義昭、越前への旅
「そうか、公方様がな……」
光秀から手渡された書状を読んでいるのは、山崎吉家。朝倉家重臣の一人である。
ちなみにこの人、かなり脳筋というか戦場での武勇凄まじく、朝倉家に対する忠誠心はカンストしているお人である。まあ、内政畑には弱いようだが。というか、なんでもかんでも出来る秀吉やら光秀やら信長やらがおかしいのである。普通に考えて、常に一向宗に侵略されている朝倉を最前線で守っているこの山﨑吉家、内政やら治水工事やらを対してやれなくとも関係ない。彼は加賀から越前にやってくる一向一揆衆を押し留めていたのだから。おまけで越前領内で発生した一向一揆も鎮圧している。
それらを手伝っているのが明智光秀とその一党である。一党と言っても、光秀、弥平次、光忠の三人が馬上の士であり、それ以外は雇われ足軽や美濃からついてきてくれた足軽である(どうせ美濃に居ても部屋済みな農民が破れかぶれでついてきた)。
大体の戦で光秀はこれらを中核として一向宗に夜襲、奇襲、正面から当たると見せての隊を二つに割っての側面攻撃等、結構やりたい放題やっていた。で、手柄は全部山﨑吉家に丸投げして、給金の他に一時給付金を貰うという仕組みである。
なので、山崎吉家にはそれなりに信頼されていた。「少なくとも、こいつらは一向宗ではないな」くらいは思われていたであろう。
「既に将軍の生殺を実行した三好三人衆とやら、足利義栄なるものを立てて新たな傀儡を握らんと動いておるようですが、どうやら亡くなられた公方様の弟君が寺を脱出、還俗し、潜伏しつつ味方を募っておるようです」
「潜伏場所は分かったか? 噂程度でよい」
「どうやら、まずは六角を説得した模様です。その後、北近江に来るかと思ったのですが、これは空振りでした。しかし、この弥平次が掴んだ噂によりますと、どうやら甲賀に落ちたようですな」
「甲賀? どういう事だ?」
「はっ! 和田惟政の領地にありまする和田城に入ったという情報がありました(史実知識だけどな)」
誰もその後の動きを先に知ってますなんて、言っても信じないので、山崎吉家の中では、(この弥平次という男は草働きも出来るのか)と思われただけである。
それだけならいいが、山崎家所蔵文書の中に「明智弥平次なるもの、草働きにて大いに役に立つ男で候」と書かれているのが後世発見されるにあたって、弥平次は平成の世でNINJA扱いされる事がある。心底どうでもいいが。
「甲賀……ならば越前には関係のない話じゃな。やれやれ、一体幕府は何をやっておるのじゃ。」
前にも書いたが、これから義栄と義昭(この時期はまだ義秋と名乗っているが面倒なので義昭で統一)の猟官活動による将軍決定戦が起こるわけだが、三好をバックに付けている義栄が現時点ではかなり有利である。力関係だけで見れば。
が、朝廷にも色々な理由があり、例えば殺された足利義輝の正室は近衛稙家の娘なので、つまり三好は関白の娘婿を殺したと言う事になる。さすがに何のペナルティもなしで将軍任官なんぞ出来る訳がない。一応、この将軍の正室である近衛稙家の娘は松永久秀に保護されていたようである。この時、関白位についていたのが近衛稙家の息子である近衛前久。姉を保護してくれたのが義栄陣営だったので、一応は義栄陣営の肩を持ってはいるが、しこりは残っているだろう。それでも将軍就任の裏での手回しをしている辺り、公家として関白としての責務は果たそうとしていたのであろう。
最も、すぐに三好三人衆と松永は対立。松永久秀は義栄陣営から離脱して独自路線を歩み始めるのでこの配慮も無駄になるのだが。
そもそも松永久秀と三好三人衆は三好長慶健在の頃は家内の権力闘争してた関係である。どう考えても歩調を合わせるような事が続くわけはない。
義栄に対抗して義昭は野洲にまで幕臣を引き連れて進出。矢島御所という仮の御所を作ってここから反撃の狼煙を上げる。と言ってもろくに兵力もない義昭はまず味方を作らねばならない。河内の大名畠山氏、関東管領の上杉輝虎らに手紙攻勢をかける。自分の方が血統的に足利正統の将軍であるから、手を貸せと檄を飛ばしたわけである。あと、能登の畠山義綱などにも決起を促している。
が、まず最大戦力のはずである上杉家はこの時期、動ける状態ではなかった。いや、動ける状態だろうがあの上杉が動くはずはないのだが。この頃は武田信玄に西上野にちょっかい出されたり、常陸で小田城攻略を行ったり、里見氏を救援に安房にまで出かけたり、ついでに佐竹氏とも対立深めていたりと絶賛戦争楽しんでいる時期である。まだ将軍にもなっていない義昭からの書状なんぞ、見向きもしなかっただろう。そう考えると曲がりなりにもあの毘沙門天の化身に将軍として認められてた足利義輝は傑物だったように思える。
まあ、義昭陣営には武力というか、強力なバックがいない。唯一、それなりにまとまった兵力を持っているのが和田惟政程度では身動きも出来まい。一応、六角氏が消極的な支持というかまあ野洲くらいになら居てもいいよくらいな感覚で認めている程度である。この六角氏も後にどうみても三好のほうが有利なので義昭陣営を切り捨てるのだが。まあ、普通はそう考える。そもそも観音寺騒動で受けたダメージから回復していない六角氏が正統な血統ってだけで義昭を支援するのは無理があるだろう。
で、どうやら六角が裏切りそう(三好に付きそう)という事を掴んだ義昭一行。野洲から逃げる事にした。六角が三好に付いた事をなぜこうも迅速に知り得たのか、和田惟政は甲賀の里が領内にあったのでマジもんの忍者使ったのか、さすがにこっそり裏切って三好に付いて「じゃあ義昭殺ってこい」と三好に言われた場合を考慮して、六角側から三好に付くから出て行ったほうがいいよと密かに打診があったのか、どっちかだと思われる。たぶん後者。六角にしてみれば今まで曲りなりにも支援していた前将軍の弟の殺害犯にされると後で三好が天下取った後に「殺したのは六角であって三好ではない」とか言いがかりつけられる材料になりかねない。まあ、そういう高度な政治的判断が出来るなら観音寺騒動の時にやれよとは思うが。
野洲から逃げだ義昭一行は、若狭武田氏の下に身を寄せている。応仁の乱で活躍した家であり、家格から言えばかなり幕府上位に位置する家なのだが、そもそも今の若狭武田家にそんな力はない。それどころか、義昭一行が来た時はお家騒動(家督争い)の最中だったらしく、出兵なんぞ出来る状況ではなかった。まあ、さすがに名門である若狭武田、三好には付かない事を正式に表明している。ぶっちゃけ、国力なら三好一強(畿内なら)だが、若狭武田から見れば三好家は成り上がり者に近い。先代の三好長慶がようやく御相伴衆になっただけの家である。家格ではこちらが上なのだから、その三好家がバックについてる義栄を支持するわけがない。
が、兵は出せない。つまり、武力による裏付けにはならない。一応、兵は出せないが若狭武田家当主の武田義統の弟である武田信景を仕えさせている。なおこの信景、史実では将軍が京から追い出されて毛利にお世話になっている頃くらいまではなんとか記録があるのだが、その後ははっきりしない。一説ではなぜか毛利から脱出し甲斐武田領に潜伏していたとか色々言われているがたぶん義昭が歴史から忘れられていく内に彼も忘れられていったのだろう。
結局、若狭を出て義昭一行は越前に赴く。越前朝倉家を頼ったのである。当主は朝倉義景、朝倉家としては第10代に当たる。正室が幕府管領だった細川晴元の娘であり、側室が近衛植家の娘と何かと幕府とは縁が深い。
というか、ようやく朝倉家の下に義昭が来た。うろうろしすぎである。最初から越前行けよ、近江とかどうみてもワンチャンないやろ、京に近すぎる上に浅井長政無視して幕府再興の画策とか無茶が過ぎるわ(後の時代からならなんとでも言える)。
ちなみに越前に義昭一行が来たのは永禄九年である。とりあえず歓迎の宴が催され(当たり前だが明智家は不参加)、当面の宿となる屋敷が用意された。たぶんだが、事前の根回しとかする暇そんなになかったはずなので、空いている大きめの武家屋敷が用意されたと思う。
書いていて思うが、越前に現れたのは『殺された前将軍の弟』で『現在幕臣を連れて幕府再興(自身の将軍就任)』を最終目標にして行動し、『そのために越前から兵を出して京に入れるようにしてくれ』と頼みに来た一行である。これのどこに明智光秀と細川藤孝が仲良くなる要素があると言うのか。自分を雇ってくれている会社(契約社員)の社長のさらに上、自社も含む企業連合体の次期会長が権力闘争のために有力グループ企業の一つである朝倉家の社長に助力を願うためにはるばるやってきた……という状況でその朝倉という中々大きな会社の一グループ企業の中の雇われ契約社員が会長のお付きと親友になる? そんなの無理に決まってる。
「つまり、どうやって光秀さんが細川藤孝に接近するのかって事なんだけど」
「そんな事か。まあ、手はある。会うだけならな。それからあちらの興味を引けるか、こちらに興味を向けるように持っていく事が大切でな。会う事自体はそれほど大変じゃない」
弥平次はよく分からなかった。苦笑した光秀が説明を始めた。
「まず、こういった貴種が訪れた場合、最初の対応でどう出るかによってある程度態度を現す。決まり事とまでは言わないが、そうした方が良い。分かりやすいからな。まあ、中には笑顔で歓迎しておいて兵を伏せておくなどと言う事もあるだろうが、そこまでの事をするには相手が悪いな。捕えて三好に引き渡すとしても、三好や足利義栄は感謝すれど、旧幕臣はどうするのか? 斬ってしまうのか、それもまとめて引き渡すのか。どちらにせよ、細川も三淵も和田も様々な大名と縁戚となっている。それを理由に戦を仕掛けてくる口実にされたら越前は袋叩きになるぞ。来た相手が大物過ぎるから、これはない」
「まあ、まだ将軍になってないとは言え、足利直系だしなぁ」
「大物であるのは足利直系だからだが、時期もそうだ。大物に見える、今ならな。まあこの辺りの事は後で説明してやろう。で、まずは当然、朝倉義景、つまり朝倉家当主が主催する宴で歓待する。重臣も総出でな。まあ、この宴ではあたりさわりのない話題や越前とはこういう場所でございます、とここでしか味わえない珍味を味わって貰う事になるだろう。夜が明けたら終わりだ、その手の宴は。ここまではかなり形式的な宴となる。ここでいきなり将軍就任のために兵を挙げてくれ! と将軍が言いだし、平伏した朝倉義景がそれにははぁっ、と答える事はない。そもそも足利将軍家の後継争いに助力を求めてやってきているのは分かっているのだが、具体的にどれほどの助力が必要か、そもそもどこまでなら出せるのかという事を義昭殿や当主殿が擦りあわせる必要がある。これは義昭が連れている幕臣と朝倉の重臣、恐らく一族衆辺りが合議する事になるな。まず、そう簡単にまとまらん」
「あー、確かに纏らなかったから出て行ったんだっけ、足利義昭」
「お主が知っている歴史ではそうだったな。まあ、朝倉は越前から動けない。加賀の一向一揆が越前の一向宗と連動しながら無作為に一揆を広げ始めた。これで朝倉宗滴でもいれば、国内を朝倉宗滴に任せて京まで軍勢を押し出す。ついでに六角氏くらいを降伏させ、そうだな……朝倉から五千、六角から二千くらいを出して貰って京の守備に当たらせる。朝倉家は名門で従四位下左衛門督だ。朝廷に対して根回しすればあっさり征夷大将軍足利義昭となって終わりなのだろうが……」
一瞬、光秀の瞳に危険な光が宿った。
少しだけ思ったのである。もし、そうなったら将軍は朝倉家から送られてくる兵力だけを当てにして、新幕府が始まる。果たして、どう捌くだろうか、と。どう考えても三好と一戦しなければ収まらない。そうなれば朝倉は三好ほどの動員数はない。若狭や六角、それに浅井などを集めても足りないだろうと。そしてもう一度幕府がどうにもならなくなった時に……そういう思考が光秀の中で一瞬で弾けて消えた。
(ふん、朝倉宗滴公が健在という前提で考えるとはな、我も少し浮かれておるか)
まあ、浮かれるのは無理もない。弥平次から聞いていた通り、越前に足利義昭がやって来たのだ。この日のために一向一揆との戦いでひたすら山崎吉家の下で働いていたのだ。
「朝倉宗滴公はいない。居てもこれだけの一向一揆を抱える越前を空にするには無理があろう……この越前に来たのは間違いなのだよ。ま、その辺りは置いておく。まあ、これだけの人数がやって来たのだ。これからは公式にも非公式にも会談がそこかしこで設けられるだろうよ。
義昭一行は上洛の準備を、と。
朝倉家は今の情勢ではそれは出来ない、と。
そうなれば、山崎吉家殿にも話に来る幕臣がおろう……まずはそこからだ。何、色々と知りたそうな情報は仕入れてある。俺も、そしてお前からもな、弥平次」
「はぁ……まあ、腹案はあると?」
「ある、というか腹案というほどの事でもない。これまで山崎殿には様々な形で貢献してきた。正直、ぎりぎりではあるが私の美濃源氏明智姓を使えば山崎殿が開く宴に呼ばれる事は問題ない。相手が勝手に斉藤への伝手があるのかと勘違いしてくれるかも知れんがな。実際にはほぼないが」
(ないのかよ。少しは繋いでおけよと思ったが、そういや明確に斉藤が織田に滅ぼされてから残った奴らの話をしたらそいつらに伝手はないと言われたなぁ。元とはいえ同じ斉藤なのに……)
いや、光秀は初代斉藤道三側についた明智氏であり、美濃は道三を滅ぼした義龍が継いでるからね。しょうがないね。まあ、道三に着いて戦って生き残った奴らは光秀のように諸国放浪からどっかで雇って貰っているか、ガチで浪人しているか、義龍に戦後許して貰って帰参かになっているだろうし(当主隠居、所領半分とかで)。
ともかくようやく、そう、光秀にとっては永禄六年から待ち続けた義昭一行の到着である。早速、光秀は山﨑吉家の主催する宴に招待客として招かれる事に成功。弥平次はさすがに供として着いて行って外で待ってる係だが。
「おお、そういえば一人、紹介したい者がおりましてな。なんでも将軍様の御一行に付き従い、犬馬の労を取ろうという見上げた者です。私が一向一揆と戦をしておった時、非常に良く戦働きをしてくれた者でしてな。確か――ああ、おった、おった。十兵衛」
朝倉家重臣、山崎吉家の家で催された宴にて、三淵藤英、細川藤孝の二人に対して紹介したい者がいる、と言ってきた山崎吉家。
藤英、藤孝の二人は怪訝な顔をするが、義昭公に仕えさせたい、と聞き、態度を正した。朝倉の重臣からの紹介される武士である。居住まいを正してしっかりと見極めねばならない。
(山崎殿は義昭様を将軍にするという目的の為に動いてくださるという事か……その連絡役、か。いや、単純に部下の中でそれなりに切れる男を送り込んで義理は果たしているという理由作りやも知れぬが……)
細川藤孝がそう考えていると、一人の男が進み出てきた。
その家紋は、桔梗。
所作に優雅さと繊細さを併せ持ち、一見すると公家か貴種の御曹司にも見える。
だが、男の纏っている雰囲気、それに眼の奥で冷たく燃える炎が、藤孝には強烈に映った。
「失礼。某、美濃は明智群の出、明智十兵衛光秀にござる」
完璧な礼に沿って挨拶するその姿だけを見ていれば、どうやら十分な格式の家の者であるという事は分かった。それ以上に、藤孝は正対しているだけで周囲の気温が下がるほどの圧力を感じていた。
「――義昭様の家臣、三淵藤英と申します」
「同じく、義昭様の家臣にて三淵藤英が弟、細川藤孝に御座います……」
この先、歴史を大きく動かす二人の最初の出会いだった。
将軍様うろうろしすぎやねんw キリがいいので今回はここで区切ります。
次回こそ、細川藤孝と明智光秀の邂逅ですね(たぶん)