09:パトリシアの大ピンチ(1)
◆ ◆ ◆
――今夜、学校の屋上で流星群を一緒に見よう。二人きりで。
元婚約者であるルーシェに濡れ衣を着せてまで手に入れた王子がそう言った。
《国守りの魔女》となる前のパトリシアなら喜んで誘いに乗り、美しく流れる星の下でキスの一つでも交わしていただろう。
しかし、《国守りの魔女》となったいまのパトリシアにはとてもそんな余裕はなかった。体力的にも、精神的にも。
「綺麗だな」
屋上の手すりに手をかけ、夜風に吹かれながら、デルニスは夜空を見上げている。
「ええ、綺麗ですわね……」
デルニスの隣に立ち、脂汗を流しながらパトリシアは言った。
「ふふ、流れる星よりも君のほうが綺麗だよ。君はいつだって綺麗だ。君の輝きは星の輝きにも負けはしない」
「ありがとうございます……」
引き攣る頬を無理やり持ち上げる。
苦悶の表情を隠すだけで必死だった。
(あの子……こんなに大変な仕事をしてたの……!?)
常時強力な魔法を使い続けるとは、たとえるなら常時全力疾走をしているようなもの。
大変とか辛いとか、そんな生易しい言葉ではとても言い表せない。
地獄の責め苦だ。もはや拷問だ。
国を覆うほどの結界を常時展開するなんて冗談ではない。冗談にもならない。
パトリシアの魔力では魔法学校のあるオーガスタ地方を覆うだけで精いっぱい。
これ以上結界の範囲を広げたら魔力が枯渇し、生命力まで搾り取られて死んでしまう。
(ああ――私は愚かだった。間違っていた。《国守りの魔女》に相応しかったのは、《国守りの魔女》となれたのは、ルーシェしかいなかったのに)
国全土を覆う結界を常時展開しながら平気な顔で微笑んでいたルーシェは化け物だ。自分とは桁違いの魔力を持った怪物だ。
その気になれば小指の先を軽く曲げる程度の労力で自分を殺せたのに、ルーシェはそうしなかった。
ただ微笑み、いわれのない誹謗中傷や理不尽に耐えて耐えて耐え続け、そして居なくなった。
パトリシアが居場所を奪って、追い出した。
(私はなんてことを――)
《国守りの魔女》がどれほど偉く、尊く、得難い存在なのか、パトリシアはようやく身に染みてわかったのである。
「見たかいパティ? いま、連続で星が流れたぞ――」
夜空の一点を指さしてデルニスは笑っている。
(星とかもうどうでもいいわ!! とにかくキツイのよ辛いのよ死にそうなのよ助けてデルニス様!!)
「デ……デルニス様? 相談があるのですけれど……」
真っ青な顔で、息も絶え絶えに言う。
「ん? なんだい私の可愛いパティ?」
デルニスはパトリシアの頬に手を添え、優しく彼のほうへと向かせた。
金色の《魔力環》が浮かぶ彼の青い瞳には明確な欲望――キスへの期待――があるが、パトリシアはそれには気づかないふりをした。
何しろ、パトリシアは本当に死にそうなのである。
「私、やっぱり《国守りの魔女》の座を降りたいと思うのですわ。どうか、ルーシェを呼び戻してください。お願いです」
「何を言うんだパティ! あの極悪女を呼び戻すなど冗談ではない! 一体どうしてそんなことを言うんだ? 立派に役目を果たすと言ったではないか!」
デルニスは激高した。
「ええ、言いました、確かに言いましたが、まさかこれほどまでに大変だとは思いも――」
「パティ、よく聞いてくれ」
デルニスはいつになく真剣な表情になり、パトリシアの両肩に手を置いた。
「どんなに大変でも君は《国守りの魔女》で居なくてはならない。《国守りの魔女》の称号を君に与えるため、私は父上に訴えたのだ。パティはルーシェよりも《国守りの魔女》に相応しいと。父上は私の訴えを聞き入れ、ルーシェから《国守りの魔女》の称号を取り上げてパティに譲る権限を与えてくださったが、もしパティがルーシェ以上の器でなかった場合は厳罰に処すと仰ったのだ」