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桔梗の狂歌  作者: そる
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始まり ~永禄六年・越前一乗谷~

2000年代に入ったばかりの頃、京の古い寺の蔵から大量の冊子が見つかった。

丁寧に封をした木箱に入っていたその冊子は、専門家の手によって鑑定され、間違いなく1500年代のものである事が確認された。

歴史は古いが特に有名でなかった寺から見つかった冊子は、実は大発見だったと分かるのはそれからすぐの事である。


「桔梗の狂歌」


題名にはそう書かれていた。


書かれていたのは、一人の武士の生涯である。

その武士の名は弥平次。明智弥平次秀満。


明智光秀研究の中で、弥平次の名は幾度も出て来る。

相当に光秀に信頼されていたようで、たびたび光秀が弥平次に相談事を持ちかけたり、自分がいない間の代将を任せたりしている。

が、この明智弥平次、これまでの研究では不明な点が多かった。


いつから光秀に仕えていたのか? 専門家の間でも美濃を出て越前にいた時には既に配下として仕えているという説を唱える者も居れば、将軍足利義昭が美濃へと移った時にその名が初めて確認できると言う者がいる。

出自は何なのか? 美濃明智氏の出自ではあるが光秀との血縁はなく、地侍の一人であったという説、光秀の甥であったという説、光秀の妻の実家から有望な若者を明智姓を与えて取り立てた節などがある。

身分はどうだったのか? 光秀の若き軍師という説、光秀の側役かつ一部隊を率いる将であった説、光秀が坂本城主になった時には他の城の城主になっていた説などこれも安定しない。

武勇はどうだったのか? 光秀の半生に付き添った武士である。それなりの腕利きであった事は確かだが、彼が首級を挙げたという記録はこれまで見つかっていない。

彼の名が出て来る資料自体が非常に少ない。太田牛一の「信長行記」には僅かながら名が出て来る。

その他、「明智軍記」、「浅井家中置書」、「朝倉家評定纏」、「細川軍記」などにも名が出て来る辺り、やはり畿内で活躍した者である事は間違いない。

信長が発行した書状の中にも秀満の名は時折出てきている。光秀と同時に書かれている事もあれば、秀満だけに宛てた書状も見つかっている。

この書状を根拠として、明智秀満は織田の直臣になっていたのではないか、という説まである。これは少々、暴論だが。


研究が進むにつれ、どうやらこの書物の作者は秀満の奥方か、その侍女であろうと推測された。

漢字と仮名混じりで書かれた文章、中々の達筆だったが筆圧が僅かに弱い事からも女性が書いた物であろう、そう調査団は結論づけた。

ただ、箱に書かれていた「桔梗の狂歌」という文字が議論を呼んだ。

「題名」があるという事は、「信長行記」と同じく作者が当時の自分の知りうる限りの記録を一つの作品として作ったもの……つまりは、ある程度創作も入っているのではないかという論。

確かにその論には頷けるが、それにしては全45冊という膨大な量と精密に記された当時の軍制、織田家が置かれていた情勢、秀満自身の言葉など、この書を一次資料とするに足る内容でもあった。

結果、研究チームが発足され、当時の他の資料との整合性を取っての研究が行われる事になった。



それから10年。2010年になると解読や研究が一段落し、調査チームは解散した。

現代語版の「桔梗の狂歌」も発売され、他の歴史資料との整合性も確認された。

調査チームが結論づけたのは、これは戦国時代を畿内で生き抜いた一人の武将について詳細に記録されたものであり、そこに創作性や物語性はない、と言うものであった。

調査チームのトップである教授は会見でこう言った。

「おそらく、この冊子が完成した後で、これを木箱に保管した時にタイトルをつけたのでしょう。そして、寺に納められた。そのまま歴史の彼方に消えるはずだったものが、大掃除から発見されたわけです」

こうして一連の研究は終わった。その後、戦国時代を研究する上で避けて通れぬ資料となっていったのは、当然と言えよう。



四国讃岐大学歴史学部の准教授である香川吉弘は学生達への講義でこの桔梗の狂歌を説明していた。

「この本、明智秀満について書かれた桔梗の狂歌だが、明智光秀、織田信長という戦国時代を生き抜いた英傑を学ぶ上で避けて通れぬ道だ。今日からはこの講義に入る。

 さて、まずこの本の概略について説明しようか。調査担当となったのは京都一条大学の教授。見つかったのは2000年2月。発見された場所は、京都の寺なのだが、まあ余り有名な寺でもないから聞いたことがある人は少ないだろう。その寺の名は本能寺という」





「……永禄?」

「そうだ。今はいつかと聞いたな? 答えよう、永禄六年だ」

「……元号が、永禄ですよね?」

「他になんだと言うのかね?」


廃寺にいる二人の男が交した会話である。


問われた男の風貌は怖いの一言に尽きる。優しそうな眼は、その奥が笑っていない。

(これは怒らしたらアカンタイプや)

問うた男はそう魂で理解した。



一方、問われた男は、問うた男をじっくりと眺めていた。

明らかに素材から違う服飾、健康状態の良さそうな体だが、筋肉や傷がない。服装よりもその不自然さのほうが際立っている。


彼ら二人は越前・一乗谷近くの廃寺に居た。


いや、正確にはこの廃寺には一人の男だけが居た。問われた男である。


永禄ともなれば、近畿は三好長慶が管領細川を追い落とすためにそこら中で戦争している時代である。控えめに言って、近畿の治安は悪かった。一乗谷ともなれば朝倉氏の本拠地であり、京の都がもう一つあるとまで言われた場所であるからして、治安は良かったと思われるが、そこから出て細い街道沿いともなると治安機構が及ばないに等しい。少なくとも、夜道に一人で旅をしている者は追剥に会って殺されても誰も同情すらしてもらえないだろう。


この時代の寺というのは、とにかく各地にある。よく寺の寺領、という言葉が使われるが、これはまっとうな寺、つまり由緒正しい寺が持っている領地である。由緒正しくなくても、有力者が「娘が尼になりたいと言っていて……」とか言いだして建立すれば、寺に寺領がついてくる。大まかな説明になるが、寺領を持っている寺はそれなりにきちんとした勢力と見なして良い。


で、由緒ない寺の場合である。

永禄の世ともなれば、寺領を持たない、もしくは寺領を横領されて潰れた寺がそこらじゅうにある。それ以外にも、比叡山や高野山で修行した僧が、山を出たはいいが有力な寺への伝手もなく、どこかの寺の住職の側に……という事も出来なかった若き学僧は、田舎へ行き、ありがたいお経をあげ、地元の住職に追い払われる……就職氷河期の時代かっつーくらい渋い話である。

よって誰も坊主がいない所に行き、勝手に庵を立てる。庵というか、ボロ小屋というに等しいものだが、そこを拠点とし地道に周辺の住民と打ち解けていく……それで無事、周囲に認められて住職となれる者が勝ち組である。大抵は、犬死しみすぼらしい廃寺が残る。一応、菩薩像(安物)などが残るので、周囲の民はこれを取り払って潰したりはしない。せいぜい、大名主などが少し手を入れて住職のいない寺として使う。名主にしてみれば民は信仰の拠り所を得る。そこに住職はいないのだから、米や金を都合してやる必要もない。使い勝手のいい物件が手に入ったというものである。


そんな廃寺は人の少ない田舎にはいくらでもあった。この廃寺もそんな場所である。住職もおらず名すらない寺である。ひょっとしたらかつてこの庵を建てた者が名をつけていたかも知れないが、残った建物には何も書かれていない。


男は夜露を凌ぐためにこの廃寺に軒先を借りに来た。本堂らしき建物が残っており、誰もいないようなので、堂々と中で寝ようと思っていた。

しばし、荷を片してから横になり瞑目してから数瞬。


突然、ごとり、という音が聞こえた。


(夜盗でも来たか)

そのまま起き上がり、刀を手元に引き寄せた。月明かりしかないこの堂内では、先に抜けば刃に反射して敵に気付かれる。夜盗がまだこちらに気がついていないなら、人数にも寄るが、すぐに抜き放って殺る。それがおそらく最も安全にこの場を切り抜けられる。そう判断した男がゆっくりと眼を開く。音を立てぬよう、気配を悟られぬよう、その身に夜の闇を纏う感覚を維持したまま。


「……?」


眼を開けて、男が見たものを、男が理解するまでに時間が掛かった。


「……人、のようだが……何をしている?」


男の目の前には、潰れたカエルのように伸びている、若い男が居た。

男は天井を見上げた。ぼろぼろになっており、ところどころから月明かりが漏れているが、人一人が落ちてきたような穴は開いていない。

もう一度、目の前の男を見る。明らかにどこかから落ちたようだ。痛いのか、体を小刻みに震わせている。

(先ほどの音、この男の体勢。天井から侵入しようとして落ちてきたとも思ったが……天井はなんともない。この男、どこから現れた?)

本堂の扉は閉じている。一応、拾ってきた木板で扉が開かぬように、ひっかけている。その木板も動いていないとなると、この男の侵入経路がますますわからない。

(地下から……はないな。それならあんな音は出ない。それよりも、なぜこの男はここに? 一体何をしている?)


うらぶれた浪人一人、取られて困るものは少ない路銀と刀くらいのもの。一応、干飯などはあるが腹が減ってとにかく食糧を得ようと襲う気だったのだろうか? 

それにしては、殺気も何もない。


「い、痛い……何が起こった……」


腰を抑えてぴくぴくと震えている男が発した声がそれだった。


(……忍や物取りの線はないな)


男は刀を持ったまま、立ち上がって腰を抑えて悶絶している男に歩み寄った。


「お前、どこから現れた?」


そう声を掛けると、腰を抑えていた男はその声に気がついて顔を上げた。

「へ? あんた誰?」


「……お前こそ誰だ? 返答次第によっては、ここで斬る事になるぞ」


男はスラリと刀を鞘から抜いた。

腰を抑えている男は……それを不思議そうに見てから言った。


「……え、本物?」


「……なんだ、その反応は。禄に斬れもせぬなまくらに見えるか?」


その刀をじっと見つめて……男はキョロキョロと周囲を見回した。


(胆が太いのか、ただの馬鹿か……)


刀を持った男は判断が付きかねた。ゆえに、黙ってその行為を眺めていた。


「……ここどこ?」


「……一乗谷の外れだ。一日歩いたら一乗谷に辿り着く」


「は? 一乗谷?? いや、一乗谷って……なに、越前のとか?」


「それ以外に一乗谷があるのか?」


「……えー? ドッキリ?」


「お前が何を言っているのか、私には理解できぬが、死にたいのか?」


「……あの、つかぬ事を伺いますが、今、何年何月なのでしょう? いや、その、時代というか年号というか」


こうして冒頭の会話に繋がったわけである。



「永禄六年……1563年か……しかもここは一乗谷の外れ……越前の? えーとタイムスリップ、なのか?」


「先ほどから何をぶつぶつと言っておるのだ、お主は」


とりあえず落ち着いた様子で、何事かを呟き続けている青年に向かって壮年の男が問いかけた。


ぽりぽりと頬を掻きながら、青年が答えた。

「いやぁ……どうにも今が永禄ってのが信じられなくて……ついさっきまで俺は平成の世に居たわけでして」


「平成、だと。そんな年号は聞いた事がない。どういう事だ?」


「えーと、今が永禄なら、約450年ほど先の年号となるのかな。つまり、すっごい未来の……」


ぴくりと壮年の男の眼が上がった。

(嘘を言っているようには見えぬが、嘘にしか聞こえぬな。ふむ、狂人の類にも見えぬが)


「……続きを」


「いや、だから未来から過去に来たっぽいというか、あんたが言ってる永禄六年ってのが正しいなら今は戦国時代って事に。と言うか俺、普通に会社から家に帰っていただけなんだけど、なんかトラックにでも轢かれたのか? 転生トラックだったのか? もしそうならここは異世界……やめよう、昨日寝る前に呼んだなろうの小説じゃあるまいし……。永禄、永禄かぁ。あー、むっちゃ戦国時代じゃん。つか、永禄六年って何かあったっけ? 将軍が殺されるのは永禄八年だし」


青年は自分の置かれた状況を整理するために、色々と喋り続けた。考えが口に出るタイプである。

驚いたのは壮年の男である。目の前の男が口に出した事は、豪胆と自任している男を驚かせるに値する話であった。


「待て、今、なんと言った? 将軍が殺されるだと?」


「あー、うん、永禄八年だったはずだよ。将軍である足利義輝が殺されるのは。剣豪将軍って言われてたらしいけど、さすがに二条城に兵力揃えて襲撃されたら剣の腕だけでは無理だよねってそんな事じゃなく」


「……お主、自分が何を言っているのか分かっているのか。足利義輝は征夷大将軍ぞ。以下に足利幕府の権威が地に落ちたとは言え、正式に朝廷より任官した将軍を襲撃だと? 幕府の全てを否定する行為に等しい……どこのどいつだ、そんな馬鹿な事をする輩は」


「え、いや、そこまで大事件? 俺のような歴史ファンでもあんまり気にしない事件なのですが……」


補足すると、十分な大事件なのである。永禄の変って。近畿に激震が走った事件だぞ。戦国時代好きの多くは、これから起こる織田家大躍進とかのほうが興味あるだろうけど。


「……幕府の権威を否定でき、かつ、二条の城を襲撃できるほどの兵力を持つ。そんな大名は近畿にはおらぬ。いや、お主は永禄八年と言ったな。あと二年ある……誰だ、誰が軍勢を率いて上洛する? いや、幕府を倒すという目的を持っての上洛など……幕府の権威を認めていない大名と言うと、近畿ではない、近畿ではないとするとどこだ? 北条……遠すぎる。あと二年で京まで勢力を伸ばすとは思えない。衰えたとはいえ今川、今川から独立した松平、織田、斉藤……最短でこれだけの敵がいる。武田も座して上洛を許すか? いや、長尾……上杉もだ。関東管領を譲られたあの家が北条に自由な行動を許すか? ありえない、そんな事はありえない。しかし近畿には」


「えーっと、あのーもしもーし」


「今、京に近い勢力は六角に松永、浅井にこの一乗谷に居を構える朝倉、北畠に山名、一色に若狭の武田……六角と松永は三好と盟を結んでいる。朝倉は将軍家に攻め入るような真似はすまい、幕府はともかく朝廷には逆らわん家だ。浅井は朝倉との関係を考えれば動くはずなどない。では北畠……いや、これから二年でそこまでの勢力になるか? 無理だな、山名も一色も武田も」


「いや、犯人、三好と松永だったはず……」


「そもそも誰にも攻める大義名分がないではないか。京へと登る途上にある大名には何と言って通るのだ? 武田が大軍を擁して西上、その途上には今川、松平、織田……二年で全てを踏み潰す? 背後に上杉を抱えたまま……では京より西か? ありえるのは毛利……実力だけであれば申し分なし。しかし、将軍を討つために毛利が京に来る? 何のために? それをしてどうなる? 相伴衆という格式を与えられている家だ。これもない……毛利より西は大友だが、毛利以上に将軍を討つために軍を率いて上洛する意味も大義名分もない」


「あのー、だからその犯人って三好三人衆と松永って大名……」


「それ以外だとどこだ? 北条は遠すぎる。上杉は関東管領、東北の諸将は纏っていない。四国……三好の地盤だ。これもない。織田や斉藤がわざわざ上洛して将軍を討つ理由がまったくない。今川は……義元の時代であれば、守護職ではなく実力で守護として立っている事を宣言したほどの男だが、既にない。なんだ、自分は何を見落としているのだ? それとも自分が知らぬどこかの……」


(あ、この人自分の考えに沈んだら人の話聞かないタイプだわ)



しばらく思考の海に沈みきった男だったが、今の状況を思い出して戻って来た。

そして、こう言った。

「つまり、お主は今から数えること400年以上先の日本より来たと」


「……信じて貰えないでしょうが、そういう事ですはい。俺がもの凄いドッキリにかかってるか、これが全部夢なら別ですが」


「人の人生など他人が見ている夢に過ぎぬ、なるほど胡蝶の夢という事もあると?」

「すいません、こちょーってなんすか?」

この男、歴史全般に広く浅く詳しいがそれ以外は馬鹿のようだった。


「……」

じっと見つめてくる壮年の男。その迫力に少しビビりながらも、男は正座を崩さなかった。


「質問しよう」

「え?」

突然そんな事を言われて、間抜けた声を返した男。壮年の男はそれを無視して話を続ける。


「私の質問に答えてくれ。それによって君の話を信じるかどうか、決めよう」

「あ、なるほど。まだ起こってない歴史上の事とか、それが当たってれば証拠になると。頭良いっすね、おっさん」


(まだ起こっていない、か。つまり、この時機からそう遠くない頃、歴史に名を残すような事が起きるわけか。こいつの言う事を信じるなら、だが)

男はしばし、考え、質問を始めた。

「まず……そうだな、将軍が殺される、そう言ったな。下手人は分かっているのか?」


「えーと、さっきから言ってたんですが。三好三人衆と松永久秀です。あ、最近の研究では松永久秀は直接関わってないんだっけ? しまった、もっとちゃんと調べて置くべきだったか」


「松永……三好の家宰か。三好三人衆とやらは? 三好の連枝か?」


「名前は覚えていますぜ! 歴史オタクですから! むしろそれしか趣味ないので! 三好長逸、三好政康、いわ……いわ……岩成友通! この三人っす!」


最後の名前がなかなか出てこないのは彼一人が三好姓ではないので逆に覚えにくいという弊害があるからである。たぶん。


「どれも三好家の重臣だな。読めてきたぞ。三好長慶、病重く誰とも会わぬとの噂、どうやら真のようだな。長くはないか。小僧、三好長慶はいつ死ぬ?」


「えーと、永禄七年だから、来年っすね。病死だったみたいっすよ。なんか鬱病だったという研究結果があったし、精神的に弱ってるところに風邪でも引いたんじゃないすかね? すいません、時期までは覚えてないっす。あー、確か遺言で自分の死を隠すように言ってたって読んだような……」


「……来年、三好長慶が死ぬ。そしてその後はその三好三人衆とやらが三好を仕切る訳か。猶子の義継がまだ若年、当然のようにその三人と松永が三好家を動かす。今の三好を動かすとは、足利幕府を動かすに等しい……三好長慶がまだ病に侵される前なら、まさに天下人と呼ぶに相応しい男であったが、そうか、病か……三好義継を後見するのがその三人衆とやらか。そうなると今まで家宰だった松永を排除したくなるのは必然か……ふむ、そうなると松永と三好三人衆とやら、将来的にはぶつかるのではないか? ふむ、そうなると三好家の内紛か。長慶亡き後、船頭多くして船山に登るか。なるほどなるほど、読めてきたぞ。三好が内紛状態であれば足利義輝公、幕府の実権を取り戻さんと動くか。おそらく、細川や一色を自らの手勢として使いつつ、全国の大名に対して直接、戦の調停に乗り出せると見るはずだ。そして、最終的には三好家そのものが邪魔になる……幕府再興とはあくまで将軍が執政してこそか。足利義輝公、それだけの器量を持ち合わせていると見た。されど三好の勢力、兵力、圧倒的なればまず正面から戦う事は出来ぬ。さて、そこからどう義輝公が動くかだが……私ならどう動く?」


最後は問いかけだったが、その問いかけが自分自身に対してであり、目の前の男に対してではない事はわかったので、彼は黙っていた。


「分断、離間、その辺りか。三好義継、若年なれば、いや、若年だからこそ隙に見えたとしても不思議はない。家宰の松永、三好長逸、政康、岩成友通か。後見人が四人は多すぎると言う事か。そう言えば、長慶の嫡男は死んでいたな。弟もだ。今思えば不審よな。実弟に嫡男が相次いで死んでいる。三好家は将軍家を疑っている……そう流言を放つ者が居てもおかしくはない。将軍は三好の内部紛争に介入し、そうだな、たとえば三好長逸と政康辺りを幕府の直臣としてしまうという手があるか。松永らとは距離が空くな。さて、そうなれば松永らはそれを良しとするだろうか? いや、幕府の直臣となれば義継の後見人から外れる可能性が高い。むしろ好機と見て追い出すか? そうなればさらに三好家は混乱する……そのまま三好家に対して幕府が介入できれば、足利幕府に取って目の上のたんこぶが取れる、そう動くはずだ。しかし、三好家の者達はそれを座して見守る事はない……ふむ、そうなれば三好三人衆、暴発してもおかしくはない。将軍足利義輝公を除いて新たな将軍候補を引っ張り出し、擁立してしまえば幕府は三好の傀儡に戻る……ありうるな」


お前史実知ってるだろ――そう言ってしまいそうなほど、僅かな手がかりからこの男はほぼ正解に迫っている。


(これがチートか……)


相手がとんでもない天才である事は分かったが、とりあえず話を続ける。


「えーと、三好三人衆が確か、首謀者だったと伝わってたはず。松永久秀はその時、領国の大和に居たらしいです、確か」


「松永は領国に……そうなるとどうなる? 三好三人衆だけの決起か? 待て、お主先ほどは松永が関わっていると言っていなかったか?」


「長年、そう思われてきたんですけど、実はその時、大和にいたらしく、関わってないって最近……えーと、平成の世の研究で分かりました。確か、息子のほうが京に居てそっちが三好三人衆と一緒に御所を襲ったんだっけ?」


「ふむ、お主の言う事が本当だとしたら、状況はかなり混乱していたようだな。三好三人衆は確定か。それで、将軍足利義昭公は殺されるのだな?」


「それは間違いない。永禄八年、永禄の変って名がついて後世に残ってるくらいだし」


「そうか、足利将軍家を討つという暴挙に出るか、三好……近畿は混乱するな。今以上に混沌とした状況になる。京に近い大名は二つの選択肢を迫られる。国境の関を閉じるか、積極的に関わるか……待て、将軍である足利義輝公は間違いなくその場で討ち取られたのだな?」


「足利家伝来の宝刀を幾振りも畳に刺し、不埒者を斬って捨てては畳から刀を抜き、次々に雑兵を討ち取るも、多勢に無勢、やがて義輝主従も討死、義輝正室は近衛家に送り届けられたけど、それ以外の居合わせた幕臣達は悉く殺されたと言われてますね」


「……ならば、次の将軍は誰だ? 足利義輝公が討死したのであれば、新たな将軍が必要ではないか。三好は誰を担いだのだ?」


「……えーっと……ああ、確か三好三人衆が担ぎあげたのは阿波公方って言われた……足利義栄を将軍として担ぎあげたんだっけ。ただ、義輝の弟が脱出してるはず。それが足利義昭、確か朝倉を頼って京から落ち延びたはず」


「ほう! 義輝公の弟君がこの一乗谷に来ると! それは真か!」


急にテンションが上がったようで、大声で叫びだした男に彼はちょっと引いた。


(いきなりどうした、おっさん!)

心の中だけで突っ込んだのは、刀持った男が怖かったからである。

が、さすがに表情には出ていたのだろう、彼の顔を見た男は落ち着いたようである。


「すまん、年甲斐もなく。一乗谷に義輝公の弟君が来られるなら、繋ぎを作っておきたいところだ。立身の切欠としてはこれ以上のものはない。さて、続きだが、一乗谷に朝倉氏を頼って来るのは分かる。名家だからな、朝倉氏は。とはいえ、朝倉宗滴亡き後、京にまで軍勢を進められるとも思えぬが、その淡路公方とやらはどうなるのだ?」


「えーと、確か京都の情勢が不確かだったから、将軍宣下を受けても入京出来なくて、結構すぐに病死していたはずだけど」


事実、足利義栄は京に入る事無く病死している。


これには訳がある。

剣豪将軍と言われた足利義輝が永禄の変で討たれた後、当然ながら室町幕府は将軍不在という機能不全に陥る。この時、管領が居れば次の将軍を決めれたのだろうが管領細川氏綱はこの二年前に死んでいる。

つまり、次の将軍を決められる権限を持った者が不在であり、義輝の弟である覚慶(後の義昭)を義輝配下だった細川藤孝・一色藤長らが興福寺から脱出させ将軍擁立に動き。片や永禄の変の首謀者である三好三人衆は義栄を淡路で擁立するといった事態になった。

困ったのは朝廷である。どちらも正統性を主張し、どちらの言い分も朝廷からすれば理解は出来る。が、義栄の背後には三好が、義昭の背後には朝倉がついている(ように見える)。ここからこの二人は自らが将軍になるために朝廷工作を開始する。


とりあえず義昭が先に従五位に任官している。これに焦った義栄も猟官活動を活発化、間を置かずに同じく従五位に任官。朝廷もどちらを正式な将軍として認めるか苦慮していたようである。

困った朝廷は双方に対して「朝廷に対して誠意(金)を見せよ」と命じた。百貫を献金したらそれを朝廷への功績として将軍職を宣下する、と言ったらしい。

これに答えたのが義栄である。但し、半額に値切ったという。

猟官活動といい、この辺りは義栄陣営、つまり三好に一日の長があったようである。

というか、朝倉氏は義昭を越前で保護していたが積極的に将軍職に付けようという気配は見られなかった。加賀の一向一揆衆に絶えず侵攻されており、それどころではなかったというのが本音であろう。

むしろそんな状況で京に軍を出せるわけがない。ついでに言うと朝倉家は歴とした守護大名、幕府から任命された越前守をやっているのに京に軍を出せとか無理難題どころではない。そんな余裕はない。

全盛期の朝倉宗滴でも生きていれば加賀の一向一揆くらい吹っ飛ばして義昭を将軍職に付けられたかもしれないが、チート爺は既に故人である。

こうして足利義栄は将軍宣下を受けた。受けたのだが、この時期の京都は混沌としている。永禄の変以降、京都に近づく者は減り、周辺大名も関わりを持たぬようにしている状況だったのだ。松永家は大和に戻り、三好三人衆とはこの時機、対立関係に近くなっている。勝手に将軍殺しの一角にされていたのだ。松永久秀が怒るのも無理はない。そもそも、松永久秀の息子、久通が決起の場に居たので言い逃れは出来ないはずなのだが、どうにも松永久秀は息子の行動を知らなかったのではないかという疑問がある。

そもそも、これだけの大事件を起こすなら、三好三人衆と松永久秀の双方が御所を襲撃するべきであろう。わざわざ息子の久通を襲撃に加わらせて、自分は領国に居るというのはおかしい。三好三人衆から見れば、久秀は襲撃が失敗した場合に備えて、自分は領国に戻り息子を送り込んで、失敗した場合は息子の暴走という事で済まそうとしているのではないか……という疑いを持たれる。この程度の事、松永久秀が分からぬ訳はない。そもそも、この時期の松永久秀は三好家内では三好三人衆と静かな対立状態にあったようである。おそらく、長慶の息子である義継の後継者問題であろう。

本来、三好家の後継者問題が片付いてから、将軍を詰問するのが筋である。この時期に大和に戻っている辺り、松永久秀は少なくともそう思っていた形跡がある。が、三好三人衆はこれを好機と捉えたのではないか。

松永久秀がいない間に、幕府に対してクーデターを起こす。京に久秀の代将として息子の久通がいる。この久通を巻き込んで将軍殺しを実行してしまえば、なし崩しに松永家も巻き込める、そう思い、凶行に及んだのではないか。


彼らの誤算は、細川藤孝、一色藤長、三淵藤英らの手によって興福寺から弟の覚慶が逃げ延びた事、それに松永久秀が勝手な蜂起に怒って大和に寄って三好三人衆と敵対する動きを見せた事であろう。

実際、この一件から三人衆と松永久秀は完全に敵となり、永禄十年には東大寺内で軍勢を激突させている。



「淡路のほうが先に将軍宣下を受ける……だが、その後病死、か。ふむ、そちらに付くのは無いな。なるほど、なるほど。お主、なかなか面白い事を言う男よな」


「あー、やっぱりそう簡単には信じてくれはしないっすよねー」


「いや」


男はにやりと笑った。


「信じよう。少なくとも、永禄八年になれば分かる事であろう。お主が法螺吹きなのか、真に先の時代より来た者なのか。おもしろいではないか、ああ、とてもおもしろい。閉塞したこの一乗谷で足軽程度の働きをして朽ちていくしかないと思うておったが、これはおもしろい。そうだ、お主、名はなんという?」


「鷹抜、鷹抜弥平次。弥平次なんて、俺がいた時代ではかなり古風な名前だって笑われてたんだけど、この時代ならおかしくないよなぁ」


「……弥平次、か。ふむ、お主、しばらく儂と行動を共にせい。行くあてもなかろう。貧乏だが、お主一人くらいならどうにか賄える。聞きたい話も多いしな」


どうやら青年は永禄の世で路頭に迷う事は無くなったようである。

(これはラッキー。この人武士っぽいし、頭良さそうだしついて行くのが正解だよね)


「ああ、当てもないので、それは凄くありがたい。えーと、おたくのお名前は?」


「十兵衛だ。とりあえず、その服装では目立つな。朝になれば近くの村から服を調達してきてやろう。それまではこの寺から出るな」

確かに、青年の服装はこの時代にはないものである。スーツ姿で歩いている町民はさすがに京が近くとも目立つであろう。


服を手配してくれると言ってくれているのである。弥平次は喜んだ。と、同時に彼の名前に引っかかった。


「ん、十兵衛? え、もしかして柳生さん!」


「柳生とは、大和の柳生庄の事か? 残念ながら我は大和の出ではない。なんだ、お前のいた平成の世には柳生の名が伝わっているのか?」

「ああ、柳生十兵衛っつたら凄い有名な剣豪だよ。よく考えたら江戸時代の人だからまだ居ないか。この時代なら柳生石州斎くらい?」

「ほう……興味はあるな。柳生庄は大和の国人。今は松永久秀の下におると言う事かな。覚えておこう。ところで、一つ聞いて良いかね?」

「何すか?」


男はすっ、と背筋を正した。


「我はこれでも武士でな。いずれは立身し一角の武将と呼ばれるようになりたいと思っておる。が、今はこうして廃寺で冷や飯食らいよ。妻もろくに食わせてやれぬ有様。ほとほと情けないが……」


まったく情けないと思っていない顔で語る十兵衛。表情には自信が溢れていた。一角の武将どころか、他の者を下に見ている者の表情である。


「我の名は、お主がいた平成の世に伝わっておるかな? そこが聞きたいのだが」

「いや、十兵衛って人はいっぱいいるからさすがに分からない……」


「明智」


「は?」



「明智十兵衛光秀だ。伝わっている事があるなら話せ」



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