2 補佐官ハリスと医務官カリティット
「おはようございます」
翌日、ルイカがベッドのシーツを大量に抱え、歩いていると横から話しかけれた。
「ハ、ハリス様。おはようございます」
それはタラディン王の補佐官ハリスで、ルイカは驚きながら返事をする。
三か月働いているが、こうしてハリスと会うのは昨日までなかった。
「大丈夫そうですね。体調悪くなったら、カリティットに言ってくださいね」
ハリスは淡々とそう言うと、いなくなってしまった。
どうやらわざわざルイカの様子を見に来てくれてらしかった。
「やっぱり今も優しいんだ」
前世の時も、優しく話しかけてくれた。表情は無表情であったが、お菓子や面白そうな本などを渡してくれたのはハリスだった。
ルイカは、ハリスの優しさに心を打たれ、仕事を頑張ろうと気合を入れる。
前世は王子だっとしても、今は孤児で下働きの女中だ。
身分が違いすぎるので、ハリスとは住む世界が異なる。
こうして平和になった城の中で、仕事ができる。
それだけでルイカは幸せだった。
自身の犠牲は無駄ではなかった。
彼がしたことは……。
(今朝、なんだか嫌な夢をみた気がする。内容あんまり覚えていないけど。きっと思い出さなくてもいいこと。私の前世はソフィル。だけど今はルイカ。平和を自由を楽しんで生きよう)
前世スフィルの生活は、東の塔がすべてだった。
なので、ある程度自由がある今の生活にルイカは満足していた。
記憶が戻る前も孤児出身のルイカは不平を漏らすこともなかった。逆に嬉々として働いたので、女中仲間に意地悪されることもなく、ルイカは忙しいが穏やかな毎日を過ごしていた。
それが前世の記憶を思い出してから、少し変わり始めた。
「ルイカ。これあげます」
時折、ハリスが洗濯場に現れるようになったのだ。
彼はなぜか甘いものを持っていて、ルイカに渡してくる。
下働きなので、お菓子とは無縁で、彼女はありがたく頂戴していた。量が多い時は同僚に分けるようにしていた。それは皆に喜ばれたが、渡した相手がハリスと分かれば女中は色めきだった。
ハリスは王の補佐官であり、長い黒髪に、切れ長の緑色の瞳と、外見も整っている。
しかし妻どころか付き合っている令嬢の話すらない文官だった。過去にいろいろな女性が彼にアプローチしたが成功した者はいない。最初は堅物だからと言われていたが、歳を重ねるにつれて男性が好きなのではないかと疑うものも現れた。
なのでハリスがルイカに興味を持っていることがわかると、今度は少女趣味だったのだと噂が立つようになってしまった。
☆
「カリティット。なんだか面白い噂があるみたいだけど」
「あー。ハリスのことか?」
タラディン国王サズリエは医務官のカリティットを呼びつけ、そんな話をし始めた。
サズリエとカリティットは王と臣下である。しかしカリティットは私的な場では敬意をいうものを全く持たず、王サズリエに接する。
カリティットは騎士を輩出する一家に生まれたが、本人は医務官になりたかった。家の者は誰も彼の主張を聞こうとせず、彼の夢は結局サズリエによって叶えられた。
王子スフィル付きの医務官補佐を全うできたら、正式な医務官になる道を約束とする。それを彼の家族の前で宣言して、カリティットをスフィル付きの医務官補佐にした。
医務官補佐と言っても言葉だけで、彼がやることはスフィルの体調を毎日確認するだけだ。王子スフィルは制御石によって力を制御されていたが、その前は暴走して、離宮を焼失させている。そのため誰もかれも彼に近づくのを嫌がった。
護衛というよりも見張りの騎士たちは、東の塔の一階で待機し、スフィルと接触することを避けた。食事だけは運ばなくてはならず、いやいやながら上に運んでいたくらいだった。
「私も見てみたいな。その少女を」
「ああ、やめておけ。王が興味を持つなど、あの少女に気の毒だ」
「気の毒?酷い言い草だ」
「正しいだろう?そんな暇があれば、王妃の一人でも見つけてくれ」
「めんどくさい。私の次は親族から選ぶよ。補佐にしっかりしたものを付ければ、問題ないだろうし」
「なんで、そんな王妃を迎えるのが嫌なんだ?だから、ハリスと変な噂もされる」
「ああ、あれね。傑作だったね。今度は少女か。ハリスも大変だ」
王サズリエは笑いながら言う。
カリティットはその横顔を見ながら、嫌な予感を覚えていた。
ルイカは素直な平民の少女だ。
孤児であるが、あの性格なら優しい旦那が見つかるだろう。
ハリスが少女を気にかけるのはぶつかって、怪我をさせたからだろう。
カリティットはそう考え、嫌な予感を頭の端っこに追いやる。
しかし彼は忘れていたのだ。
王の性格を。
わざわざ呼び出す辺り、彼から何か少女について情報を掴もうとしていた。カリティットはそんなことを考えもせず、用事はそれだけかと王の執務室をそそくさと出ていった。
「ルイカか。どんな娘かな。あのハリスが興味を持つなんておかしいし。カリティットも気にかけてるみたいだ。これは確かめるしかないな」
誰もいなくなった部屋で王サズリエはそうつぶやいた。




