8 涙
人をまた殺した。
スフィルが人を殺したのは、彼が五歳の時だった。
しかし、記憶を失い、彼が人を殺したと意識したのは、死ぬ直前の大量虐殺。隣国マスリーンの兵士たちを焼き払ったと時だった。
断末魔、匂い、彼女はすべて思い出した。
自分はスフィルとは違う。
そう思うことで逃げようとしていた。
罪悪感から。
今の平和のために自分はするべきことをした。
そう思い、前向きに考えようとする。
けれども気を抜けば、罪悪感がひたひたと彼女に迫る。
スフィルが五歳の時の記憶が蘇り、彼が自身の母親を殺していたことを思い出す。母の優しい思い出とそれを自らが壊してしまった事実。
大虐殺の事実よりもそれは彼女の痛みを覚えさせる。
「私は、スフィルではない」
声に出してみて、どうにか落ち着かせる。
けれども、ルイカ自身が人を殺してしまった。
またしても力の暴走。
五歳と時と一緒だ。
自分に乱暴しようとした騎士とその仲間。
燃え上がって動かなくなったのは二人。
ルイカはまたしても人を殺した。
「また東の塔。十四年もたっているはずなのに変わってない」
ベッド、机、クローゼット。
どれも記憶のものと一緒だった。
「ルイカ!」
突然大きな声で呼び掛けられ、ルイカは驚いて振り返る。
「カリティット、様」
一瞬、十四年前の若からし頃のカリティットの幻影が見えて、ルイカは呼び捨てにしそうになった。
敬称をつけてから、しっかりと彼を見直す。背後にはハリスがいて、無理矢理つれてこられたんだなと思い至る。
ハリスが東の塔に来るまで、カリティットはサズリエの隣で物静かだった。話すことはスフィルの体調を尋ねる質問ばかり。
なのでスフィルは彼は話すのが好きなのではない、大人しい人物だと思っていた。
しかしハリスが来るようになり、彼の印象はすっかり変わってしまった。
「ルイカ、お前はスフィルの生まれ変わりだったのか」
会って開口一番に聞かれてしまい、ルイカは一瞬戸惑う。
けれども素直に答えることにした。
「スフィルの記憶をもっています。だから生まれ変わりだと思います」
「そうか、そうか。友達になろうな」
「はい?」
「まあ、女の子になってしまって、あれなんだが、ハリスと俺がしっかり守ってやるから。サズリエの好きにはさせない!な、ハリス!」
「ええ」
王を呼び捨てで呼ぶことは不敬以外の何ものでもないのだが、ハリスはただ頷くだけ。
ルイカの方が困ってしまった。
スフィルは王子であったので、友達といわれても納得がいく。しかし今のルイカは平民で女中。しかも罪人だ。だから、困惑の極みで、カリティットに視線を返す。
「俺たち後悔しているんだ。スフィル。だから、できるだけのことをさせてくれ」
「そんな困ります。今の私はルイカですし。罪人です」
「まあ。そんな硬いこと言うな」
硬いことではないのだが、と思っているのだが、カリティットは聞く様子がなかった。持ってきた箱を開け始め、勝手にランプなどを置き始める。
「カリティット様!」
「ルイカ。カリティットの好きなようにさせてください。害はないでしょう?」
「そうでしょうけど」
眉を寄せて困っているルイカを尻目に、ハリスも加わり、東の塔の部屋は貴人の部屋のように整えられていった。
「さあ、いい感じになりましたね。カリティット。もう満足したでしょう?あなたも忙しいはず、医務室に戻った方がいいのではないですか?」
「あ?」
「そうです。カリティット様。戻った方がいいです」
「なんだ。迷惑なのか」
「迷惑というか、仕事の邪魔はしたくありません」
「うん、そうだな。片付けたらまた来る」
「また来る?来なくていいですよ」
「体調管理の仕事は俺の仕事だからな。じゃあ、またな」
カリティットはそう言って、さっさと部屋を出ていった。残ったのはハリスだ。
「ハリス様も忙しいですよね?お城で有名なんですから。ハリス様の忙しさは。だから仕事に戻ってください」
「そうしましょうか。また夕食持ってきますから」
「いらないですから」
「夕食はいらないですか?」
「いります。ただわざわざハリス様が持ってこなくてもいいですから」
「一緒に夕食を食べましょう。いつも執務室で一人で食べていたので味気なかったのです」
「えっと、あの、陛下は?」
「ああ、あの方はいいのです」
ルイカは気がつかなかったのだが、カリティットもハリスもサズリエへの対応があまりにも冷たかった。
王に対してその態度はいいのかと思いつつ、公式の場では区別をつけているのだと思い直す。
「それとも陛下と一緒に食べますか?」
「とんでもありません」
「それなら、いいですね。また来ます」
ハリスはそう言うと、カリティットと同じようにさっさと部屋を出ていった。
「……どうして」
ルイカは優しくされるのが怖かった。
スフィルであった時も、今のルイカも人を殺している。そんな自分に優しくしてくれる二人に戸惑い、同時に嬉しくなる。
気がつくと彼女はぽろぽろと涙を流していた。彼女にはその涙がスフィルが流したものか、自身が流したものかわからなかった。