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第1話「クソ兄の作った乙女ゲーの悪役になりました」

 目覚めて最初に見えたのは、天蓋ベッドを覆う布の描き出す豊かなドレープ。視線を少し横に移せば、居室にしてはやけに高い天井が目に入る。華美な彫刻の施された天井からはシャンデリアが下がり、様々な国、様々な時代のテイストが混在したファンタジックな装飾を見れば、自分が今、現代日本ではない場所にいることは一目瞭然。私はすぐに理解する。ここはゲームの世界だと。常識的に考えれば有り得ない話だけれど、まるで夢の中のように、私は何の疑いもなく、自分はゲームの世界に入り込んだのだと納得した。それも実兄がシナリオを書いたファンタジー系の乙女ゲーの世界に。


(……ないわ。兄貴の作ったゲームはないわ。だってこの世界にいる人全員、兄貴の妄想の産物だよ? いくら乙女ゲーだからって、私、兄貴の作った男と恋愛なんかしたくない。だっていくらイケメンでも中身はあのクソ兄だよ? ゴーグルをつけて3D映像を見ながらキモ豚とヤるのと同じじゃない? 無理。絶ッッッ対、無理)


 心の中で叫びながらベッドの上で身を起こす。

 私の兄はライトノベル作家。それなりに売れているようだけど、ラノベの仕事一本では安定収入を得られなくて、かといってあのクソ兄には会社勤めができるような社会性は皆無、そういう事情があって兄は変名を使ってゲームのシナリオやエロ小説を書いているのだけど、「お兄ちゃんはこんなに頑張っている。お兄ちゃんを尊敬しろ」と言わんばかりの態度で仕事の成果物を私に送りつけてくる。だから私は兄が女性名義で書いた乙女ゲーのことを知っている。中でも物議を醸したのが、私のトリップしたこのゲーム。このゲームは実は成人向けの乙女ゲーなんだけど、主人公のライバルとなる悪役令嬢の末路がどれも「男性向けエロゲではこのような展開になったとしても直接的には描写しない」と言われるほど陰惨な内容で、多数の非難と炎上と狂信的なファンを生み出していた。っていうかお兄ちゃん、女性ライターのフリをして母親や妹や自分を振った女に対する鬱憤を思いっきり発散したね? ネットでは「女は女に容赦しない。このゲームのシナリオとライターの性別を見れば、女の敵は女だということがよく分かる」なんて言われていたけれど、あのシナリオを書いたのはお兄ちゃんだから。知ってるから。


 そんなゲームの登場人物になってしまった二十歳の私。

 自分の身体を見下ろせば、うん、スタイルはかなり良い。巨乳スレンダーという感じ。肌も色白で肌理きめが細かく、シミや傷跡も見当たらない。とはいえ二次元キャラクターにはムダ毛も毛穴もないのが普通。そういうフェチ向けの作品のキャラとか、汚さが売りのモブおじさんとか、設定上で特別に言及されたキャラでもない限り、リアルの私より格段に肌が綺麗なのは当たり前なんだろうな、多分。だからこれだけの情報では自分がどのキャラになったのかまでは分からない。衣服から特定しようにも、身を包む白いネグリジェには全く見覚えがなかった。こんな服装差分、ゲームには実装されていないはず。ということは私は作中の誰かではなくオリジナルキャラクターとしてゲーム世界にトリップないし転移ないし転生したってこと?


(オリ主、ってやつなのかな。そういうキャラが既存キャラ相手に無双すると炎上しそうだけど、私は二次創作を書いているんじゃなくてゲームの世界に入っただけだし、少しくらい暴れても大丈夫だよね。誰も見ていないんだし)


 軽やかな足取りで私はベッドから床に降りる。

 クソ兄の作った箱庭を壊せると思うと気分が良かった。


 大理石、のような石の敷き詰められた艶やかな床を裸足で歩き、伸びをする。豪奢なベッドや広い寝室には似つかわしくない、俗っぽい動作。だけど誰も見ていないんだし、それに私は何者でもない。この世界を作った男の妹ですらないんだから、解放感は圧倒的。自宅のリビングよりも広い寝室をにこやかな顔で見回せば、壁に掛かった鏡が見えた。薔薇のような花を模した金のフレームで縁取られた額縁のような姿見がベッドを隔てた壁際にある。さて、私のオリ主はどんなグラフィックなんだろう。ベッドの上に飛び乗って、反対側まで一気に移動。意気揚々と鏡を覗き込むと──


「……ひぃッ!」


 そこに映っていたのは私のよく知る女性キャラの姿。癖のない黒髪にアイスブルーの瞳、透けるような白い肌。顔立ち自体は清楚系美少女と言えなくもないけれど、黒い髪にアイスブルーの瞳というハイコントラストな組み合わせが肌をより青白く、冷淡な印象の顔に見せる。彼女はこのゲームの主要キャラ、悪役令嬢ロザリンド。主人公のライバルであり、どのようなルートでも男性向けエロゲ顔負けの陰惨な末路を辿るキャラクター。そのロザリンドは鏡の中で今、ゲーム中のどの場面の彼女よりも情けない顔で怯えていた。


「い……嫌、こんな……、嘘でしょ……」


 私は自分の腕をつねる。ロザリンドとなった自分の身体に痛覚があることを確認する。これはつまり、これからロザリンドの身に起きることは全て私自身の身に降りかかるということ。ゲームの世界に入るというのは、架空のキャラクターの人生を3D視点で見ているだけで終わるものではない。キャラクターが死ねばその痛みは私自身に降りかかるし、死に至るまでの苦痛も全て私の脳が感じ取る。それがゲームキャラになるということ。


「だ、誰か……誰か私をここから出して! 私はロザリンドじゃない! 私は……私は……」


 自分の名前を思い出せない。この世界を作ったのが自分の兄であることははっきりと覚えているのに、自分自身のことになると何も思い出せなくなる。自分の年齢を覚えているのは、ロザリンドと同じだから。ロザリンドと違う部分については記憶がすっぽりと抜け落ちている。いや、違う。ロザリンドのプロフィールで上書きされてしまっている。私はその場にへたり込んだ。壁の向こうから慌ただしい足音が聞こえてくる。

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