おばあ様
「――でっっっっっっかっ!?」
馬車から降りた私はあんぐりと口を開けてしまった。公爵邸と紹介された建物が、デカかったのだ。いやデカいという言葉では足りないか。超スーパービックだったのだ。
『みゃー……』
語彙力ぅ、みたいな呆れ声のミャーだった。ふっ、ゼロ歳児では私の完璧な語彙力を理解できなかったか――痛っ、噛まれてもうた……。いや実際今の私だとダメージゼロだけど、ミャーに噛まれたという事実で心が痛むのだ。
馬車は玄関の真ん前に停めてもらったので、そのまま玄関前の階段を上り、屋敷の中に入る。
「うわぁお……」
なんというか、宮殿。宮殿だった。覗き魔王太子がいた部屋も凄かったけど、こっちも凄い。床には私の身長よりも大きな大理石(?)のプレートが敷き詰められているし、落ちてきたら人間数人が押しつぶされそうなシャンデリアが天井からぶら下がっている。
『みゃー……』
もうちょっと良い表現できないの? みたいな半眼を向けられてしまった。分かりやすくていい表現ですやん。
「さて」
と、お爺さまが仕切り直しとばかりに咳払いをした。ちなみにこの人はさっきまで私の『でっっっっっっかっ!?』とか『うわぁお』といった反応をニヤニヤとした目で観察していた。リーナちゃんは気づいているのだ。
「最後まで儂が面倒を見てやりたいが、儂とレイスはこれから伯爵家に関する後始末をせねばならんし……正直、家の中のことはよく分からん」
貴族家の当主なんだから当然なのだろうけど、正直なことで。
「なのでこれからは儂の妻に面倒を見てもらおう。リーナの祖母に当たる人物だな。これからはアリス嬢の祖母にもなる」
祖母。母の母。
実の母親はアレと駆け落ちするし、継母は私を虐めてきたので……正直、『母』に対する警戒心がMAXな私だった。
「さて。使い魔を派遣したのでリーナとアリスのことは聞いているはずだが……」
「――お帰りなさいませ」
凜とした。ともすれば冷たさすら感じられる声が上の方から降ってきた。
玄関ホールの正面にある階段。そこからさらに視線を上げて二階へと目をやると――声の主である女性の姿を視界に収めることができた。
上品な淑女、といったところだろうか? 前世ではあまり外国人を見たことがないので外見から年齢を推し量るのは難しいけど……色が薄くなった金髪や、顔に刻まれた皺からして中年から初老くらいだと思う。たぶんお爺さまと同じくらいの年代かな?
「おぉ、セレス。出迎えがないから心配したぞ」
お爺さまが少し大げさに両手を広げると、セレスと呼ばれた女性はにっこりと微笑みながら階段を降りてきた。
そう、にっこりと微笑みながら。
なんだろう?
表情は笑顔なのに、ものすっごい圧が発せられている気がする。見ているだけで息が詰まりそうな……。
女性はゆっくりとした足取りだったので、階段を降り切るにはそこそこの時間が掛かった。でも、不思議と誰も声を発することができず、ただただそのたおやかな足取りを見つめ続けるしかできない。
かつん、と。玄関ホールに降りたつと同時に靴が鳴らされた。
この場を完全に支配した女性が自らの胸元に手を置いた。
「えぇ、申し訳ございません。まさかわたくしに何の相談もなく伯爵邸へと向かい、何の手続きもないままリーナを連れ帰るとは思いませんでしたので。しかももう一人増やすだなんて」
「は、ははは……」
苦笑してごまかそうとするお爺さまだった。貴族ってずいぶんと話が早いんだなーっとは思っていたけど、貴族からしてみてもお爺さまの動きは非常識だったっぽい。
「ふぅ」
深々とため息をついてから、女性が私とアリスに視線を移した。
正直、私は邪竜を倒したのでこの世界でもかなり強い方だと思う。なのに、めっちゃ怖かった。本能が敵対するのを恐れている、みたいな?
「ひっ」
ちょっと泣きそうな声を上げつつ、私の服の裾を掴むアリス。
でも、私の背中に隠れるような真似はしない。
むしろ、掴んだ裾を後ろに引っ張って、私を後ろに下げようとしている気がする。まるで私を背中に隠そうとするかのように。
まぁ足がすくんでいるのか一歩前に出たりすることはできていないのだけど――私の妹、格好良くない? 可愛くて格好良いって最強かな?
そんな私とアリスを見て――女性は柔らかく微笑んだ。さっきのニッコリとしたものとは比べものにならないくらい温かな笑顔だ。
「合格」
「へ?」
「合格、ですの?」
ほぼ同時に首をかしげる私とアリスだった。脅威のシンクロ。まぁ母親が違うとはいえ半分同じ血が通っているのだから当たり前かもしれないけど。
「ここでどちらかの背中に隠れるような意気地無しであれば、適当な分家に任せたところなのですが。いいでしょう。リーナ、そしてアリス。二人を我が家に迎えます」
な、なんか知らないうちに重大イベントが始まって終わってました? そんなことで本家ルートか分家ルートに別れるとは……上位貴族、こわい。
「申し遅れました。わたくしはセレス・ルクトベルク。あなた方の祖母にあたる人間です」
上品な一礼をするセレス――様。
7歳児と6歳児に対しても敬語を使い、礼も欠かさぬ姿勢。それはとても丁寧なはずなのだけど……一つ一つがやはり圧を放っていた。『自分は礼儀を尽くしているのだから、無礼な態度を取ったら殺すぞ』みたいな感じで。
「お、お初にお目に掛かります。ランテス伯爵家が次女、アリス・ランテスと申します」
戸惑いつつもカーテシーを決めるアリス。ちなみに私は貴族的な礼儀作法を習っていないので、こういうときどうすればいいのかなーんも分からん。
アリスの猿まねする?
いや、下手なことをしては逆に笑われるかな?
意を決した私は真っ直ぐにセレス様を見据えた。
「……はじめましてセレス様。リーナと申します。貴族的な礼儀作法は何一つ学んでおりませんので、ご容赦いただければと」
セレス様はしばらく私を無言で見つめてきてから……頬を緩めた。
「――良き度胸です。結構、伯爵家式の礼儀作法を知らないならば、最初から公爵家式を教え込めるというもの。それに教育の機会が与えられなかったのはリーナのせいではないのですから、恥じることはありません。……いえ、恥じてはいないようですね。『文句あるならぶち殺す』と言わんばかりの態度、気に入りました」
いやさすがにそこまでは考えてないですよ?
「リーナ。そしてアリス。わたくしのことはおばあ様と呼ぶように。それから、これからは伯爵家の名を捨て『ルクトベルク』と名乗りなさい」
「は、はい」
「承知いたしましたわ、おばあ様」
「結構。では、ついてきなさい。まずはその安物から着替えるとしましょう」
安物って。
アリスは可愛がられていたからちゃんとした服を着せられているし、私は別邸に残されていた衣装に着替え済み。どちらも伯爵家が用意したドレスなのだけど。
そんな私の反応など気にも留めないで再び二階に上っていくおばあ様。
と、階段の中程で立ち止まり、振り返る。
その視線が捉えたのはお爺さまだ。
「ガーランド。この二人にはマリアナが昔着ていた服を与えます。もちろん、仕立屋が来るまでの間ですが」
マリアナってのは私の母親の名前だっけ? 元々はお爺さまとおばあ様の娘で、伯爵家に駆け落ち同然に嫁いだ人。
「い、いや、それは……少しの間なのだからその服でもいいのでは……ないか?」
家を出てったマリアナの服を使うのは抵抗があるのか、少し言い淀むお爺さま。そんなお爺さまにおばあ様は容赦しなかった。
「よろしいですね?」
「……はい」
あぁ……。何となく力関係を察してしまう私だった。