少女は思い出す。
「スフィル、君のおかげでこの国は救われる。ありがとう」
「いいえ。兄上!とんでもありません。こんな出来損ないの僕に、国を救うような大役を任せていただき、ありがとうございます」
タラディン王国の第二子。
王が王妃の侍女に手をつけ、生まれた子供。
それが第二王子のスフィルだ。
王に似ず、侍女にそっくりの容姿。黒髪に黒い瞳の王子。
五歳の時に彼は力を暴走させ、離宮を焼失させた。
王は王子スフィルを制御石で作られている東の塔へ幽閉した。
スフィル王子の存在は隠蔽された。しかし第一王子サズリエだけが彼のことを気にかけ、東の塔を訪れた。
タラディン王族を血を引く者には、神から力を与えられることがあった。
それは四つの力に分けられる。
炎、水、風、土だ。
人によって操られる力はまちまちであり、制御できない者には制御石を付けられる。
スフィルもそうで、制御石で作られた東の塔に幽閉されるだけではなく、常に緑色の制御石を身に着けることを強いられた。
ある時、突然隣国マスリーンが攻め入ってきて、国境を越えた。
まず一つ、地方の村が蹂躙され、第一の砦の目前に迫った。
マスリーンの軍勢を殲滅するには、大きな力を使う必要があった。
そのために第一王子サズリエは、弟の力を利用することを考えた。
わずか五歳で離宮を焼失させる、彼の炎の力を計り知れないもので、サズリエは彼の力に期待した。
サズリエはスフィルに敵の殲滅を頼んだ。
兄からの初めての願い、スフィルは初めて王子として仕事ができると喜び、自身のすべての力を使った。
制御石を外して、力を振るい、目前の敵は殲滅、砦から先は焼け野原になった。
力を使い果たしてスフィルはそのまま眠るように亡くなったという。
敵の戦死者は、八千人に及んだ。
生き残ったわずかな兵たちは死ぬ物狂いで、自国へ戻り、砦から放たれた炎の力について王に報告。
これによって、両国、タラディンとマスリーンは和平協定を結んだ。
戦争で傷ついた両国は、復興に専念した。
平和が訪れ、両国の間を商人が行き来するようになり、このまま平和な時代を迎えると人々は希望を持ち始めていた。
戦争で親や兄弟を失ったものは多い。憎しみはなくならないだろう。
しかし、人々は憎しみを忘れようと努力していた。
「ここは、」
急いでいた文官にぶつかられ、下働きの少女が転んだ。悪いことに壁に頭を打って気絶。
文官は慌てて少女を連れて、医務室に駆け込んだ。
医務官から命には別状がないと聞き、文官はすぐに姿を消した。意識が戻ってら連絡してくださいとメッセージを残して。
文官の名は、ハリス。
長い黒髪を後ろで結び、制服を着込んだ男。切長の緑色の瞳を持ち、表情に乏しいが整った顔の持ち主だった。
彼はタラディン王サズリエの補佐官であり、この城の中でもっとも忙しいと言われている男だった。
ベッドの上で目覚めたのは、洗濯担当の下働きの少女、ルイカ。
茶色の髪を丸く結び、支給された白い布でまとめている。
目は大きく琥珀色の瞳をしていた。
最初はその目を瞬かせ、ぼんやりしていたルイカだが、眼鏡をかけた医務官と目が合うと体を起こす。
「カリティット、正式な医務官になったんですね!」
「慣れ慣れしいな。お前は誰だ?」
カリティットは、医務官として多忙なのか少し身だしなみがよくない。不恰好な丸い眼鏡、無精髭をはやし、明るい茶色の髪はボサボサだ。
けれども腐っても貴族。平民の少女ルイカが呼び捨てなどとんでもない話だった。
ルイカはそれに思い当たり、すぐに謝罪した。
「申し訳ありません!僕、目覚めたばかりで混乱しておりました!」
「僕?」
多少おかしな謝罪だったが、カリティットは貴族であるが、平民を見下すことはなかった。先ほど怒ったのは、面識もないのに呼び捨てにされたことだった。なので頭をかきながら、謝罪を受け取る。
「まあ、いいや。お前さん、こぶができているぞ。しばらくベッドで休め。女中頭には伝えてある」
「あ、ありがとうございます!」
ルイカは勢いよく頭を下げると、再び横になった。
「……よくわからん娘だな。まあ、いい。夕方までゆっくりするがいい」
カリティットは首を捻りながらも、ベッドの上の少女から目を背け、そのまま仕事に戻った。
医務室は二部屋に分かれていて、診察室と病室がある。病室には六つのベッドがあって、ルイカはその一つを占領していた。
(……うわあ。僕、生まれ変わったんだ。しかも女の子に。ここお城だよね。カリティット、おじさんになっていてびっくりしたなあ。でも元気そうでよかった)
ルイカは頭から毛布をかぶり、自分の記憶を整理しようとしていた。
彼女は孤児であり、現在十四歳。
洗濯を担当する下働きの女中として雇われた。城で働き始めてから、まだ三か月。知らないことも多い。
彼女は文官にぶつかられ、壁で頭を打つまで、自身の前世のことなど何も知らなかった。
頭を打って、昏睡している間に、彼女は前世のことを思い出していた。
彼女の前世はスフィル。
タラディン国の王サズリエの異母弟で、平和のために命を散らした救国の王子だ。一般的に知られているスフィルの話は、強大な力を暴走させ、城を破壊して封じられていたが、兄の願いを受け、国のために最後は命を投げうったというものだった。
ルイカが思い出した前世の記憶は曖昧なものが多い。鮮明なものは隣国マスリーンに攻め入られたことだ。
だから今の平和な城下町を思い出して胸を撫でおろす。自身の犠牲によって、平和が築かれた。その事実は彼女を喜ばさせた。
「大丈夫ですか?」
声がして、反射的にルイカは顔を向ける。
そこには見覚えのある黒髪の文官がいた。先ほど自身にぶつかってきた文官でもあり、前世の時は兄サズリエと一緒に東の塔へ来てくれた補佐ハリスだった。表情に乏しい彼は今でもそうらしく、切れ長の緑色の瞳をただルイカに向ける。
「だ、大丈夫です」
けれでも彼女には彼が心配しているのがなんとなくわかった。
前世ではルイカはタラディンの第二王子であり、彼は臣下だった。しかし今は平民で、下働きの女中だ。
体を起こすと頭を下げる。
「そんな無理はしないでください。頭を打っていたけど、吐き気などしませんか?」
十四年ぶりに見たハリスは、無表情さは変わらないが、顔から幼さがなくなり、身長が伸びていた。体つきも以前よりがっちりしている。
だが、その無表情、丁寧な言葉遣いなどは前と一緒だった。
前世の記憶からか、彼の声の調子から優しさを感じ取れる。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「だったら、いいですけど。慌てていてすみません。体に不都合がなくてよかったです。何が問題があればカリティットに言ってくださいね」
ハリスの話はそれだけで医務室からいなくなる。
「よし。ルイカ。体調はどうだ」
そして入れ替わるように医務官のカリティットがやってきた。
「名前、」
「ああ、女中頭に聞いたんだ。まだ城にきて三か月と聞いたぞ。今日は仕事は休みだ。部屋に戻るか?」
「はい。そうします」
医務室は落ち着かない。
カリティットの言葉にうなずき、ルイカは女中部屋に戻った。
四人部屋で、彼女のベッドは左側の上だ。まだみんな働いているようで、誰もいなかった。しばらく迷ったが、ルイカは休むことにした。
そして夢を見る。
砦から眼下に広がる敵の兵士たち。
遠くには破壊された村の残骸。
彼は力を放った。思いっきり。国民を守るため。
炎が敵兵を包む。ひどい臭い。吐き気が込み上げてきて、頭痛もひどかった。
しかし彼はやめなかった。
殲滅しないと、敵兵は進撃を続け、国民を殺す。
兄サズリエから聞かされ、スフィルは敵をすべて殺すために力を振るった。
人殺し、でも兵士たちは国民を殺す。
だから、全部殺さないと。
誰の役にも立たなかった自分が、やっと、みんなの、国民の役に立っていると、そう思えば堪えることができた。
朧げな最後の記憶は、「スフィル様!」
そう誰かが呼ぶ声だった。