第1話 断罪と転職宣言
王立リオネル学院の大講堂。
煌びやかなシャンデリアの下、卒業式が華やかに進行していた。
私は壇上に立っている。
王太子アレクシス殿下の隣に。
婚約者として。
「セシリア・ローゼンハイム」
殿下が私の名を呼んだ。
声は凛としている。
迷いがない。
ああ、来るのね。
私は静かに息を吸った。
前世の記憶がある私には、この展開が読めていた。
乙女ゲーム『聖女の運命〜光と闇の選択〜』。
私はその悪役令嬢。
卒業式での断罪イベント。
全て、筋書き通り。
「そなたとの婚約を、ここに破棄する」
殿下の宣言に、講堂がざわめいた。
私は彼を見つめた。
プラチナブロンドの髪。
サファイアブルーの瞳。
整った顔立ち。
絵に描いたような王子様だ。
でも、私の心は静かだった。
むしろ、小さく安堵していた。
やっと。
やっと解放される。
「理由を述べよう」
殿下は会場を見渡した。
「セシリア・ローゼンハイムは、聖女候補リリアナ嬢に対し、陰湿な嫌がらせを繰り返した」
嘘だ。
私がやったのは、リリアナの負担軽減だった。
社交界で孤立しないよう根回しをした。
過労で倒れないようスケジュール調整をした。
でも、それが「監視」「妨害」として報告されたらしい。
誰かが意図的に歪めたのだろう。
「嫉妬に狂い、彼女の評判を貶める工作を行った。これは複数の証言により確認されている」
会場から小さなすすり泣きが聞こえた。
前列の令嬢が震え声で言う。
「わ、わたくしも見ました。セシリア様がリリアナ様を……」
演技だ。
でも、構わない。
私は静かに一礼した。
「ご婚約解消、謹んでお受けいたします」
会場が静まり返った。
抗弁しないのか、と誰かが囁いた。
する必要がない。
前世で学んだ。
ブラック企業で理不尽なクレームに何度も対応した。
言い訳は状況を悪化させるだけ。
相手が感情的な時は、冷静に受け入れるのが最善。
それに。
私は内心で小さくガッツポーズをした。
王太子妃候補という名の超ブラック職場から、ついに解放される。
殿下は少し驚いたような顔をした。
でもすぐに表情を引き締めた。
「そなたの身分は維持する。ただし、王宮への出入りは禁ずる」
「畏まりました」
私はもう一度礼をして、壇上を降りた。
背中に視線が刺さる。
囁き声が聞こえる。
「あの態度、やはり何か企んでいるのでは」
「悪役令嬢らしい冷酷さね」
好きに言えばいい。
私は会場を出た。
外の夜風が、やけに心地よく感じた。
実家の屋敷に戻ると、父が待っていた。
エドウィン・ローゼンハイム伯爵。
書斎の椅子に座り、私を睨みつけている。
「貴様、何をしでかした!」
父の怒声が響いた。
「王太子妃の座を棒に振るとは! 我が家の面目は丸潰れだ!」
予想通りの反応。
父は私を見ていない。
父が見ているのは、「王太子妃候補という肩書き」だ。
私という人間ではない。
「婚約破棄は王太子殿下のご判断です」
淡々と答える。
「私に落ち度があったとすれば、お詫び申し上げます」
「詫びて済むか!」
父が机を叩いた。
「貴様は今日から勘当だ! 家から出ていけ!」
完璧。
これで話が早い。
私はカバンから一通の書類を取り出した。
「父上、こちらをご覧ください」
「何だ」
父が書類を受け取った。
顔色が一瞬で変わる。
「これは……」
「父上が昨年、領地経費を水増しして報告された記録です」
私は静かに続けた。
「原本と照合すれば、すぐに分かります」
父の手が震えた。
軽微な不正とはいえ、発覚すれば爵位剥奪もあり得る。
「勘当していただけるなら、この件は黙っておきます」
前世で覚えた交渉術。
相手の弱みを握った時は、感情的にならず、淡々と条件を提示する。
「手切れ金代わりに」
「貴様……!」
父は私を睨んだ。
でも、何も言えない。
数秒の沈黙。
やがて父は力なく肩を落とした。
「……分かった。勘当だ。二度と戻ってくるな」
「ありがとうございます」
私は一礼して、書斎を出た。
廊下を歩く。
使用人たちが遠巻きに見ている。
誰も声をかけてこない。
それでいい。
私は自分の部屋に戻り、荷物をまとめた。
服は最小限。
前世の記憶にある「必要最低限の持ち物リスト」を思い出しながら。
母の形見のブローチだけは、小さな布に包んで懐に入れた。
「お姉様」
振り返ると、弟のオスカーが立っていた。
17歳。
私より背が高くなった。
「オスカー」
「本当に、行ってしまうの?」
彼の声が震えている。
私は微笑んだ。
「大丈夫。私は自由になるだけ」
「でも……」
「オスカーは、父上の期待に応えて」
私は弟の頭を撫でた。
「あなたは優秀だから、きっと立派な当主になれる」
オスカーは泣きそうな顔で頷いた。
私は荷物を持って、屋敷を出た。
振り返らなかった。
王都外れの安宿「銀の月亭」。
一泊2銅貨の、質素な部屋。
ベッドと小さな机だけ。
でも、清潔だ。
私は荷物を置いて、ベッドに座った。
窓の外を見る。
夜空に星が瞬いている。
自由だ。
本当に、自由になった。
誰にも命令されない。
誰にも利用されない。
私は深呼吸をした。
前世では、過労で倒れる寸前まで働いた。
今世では、王太子の秘書として3年間、休みなく働いた。
もう、頑張りすぎなくていい。
自分のために生きていい。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
でも、泣かなかった。
これからだ。
私は机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。
昨日、街で見つけた求人広告。
『冒険者ギルド朧月支部 受付嬢急募』
前世で憧れていた仕事。
総務・受付・事務処理。
私の得意分野だ。
冒険者ギルドは半公的機関。
身分に関係なく、能力で採用される。
貴族令嬢が受付嬢になるなんて、社会的には「転落」だろう。
でも、私にとっては「解放」だ。
明日、面接に行こう。
私は求人広告を胸に抱いた。
窓の外で、夜の鐘が鳴った。
新しい人生が、始まる。
翌朝。
私は認識阻害の眼鏡をかけた。
銀縁の、地味な眼鏡。
顔の印象を薄くする魔道具。
貴族令嬢の派手な顔立ちを、平凡に見せる効果がある。
鏡を見る。
うん、これなら大丈夫。
私は簡素な紺色のワンピースに着替えた。
貴族の服は全て置いてきた。
これからは、私自身として生きる。
宿を出て、朧月地区へ向かう。
王都外れの下町。
家賃が安く、冒険者や職人が多く住む場所。
治安はやや悪いと聞くが、ギルドの自警団が機能しているらしい。
石畳の道を歩く。
屋台の匂いが漂ってくる。
「焼き立てパンだよー!」
「魔石、高く買い取るよー!」
活気がある。
王都中心部の、息苦しい空気とは違う。
私は少し笑顔になった。
ここなら、やっていける。
そして。
古びた木造の建物が見えた。
看板に『冒険者ギルド朧月支部』。
入口は開いている。
中から怒号が聞こえる。
「だから俺の依頼はどうなってんだよ!」
「順番に対応しますので、お待ちください!」
騒がしい。
でも、前世の修羅場受付に比べればマシだ。
私は深呼吸をした。
大丈夫。
私には、経験がある。
扉を開けた。
「失礼します。求人の件で参りました」
受付カウンターの向こうで、疲れ果てた女性が振り返った。
茶色の髪を乱した、私と同年代くらいの女性。
「求人……ああ、受付嬢の!」
彼女の顔がぱっと明るくなった。
「助かります、今すぐ面接します!」
彼女は奥に向かって叫んだ。
「マスター! 応募者です!」
「おう、通せ!」
豪快な声が返ってきた。
私は導かれるまま、奥の部屋へ。
そこには、大柄な男性が座っていた。
白髪混じりの短髪。
右目に眼帯。
額から頬にかけて大きな傷跡。
元冒険者だろう。
「よく来た。俺がギルドマスターのバルド・グリムウッドだ」
彼は私を見た。
鋭い緑色の瞳。
一瞬、私の正体を見抜かれたかと思った。
でも、彼は豪快に笑った。
「お嬢ちゃん、書類仕事はできるか?」
「はい。得意です」
「クレーム対応は?」
「前職で鍛えられました」
嘘ではない。
前世も今世も、クレーム対応は日常だった。
「よし、採用だ」
早い。
私は少し驚いた。
「面接は、これで終わりですか?」
「ああ。お前の目を見れば分かる」
バルドは立ち上がった。
「こいつは本物だってな」
「明日から来れるか?」
「はい」
「じゃあ決まりだ。給料は月5金貨。昼飯付き。文句あるか?」
「ありません」
平民の平均年収が30金貨。
月5金貨なら、年収60金貨。
十分だ。
「よし。じゃあ明日、朝8時に来い。遅刻すんなよ」
「畏まりました」
私は一礼した。
バルドは豪快に笑った。
「気に入った。お前、名前は?」
「セシリアです」
「セシリアか。よろしくな」
彼は大きな手を差し出した。
私はその手を握った。
温かかった。
力強かった。
宿に戻る道。
私は空を見上げた。
青い空。
白い雲。
明日から、私の新しい人生が始まる。
冒険者ギルドの受付嬢として。
誰にも利用されない。
自分で選んだ道を歩く。
胸が高鳴った。
不安はない。
前世で、どんな理不尽にも耐えてきた。
今世で、どんな困難も乗り越えてきた。
これからも、きっと大丈夫。
私は小さく呟いた。
「明日からは、私のために生きるんだ」
風が、優しく髪を撫でた。
朧月支部。
そこで、どんな人たちと出会うのだろう。
どんな冒険者たちが待っているのだろう。
想像するだけで、少しわくわくした。
王太子妃候補として過ごした窮屈な日々。
それが、ついに終わった。
今度こそ、自分の人生を生きよう。
私は軽やかな足取りで、宿への道を歩き続けた。




