第一話 冬の惑星から来た荷物
冬の惑星を出てから、クルト・レオンは一度も窓を開けていない。
もっとも《ノーザン・パス》の客室に本物の窓などなく、壁には外部映像を映す薄い板が一枚あるだけだ。それでも切っていた。星を見れば、どちらが故郷か分かってしまう。
「殿下。あと四時間ほどで中継点です」
向かいの椅子でミハエルが言った。
王宮を出てからも、彼は律儀に「殿下」と呼ぶ。客室は二人で使うには狭く、荷物らしい荷物もない。クルトの手袋の内側に縫い込んだ、逃げ鉱の欠片だけが、故郷から持ち出した唯一まともなものだった。
冬の惑星の王家は、帝都から派遣された初代総督に始まる。初代が逃げ鉱と同調できたため、採掘地を治める一族として残された。王を名乗ってはいても、帝都の天使種から見れば鉱石を掘らせるための管理人に近い。
同調の力が薄れれば、一族ごと替えられる。強すぎれば、帝都へ連れていかれる。父はその狭い隙間で何十年も笑い、頭を下げ、採掘量を少しずつごまかしてきた。
最後に息子へ渡したのが、王冠でも公印でもなく、この欠片だった。
「中継点に着いたら?」
「次の船に乗り換えます」
クルトは手袋の縫い目を親指で押した。
「その次は」
「テルミンから連絡が来る予定です」
ミハエルの返事は、そこでわずかに遅れた。
「つまり分からないんだな」
「はい」
ミハエルはあっさり認めた。
こういうところだけは昔から変わらない。分からないことを、分かったふりで慰めない。
船体が震えた。二人とも顔を上げた。
一度。二度。三度目は明らかに大きい。
《姿勢制御系に異常。全乗客は――》
案内音声が途中で途切れ、照明が赤に変わる。
ミハエルが立ち上がった。
「殿下、こちらへ」
「また逃げるのか」
煙の向こうで非常灯が一つ消えた。
「生きるほうへ動く、と言ってください」
通路には煙が流れ込んでいた。
逃走用の貨客船が何に撃たれたのか、確かめる必要はなかった。冬の惑星では、王家を利用したい者と消したい者が、つい昨日まで同じ食卓についていた。
クルトは手袋を握った。
父は残り、自分だけが逃げ鉱と一緒に追い出された。
そのとき、船体の横腹へ何か巨大なものがぶつかった。
金属が噛み合う鈍い音のあと、不思議なくらい揺れが小さくなる。
《外部船接舷。識別――》
また音声が切れた。ミハエルが、ほんの少しだけ笑う。
「迎えが来たようです」
「テルミンか?」
ミハエルは接舷口の表示を確かめた。
「いいえ。たぶん、もっと面倒な人たちです」
*
「積み荷、人間二。優先度、中の上」
艦橋の天井から聞こえた声に、ヘルは眉をひそめた。
「ラス。人間を積み荷って読むな」
『依頼書にそう書いてあります』
ヘルは肘掛けを指で二度叩いた。
「じゃあ依頼書を書いた奴を積み荷にしろ」
『重量によりますね』
操舵席でドギーが笑った。
「ヘルさん、雑談はそのへんで。先方、姿勢制御がかなり死んでます。接舷するなら今ですよ」
「分かってる。右舷三番を使え」
ドギーの手が操舵盤へ戻る。
「ラジャー。船長としては、撃ち合わない救助は大歓迎です」
《ルーシッドリ・ラスタ号》は、戦後調整ファンドの外部協力船ということになっている。
帝都にも辺境にも所属せず、双方が表立って処理したくない案件を請け負う。
難民、放棄施設、戦場跡、契約だけ残った無人機械。戦争が終わって二十年以上経っても、後ろにこぼれたものは減らなかった。
今回の依頼書には一行だけ、妙に念を押した注意書きがあった。
――クルト・レオンを生かした状態で確保すること。
「王子か」
ヘルは立ち上がった。
「ドギー、行くぞ」
「船長まで?」
ドギーは自分を指差した。
「オマエが来ないと、俺がまともな説明をしないだろ」
「よくご存じで」
*
接舷口の向こうにいたのは、煙で汚れた若者が二人だった。
前にいるほうは、自分を王子だと名乗るにはひどく疲れた顔をしている。後ろの男は半歩引いていたが、いつでも前へ出られる立ち方だった。
「クルト・レオンはどっちだ」
「オレだ」
若者が答える。
「そうか。じゃあオマエが荷物一号。そっちが二号」
「無礼ではありませんか」
後ろの男がすぐ噛みついた。
クルトのほうは、一瞬だけ嫌そうな顔をして、それから肩を落とした。
「いまさらだ。ミハ、いい」
「話が早くて助かる」
ヘルは親指でラスタ号側を示した。
「こっちに来い。条件は三つ。船の中ではクルーの指示に従う。勝手に武器を持たない。逃げ鉱も王家の肩書きも、交渉の札として使わない」
「なぜだ」
「ここにはオマエより高く売れそうな奴も、安くしか売れなかった奴も乗ってる。いちいち肩書きで順番つけると面倒だからだ」
クルトが初めてヘルの顔をまっすぐ見た。
「……あなたは何者だ」
「ヘル。隊長。こっちは船長のケンネル。ドギーでいい」
「それだけ?」
「それ以上知ると、たいてい面倒になる」
ドギーが横でにこやかに付け足した。
「ワタシとしては、まず移動をおすすめしますよ。そちらの船、五分後にはもっと面倒になりますので」
奥で小さな爆発音がする。ミハエルが反射的にクルトの肩を押した。
「殿下」
「分かった」
クルトは一度だけ振り返った。
もう見えないところに、冬の惑星がある。
父も、王宮も、逃げ鉱の坑道も、今となってはどれが残っているのか分からない。
それでも足は前へ出た。
*
ラスタ号のハッチを越えた瞬間、暖かい空気と、焦げた油と、何か煮込んでいる匂いがした。
「……飯?」
『ちょうど夕食時です』
頭上からラスの声が降ってくる。
『荷物一号二号、ようこそ。食堂は左二つ目。迷ったら壁を叩いてください』
「AIか?」
『統合管理AI、ラスです。隊長より話は通じます』
「ラス」
『事実です』
ミハエルが、初めて少しだけ笑った。クルトはそれを見て、ようやく自分も息を吐く。
王子としての行き先は、まだない。
だが今夜の食事の場所だけは、決まったらしい。




