明智十兵衛光秀 ~日本史上、最も有名な”裏切り者”~
明智十兵衛光秀の前半生には謎が多い。
一説には美濃の斉藤道三の薫陶を受けて育ち、父が道三方について斉藤義龍と戦ったために一族は離散。光秀も美濃から出て放浪の旅に出たと言われている。
その過程で天下の政を志し、真に天下を治められる者を探して全国を放浪、ついには足利義昭を奉じて天下取りに動く織田家に接触した……との説が最も有力であろうか。この全国放浪中に毛利元就に謁見し、自分を売り込むが元就に「才は十分だがあの眼はいつか謀反人となる眼だ」と言いがかりに近い圧迫面接で落とされたという話もあるが、これは時系列的にも地理的にもこれは嘘であろう。
他にも北条家を関東統一で止まってしまう家だと見切った、武田は信玄亡き後が続かないだろうと言った、今川は公家気分であるが故に天下国家を語れないと悟った、など嘘エピソードは満載である。というか、なんで全国津々浦々回っている事になっているのだろう。どっからそんな旅費と関所スルーできる権利手に入れたんだか。さすがに後年の創作であろう。
まあ、何が言いたいかと言うと、後に華々しく活躍する明智光秀もこの永禄六年に置いては朝倉の客将……と言えばまだ聞こえはいいが重臣の家臣のそのまた家臣として非正規(捨て扶持ですらなく足軽と同じ給金制だったらしい)で雇われてるそこらの野武士に毛が生えた程度の男である。
これはどんな戦国武将にも言える事だが、後に成功した武将はとかく芽が出なかった頃のエピソードを捏造したがる。初陣で手柄首を~とか、負け戦の中で奮闘して殿の眼にとまった~とか。まあ、そういう捏造が出来るって事は後世に伝わるほどには活躍し、生き残っているわけなので、何のエピソードも残さずにただ歴史の波の中で漂うゴミ以下の存在だった者がほとんどである。捏造できるだけの地位にまで登った彼らは幸せなのかも知れない。
すっかりどうでもいい話が続いたが、要は明智光秀という男、信長の上洛に着いて行った辺りまでの経歴はかなり怪しい。足利義昭を寺から救い出した一人になっていたり、足利義輝存命の頃から細川藤孝と知己であったとか疑わしい話が非常に多い。
そもそも足利幕府の直臣であった細川藤孝と、朝倉家の契約社員であった明智光秀が出逢ったのは当然、足利義昭が越前に下向してからであろう。朝倉家に居た頃の光秀は、京に情勢を探りに行く事くらいはあっただろうがそこで幕臣として取り立てられたという話には無理がある。足利家の直臣ともなれば名家揃い、新参が入り込むにはそれこそ三好長慶くらいの大勢力の主として近畿に乗り込み、管領細川晴元を追い落とすくらいの事をしないといけない。
光秀の行動が世に出始めるのは、足利義昭が織田家を頼って美濃に赴いてからであろう。
この時、織田家への伝手として光秀がそれを担ったという説がある。
織田信長の正室、濃姫は光秀の従兄妹であったという。まあ、それはさすがに嘘くさい。濃姫が従兄妹なら朝倉で日雇いしてるくらいなら織田家に士官したほうが良いだろう。光秀には妻も子も一族衆も居たのだから、正規に士官できるルートがあるならそっちを頼るはずである。よって従兄妹は言い過ぎかも知れないが、なんらかの血縁関係にあったという話もある。
まあ、濃姫様がそもそも謎の多い人物であるので光秀との関係はあったのかなかったのか、微妙なところであろう。
ただ、美濃を制した信長の下には元斉藤家家臣や斉藤道三に付いて斉藤義龍と戦い、浪人していた者などが居るはずである。その伝手は少なくとも美濃明智群出身の光秀にはあったはずである。信長に将軍を引き合わせる事は可能であっただろう。
とにかく、明智光秀は織田信長に渡りをつけ、足利義昭を奉じて上洛に動く事を約束させた。無論、光秀だけの功績ではなく、細川藤孝やその兄、三淵藤英がうまく信長を説得したのであろう。
こうして歴史が動き出した。美濃を制した信長は東の脅威を今川から独立した三河の松平氏と同盟する事により取り除き、甲斐の武田とは嫡男である奇妙(後の織田信忠)と武田の姫との婚姻政策により一応の同盟関係を取り付けて、上洛の途中にある北近江の浅井とは妹の市を嫁がせる事によりこれまた同盟を結ぶ。
こうして信長の上洛は始まり、途中で南近江の支配者、六角氏を踏み潰すとそのまま上洛。三好三人衆は信長の大軍による上洛により京周辺から一時撤退。将軍足利義昭が誕生する事になる。
光秀はこの頃から正式に幕臣として取り立てられたようである。十五代将軍となった足利義昭は、幕府の再興に乗り出すが、織田家は京都所司代という役職を設置。これに明智光秀と木下藤吉郎が当たる事になる。
その後、光秀は織田家と足利将軍家との橋渡し役を長く務め、織田家の将としての活躍も目立ってくる。朝倉氏討伐の軍に明智光秀の名は記されているし、比叡山攻め、将軍の追放、丹波攻略、丹後平定、武田氏滅亡の戦となる甲州征伐への参加など様々な戦で功績を挙げ、一時は寄騎の石高まで合わせると二百四十万石以上を治める地位にあったと言う。
「で、その後、何かよく分からんけど裏切るんだよね、信長を」
「ちょっと待て。なぜ我が信長を裏切る。聞いた限りではこれ以上ない出世を果たし、立派に報われているではないか」
「いや、俺に聞かれても。実際、俺の居た時代でも明智光秀の起こした史上最大の謀反劇である本能寺の変はまだ分かってない事が多いんだよ。一番の謎が光秀の動機って言われているくらいだし」
「……史上最大の謀反劇と? つまり、我はそれだけ大それた事をやったわけか」
「そりゃあ、その当時の織田信長ってほぼ天下人だよ。近畿一帯どころじゃなく、東は北条攻略に取り掛かっていたって話だし、甲斐も信濃も取ってるし、上杉家も柴田勝家に滅ぼされる寸前だったし、西は毛利に対して押しまくってたし……四国も征伐軍を送り込む寸前だったはず」
「ほほう、天下統一が明確に見えておるな。毛利を降せば後は西に残るは九州だが、そこまで勢力が拡大した織田家には抗しえないだろうな。四国は征伐の方向で動いていたのか。その頃には三好はすでに勢力を失っていると?」
「あー、四国は土佐の長宗我部が統一寸前まで行った」
「長宗我部……余り聞かぬ名だな。まだまだ乱世の英雄は生まれると言う事か。いよいよ分からん、なぜその段階になって我が主君を裏切って謀反を起こす必要がある? 考えられるのは……ふむ、我はその頃になると二百万石を超える大名となっていると言ったな?」
「寄騎合わせてだけど、近畿圏でそれだけ持ってたらしいよ」
「信長がどんな天下を描いていたのか分からぬが、近畿にそれだけの勢力を持った部下はまずかろう……信長が我を排除しようとして逆に謀反を起こして討ち取った、つまり下剋上を起こしたという事か? 筋は通りそうだが。待て、そもそも信長は天下人に等しい地位に居たと言ったな。それを討った我はどうなった? 謀反劇として伝わっているという事は、我はその後に天下人にはなっていないという事であろう」
(こういう所がチートだよな、このおっさん……)
「えー、言いにくいのですが……」
「今更であろう」
「それもそうだ。信長を討った後、地盤を固める前に、中国方面軍の指令官だった秀吉が戻って来るんだよ。大軍率いて。で、山崎の戦いってのが起こって、勝ったのが秀吉。十兵衛さんは……その……落ち武者狩りで……」
「色々言いたい事はあるが、杜撰に過ぎないか、その計画は。信長を討った後に地盤固めとは悠長に過ぎる。謀反とは起こす前に大義名分を用意し、味方を募り、単独ではなく複数の協力者を用意して恨みを分散する事によって初めて成り立つのだ。まして、相手は実力で天下人に登った人間であろう。よほどの無能か、それにより周囲から恨みを買い続けている者であればいきなりの下剋上も成り立つであろうが、そうでなければ謀反人を討った者が讃えられるだけの結果になろう」
「大正解っすね。あなたを討った秀吉が後の天下人です」
「ほう、なるほど。信長を討った謀反人を討伐した功績ともなれば、実質的に織田家の乗っ取りも可能であろうな。まあ、我の死後の話などどうでも良いわ。しかしそうか……どんな形とは言え、この我が、四百年を超えて先の人間に名を覚えられるほどの事をやったと言うか……ふふ、良いぞ、とても良い。素晴らしい。何事もなく名を残す事もなく野垂れ死ぬよりも、逆賊としての名を残すか。それも良い、良いな」
(ちょっと怖いっす、光秀さん……)
「しかし、謀反人として名を残すよりはやはり天下にこの男ありという形で名を残したいものだな。ふむ、お主の言う事が本当なら、しばし一乗谷に滞在し、後の将軍様を迎えるのを待つのが良いな。その後、織田家に取り次ぐか……しかし、今の織田家が美濃の斉藤を倒せるかどうか……いや、お主の言を信じるなら倒すのだな」
「そっすね。斉藤龍興を追い出して美濃を統一したのが確か……えーと、永禄十年だったかな」
「ほう、さすがに今川氏を桶狭間で破ったとは言え、鎧袖一触とはいかぬか。まあ、尾張と美濃の国力を考えてもそう簡単にはな。よし、とりあえずお主を信じよう。どうせ将軍殺しの件が起これば分かる話だ。お主、我と共に来い。行くあてはあるまい?」
「あ、それはありがたいっす。荷物持ちでもなんでもやるんで連れてってください。割と切実です」
「荷物持ちなぞやらせんよ。お主は我が持つ最高の手札になり得る。今日より我と同じ明智姓を名乗れ」
「へ?」
「明智弥平次。そうさな、明智弥平次秀満という名乗りはどうだ。何、我が今度の旅で故郷より引っ張って来た縁戚の子という事にすれば良い。武士の作法や一通りの事は我が仕込んでやろう。明智姓はこれでも源氏の流れを組むものよ。今後活動するにも武門の裏付けはあるに越したことはないからな」
「……えー、そんな簡単に……」
この申し出にはさすがに弥平次も即答出来ない。明智姓を貰うと言う事は、今後武士として生きていくという意味である。自分に武士として生きる事が出来るのか、人の生死に関わるような生き方が出来るのか……。しかも平成の世であるとはいえ、鷹抜弥平次として生きて来たのだ。その名にも拘りが……。
「嫁の当てにも困らんぞ?」
「お願いしまーす! 明智姓最高や! 鷹抜なんてどうでも良かったんや!」
弥平次、熱い掌返し。
(まあ、これでこの男がただの法螺吹きであったなら、病死にでも見せかけて消せばよい)
無論、光秀はこれくらいの事は考えている。当たり前の事であるが、その可能性は低いと思っていた。
(我の名を聞いて、歴史上最も有名な反逆者と言う……ただの法螺吹きであればそんな事を言う必要はない)
こうして一乗谷の外れで、一組の主従が誕生した。
次回「足利義輝 ~剣と権を握った悲劇の将軍~」に続く。
たぶん。