ボーイ・ミーツ・ガールの条件
建設業界に曰く、県立土屋高校は格好のカモである。
ほぼ月一のペースで校舎のどこかしらが『何故か』破損するこの高校は、その手の業者にとっては定期的に金を落としてくれる存在なのだ。公立の機関なので金払いも悪くない。
だがその一方で、その破壊の理由である『何故か』を知る業者は少ない。好奇心から調べようとした者も居たが、正解にたどり着きかけた者は例外なく数日分の記憶を失った状態で発見された。
事情を知っているであろう学校の生徒達も、その『何故か』に対する事情を口にすることを頑なに拒んだ。結果として、未だ――生徒の保護者や教育委員会の類でさえ、その理由を知る者は存在しない。
ただひとつ、分かっていることといえば。
その破損箇所は、概ね理科室の周りに集中しているということだけであった。
◇◇◇
「さて、三分間といえばカップラーメンかウルトラマンな訳だが」
いきなり無茶な断定から入るのはこいつの悪い癖だ、と自分は常々思っている。
放課後、科学部部室として間借りしている理科室の中で、その日も部長であるこいつは唐突に訳の分からないことを言い出した。一応自分はこいつを補佐する副部長という役職であるので、その無思慮振りを諌めるような言葉を返しておく。
「えーと、名目上は科学部の部長であるのに、そう言った論拠の無い発言はどうかと思いますが」
「そうかね? では副部長たる君の意見も尊重しよう。三分間という単語から、君は一体何を連想する?」
「う……」
確かにそういわれると、咄嗟に思いつくのはカップラーメンくらいのものだが。
言葉に詰まったこちらの様子から察したのだろう。部長氏は小首をかしげながら、なんとも嫌らしい笑みを浮かべてみせた。
「ん? どうした。思いつかないのかね? 自分で言い出しておいて? 栄えある我が科学部の副部長なのに? まあしょうがないな君は心の底から頭悪いし。はは、馬鹿が。馬鹿者めが。偏差値低そうな顔しやがって、はははは!」
「うっせぇ、このデブが!」
「べぎゅっ!?」
渾身の力で放ったねりちゃぎは、呆気なく部長氏の顔面に直撃した。いや、吸い込まれた、というべきだろうか? まるで柔らかく煮込んだ豚肉の如き蹴り心地――
「癖になりそうな感触だ……さすがデブ。体脂肪率何パーセントだコラ? よーし、もう一度。今度は殴り心地を試させろ」
「じゃ、ジャイアン!? いや、ていうか酷い言いがかりだな君。部長に対する敬意とかないの?」
「嫌だなァ、一応、普段は敬語とか使ってるじゃないですか。あと言いがかりって、俺は真実しか口にしてませんよ?」
「ほんと一応だけどね。普通に蹴りとか放ってくるからね、君。それと私はデブではない。ぽっちゃり系だ。訂正したまえ」
仰向けに倒れこんだまま鼻血も拭わずにそう言ってのけるこいつは、実は大物なんじゃないかと思う時もある。
つかつかと近寄り、そいつの腹の上を跨ぐように仁王立ちになった。倒れたままの部長と目が合い、なんとはなしににっこりと微笑み合う。
「震脚っ!」
「げぼはぁっ!」
そして腹の中央に上履きの裏を叩きつける。さすがに内臓破裂とかされて自分が警察の厄介になるのは嫌なので、軽く表面を叩くだけだ。それでもその震動は、部長氏の持て余し気味な贅肉を揺らした。
「やっぱデブじゃねえか。やーいデブ。悔しかったらおやつ控えてみろよ」
「ふっ、分かっていないな。明晰な頭脳を維持するためにはカロリーが必要なのだよ。まあ馬鹿には分からんだろうがね。やーいバーカバーカ……いやあのマジすいませんでした。ですから爪先をお腹の上に置いて無言でだんだん体重乗せてくるのはホント勘弁してください」
暴力は何も生み出さない。ただ速やかに解決するだけである。
それからしばらくして、ようやく立ち上がって鼻血を処理した部長と再度対面した。相変わらず指紋だらけの薄汚い眼鏡を中指で押し上げ、冒頭の台詞を繰り返してくる。
「さて、三分間といえばカップラーメンかウルトラマンなわけだが」
「まあ話も進みませんから、そこはスルーしてあげます。それで?」
「うむ。君、ボーイ・ミーツ・ガールとかしてみたくないかね?」
ボーイ・ミーツ・ガール。
あまり馴染みの無いその単語を、もう一度口の中で繰り返す。ボーイ・ミーツ・ガール。
つまり、ボーイがガールにミーツする。そして大抵の場合においてボーイとガールの間でラブが始まっちゃったりするという流れ。ジュブナイル向けの創作作品なんかでは、当たり前のように含まれている要素。まあ、それだけならいい。
だが不穏なのはカップラーメンとウルトラマンである。特にウルトラマンだ。奴は不味い。光線とか出す上に、ヘァッ、としか言わない。平和主義者の自分としては、言語によるコミュニケーションの取れない相手と相対したくは無いものだが。
半眼になって、部長をじっと見つめる。何故だかぽっと頬を赤らめる糞デブに踵落としを叩き込みたくなるのをぐっとこらえて、尋ねた。
「また前後の文章にさっぱり繋がりが見出せないんですが、それなんか関係あるんですか?」
「うむ。というのもだ、今回私が発明した品はカップラーメン&ウルトラマン理論によってボーイ・ミーツ・ガール現象を引き起こす、といったものであるのだよ」
また発明か、と溜息をつく。
この部長は青いネコ型ロボットが操る道具の如き、珍妙な発明をするのが趣味なのだ。その数はそろそろ二桁後半に達しようという勢いで、如何に懐の広い自分でもいい加減辟易してくるというものである。
「毎度のことながらさっぱり意味不明なんですが。具体的になにを造ったんです?」
「ふむ。ならば分かりやすく行こう。君、彼女欲しい?」
「欲しいです」
即答する。青春真っ盛りの高校二年生、そりゃあ恋人の一人や二人欲しいに決まっている。
なにやら部長が哀れむようにこちらを見つめてくるが、それは無視することにした。
「いや、まあいいがね。私もいずれ科学に理解のある生涯の伴侶を得たいとは思っているし、こいつがっつきすぎじゃね? 正直引くわぁ……という君に対しての感想は胸にしまっておくとしよう」
「そりゃどーも。で? その発明品を使うと俺に彼女ができるんですか? どんな理屈で?」
部長の発明品は、たとえそれがどんなに突拍子のない効果を持っていたとしても平均4割くらいの確率で正常に動作する。成功率40%。決して高いとはいえないが、それでも宝くじよりは億倍良心的だ。
もっとも宝くじの場合は外しても300円失うだけで済むが、部長の発明品の場合は下手すると命とか誇りとか人間性とかを失う可能性があるので、単純に確率だけでは損得を表せないという鬼畜仕様である。
であるからして、自分は当然その発明品がどのようなものであるか見定めようとしていた。
「実験はまだしてないから成功するかは分からんのだがね。取り合えず方法としては、まずこれにお湯を注ぐ」
そういって部長は鞄から円柱形の物体を取り出した。材質は断熱性発泡スチロール。上面はアルミ箔製の蓋が貼り付けられており密封されている。
有体に言えば、不恰好なカップヌードルという様相。匂いに釣られてお腹を減らした少女が寄ってくるとでも?
「君は即物的すぎるね。だいたい、それではウルトラマンが必要ないだろう」
「じゃあウルトラマンが来るんですか?」
「今度は短絡的だ。が、今回はそれで合っている。そう、この発明品はウルトラマンを呼ぶ為にあるのだよ」
「……色々言いたいことはありますが……ええと、まずウルトラマンはカップラーメンじゃ来ないでしょう」
「いや、出来上がるのはカップラーメンじゃなくて宇宙怪獣だから」
なにか聞き捨てなら無いことを耳にした気がする。
そんな自分の葛藤など露知らずといった様子で、部長はカップラーメンの蓋をベリベリと半分ほど剥がした。覗き込んでみると、そこにはどう見てもインスタント麺ではありえない、なにやら黒いゲル状の物体がみっちり詰まっている。
「これにお湯をかけると膨らんで、三分後には全長75メートルの凶悪生物『デスギガノドン』に成長するのだよ。で、それを倒しにウルトラマンが来る。とすれば付近は大パニックに。そこで君が逃げ遅れて死にそうな女の子を助け、吊橋効果が効いているうちにホテルに連れ込んで一発やってしまえばほら、素敵なボーイ・ミーツ・ガールの完成だ。ああ、ところでそこのお湯とってくれる?」
「くたばれ悪の科学者!」
ソバットを部長の水月にぶち込み、デスギガノドンとやらの素を奪い取る。部長が部室内の椅子や机を巻き込んでゴロンガシャンと転がっていくが、それはまあどうでもいい。
「……地球の危機は去った」
「君は本当に暴力的だな」
とくにダメージも無い様子でむくりと起き上がってくるマッドサイエンティスト。教卓に手をついて立ち上がり、
「そんなに焦って奪わなくても、ほら。ここにもうお湯を入れてからそろそろ三分経ちそうな奴を用意してあるから」
「なに量産してんだテメエ!?」
教卓の下から取り出された、いまさっき奪ったものと全く同じ形をした円柱体を見て絶叫する。が、部長はそんなものなど意にも介さぬといった風で自分の腕時計を見つめていた。
「あと三秒で完成だ。さーん、にーい、いーち、さあ出でよデスギガノドン! 部費を削減した教師どもを皆殺しにするのだ!」
「ウルトラマンはどこにいっちゃったんだよ! いやその前にウルトラマンなんか来る筈ねえよ!?」
そうしてセルフ突っ込みなどとしている間に、教卓の上に置かれた例の容器が驚異的な速度で膨張しだす。
膨張しだす。
膨張し続けた。
大きさがそろそろこちらの身長を超えようとした辺りで、ふと、恐るべき事実に気づく。
部室代わりとして放課後に解放されているこの理科室は、一般教室の二倍ほどの広さがある。しかし、
「……そういえば、全長75メートルつったな? それこの部室に収まるのか?」
収まらない。収まりきるわけがない。それは分かっていたが。
口にせずにはいられなかった。いや、具体化した問題点を挙げれば、誰かが助けてくれるのではないだろうかとありもしない希望に縋ってしまったのだ。まるで試験前、いつもは意識すらしない神仏に神頼みするかの如く。
「ふむ」
そんな冷や汗だらだらのこちらとは対照的に、落ち着いた様子で顎に手を当て、なにやら考え込む部長。
だが直ぐに顔を上げると、何か納得したようにぽんと手を打った。
「なるほど、次の課題はサイズのコンパクト化だな」
「あああああああああ!?」
頭を抱えて地面に突っ伏す。恥も外聞もなく喚くのは傍から見ればかなり情けないように見えるだろうが、命の危機に直面してできる行動などこんなものだ。むしろ叫ぶ余裕があったことを褒めてもらいたい。
そして、容器はさらに膨張を続け、その圧迫感を突っ伏した背中越しに感じるようになった頃――
ぱん! という風船が破裂するような軽い音と共に、その圧迫感は消えうせた。
「……?」
恐る恐る顔を上げてみる。デスギガノドンっぽい生物は見えなかったし、部室の天上が突き破られていたというようなこともなかった。
だがその代わりとして、別の異常事態が発生していた。さっきまで宇宙怪獣の素が置かれていた長机の上に起立するその物体を注視しながら、それを刺激しないような声量と声音で囁く。
「……部長、なんですか、これは」
「ううむ、デスギガノドン……の筈だが」
思ったより凶悪な人相じゃないな、と部長が続けて呟く。
その感想ももっともだと頷けるもので、そこに佇んでいたのはこちらの身の丈半分も無いであろうという少女だった。いや、幼女、というべき年齢なのかもしれない。外見から年齢を判定するのが難しい。そういう年頃の女の子である。
また、年齢の判別がつかないのには顔立ちが明らかに日本人のものではないということも関係しているのだろう。髪は薄い色の金髪で、丁度仏蘭西人形のような印象を受ける。ただ、着ているのがそこらの衣料店で売っていそうな無地のシャツとスカートというのがミスマッチではあった。
どう見ても放課後の公立高校の中に存在するには異常な存在ではあったが、宇宙怪獣よりは常識的な外見でもある。
だが部長の発明した品、という事実が、自分の脳に見た目に騙されるなという警鐘を鳴らさせていた。幼女は幼い子独特の、あの微妙に焦点が合っていない眼差しでふらふらとあちこちを見渡している。
その視線が、ふとこちらを見据えた。目が合ってしまい、微妙な緊張が背筋を駆け抜ける。
幼女は自身の右腕をすっ、と持ち上げて見せた。それに対してばっ、と未知の侵略に対する防護態勢を取るこちらを意にも介せず、幼女はそのまま緩慢な速度で人差し指をこちらに突き出してくる。
特に敵意の見えない、その柔らかな動作を見ていて――
なんとはなく思いつくものがあって、こちらも同様に人差し指を突き出した。未だ教卓の上に仁王立ちしている幼女に、その指先を差し出す。すると幼女の指先が、まるで誘導灯に導かれる飛行機のように移動。そうしてこちらが差し出した人差し指の先端と、幼女の人差し指の先端同士がつき合わされる。やはりというべきか、予想通りそれに連動して幼女が口を開いた。
「エーティー」
「おい部長、なんですかこいつは」
そのままの姿勢で振り向くと、部長は憮然とした表情を浮かべて幼女を睨んでいた。発明が明らかな失敗作だったのが気に食わなかったらしい。さっき取り上げたもうひとつのデスギガノドンの素をゴミ箱に放り込みながら首を捻り始める。
「むう、もしや昨晩寝る前に見た『E .T.』の影響か……?」
「悩むことですか。明らかにそれのせいですよ」
フィーリングで発明されるこの部長の発明品は、往々にして創造主のバイオリズムやテンションの影響を受ける。例えば前に部長が軽い鼻風邪を引きながら発明した時は、ただの消臭スプレーを作っていた筈なのに、出来あがったのは凶悪な細菌兵器だった。
そしてどうやら今回は、あの有名な友好的宇宙人の影響を受けていたようだ。そうすると、自転車の前カゴにこの幼女を乗せれば空を飛べるかもしれない。
だが部長は更に首を捻りながら数歩後退した。まるで手負いの獣を前にしたような慎重さで距離を稼ぎながら、ぼそりととんでもないことを呟く。
「だがそうするとおかしいな。私は『E .T.』の前に『エイリアン』を見たんだが、その影響はどこに?」
「エーティー、人間、食ウ」
「出てるっ! 食べ物の嗜好に出てるっ!」
慌てて突き合わせていた人差し指を離すと、まるでスイッチの入った胡桃割り人形のように、幼女は歯をガチガチと噛みあわせ始めた。心なしか、その眼差しにも剣呑な光が宿っているような気がする。
慌てて部長の所まで退避し、全力でその頭をはたき倒した。部長が痛がっているその隙に、敵に対して部長が盾になるような位置に回りこみつつ喚く。
「おいこら! どうすんだこれ! とりあえずテメエの余計な脂肪分を食わせるか!?」
「ううむ。君、これとミーツ・ガール、する?」
「こちらを食料としかみなせない生命体とコミュニティを築ける自信はありませんっ!」
机からぴょんと飛び降りて、ふらふらとこちらに近寄ってくる幼女の姿に底なしの恐怖を感じながら断言する。敵意丸出しの癖してなお貫くその無表情さが、より一層不気味さを際立たせていた。
だがそんな迫り来る脅威に部長はなんら感慨を抱かないようだった。ひょいと肩を竦め、気楽に言ってくる。
「ならもうこれは用済みだな。適当に捕獲して処分しようじゃないか」
「できるんですか?」
「なに、敵はデスギガノドンの成り損ない、肉食とは言え所詮幼女だ。こちらは高校生二人。負ける要素などなかろう」
「さっきは自分だけ逃げようとしたくせに……」
ぶつぶつと不平を口にするこちらを、だが部長は無視した。近くにあった長机の下から虫アミを取り出して渡してくる。小学校の頃、セミを捕まえるのに使ったようなあの長い奴だ。
「……何で虫アミ?」
受け取りながら尋ねると、部長はちっちっ、と指を振った。頭を振りながら解説してくる。
「ただの虫アミじゃないぞ。いいか、このアミの内部に何らかの物質をキャッチした場合、アミの部分には100億ボルトの超高圧電流が流れるし、アミ側の棒の先からは極限まで濃縮した王水が噴霧されるからな。仮に夏場の海水浴場でタモ網代わりに使用すると、一瞬でバーベキュー会場に早代わりするので注意するように」
「科学を馬鹿にしたような性能ですね」
とまれ、部長がこうして断定して解説するということは、そういう性能を持った発明品ということだろう。デスギガノドンよりは常識的でもある。
なるべくアミの部分に近づかない様、柄の先の方を持って幼女と相対する。見た目幼女にこのような殺戮兵器を使うのは気が引けるが、それで躊躇していてはこの部長とは付き合えない。ためらわず振り降ろすつもりで構える。
「君も大分性格が死滅してきたね」
なにやら後ろに控える部長が言っているが、まあ気のせいだろう。
一方、幼女の方もこのアミが唯の虫取りアミでないことを見抜いたのか、歩みを止めてその場に立ち尽くしていた。例の無表情のまま、こちらの構える虫取りアミを見つめている。そして、
「み゛ー」
鳴いた。
そうとしか言い表せない行動だった。『喋った』のではなく『鳴いた』のである。それは明らかに声帯を通して出る『声』というよりは、音叉が振動して発生する『音』に近い空気の振動だった。
「部長、これには一体どんなメッセージが?」
「あー、命乞い、かな? はっはっは、だが残念だったなデスギガノドン(仮)。この助手はお前のよーな人気取りっぽい外見してる相手でさえ欠片も憐憫を抱くことなく焼却処分できる男だ!」
「誰が助手ですか、誰が」
などと言いながら、アミをいざ幼女の頭に振り下ろそうとした、その時。
ゴトッ、という音がして、虫取りアミの先端部分が落ちた。
「……」
「……」
思わず部長と顔を見合わせてから、視線を虫取りアミだった物体――未だ手の中にある柄の部分に向ける。
見れば、手にしている部分から数センチ上の箇所が、すっぱりと断ち切られて鋭利な切断面を晒していた。
経年劣化や疲労の類で折れたのではなく、それは明らかに『切断』されたことの証左であった。
「あー、部長? もしかしてですが……」
「私も今その可能性に辿り着いたところだが……」
そろそろと、幼女に視線を戻す。
幼女は再び口を開けていた。まるで哀れな獲物を飲み込もうとする大蛇の如く。そして――その血の様に赤い口腔の延長線上には、自分たち二人が存在していることは明白だった。
我々はダッシュで逃げた。教室後部の扉を蹴破って廊下に飛び出した直後、再び幼女が『鳴き』、理科室の後ろに並べてあった実験器具が、さらにその後ろの鉄筋コンクリート製の壁が、死神が不可視の大鎌を振るったかの如くまとめて切断されるのを見せ付けられながら。
◇◇◇
ボーイ・ミーツ・ガール。
少年が少女と出会う。そしてほどなくして二人はトラブルや事件陰謀の類に巻き込まれ、その解決を図る過程で成長しながら恋なり友情なり何らかの関係性を育んでいく。
ならば確かにこれはボーイ・ミーツ・ガールと呼べるのだろう。問題はガールとトラブルが分子レベルで融合しているということだが。
謎の見えない攻撃による破壊を目の当たりにし、我々は我先にと廊下に飛び出していた。さらに追撃を避けるために階段へと続く曲がり角に飛び込む。廊下にへたり込みながら、二人で震えながら身を寄せ合うった。脳裏には先ほど少女が発生させた破壊の痕跡が克明に刻まれている。
「なんですかアレ!? おお、コンクリが……コンクリが、中の鉄筋まで綺麗に切断されて……」
「ちょ、超音波メスだ! 300万サイクルを超える超振動を収束させ、あらゆる物体を切り裂く!」
「なんでそんな物騒なもん搭載してんすか!」
「一昨日、私はガメラを見ていてね!」
「とことんウルトラマン関係ねぇのなおい!」
思わず叫んで、隠れ場所から部長を蹴り出す。いつの間にか廊下に出てきていた破壊ガールが目ざとくそれを見つけた。食物連鎖の上と下というこれ以上無いほど分かりやすい関係性を結ぼうと、かぱりと口を開いて部長氏をロックオンする。
「き、君は私を殺す気かね!?」
慌ててこちらにまで再度退避してくる白衣。どうやら超音波メスの発射には時間がかかるらしい。思わずちっ、と舌打ちする。
「……君が私に対してどのような想いを抱いているか、心から理解できた気がするよ」
「そりゃよかったですね。できれば理解するだけじゃなくて、それを汲んで行動してくれると嬉しいんですが」
へっへっへ、ふっふっふ、とお互い危険な笑みを浮かべて見詰め合う。
だが次の瞬間、ふとした疑問が脳裏をよぎった。意味を反芻する暇も無く、思わずそのまま口に出す。
「なあ部長、鉄の塊切り裂くような相手に遮蔽物って――」
部長も同じことに気づいたらしい。我先にと可能な限り俊敏な動作で地面に寝そべる。刹那。
『み゛ー』
伏せた背中の上を何かが通り過ぎるような気配。
首だけ動かして見やると、ちょうど破壊ガールの背丈くらいの位置に横一文字の切断痕。あのまま床に座りこんでいたら、丁度自分の鼻あたりに相当する部分だ。
「冗談じゃねえぞ……」
何とはなしに顎の下を拭いながら、戦慄と共に呟く。
防御物ごと切り裂く音速攻撃など防ぎようが無い。超音波メスとやらの射程がどれくらいかは知らないが、このまま逃げてもそう遠くないうちに追い詰められてしまうことは明白であった。
なんとかせねばならない。だがどうやって?
「いっそ近づくか……? 組み伏せて、こっちを向けないようにすれば……」
「止めたまえ」
こちらの肩に手を置きながら、いつになく真剣な顔でこちらを見つめる部長。
親が子に言い聞かせるような真面目な声で、部長は続けた。
「危険だ」
「……大丈夫ですよ、部長」
ふっ、と笑い返しながら、こちらの肩に乗せられた部長の手を取る。
いつもはいがみ合っているが、こうして命の危機に直面した時までじゃれ合っているわけにも行かない。部長の手を肩からやんわりと外させ、更に学ランを脱ぐ。
「俺だって無策で戦おうって訳じゃありませんから。アレが、超音波を収束させたものだというのなら――」
立ち上がり、階段脇に据え付けられている手洗い用の流しに制服を叩きつけ、蛇口を捻る。
勢い良く吹き出た水道水が制服をびしゃびしゃに侵食していく。いつもならそんな光景を前に疲労感を抱くであろうが、しかし今は違う。これは勝利への布石であるのだ。
超音波メス。それが文字通り超音波を収束させたものであるというのなら、
「そう、アレは所詮音に過ぎない――空気と水じゃ音の伝わり方が違うから、あいつが発射する超音波メスは水の幕で無力化できる……!」
無論、あれ程の出力になるとこんなちゃちな防具で完全に防ぐことは叶わないだろうが、それでも多少はマシだろう。
しかし部長は、それでもなお首を横に振った。真摯な熱を瞳に浮かべ、ささやいてくる。
「いや、アレたぶん接近すると放射能熱線とか吐くから」
「ゴジラか! ゴジラを見ていたんだな!?」
「ちょっ、やめ――吐く吐く吐く! 私が吐くよ今日のお昼ご飯を吐いちゃうよ!?」
部長の白衣の第二ボタン辺りをむんずと掴み、絶叫しながら前後にシェイクする。部長もなにやら叫びだす。喉の奥から血が滲み出てきそうな、悲壮なシャウトが二重奏を織り成した。
「ああくそっ、そうだな。あんな物理法則とか無視してる相手に、いまさら科学部っぽく正攻法で対抗しようとしても無駄だよな……」
時間にしておよそ十秒。まだシェイクしたりなかったが、ぽいとその場に部長氏を投げ捨てる。
放り出された部長は異様なまでに跳ねた。シェイクされることによって謎のパワーが体内に蓄積されたとでもいうように。そうしてぼよんぼよんとゴム鞠の如く弾んだ部長は、その頭をそこにあった小さな足の甲に乗せるようにして止まった。
(……小さな足?)
視線を上げる。
そこにはにっこりと微笑んでいる人食い幼女。とても良い笑顔だった。まるで昆虫を分解するのが楽しくて仕方が無いとでもいうような。あるいは単純に、おやつを目の前にした子供のような。
殺戮と食欲の合一に底知れぬ恐怖を感じる辺り、我々の家畜に対する行いは業が深いのだろうなー、などと悟りつつ。
「――!」
叫んだ。それは残りの余命数秒を、せめて世界に対して影響力のあるものにしたかったからか。それとも外敵に対する野性的な威嚇だったのか。
しかし効果はあった。至近距離から放たれた大音声に、目を回していた部長が覚醒する。
「うおっ、ギガノドンが目の前に!? くそっ、できればこれは使いたくなかったが――」
そういって、白衣の内側から何か筒状のものを取り出す部長。
それは言うならば、飛行機の操縦桿に似ていた。黒い円柱状で、先端には不吉なまでに赤いボタンが埋め込まれている。
この部長と長く付き合っていると、アレがなにか見ただけで理解できるようになる。
あれは恐らく、デスギガノドンの自爆スイッチだ。
「みぃ――」
「さよならガール。ただいま日常!」
「待て! 俺が安全区域に退避するまで……!」
止める間もなく、部長はその毒々しい色のスイッチを押し込んだ。
どかーん。
俺は死んだ。
サイエンス(笑)。
「……あれ、生きてる? 爆発オチは?」
「ふふん。そのような安易なオチをこの私が採用するとでも?」
立ち上がった部長がすたすたと歩いてきて、自分の隣に並んだ。
「この前の殺人洗濯機の時とか……」
「あれはしょうがないだろう世界平和の為だ。用務員室が焦土になるのと、これから人類が衣服という文化を捨て去らざるを得ないという悲劇を天秤に掛けた結果だよ」
堂々と無茶なことを言ってくるそんな部長はさておき。
デスギガノドンを見やる。部長の態度からして、既に危険は去ったと見て良い。見て良いが。
「オイ、なんかアレ、ものすっごい苦しそうな顔してるんだけど」
「アガァァアアアアアアアアアアアア!?」
「声まで」
げんなりとして呻く。
幼女は苦鳴の表情を浮かべ、そして苦痛に泣いていた。たとえ内面は化物でも、外見はいたいけな幼女である。特殊な性癖を持っていない、通常の感性を持っている人間ならば、見ていて最悪の気分にならざるを得ないレベルだった。
だがまともな感性を持ち合わせない部長は、腕組みなどしつつどこまでも飄々とした態度でその地獄絵図を観察している。
「この前の人不要全自動洗濯機の時に気づいたのだが、爆発とかすると掃除も大変だからね。今回は別の方法を取ることにした」
「……すっげえ嫌な予感がするけど、その方法って?」
「なに、大したことではないよ。ちょっと細胞に細工して、特定の電波でその細胞が一瞬で癌細胞に変質するようになっているんだ。抵抗できないように、膵臓癌の七倍くらいの苦痛を味わいながら速やかに死ぬように設定した」
ちなみに膵癌は進行速度がやたらと速く、その上痛みも酷い為に『癌の王様』と呼ばれるくらい嫌な病気である。苦しみ藻掻く少女を見ながら、呟いた。
「そんなもんただ速やかに死ぬように設定するだけで十分じゃねえか」
ついでに部長を蹴り付けておく。わぎゃあと喚く白衣が廊下に転がるのと同時、幼女――デスギガノドンはさらさらと灰になった。衣服も残らない辺り、あれは外皮の類だったのかもしれない。
「終わったか……」
「ふふふ。科学の勝利、というわけだね?」
「寝言は死んで喋ってくださいよ豚。ほら、さっさとあの残骸かたづけて来い。なんか有害な物質とか使ってないでしょうね」
「なあに。今回は主成分が小麦粉だし、大丈夫さ」
「俺は危うく食材に食われるとこだったわけか……」
こういうのも料理下手といえるのだろうか。だとしたら文字通り壊滅的な腕前だ。文字通り人死にが出るくらい。
「しっかし、今回の発明もほんとろくでもないものでしたね」
いつものことではあるが、さすがに命の危機に曝されれば愚痴のひとつも言いたくなる。
しかし部長はニヒルに肩をすくめて見せると、ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らしてみせた。
「そうかね? 見た目は幼女だったし、君の好みにはあっていたんじゃないか?」
「誰がロリコンですか!?」
「だって、君は貧乳が好きなんだろう?」
理解しかねる、という風に部長は溜息をついて、
「――何せ、私のことをことあるごとにデブデブデブ、と馬鹿にするくらいだから」
そう言って、彼女は制服の上に羽織っていた白衣をスルリと脱いだ。
すたすたと大またでスカートの裾を翻しながら歩いていき、デスギガノドンの残骸を、まるで白衣を風呂敷のように用いて回収していく。あまり手早くはない。きっと脂肪が邪魔して屈みにくいのだろう。
特に手伝おうとも思わなかったので、そのどこか寂しげな背中に疑問だけ投げつけた。
「部長がデブなのと、俺がロリコンであるという戯言に何の関連性が?」
「いやね、私のウェストは平均値だよ? 君の言うところの体脂肪率だって、それは私の体系的にしょうがないというか……」
「ごちゃごちゃうっせえ豚。ごにょごにょ喋んな豚。さっさと片付けろ豚」
「これだもの」
はあ、とため息を吐く彼女。ふと、手伝っても良かったな、と思い直す。きっと今の彼女はマッドサイエンティストの顔でなく、計画が失敗して悲しそうにしている女の子の顔しかしていないだろう。
そんな彼女の後ろ姿に向けて、彼女には到底見せられないような笑顔を浮かべながら、囁く。
「ところで部長、知ってますか? ボーイ・ミーツ・ガールって既に出会ってる男女がトラブルに遭遇するような話も含まれるそうですよ」
――どちらかがもう片方に、恋をしていればの話だが。
【三分間のボーイミーツガール】【了】
ネタバレ有り。後書きを最初に読む方という人は注意。
ぶっちゃけた話、叙述トリック物を一度でいいからやってみたかっただけです。
引っかかったという人は感想に『このデブが!』と書き込んでください。