朝食
――朝。
朝食の場で。
アリスは、気持ち悪くてしょうがなかった。
いつも通りの、父と母との朝食。
この場に、リーナはいない。最初から存在しないかのように父と母は談笑し、メイドたちはすまし顔で自らの仕事をしている。
今までのアリスも、それが当然だと思っていた。だって、大好きな父と母がそうしていたのだから、リーナが悪い子で、悪い子だから食事を一緒に食べられないし、別邸に軟禁されたと思っていたのだ。
でも。昨日和解できたリーナはアリスのことを命がけで助けてくれて。そんなリーナが、『悪い子』であるはずがなかった。
むしろ、リーナをいないように扱う父と母のことが、気持ち悪くてしょうがないアリスだ。昨日までは大好きだったはずなのに、今となっては談笑する姿に薄ら寒いものしか感じられない。
「…………」
――お姉様を、別邸から出してあげて。
喉から出かけた言葉をアリスは飲み込んだ。フィナの言葉を思い出したのもあるし……今さら、アリスが何を言ったところでこの二人がリーナに対する待遇を良くするとは思えなかったからだ。
それに、リーナは冒険者になるのだという。
絵本で読んだだけだが、アリスも冒険者というものは知っていた。
力なき人々のために剣を取った男。
復讐のために弓の腕を鍛えたエルフ。
誰よりも泣き虫なのに、誰よりも勇気を持っていた魔女。
彼らは力を合わせて数々の魔物を打ち倒し、最後には強大で邪悪なドラゴンを倒してしまうのだ。
もちろんそれは子供向けに脚色された内容だったのだが、アリスにとっては冒険者こそ『勇者』であり、勇者という称号はリーナにこそ相応しいと思えたのだ。
ここでアリスが余計なことを言えば、リーナに対する当たりが一層強くなり、リーナの冒険者としての道を邪魔してしまうかもしれない。そう考えたアリスは口を噤んだのだ。
そんなアリスの様子がいつもと違っていたせいか、
「アリスよ、どうしたのだ? 全然食べていないではないか」
「そうね、心配だわ。医者に診てもらおうかしら?」
心配そうにアリスを見つめる、伯爵と伯爵夫人。
――お姉様には満足な食事を与えないくせに。
――お姉様が体調不良でも、わたくしと同じようにお医者様に診せるの?
診せないだろうなとアリスは確信を抱く。普段の食事すら満足に与えない存在が、リーナが体調を崩したところで心配するはずがないのだ。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
リーナを虐げていた両親が。
そして何より、この二人と一緒になってリーナを虐めていた自分自身が。アリスには、気持ち悪くてしょうがなかった。
昨晩、リーナはアリスを許してくれた。
でも、足りないと思う。
また今晩会いに行こう。
そしてまた謝って、どうすれば償いができるか相談しよう。
アリスがそう決断したところで――食堂の扉がノックされた。
「旦那様。ルクトベルク公爵閣下がお見えでございます」
伯爵家の家令、セバスであった。
「ルクトベルクだと? 先触れ(約束)も何もなかったはずだな?」
「はい。しかし公爵閣下ですので、すでにお通ししております」
その答えが気にくわなかったのか、伯爵がセバスを怒鳴りつけた。
「勝手なことをするな! いくら公爵とはいえ、この家の主は私だぞ!? それを使用人風情が――」
「――ゴチャゴチャとうるさいヤツだ」
セバスを押し退けるように食堂に入ってきたのは、山のような人物であった。鍛え上げられた肉体に、殺意すら込められた眼光。おそらくは最高級の生地で作られた衣服は筋肉によって押し上げられており、公爵というより冒険者と説明された方がまだ納得できる風貌であった。
ちらり、と公爵がアリスを横目で見る。
だが、それだけ。
すでに興味を失ったかのように公爵は右手に持った杖の先を床に突いた。
乾いた音が食堂に響き渡る。
視線の先にいるのは、立場的には娘の夫・つまりは義息となる伯爵だ。
しかし、その冷たい目はとても『家族』に向けるものではない。
「まったく、我が娘はなぜこのようなつまらぬ男に嫁いだのか……まるで理解できぬな」
「なんだと!? 貴様! 勝手に家に上がり込んできて――ぐあぁああっ!?」
公爵が杖の先を向けた途端、絶叫しながら痙攣する伯爵。
リーナの魔法を見たアリスには理解できた。あれは雷攻撃魔法で、父に向けられた杖の先から魔法が放たれたのだと。
「貴様、だと? 伯爵。上位貴族に対する口の効き方がなっておらんな?」
「ぐ、貴様……」
「まだ学ばぬか。ゴブリンの方が賢いぞ? ふん、ゴブリン以下の存在になど、魔力を使うのすら勿体ない」
再び地面に杖を突いた公爵は、改めて伯爵を睨め付けた。
「我が孫娘、リーナに満足な食事を与えず、ろくな教育も施さず、さらには別邸で軟禁しているらしいな? 公爵家に連なるリーナに対しての扱い、公爵家に対する宣戦布告にすら等しいと心得よ」
事実を指摘されて伯爵は押し黙り、
「こ、公爵閣下!」
床に膝を突いたのはアリスの母・伯爵夫人だ。
「誤解ですわ! リーナは勉強が苦手で、罰として食事を抜いたり別邸で反省させていただけのこと! いくら公爵でも個々の家の教育方針に口を出すのは――」
「――たわけが!」
「ひ、ひぃ!?」
公爵の一喝を受け腰を抜かす伯爵夫人。
「この儂が! なんの下調べもせずに乗り込んできたと思うてか!? すでに伯爵家の使用人たちから証言は得ておる! リーナのための家庭教師すら雇わず! 理不尽に食事を抜き! コップを投げつけケガをさせた上で別邸に軟禁したとな!」
「っ! セバス、貴様!」
リーナの頭にコップを投げつけたことはセバスくらいしか知らない。裏切り者が誰であるかを察した伯爵はセバスを怒鳴りつけるが、セバスは涼しい顔だ。もはやこの状況で、伯爵を恐れる理由など何一つない。
この期に及んでそのような態度を取る伯爵を見て、公爵はさらに怒りの炎を燃やす。
「今ごろリーナは別邸からこちらに向かっているだろう! 貴様らの悪行はリーナ本人の口から証言してもらう! 覚悟しておけ! 貴様らは我が娘の忘れ形見を虐げたのだ! ――リーナは公爵家に連れて帰る! そして、伯爵家は取り潰しだ!」
「バカな! いくら公爵とはいえ、そんなことをできるはずがない!」
「お、お許しください公爵閣下! 誤解! 全ては誤解なのです!」
憤慨する伯爵と、すがりつこうとする伯爵夫人。そんな父と母を横目に――アリスは、ルクトベルク公の前に立った。