
「そうなんだ」
それを聞いてほっとした。
「じゃあ、行ってこようかな」
「今からか?」
「うん、今日は元気だし、左手は動かないけど、まあそれはいつもの事だし」
「お前、その左手、本当に診なくていいのか?」
アウラは肩をすくめた。
「うん、動かないのは怪我のせいとかじゃないんだ。それに、触ったヒトがちょっと体調崩したりすることもあって……だからアウラには、触ってほしくないな」
「なんだそれは。お前自身は大丈夫なのか?」
「おれは平気。でも、周りの人にとっては毒みたいなものだよ」
「……そうか」
アウラはそれでしぶしぶ納得したようだった。
おれはベッドを抜け出し、部屋の扉に向かった。
「んじゃあ、行ってくる――」
その瞬間、おれが開けようとした扉が直前で乱暴に開かれた。
「駄目よ、グレイス。まだ休んでないとだめ」
「ル、ルゥナーっ」
扉の向こうから現れたのはルゥナーだった。
「私がどれだけ心配したと思ってるの? まだ病院を出ちゃダメよ。アウラさんも、ちゃんと止めてください!」
きっぱりと言い切ったルゥナーの剣幕に負けて、おれはベッドへ逆戻りした。
「……ごめんなさい」
「……まったく」
油断も隙もないんだから、と言ってルゥナーはおれにシーツをかけ、ベッドの脇に座っておれの頭を撫でた。
「オリュンポスの事は聞いてしまったみたいね……いま、モーリが情報を集めに出ているわ。他の劇団員も、詳しい事は言っていないけれど手伝ってくれている。大丈夫、ウォルジェンガさんの行方はすぐに分かるわ」
「ありがとう、ルゥナー」
「アウラさんがおっしゃった教会についてもいろいろな噂を聞いているわ。もちろん、神父が『人間ではないらしい』という噂もね」
ルゥナーの言葉を聞いて、アウラはふっと微笑んだ。
「ふふ、お前はいい友人を持っている」
「私だって伊達酔狂で戦後の国を二つ、横断してきたわけじゃないわ」
肩をすくめたルゥナーはとても魅力的に笑った。
「シドもさっき起きたところよ。そっちは隣の部屋だから、あとで会いに行ってあげて」
「うん、分かった」
「お前と違って隣のヤツは少なくとも一カ月、入院してもらうからな。傷がふさがるまではもっとかかるだろうが、アイツは納得せんだろう?」
「そう、その事で話があるんだったわ。ねぇ、グレイス。今度こそ本当に、リオート=シス=アディーンの舞台をやろうと思うのよ、ここから少し行ったところに大きな街があるの。そこに移動して、今度こそグレイスが戦女神フレイアの役をやるのよ」
「え、でも、シドとフェリスがやってた剣舞は?」
「モーリがきっとまた誰か拾ってくるわよ」
困ったように肩をすくめたルゥナーはくすくす笑った。
「貴方とウォルジェンガさんを拾ってきた時みたいにね」
「ホントだ」
おれもつられて笑い、アウラは呆れたように新しい煙草に火を点けた。