第2話 底辺ギルドの現実
朝8時。
私は朧月支部の扉を開けた。
瞬間、轟音のような怒号が耳を打った。
「俺の依頼書どこやったんだよ!」
「報酬が足りねえぞ!」
「いつまで待たせるんだ!」
ギルド内は戦場だった。
受付カウンター前に長蛇の列。
血まみれの冒険者。
怒鳴り声。
そして、カウンターの中で涙目になっている女性。
昨日面接してくれたリゼットさんだ。
「すみません、確認しますので……」
彼女の声は震えている。
私は迷わずカウンター内へ入った。
「おはようございます。手伝います」
「セシリアさん!」
リゼットさんの顔がぱっと明るくなった。
「でも、まだ何も教えて……」
「大丈夫です。見れば分かります」
私は状況を一瞬で把握した。
カウンター上の書類の山。
床に散らばった依頼票。
整理されていない金庫。
前世で何度も見た光景。
修羅場の事務所そのものだ。
「リゼットさん、列を二つに分けましょう」
「え?」
「新規依頼と完了報告を分離します。私が完了報告を受け持ちます」
私は列に向かって声を張った。
「完了報告の方はこちらへ! 新規依頼の方は右の窓口へ!」
冒険者たちがざわめいた。
「なんだ新人か?」
「大丈夫かよ」
私は先頭の男性に向き直った。
筋骨隆々。
傷だらけの顔。
典型的な前衛職だ。
「お疲れ様です。完了報告ですね?」
「あ、ああ……ゴブリン討伐だ」
男性は血の付いた袋を置いた。
ゴブリンの耳が入っている。
臭いが鼻を突く。
でも、私は眉一つ動かさなかった。
前世で、もっとひどい現場を見ている。
「耳が12個ですね。依頼書をお願いします」
私は依頼書を受け取り、内容を確認する。
【並列思考】を静かに発動。
頭の中で複数の情報が同時に処理される。
(基本報酬:銀貨5枚。追加分:銀貨7枚。合計:銀貨12枚)
「報酬は銀貨12枚です」
私は金庫から硬貨を取り出した。
「え、早っ!」
男性が目を丸くした。
「前の受付は、計算だけで10分かかってたぞ」
「確認してください」
「お、おう……」
男性は硬貨を数えて頷いた。
「間違いねえ。ありがとよ」
次。
「薬草採取です」
「種類と品質を確認します……規定クリア。銀貨3枚です」
次。
「魔石の納品」
「品質チェック……問題なし。銀貨8枚です」
私の手が止まらない。
【事務処理補助】魔法が計算ミスを防ぎ、ペンの動きを加速させる。
【空間整理】魔法が必要な書類の在り処を教えてくれる。
列がみるみる短くなっていく。
「すげえな、新人」
「計算早いし、間違いもねえ」
冒険者たちの声が変わってきた。
隣でリゼットさんが呆然としている。
「セシリアさん……あなた、何者?」
「ただの元事務員です」
私は微笑んだ。
1時間後。
朝のピークが過ぎ、ギルド内に静けさが戻った。
「お疲れ様でした」
私はふうと息を吐いた。
「お疲れ様って……セシリアさん、信じられない!」
リゼットさんが興奮して言った。
「あんな速い処理、初めて見たわ。魔法?」
「まあ、そんなところです」
私は曖昧に答えた。
「それより、ここは大変ですね」
ギルド内を見渡す。
書類の山。
整理されていない掲示板。
インクの染みだらけの机。
「ええ……ここは『底辺ギルド』って呼ばれてるの」
リゼットさんが苦笑した。
「人手不足だし、書類管理もめちゃくちゃ。優秀な冒険者は他の支部に移っちゃうし」
「そうだったんですね」
私は意外だった。
前世のブラック企業に比べれば楽だと思っていた。
でも、違う種類の大変さがある。
「無理だと思ったら、すぐ辞めていいのよ。私、一人でも何とかするから」
リゼットさんは優しく言った。
でも、その目は疲れている。
限界が近いのだろう。
「辞めません」
私はきっぱり答えた。
「ここには、私のやれることがたくさんあります」
その時。
バン!
入口の扉が勢いよく開いた。
血まみれの男が入ってきた。
赤銅色の短髪。
鋭い琥珀色の瞳。
筋肉質な体躯。
左肩から血が滲んでいる。
背中には巨大な剣。
ギルド内の空気が一変した。
「ル、ルークさん……」
リゼットさんが怯えた声を上げた。
ルーク。
このギルドのBランク冒険者か。
彼は大股でカウンターに近づいてきた。
殺気立っている。
「おい」
低い、威圧的な声。
ドサッと、何かをカウンターに置いた。
巨大な魔物の牙だ。
「報酬寄越せ」
「は、はい! 確認します!」
リゼットさんが慌てて書類を探す。
手が震えている。
「えっと、えっと……」
「遅えよ」
ルークがカウンターを叩いた。
バン、という音が響く。
「俺は怪我してんだ。さっさと終わらせろ」
「す、すみません! でも依頼書が……」
リゼットさんが泣きそうになっている。
見かねて、私が前に出た。
「私が対応します」
ルークが私を睨んだ。
琥珀色の瞳が鋭い。
威圧感がすごい。
足が震えそうになる。
でも、引けない。
「誰だ、お前」
「今日から勤務しております、セシリアです」
私は彼の視線を真正面から受け止めた。
「依頼内容を教えていただけますか?」
「……オーガロードの討伐だ」
オーガロード。
Bランク相当の強力な魔物。
一人で倒したのか。
「確認いたします」
私は書類の山に向かった。
【空間整理】魔法を発動。
必要な書類の在り処が頭に浮かぶ。
「これですね」
私は該当する依頼書を抜き出した。
ルークが少し驚いたような顔をした。
「……早えな」
「基本報酬が金貨10枚。部位納品ボーナスで2枚。合計金貨12枚です」
私は即座に答えた。
ルークの眉がひそまった。
「少ねえぞ。前回は15枚だった」
空気が凍った。
報酬額での揉め事は、一番危険なパターンだ。
でも、私は冷静だった。
「確認いたします」
私は過去の台帳を開いた。
【並列思考】で複数のページを同時にスキャンする。
あった。
「ルークさん、前回は『集落防衛』のオプション付きでしたね」
「……あ?」
「今回は単体討伐です。防衛ボーナスは付きません」
論理的に説明する。
ルークは黙り込んだ。
納得していない表情。
「だが、今回は変異種だったぞ」
「変異種?」
「通常よりデカくて、皮膚が硬かった。剣が欠けた」
彼は腰の剣を指差した。
確かに刃が損傷している。
私は牙を観察した。
色が濃く、魔力の残滓を感じる。
確かに変異種の特徴だ。
「変異種認定いたします」
私はペンを取った。
「ランク補正30%アップ。装備損耗手当も申請します」
さらさらと計算式を書く。
「基本10枚+部位2枚+変異種補正3.6枚+装備手当1枚……」
「合計、金貨16枚と銀貨6枚です」
「は?」
ルークが目を丸くした。
「16枚? 前回より多いじゃねえか」
「変異種は危険度が高いですから、当然です」
私は金庫から硬貨を取り出した。
きちんと数えて、カウンターに並べる。
「確認してください」
ルークは金貨を見つめた。
そして、私を見た。
その目から、殺気が消えていた。
「……お前、何者だ?」
「受付嬢です」
「前の奴は、変異種なんて認めなかった」
「それは職務怠慢ですね」
私はきっぱり言った。
「冒険者様が命がけで得た成果を、正当に評価するのがギルドの義務です」
ルークはしばらく私を見つめていた。
やがて、ふん、と鼻を鳴らした。
「……悪かった。怒鳴って」
彼は金貨を手に取った。
「セシリア、だったか」
「はい」
「覚えとく」
ルークは背を向けて歩き出した。
その背中は、来た時より軽やかだった。
「すごい……」
リゼットさんが呟いた。
「あのルークさんを納得させるなんて」
奥から拍手が聞こえた。
バルドだった。
豪快に笑いながら現れる。
「やるじゃねえか、新人」
「ありがとうございます」
「ルークは気難しいが、腕は確かだ。あいつに認められれば、他の連中も文句は言わねえ」
バルドは私の肩を叩いた。
「期待してるぞ」
私は小さく息を吐いた。
緊張が解けて、どっと疲れが出た。
でも、悪い気分ではない。
自分のスキルが、ここでは役に立つ。
誰かの正当な権利を守れる。
それが嬉しかった。
夕方6時。
ギルドが閉まった。
私は最後の書類を棚に戻した。
「お疲れ様でした、セシリアさん」
リゼットさんが近づいてきた。
疲れているが、表情は明るい。
「初日なのに、本当によく頑張りましたね」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「明日も、よろしくお願いします」
「はい」
私はギルドを出た。
夜風が心地いい。
空には星が瞬いている。
初日。
乗り切った。
ここなら、やっていける。
私にできることがある。
必要としてくれる人がいる。
それが、何より嬉しかった。
宿への道を歩きながら、私は小さく呟いた。
「明日は、もっと頑張ろう」
朧月支部。
ここが、私の新しい居場所になる。
そんな予感がした。




