斯波家
最初の執事(管領)だが全く喜ばなかった。足利家の執事は高氏が代々務めていたが太平記を見れば分かるが滅んでしまった。執事は臣下格下である。
実は斯波家こそ元々の足利宗家なのである。
足利泰氏の長男家氏の母は北条氏名越氏で最初泰氏の正妻であった。
ここで大河ドラマ鎌倉殿の13人の主人公北条義時の暗殺事件が起きる宮騒動である。
母は側室に落ち家氏も庶子となる。そして北条時氏の娘が泰氏の正室となり頼氏となる後の尊氏へはここから繋がる。
本編で書いたが頼朝に同格である筈の足利氏が仕えて以来(実は足利氏内部の争いの関係上庇護が必要だった)足利氏は箔付けの様に北条の横に置かれ共に栄えて来たので仕方がなかった。
ともあれ、宗家ではなくなったが家氏は将軍に仕える御家人として地位も所領も持ち自立していた。
他の足利庶流(仁木・細川等)が所領を持たず家臣となったのとは訳が違った。
家氏の弟兼氏から九州探題を務めた渋川氏(名将今川了俊の後で影は薄い大内氏に福岡百地にて滅ぼされている)が起きている。
個人的にはHKT48劇場とか高校の思い出が筆者にはある^_^
足利尊氏の時代の当主は足利高経で実は新田義貞を越前で打っている。嫡男家長は陸奥国の斯波郡に所領を貰い奥州総大将兼関東管領として例の花将軍・不敗将軍等と言われた北畠顕家と戦い戦死している。有力家門と言っても問題ない。
で、尊氏死後2代将軍義詮の時執事への打診を受ける。同格と思っていた高経と三男氏頼はこの格下扱いに渋りに渋る。
結局、四男でわずか13歳の義将に押し付けた。
実はこれが初代管領斯波家の始まりである。
何故本編で将軍直臣の甲斐氏が守護代として牛耳っているか?新田義貞の領地の越前(今の福井県約73万石ちなみに尾張は推定56万石)に居るのは何故か分かって頂けるだろうか?
越前は紫式部の父が昇格してやっと赴任出来た平安時代からの上国でありその港敦賀は大谷吉継の領地で石高に合わない兵力を持って居た事から莫大な利益を出していた事が窺える。
主人公の主人が天下に最も近い者と言われた所以がここにあります。




