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第3話「深紅のドレス」

 私はドレスに着替えるべく二人のメイドを伴って衣装部屋へと移動する。衣装部屋、なんて言うと大仰な印象になるけれど、実際の造りとしては扉のないウォークインクローゼットのような感じ。ロザリンドの寝室と居室を挟んだ場所にある小さな空間で、彼女の身につけるものはそこに収納されている。衣装部屋の中ほどの椅子のそばで足を止めれば、リーゼロッテが進み出て主に問いかける。


「本日のお召し物はいかが致しましょう?」

「動きやすいものがいいわ。今日は遠出をしたいの」


 私のその一言にリーゼロッテの眉が動いた。灰色がかった目を細め、怪訝そうな顔をするのが見えた。私の視線に気付いた彼女はすぐに元の理知的な面差しに戻ったけれど、リーゼロッテの正体を知る私には納得の変化だった。彼女が口を開く前に私は先手を打って、今の表情を見逃さなかったことを彼女に印象づけておく。


「言ってなかったかしら。お父様の代理でシルトまで視察に行くの」

「申し訳ございません。失念しておりました」

「構わないわ。そういうこともあるもの。考え事が多いと特に。リーゼロッテにはシルトまで一緒に来てもらえればそれでいいわ」

「光栄に存じます」

「シャルロッテもよ?」

「……はい。ロザリンドお嬢様」


 あたかもリーゼロッテの過失のように言ったけれど、そしてリーゼロッテ本人も自分の過失のように頭を下げたけれど、実際はシルト行きは私が今決めたこと。ロザリンドがこのレルム城からシルトに赴く展開はゲーム内には存在しない。だからリーゼロッテが今日の予定を知らなかったのは当たり前のこと。それでも頭を下げるのは彼女の職業意識ゆえで、だけど「光栄に存じます」なんてメイドらしからぬ言葉が漏れ出てしまったところに彼女の内心の混乱が窺える。


 私は終始立ったまま。メイド二人の手によって白いネグリジェと肌着を脱がされ、ドレス用の補正下着をつける。メイドの選んだ下着の色はドレスに合わせた赤と黒。布地の質が良く、レースや刺繍やリボン等で装飾が施されているために簡素なドレスのような見栄えで、派手な色から連想するようなビッチな印象は全く受けない。メイド二人の間に立つ私だけが全裸だけれど、これは自分の身体ではないし、ロザリンドは同性も羨むような巨乳スレンダーだから、裸を見られても恥ずかしいとは思わない。それにここで恥ずかしがったり狼狽えるのはキャラ崩壊。身分の高いロザリンドは自分に仕える二人のメイドを対等な人間とは思っていない。こうして肌を晒すのは、ロザリンドにしてみれば下等な動物のそばで裸になっただけのことに過ぎない。しかもこの国では今、貴人や富裕層の女性の間で身分の低い同性に下着の着脱を手伝わせるのがステータスになっている。というのも──


 この世界は中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界だけれど、下着のつくりはどちらかといえば現代日本のものに近い。ブラジャーの代わりに着けるのはアンティーク調のコルセットビスチェで、高価なものは背中側に着脱用の編み上げリボンが付いている。つまり他人の手を借りなければ着けられないようになっているということ。使用人の前で裸体を晒して下着の着脱を手伝わせるのは上位女性の特権であり、誇らしく思うことはあっても恥ずかしく思うのはおかしいというのがこちらの世界の今の価値観。ちなみに高価なコルセットビスチェはガーターベルトと一体になっていて、ドレスを着るときはこのタイプの下着を着けるのが一般的。ショーツは紐パンのように左右でリボンを結ぶタイプで、これらはイラストの見栄えの良さを優先して作られた設定。現代の日本人が見て「エロい」「可愛い」「綺麗」と思うような、それでいてどことなく古風な印象を受けるような、そういう下着文化になっている。「中世ヨーロッパの下着事情を忠実に再現したところで大半のユーザーはそこに成人向け恋愛ゲームとしての魅力を感じない。むしろ感情移入を阻害する要因になりかねない」というのがその理由だった。


 そしてこれは何も下着に限ったことではない。服飾、建築、社会、政治、宗教、倫理や道徳、その他ありとあらゆることが中世ヨーロッパとも現代日本とも異なっている。かといって、無から生み出しているわけでもない。中世ヨーロッパ風の定番ファンタジー世界をベースに、世界各国のあらゆる時代の制度や文化をコラージュし、現実には存在しない魔法や魔物を投入し、ジャンヌ・ダルクを原型に大幅なアレンジを加えた聖女と魔女を随所に配置する。ある時はシナリオライターの心象世界の写し絵である作品として、またある時は現代日本の社会風俗の写し絵である商品として、膨大な情報を取捨選択して作り上げられたのが私のいるこの架空世界。窓のない衣装部屋に光明を灯す壁掛け照明はドラゴンをモチーフにした繊細なガラス細工。寝室のシャンデリアもやはりドラゴンをモチーフにしたレースのようなガラス細工で、これはロザリンドの趣味ではなく、この国の今の流行。ガラス細工とドラゴンと照明器具という、既存のものの掛け合わせによって生み出された独自性がこの世界そのものを象徴しているように思えて、私は二人のメイドがコルセットビスチェの背中側の編み上げリボンを締める間、魔法の明かりの灯された壁掛け照明とガラス細工を透かした光が壁に投げかける陰影をぼんやりと眺めていた。


 メイドの用意した深紅のドレスに私は袖を通す。肩から肘までは腕のラインに沿っているけれど、肘から先は広がっていてレースがふんだんにあしらわれているというロココ調の、いわゆる姫袖。だけど実際の中世ヨーロッパのドレスとは違ってスカートの丈は膝のあたり。シルエットだけを見ると現代日本のゴシックロリータファッションのような印象を受けるけれど、素地の質感が違うからゴスロリっぽさはあまり感じない。このドレスはロザリンドがゲーム内でいつも着ている、いわば普段着といった位置づけの衣装。ドレスの着付けが終わると、私は椅子に腰を下ろす。リーゼロッテが私の足下にひざまずき、「失礼致します」と言ってから両手で私の片足に触れる。長旅用のブーツを履かせるためだ。一方のシャルロッテは私の背後に立ち、長い黒髪に櫛を入れる。髪の手入れが終われば、ドレスと同色の髪飾りを付けるだろう。


 何故、私は突発的にシルトに行きを決定したのか。それは序盤でシルトに行けば誰に会えるのかを知っているからだった。では何故、自分のいるこの今をゲームの序盤だと断定したのか。それはこのレルム城が序盤のシナリオで落城することを知っているからだった。

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