実験1 七道真也の人間性について。
偽霊媒師シリーズの敵役たちのお話ですが、これ単体で見てもらっても大丈夫です。
コメディ要素はかなり少ないです。
両親が死んだのは8月の日差しの強い日だった。真夏日に部屋中に飛び散った血と、光の灯らない瞳がじっとこちらを見つめてくるさまはひどく不快で、吐き気がした。父の大事にしていた金の腕時計が自身の血液でベタベタに汚れていた。母の愛用していたブランド物のバッグがズタズタに引き裂かれていた。両親の倒れ込んでいる部屋の中央に立ち、じっと彼らを見ていると、なぜだか不思議と自分が強者であるような、高揚感が押し寄せてきた。そしてひどく切なくなった。
外ではセミが鳴いていた。きっと外はとても暑いのだろう。
そうだ。警察を呼ばなくては。
少年は電話の方へ歩き出した。
***
「七道くん」
名前を呼ばれて振り返ると、クラスメイトの女子が困った顔をして立っていた。教室がざわついていることからどうやら授業は終わっているらしい。いつの間にか眠っていたらしく、授業の途中から記憶がない。目覚めたのは目の前にいるこの女生徒が名前を呼んだからだ。そのことを理解して、七道真也は目をこすりながら彼女を見た。
「なに」
「今日掃除当番私と七道くんでしょ。それで、私ちょっとこれから大事な用事があってさ、掃除当番できないかもしれないんだよね」
「うん」
彼女は笑いながら両の手を合わせた。済まなそうに目を伏せる。
「だから、悪いけどひとりでやってくれる?」
「うん。いいよ」
七道の返事に彼女は嬉しそうにお礼を言ってさっさと友達たちの方へ向かっていった。七道はその様子を目線の端に捉えながら、ぼんやりとクラス中を見渡していく。授業は終わり、ホームルームもすでに終わってしまったらしい。七道が寝ていることを注意してくれる友人も気にかけてくれる先生もこのクラスにはいない。いや、このクラスどころか七道には信頼できる人間は一人としていない。友人がいないだけではなく、恋人も家族も、七道の周りにはいなかった。孤独は麻痺していき、いつしか自身を包み込む鎧となった。誰にもこの鎧は外すことはかなわない。誰にも七道の鎧を剥ぎ取ることは不可能だ。
だが、それでいい。七道は椅子から立ち上がり、掃除道具を取りに教室の後ろにあるロッカーのもとへ向かった。いつの間にか、教室に人はいなくなっていた。
七道は静かになった教室でただひとり静かに掃除を行う。夕日がかれの頬を赤く染め上げる。もうすぐ夏が来るせいか、日が落ちるのが遅くなっているようだ。
しばらく掃除をして、掃除道具をしまいこんだあとカバンを持って教室をあとにする。廊下はしんと静まり返っていたが、遠くの方で賑やかな笑い声が響いてくるような気がした。ひたすら歩いていく中で、喧騒が聞こえてきたのは偶然だったのだろう。騒ぎのした方向は下駄箱の場所とは反対側の方向だった。無視して構わないものだ。
そう思ったが、七道は踵を返した。声は小さく今はもうほとんど聞こえない。あの悲鳴や怒鳴り声は不注意の結果だったのか。歩いていくと、一つの部屋の前から悲痛なうめき声が聞こえてきた。男子トイレのなかだ。外にはひとり男子生徒が外を見張っている。七道は目をつむった。
きっとあそこに行けば自分は痛い目にあうことだろう。過去の記憶が鮮明にフラッシュバックする。ボロボロになった体操服。片方だけなくなった運動靴。授業中こづかれる背中。蹴飛ばされた時の砂利の味。全て鮮明に覚えている。
あそこには過去の自分がいる。ここで踏み込んでしまってはあのころに逆戻りなのは明白だった。しかし、だからこそ行く意味がある。
七道は息を吐き出した。ここから始まる。この行動の結果が自分の想像通りとなるか、もしくはそうはならないのか、どちらに転ぶか楽しんでいる自分がいる。
きっと、どちらに転んでも自分は構わないのだ。この小さな実験の結果が自分の決意を変えるほどの影響を自分に与えるとは思えないから。
「お、おい。待てよ」
トイレに入ろうとする七道を少年はぎょっとして止めた。普通なら自分がここに立っているだけでほかの生徒はここに入ることはためらわれるはずなのになぜこいつはなんの気兼ねもなく入ろうとしているんだと少年はかなり動揺しながら声をかける。
「なに」
七道の怯えも不安もない声色に少年の方が驚く。
「なにって、見て分かんねぇのかよ。今ここに入るな」
「なんで」
「なんでって」
そんなことを聞かれるとは思ってもみなかったのか少年はさらに声を荒げる。
「トイレは今使ってんだよ。別ンとこいけよ」
七道の平然とした態度に少年はかなり驚いていた。少年はガタイのいい最高学年だ。それに比べてこの細っこいチビはどうして憮然とした態度で自分に話しかけてくるのか。
「いや、トイレには用はない」
「はあ?」
「この中にいるいじめっ子といじめられっ子に用がある」
ストレートな言い分に少年は、ぽかんとほうけた顔をしていた。その様子を眺めてから七道はスイっとトイレの中に入っていく。
「あ、おい!」
止める声に気にも止めずに中に入ると、一人の少年を数人の少年たちが取り囲んでいた。彼らは突然の来訪者にギョッとしたらしく動きを止めた。囲まれていた少年は涙や鼻水でぐしゃぐしゃになった顔面でこちらを凝視した。所々に殴られたようなあざがある。弱々しい視線が向けられ、七道は思わず目を背けたくなった。同族嫌悪だ。
「なんだよ七道」
同じクラスの中心人物のひとりである少年が睨みをきかせて尋ねる。全員がこちらに向き直り、七道を敵視している。
「大田くん。四方木くん。遠藤くん。永峰くん」
これはいじめっ子たちの名前。呼ばれた彼らはまゆを寄せる。
七道は構わず口を開いた。
「・・・田駅くん」
これはいじめられっ子の名前。七道は全員を知っている。しかし、関係はクラスメイト以外の何者でもない。別のクラスにいる数人も知っているというだけで知り合いではない。
「賢治、誰?こいつ」
四方木という名の少年が大田賢治に尋ねている。七道のことなど知りもしないのだろう。聞かれた大田もなぜ七道がここにいるのかわかってはいない。
そもそも七道という名の少年に対して誰も何も知りはしない。ひとりでいつもいるようなやつのことを気にかける必要などないからだ。七道はクラスに一人はいる浮いているやつだった。友達のいない暗い子供。そんな奴のことなど誰も興味がない。
いじめにあっているのがここにいる田駅という名の少年でなければ七道がいじめられていてもおかしくはなかった。それくらいつまらない存在だ。
だからこそ本来なら彼がここに居ること自体がおかしい。いじめがクラスにあることくらい、あのクラスメイトの誰もが知っている。だが、そのことを咎める者はいない。自分が標的にされる可能性があるからだ。恐怖政治のような子供特有の残酷なルール。口にこそ出さないが、暗黙の了解がそこにはあった。そして誰もがそのことを理解していた。
その中でも、特に標的になる可能性の高い者、クラスに馴染めない存在はより強固に暗黙のルールを守って生きていく必要がある。七道は弱者だった。いじめにあっていても無視する必要が課せられている存在だったはずだ。
なのに何故、今ここにいる?
いじめっ子たちは困惑していた。
「俺のクラスのやつだ。七道、なんでここにいるんだ。いや、そんなのどうでもいい。出て行けよ。いますぐに」
七道は動こうとしなかった。表情はほとんどない。怯えてもいなければ、怒りも感じていない。悲しんでもいないし笑ってもいない。七道からはなんの感情も見えてこない。
「どうしていじめるの」
それは問いかけるというよりもつぶやくような言い方だった。七道は無感情なままでそう一言だけ告げた。
「はあ?」
「田駅くんのこと、なんでいじめるの。彼はどこも変じゃないよ。君たちと何も変わらない、人間だよ」
「何言ってんだお前。キモイんだよ。さっさとどっかいけよ」
遠藤が憎々しげに七道を突っぱねた。肩を強く押され、七道は後ろに倒れた。
「教えて欲しいんだ。なんでいじめるの。いじめって、楽しいの?」
「黙れよ!お前もいじめんぞ!」
「殴って、蹴って、服を隠して、靴を捨てて、人前で恥をかかせて、嘲笑って。弱いものいじめっていつも変わらない。同じことの繰り返しだ。いじめてる側ってそんなに楽しいの?」
「黙れって言ってんだろ!」
腹を蹴られた。腕を踏まれた。そのあとはどうしようもないほど懐かしく思い出したくもない痛みと恐怖の連続だった。散々、暴力を振るったあと、彼らは飽きてしまったのかいなくなってしまった。最後に「つぎからはお前もターゲットだ」という残酷なセリフを残して、彼らは行ってしまった。ズタボロにされた七道はむくりと起き上がる。横で震え声が聞こえた。いじめられていた少年、田駅だ。
「ど、どうして・・・なんで、きたの」
彼も殴られていたが七道ほどではない。
「ごほ、頭、いたい。お腹も、体中がすごく痛いね」
「七道くん・・・なんできたんだよ!あ、明日から君も・・・君も・・・ッ」
嗚咽を漏らす彼を七道はぼんやりと見ていた。もうすっかり夕暮れは夜に変わりつつあった。下校時間はとっくに過ぎている。
七道は起き上がり、鼻血を拭った。
「帰らないでいいの?田駅くん。もうすっかり夜だよ」
「・・・いいんだ。うち、親ほとんど帰ってこないし」
「そう。ご両親は仕事で忙しいんだね」
「知らないよ。父さんも母さんも僕に興味なんかないみたいだから」
「ふーん。そう」
「あ、あのさ七道くん」
田駅が弱々しく声をかける。怯えているようだ。
「どうして僕を助けたんだ?僕ら、話したこともないのに」
「助けたっていうのかな、これ」
七道は小さく笑ってズボンの汚れを払った。助けどころか同じように殴られただけだ。
「言うよ。今までこんなことしてくれる人いなかった」
七道は田駅を見る。既視感だろうか。それとも仲間意識か。そんな集団内にのみ生まれる奇妙な感情が彼に生まれている。
「そう。別に助けたわけじゃないけどね」
それだけ言って七道は歩き出した。もう帰らなければ。
「待って。明日からどうするの」
田駅の呼びかけに七道は振り返った。七道の中にある感情は、田駅のものとは違っている。同族嫌悪、差別意識。自己嫌悪。暗く黒いドロドロとした嫌な気持ちが渦を巻いて回っている。
「どうもしないよ。僕は何も変わらない」
「明日から君はいじめられるよ!僕と・・・僕と同じように!」
「あるいは、僕だけが・・・ね」
その後は歩き出したまま、七道は止まらなかった。田駅はあのあと何といっていただろうか。何も言ってはいなかったか。
もう、七道には何も聞こえない。
これは実験だ。実験体は自分自身。自分の心の変化を探るための、ただの実験だ。
次の日から七道はいじめられた。
いじめというものは、どうやら根源にある悪意は同じでも、小学生と中学生ではやり方が異なるらしい。
中学生のいじめは悪質だった。
いじめ自体悪意に満ちているが、小学生の時のものとは比べものにならないほどに残酷なものだった。
まず、机に落書きをされた。内容は見るに堪えないもので、よくは読んでいない。
その後は、わざと肩をぶつけて来たり、ニヤニヤと笑いながらゴミを投げられた。
下駄箱はゴミだらけで、靴もカッターかなにかで切り裂かれていた。
普段から話す方ではなかったが、クラスメイトは誰1人話しかけなくなった。
みんな、瞬時にいじめの対象が増えたことを理解したらしい。
教師は相変わらず見て見ぬ振りを貫いていた。
いじめられていた田駅は、やはり変わらずいじめられていた。
何一つ変わらない日常。
変わってしまったのは七道の立場だけだった。
時々、金を出せと殴られた。その時も、七道は逆らうことなく素直に従った。
怖かったからではない。
これが、自分を客観的に観察している実験だからだ。
七道はまるで、ガラスケースに入れられたモルモットのように自分自身を眺めていた。この後の展開を予測して、それに対する自分の変化を知りたかった。
そのために痛みも、憎しみも、惨めな辛い気持ちも全て封じて、ただひたすらに耐えた。
そして、ついにその時は訪れた。
放課後だった。
いつものように殴られた帰り道、教室にカバンを取りに戻った七道の前に、1人の少年が現れた。
いじめられていた田駅だ。
彼は今は、いじめのターゲットではなくなっていた。
いじめっ子たちは、あっさりと七道1人にターゲットを絞り、田駅へのいじめは一切なくなっていた。
きっと飽きたのだ。なんのこともない。
ただそれだけだ。
「あ、あのさ…七道くん…」
いじめられなくなってから田駅の方からこちらに話しかけてくることはなかった。考えなくとも理由はわかる。
またいじめられるのが怖かったからだろう。
それが、どういうわけかおずおずと話しかけて来たのだ。
「なに」
カバンを背負い、田駅を見る。
彼は怯えていた。まっすぐ七道を見れないのかそわそわと辺りにせわしなく視線を泳がせる。
「…ご、ごめん!」
突然頭を下げる田駅を七道は腫れたほおを抑えながらぼんやりと見つめた。
「あの時、七道くんは僕を…いじめられていた僕を助けてくれたのに…僕、君がいじめられてる時…逃げたんだ。ほんと、ごめん」
「…別に恨んでないよ」
「たとえ君がそうでも、僕は…君に謝らなくちゃいけない…ッごめん、ごめん、ごめん!……ごめんなさい」
「…………じゃあ僕に悪いと思ってるんだね」
「うん…」
涙声で彼は頷く。
七道は確信した。試すなら今だ。
「なら…助けてよ」
「え……」
「僕に悪いと思ってるなら僕を助けてよ」
田駅は困惑していた。彼の心の動きなど、七道には手に取るように分かった。
彼は今、二つの感情に揺れている。
罪悪感と恐怖。
助けてもらった七道を見捨てた後ろめたさ、またいじめられたくないという強い願い。
その対極にある感情が彼を揺すぶっている。
「そ、れは…」
答えはまだでていない。
彼はきっと選ぶことが出来ないだろう。
ここで、表面上だけ善人ぶって逃げるような卑怯な真似も、勇気を振り絞って七道を助けると断言する選択もおそらく彼にはできない。
そういう人間なのだ。
少なくとも七道の見立てでは、この少年はグズにもヒーローにもなれないただの弱者でしかない。
七道は田駅にバレないようにほくそ笑んだ。
「…ごめん。無理言ってるね僕」
七道の声に彼は顔を上げる。隠そうとしても、安堵しているのは明白だ。
このまま七道が引き下がると思っているのだろう。
七道は口を開いた。そして彼にとって斜め上となるであろう提案を口にする。
「じゃあ、あいつらが見てないところだけでいいから、味方になってよ」
七道の言葉に田駅は眉を寄せた。
「どういうこと?」
「君がいじめられたくないのはよくわかるよ。誰だってそうだ。僕だって、君と同じ立場なら絶対無理だ。きっと僕なら君みたいに謝りにくることさえしてないよ」
自分の行動を高評価され、彼は見るからに喜色を表す。
本当に、人間とは…なんて簡単なのだろう。
「そ、そんなことないよ。君だったらまた助けてるよ。現に一回、君は僕を助けてくれてこんな目にあってるんだから…」
自分の言葉で七道の現状を思い出したのか、彼は肩を落とした。
罪悪感が恐怖より少しだけ上回る。
「いいや。あの時とはわけが違うよ。だから君の気持ちは痛いほど分かってるつもりだ。だけど、情けない話だけど、僕ももう限界なんだ。1人であいつらと向き合うのはもうたくさんだ」
「……わかるよ」
心の底からの同意だろう。田駅の瞳には以前のいじめられている自分が映っている。
「君が影で僕の味方でいてくれるなら、それだけでやっていける気がするんだ。
あいつらがいない時だけでいい。僕の…友達になって欲しい」
最後の一言が決めてとなったのか。
田駅は、目を見開いた。
そしてしばらく動かず押し黙っていた。
真っ赤な夕日に照らされて彼は、ゆっくりとこちらを向いた。
「ぼ、僕なんかでいいなら…」
前情報として記しておくべき関連情報1、『田駅には友人はいない』。
2、非常に常識や普遍に安心するタイプ。周囲の目を気にして、違いが生じることを恐れている。
3、視線の動かし方、挙動、言動から察するに仲間意欲が強い。1人でいることに不安を感じている。
結論:彼は自分より弱い存在を欲していた
。実験体に相応しい。
七道は朗らかに笑う。とても嬉しそうに、友人に対する微笑みで。
「もちろんだよ。君でなくちゃダメなんだ」
実験の始まりだ。