マッチ売りの少女たち
「マッチ売りが来た」
「またマッチ売りの少女たちが来たぞ」
「ああ、なんてことまた大晦日が来たんだわ」
ひどく寒い日でした。街の人々は口々にを嘆き。そして叫びました。雪を踏み鳴らすそのいくつもの足音はまさしくマッチ売りの少女たちのものでした。雪をものともせず行進を続ける少女たちは、フードのひとつもかぶらず、裸足のまま歩み続ける。かつてはいていたとされる母の形見である靴はもうどこにあるかさえわからず。少女の前を駆け抜けた馬車さえも何十、何百、何千というマッチ売りの少女たちの前では道をあけるほかありません。
浮浪児たちは驚いた顔のまま道を進み続けるマッチ売りの少女たちを眺めていました。
なぜこんなにも多くのマッチ売りの少女が現れるのか。それは誰にもわかりません。もしかすると誰にも救われることのなかった少女の霊が同じような境遇の少女を呼び集めているのかもしれません。あるいは少女を殺してしまったことを悔いた人々が幻覚を見ているだけなのかもしれません。
ただ、言えることは彼らの前には道を埋め尽くすマッチ売りの少女たちがいるということです。
降り積もる雪を踏みしめて彼女たちは進みます。貧しい人々が住む地区を横切り、多くの人びとが買い物をする目抜き通りを抜け、大金持ちが集まる山手をひた進みます。街の人々はそれを遠巻きに眺めて言いました。
「一体どこに行こうというのか」
少女たちはたまに立ち止まりショーウィンドウから見える暖かな光を眩しそうに見ました。それはとてもさみしげな表情でした。別の少女は大金持ちの家の窓からのぞくクリスマスツリーを見てため息をついていました。きっと彼女の家にはツリーなんてないのかもしれません。
たくさんのマッチ売りの少女たち。彼女たちには彼女たちなりに欲しいモノや願いがあった。
でも、いまのように数千人となるともはや誰が何を考えていたかなんて分かりません。街の人々だって彼女たちの区別なんてつきません。だから、彼らは彼女たちを見ていることしかできませんでした。
彼女たちは寒そうに赤くしもやけになった手をこすり合わせ、ひどく冷え切った足を震わせながら街の一角まで来るとパッと歩みを止めました。少女の中には前の少女とぶつかってよろめくものもいれば、きょろきょろとあたりを見渡して、なぜ止まっているのだろうと言いたげ少女もいました。
住宅の窓からは鵞鳥が焼かれる美味しそうな香りがしています。家族の他愛のない会話が細切れに路地にも聞こえます。この家では家族揃って大晦日を過ごすようです。一方、少女たちには戻る家があるのかさえ分かりません。
少女たちはひもじそうにため息をつくと手にいっぱい持ったマッチを一本だけ擦りました。
それは小さな灯りでした。
でも、数千にもなればそれは違います。
眩い光があたりを照らします。燐の燃える独特の匂いと黄色の炎は少女が見たであろうストーブの姿を街の人々にも見せました。真鍮で装飾された立派なストーブにはいっぱいの薪が放りこまれており優しい暖かさが外へ溢れ出さんとしています。
遠巻きに見ていた人々のもとにも柔らかな温もりが届きました。
ああ、暖かい。こんな場所でずっといられたならばどんなに幸せだろうか。人々はそう思いました。
それは雪を溶かし街に祝福を与えるような優しさでした。ですが、それはマッチが消え去るのと同時に全ての人の目から消えてしまいました。街にあふれた温もりは北風にさらわれたように消え失せ、灯りがともる前よりも寒く感じられました。
燃え尽きたマッチを呆然と見ていた少女たちは思い出したようにもう一本マッチを取り出すと建物壁や石田畳にこすりつけました。再び眩い光が街を照らしました。暖炉の温もりで満たされた部屋には大きなテーブルがあった。そのうえには美しい刺繍が施されたテーブルクロスがぴっちりと敷かれ、磁器が等間隔に置かれていました。器からは湯気が立ち上り、なかに入れられたスープや丸焼きにされた鵞鳥がいままさに厨房から連れてこられたことを教えてくれていた。
たっぷりと塗りこまれた香辛料が空腹を思い出させます。人々は生唾を飲み込み少女たちの炎に見入っていましたがマッチの明かりはあっというまに消えてしまいました。嗚呼、と幾人かが漏らしました。マッチ売りの少女たちは、燃え尽きたマッチを地面に放り捨てると両手の指先を口元に近づけると息を吹きかけました。そして、もう一本マッチを取り出すと近くの壁にこすりつけるとシュボと、音を立ててまた美しい光輝が街を包みました。
炎の中には、誰も見たことがないような立派なモミの木がありました。気には様々な飾りが取り付けられ街の大金持ちでさえもっていないであろう凝った細工のお星様や木の実がきらきらと光り輝いています。その光はゆっくりと大きくなり空を照らすほどでした。
少女たちはそれをうっとりと見蕩れ、街の人々もまた手を伸ばせば届きそうな美しいツリーを見上げていました。でもそれもあっという間の出来事でした。マッチが燃え尽きて真っ黒になると街はまた陰鬱な夜の闇に満たされました。空には弱々しい星がちらちらとまたたいていましたが、人々にはそれが頼りなく寂しく見えました。
誰かが言いました。
「もう一度。マッチに光を!」
少女たちは声にうながされるようにマッチを握り直すとまた火をつけました。
シュボ。音と一緒に数千の灯火が闇夜を遠くに打ち払いました。
光の中にはもう会えない人々が笑顔で待っていました。死んでしまった母親や父親。戦争で遠い異国で戦死した恋人に幼いころに飼っていた愛犬。街の人々が愛して、そして失ったものがそこにありました。金持ちも貧乏人も関係ありませんでした。彼らは手を伸ばしそれをつかもうとします。
しかし、マッチ売りの少女たちが持つマッチは短く。そして儚いものでした。
黒々とした夜はすぐに戻ってきたのです。
街の人々はせっかく触れられそうだった大切なものから遠ざけられました。そして、もう一度。もう一度だけマッチの明かりをと願いましたが、マッチ売りの少女たちは皆、冷たい石畳に崩れ落ち動くものはいません。彼女たちは炎のなかに何を見たのか幸せそうな顔をしています。
その美しい顔を見ると街の人々は、さらにその炎が見たくなりました。
ひとりの青年が、倒れた少女の手からマッチを拾い上げると数本のマッチをまとめて擦りました。それは今までにない大きな灯りでした。人々はそれを見てあちらこちらに倒れている少女からマッチを奪い取りました。そして、壁や石畳、柱にこすりつけました。
シュボ。
マッチに燃える音がします。そして、人々はその幸せな光を覗き込み。笑いました。泣きました。彼らは奇跡を目にしているようでした。マッチを擦るその音は途切れることなく続きました。ずっとずっと続きました。
そして、夜が過ぎ去り朝日があたりを照らし出したとき人々は、真っ黒に燃え尽きた自分たちの街を見ました。彼らがみた美しい幻は街を焼く炎でした。彼女らが望んだ愛した人々は愛した街の灰でした。あたりには燐の鼻につく匂いと焦げた木材の煙で気分が悪くなるほどでした。
人々はまた燃え尽きた街で呆然と立ち尽くしながら自分たちが見た美しい幻影を忘れることができませんでした。あんなにいたマッチ売りの少女は影も形もありません。
でも、きっと彼女たちはまたやってくるでしょう。
美しくて小さな灯火を持って。