トイレ
アリスの処遇が決まったところでお爺さまが顎髭を撫でた。どうやら考え事をするときの癖らしい。
「ふむ。あと決めるべきは……使用人たちをどうするか、か。リーナはどうしたい?」
「そうですねぇ。私の味方でいてくれた人は、助けてあげたいです」
「当然だな」
じゃあ私を虐めていた人はどうするのか。ということは私もお爺さまも口にはしなかった。私には庇う義理はないし、お爺さまがどんな決断をしても口を挟むつもりはない。
そしてお爺さまは、幼女には聞かせたくない処分を下すのだろう。きっと。
「誰が私の味方になってくれていたかはセバスさんに尋ねれば把握できるかと」
「……だ、そうだ?」
お爺さまが後ろに控えていた執事さんに視線を送ると、執事さんは委細承知とばかりに頷いた。
おっと、肝心なことを忘れていた。
私は後ろで待機していた副メイド長・フィナさんの手を引っ張って抱きしめた。
「フィナさんも連れて行きたいです」
「ほぅ?」
面白そうな顔をしたのはお爺さま。
「げっ」
嫌そうな声を出したのはフィナさん。
「いやいやフィナさん。『げっ』てなんですか、『げっ』て。私のメイドをするのがご不満で?」
「いやいやいや、お嬢様のメイドならいいんですけど、公爵家は面倒くさいかなー。なんて」
「おぉ、公爵閣下を前にそんなことを口にするとは度胸のある」
「……そうでした」
うっわやべぇ、と顔をしかめるフィナさんだった。お爺さまが孫バカを発揮しすぎているから油断したかな?
「おもしろい。メイド、言い分があるなら聞くが?」
面白いオモチャを見つけたような顔をするお爺さまだった。いやまぁ元々の顔が厳ついので『じわじわと殴り殺してくれるわ!』と考えているようにしか見えないけど。
「え、え、えーっとですね。あたしは平民でして。さすがに公爵家でメイドをするのは無理なんじゃないかなーっとですね」
「ふむ……。どう思う?」
再び執事さんに声を掛けるお爺さまだった。
執事さんは迷うことなくその問いに答える。まるで最初から答えを準備していたかのように。
「彼女は確かに平民ですが、Bランク冒険者として活躍した過去があります。しかも貴族からの後援なしで」
「ほう、Bランクか。しかも後援なしとはよほど優秀だったのだろうな」
感心した様子のお爺さまだった。この世界の冒険者制度には詳しくないけど、貴族が後ろ盾になると良い装備がもらえたりするのかな?
「さらに言えば。リーナお嬢様の窮状を真っ先に訴え出たのが彼女でして」
「なるほど。信頼できる人物か」
「はい」
「人にケチを付ける天才であるお前が即答するとは、事実そうなのだろうな」
「恐縮です」
「褒めてはいない」
「承知しております」
「まったく……。だが、信頼できるBランク冒険者であればリーナの護衛も任せられるか。女性でそこまでの腕前は中々見つからないのでな」
察するに、女性しか入れない場所での護衛も想定しているのかな? お手洗いとか。
「――よかろう。採用だ。リーナたちと共に公爵家に来るように」
「……あ、有難き幸せにございますぅ」
なぁんか「うっげぇ、公爵家とか周りの使用人もみんな貴族階級じゃん。絶対面倒くさいじゃん」という顔をするフィナさんだった。私と一緒なんだからもうちょっと喜んでくれてもいいんじゃない?
◇
「すぐに決めることはそんなところか。では、地下室とやらを案内してもらおうか」
ゆったりと椅子から立ち上がるお爺さまだった。そういえば魔法の教本とかが置いてある地下室を案内するって話だったっけ。
とりあえずダンジョンの入り口を隠さないとなぁ。
「……その前に、ちょっとお手洗いに行ってもいいですか?」
「おぉ、構わんぞ。レイス、逆上した使用人が襲いかかってくるかもしれぬからな。ついて行ってやれ」
「はっ」
恭しく一礼する執事さんだった。どうやら名前は『レイス』というらしい。
しかし、護衛ならフィナさんでいいのにわざわざレイスさんに頼むというのは……。
「……レイスさんは幼女のトイレに興味が?」
「ありません」
にっこりと。顔のパーツは笑顔なのに目が笑ってないんだよなぁ。こわ。
怖いのでふざけるのは止めてさっさとトイレに向かうことにする。もちろん本当にトイレに行きたいわけではなく、ダンジョン入り口を隠す時間を稼ぎたいだけだ。ミャーから転移魔法というか転移スキルを教えてもらったのでトイレから地下室へ移動できるし。
おそらく、お爺さまも私が何か隠したりしないよう監視目的でレイスさんを付けたんじゃないのかな? あるいは私のいないところでアリスかフィナさんと話がしたいか。
もちろん、ここで何日か生活したのでトイレの場所も把握済みだ。応接間からちょっと離れた場所にあるんだよね。転移スキルや飛翔を使えば一瞬だけど、さすがにレイスさんの前で使うわけにはいかないので徒歩でてくてくと移動する。
さほど時間を掛けずにトイレへ到着。ちなみに下水道が完備されているのか水洗トイレだ。これは本当に助かったね。
「……お嬢様」
なぜか、眉間に皺を寄せるレイスさん。
「? どうしました? さすがに個室の中まで付いて来られると困るのですが」
「行きません。ではなくて、このトイレを使っているのですか?」
「……何か問題が?」
レイスさんから視線を外し、トイレ内を見渡す。……うん、普通のトイレだと思う。個室が二個あって、ちゃんと手洗い場もある。どうやらこの世界はまともな衛生観念を持っているみたい。
まるで意味が分かっていない私に業を煮やしたのか、レイスさんがため息交じりに説明してくれた。
「ここは、使用人のトイレです」
「え?」
「貴族家のご令嬢が使うようなトイレではありません」
「……貴族ってトイレも別なんですか?」
脳裏に金ピカなトイレを思い浮かべてしまう私だった。こう、豊臣秀吉の黄金の茶室みたいな。
「……どうぞ、こちらへ。この屋敷に入るのは初めてですが、構造は推測できますので」
レイスさんが先導する形で来た道を戻る。すると、応接間のすぐ近くにある部屋の扉をレイスさんが開けてくれた。
最初に屋敷を探検したときにも入ったけど――
「――ここ、トイレだったんですか?」
レイスさんの脇から室内を見渡す。なにやら高そうな壁紙というか壁布。キラキラしたシャンデリア。部屋の奥にはクローゼットっぽい扉が付いている。
「…………」
レイスさんが室内に入り、そのクローゼットっぽい扉を開け放った。
「おー、トイレですねぇ」
前世の様式とはちょっとデザインが違うけど、それでもトイレだと分かる形だった。
ちなみに個室(?)の大きさとしてはキングサイズのダブルベッドが余裕で入りそうなくらい。無駄にでかすぎじゃない?
探検の時は食料はなさそうだなーっとスルーしちゃったけど、まさかトイレだったとは……。
「……お嬢様。もしや、本邸にいた頃から使用人のトイレを使っておられたので?」
「そうじゃないですかね? こんな大きなトイレは使ったことないですし」
「――クズ共が」
底冷えする声を漏らすレイスさんだった。やっぱり怖いなこの人。いや私のために怒ってくれている(?)のだから優しい(?)のかな?