5 暴走
「ルイカ。気にしないでね」
「本当、本当。お貴族様はそんな感じなんだから」
孤児院で二人に会ってから、ハリスはルイカに会いに来なくなった。
それを周りの女中仲間は彼女が傷心していると思って、慰めてくる。
(寂しくはあるけど、最初から短期間だとわかっていたから)
そう思っても心配してくれる仲間の気持ちを大事にして、ルイカはありがとうと笑って返した。
その反応だと同情を買うらしく、ぎゅっと抱きしめられたり、優しくされることが多くなった。
「あ、飛んじゃった!」
服を取り込んでいると、ハンカチが風に乗って飛んで行ってしまった。ルイカは他の女中に断って、ハンカチを取りに行く。
「気をつけてね」
紛失しては責任問題なので、女中たちはルイカに声を掛けながら、彼女を止めなかった。
このようなことは初めてではなく、ルイカは何も考えず、ハンカチの行方を追った。
はらりとハンカチが落ちた先には、騎士が数人いた。
近づいてみて、そのうちの一人に見覚えがあることに気が付く。
「あ、お前は」
ハンカチを拾ってすぐいなくなろうとしたのに、その騎士はルイカに気が付いた。
「いいところにいた。お前に文句を言ってやろうと思ってんだ。ハリス様はもうお前に飽きたようだし、何をしてもお咎めはないだろうから」
(怖い。なんか怒ってるけど。なんで?)
ルイカはハンカチをぎゅっと握りしめ、後ずさりする。
「お前のせいで、減給になったんだよ!俺は規定通り検査しようとしただけなのに。なんでだよ。頭に来るからお前で発散させろ。よく見れば可愛い顔してる」
「おい、お前、やめろよ!」
仲間は彼を止めようとするが、その騎士はにやにや笑いながらルイカに近づいてくる。
彼女は恐怖で足が竦んで動けなかった。
(どうして、なんで、なんで)
男が何を求めているのか、今のルイカには理解ができた。
孤児院でも働きに出る子には常識として教えられるし、女中仲間の話を聞けば、何を意味しているのかわかる。
「おい、やめろって!」
「止めるなよ!」
その騎士は仲間の制止を振りきり、ルイカの腕に触れた。
「いやあ!」
「ひい!」
ルイカの体が一気に炎に包まれる。彼女の腕を掴んでいた騎士の体は燃え上がり、吹き飛ばされた。異変を感じた騎士の一人は飛び退いたために難を逃れた。
しかし傍にいた騎士の仲間の一人は燃え上がり、地面を転げ回った後、動き止めた。
「ぼ、僕はまた……」
ルイカは周辺に広がった惨事を目の当たりにして、前世の残酷な記憶を思い出す。
スフィルが五歳の時に、母親を襲おうとした使用人に怒り、力を放った。制御できない炎はその使用人を襲い、母まで巻き込みんだ。それでおかしくなった彼は、力を全て解放し、離宮を燃え尽くした。
力を使いきった彼は、気絶して、その時の記憶も失った。その上、サズリエが王に進言し、事実を隠蔽していた。
「ルイカ!」
珍しく動揺した表情で、ハリスが駆け寄ってくる。
「ハリス……」
彼は前世でスフィルにとても優しかった。その顔を見て、ルイカは安堵したのか、意識を手放した。
☆
「寝ていると本当にスフィルによく似ているな」
気を失ったルイカを東の塔へ運ぶように命じたのはサズリエだった。
騎士五人のうち二人が死亡した
城の中で起きた惨事は多くの者に目撃されていた。隠蔽するのは無理であり、ルイカをそのまましておけないので、制御石で作られた東の塔に収容するのが妥当であった。
東の塔はスフィルが住んでいた場所で、まだそのままの形で残されていた。
この十四年、ハリスは東の塔に近づいたことはなかったが、サズリエは異なった。定期的に掃除をさせ、塔に足を踏み入れていたようだった。
ハリスはルイカを抱いてこの部屋に入った時、時間が戻ったのではないかと錯覚するほどだった。
しかし抱き上げているルイカの姿を目に入れ、我に返る。
そうしてベッドに彼女を寝かせた後、その両手首に制御石を嵌めた腕輪をつけさせる。
ルイカは深い眠りに落ちていて、ハリスは動かない彼女に不安を覚える。しかしじっとみているとその胸が上下に揺れていて、彼女が生きていることに安心する。
(あの力はまるでスフィル様のようだった)
「寝ていると本当にスフィルによく似ている」
「陛下」
声を掛けられ、ハリスはサズリエの存在に気が付いた。
護衛の者の姿は見えず、ハリスは眉を顰める。
「護衛は下で待たせている。話をきかれたくないし」
ハリスは無言のまま、ルイカを背にサズリエに対面した。
「どうしたの?警戒している?ルイカは本当にスフィルによく似ている。容姿はまったく似通っていないと思っていたのだけど。こうして寝ていると似ていることがわかる」
ハリスはサズリエの話をただ黙って聞いていた。
しかし嫌な胸騒ぎは収まらない。
「ハリス。君は生まれ変わりを信じるか?」
「う、生まれ変わり?」
「通常、人は死んだ後、その魂は神の元へ帰り浄化される。しかし、稀に神が魂を浄化せず、再び生を与えることがある。王族の文献を調べていくつか事例を見つけた。ルイカは恐らく、スフィルの生まれ変わりだ。だからこそ力が使える。同じ炎の力だ」
「……偶然ではないのですか?ルイカは孤児です。王族の誰かの忘れ形見だった可能性もある」
「そうだね。その可能性もある。だけど、私は生まれ変わりを信じる」
「あなたらしくありませんね」
ハリスはルイカがスフィルの生まれ変わりであることを信じたかった。けれども、それではあればまたサズリエに利用されるのではないかと疑い、賛同の立場に立たなかった。
あくまでも女中の一人、スフィルとは関係ない少女、そういう扱いをハリスは望んでいた。
だからこそ、彼はルイカから距離を置いていた。
「無駄だよ。ハリス。ルイカがスフィルの生まれ変わりであろうとなかろうと、この力は貴重だ。私は利用する。隣国がまた騒ぎ始めたから。思い出させてやらないといけないし」
「私は反対です」
「君の意見は聞いていないよ」
「私は、今度こそ守るつもりです。あなたから」
「守るなんて、酷いな。前回は力を出させすぎた。だから今度は力を調整させるんだ。そうすれば死ぬ事はない」
「私は反対です」
「だから君の意見は聞いていない。私は王だ。君は私に逆らうことはできない」
「私はずっと後悔して生きてきました。スフィル様を見殺しにしたことを。今度こそ、私は彼を守る」
「ハリス。しつこいね。君に何ができる。前回もスフィルは望んで私に協力した。今回も」
「兄上。いえ、陛下。私はルイカ。スフィルではありません。もう二度とこの力を振るうつもりはありません」
突如少女の声が割って入る。
その声は先ほどまでベッドで寝ていたはずのルイカのものだった。
ハリスは驚いて振り向き、サズリエはルイカを静かに見返した。