沖縄戦史
首里城見学に行かれた方は琉球(沖縄)に王朝があって尚王朝だと言う事はご存知だろう。
室町時代に宋と貿易する為の日本の船が立ち寄った際まだ狩猟生活だったと言う話がある。
何はともあれ稲作が伝わった。すると共同で耕作する必要性と食糧を貯める余裕が生じ、グスク(城砦)を作り互いに抗争が始まる。グスク時代と言う。
どうもこの各グスクはそれぞれ貿易を行なっていた様である。
三国時代 やがて三勢力に分かれ北山(今帰仁城)中山(浦添城)南山(島尻大里城)に分かれ中国(明)と朝貢貿易を行なって国力を高めた。明は永楽帝の時イスラム教徒の宦官が遠くメッカまで船による遠征を行い途中の国々が朝貢貿易を行った為それらの国々は明に従属した事となった。この時期中国はそれぞれの国に移り住んで中華街を作り華僑と言う集団を作り始める。
中国が沖縄は中国の領土と言う根拠はここにある。永楽帝実は甥を戦争で破り簒奪した皇帝だが全ては繁栄の中肯定されている。
さて、三国を統一する王が現れる。
南部(中山の南部)佐敷の按司地方豪族尚巴志は馬天港の貿易で力を蓄え1416年中山王武寧を滅ぼした。次に南山そして北山を滅ぼし1429年琉球王国を建国した。
ところが40年後1469年クーデターで金丸(尚円王)が即位した。実は尚と名乗っただけで全く関係なかったらしいが第2尚氏王統が始まる。
そして1609年島津氏の侵攻により琉球王国は島津氏傘下となり明治維新を迎える。
大規模な戦いの経験が無い琉球はなす術がなかったと言う。
この侵攻には朝鮮侵攻にあたっての圧迫、また領土を得られなかった島津への豊臣政権の黙認があった。




