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裏路地のジェーン・キャット  作者: スギモトトオル
第二部 蠢動する闇
7/10

第6話

『まずは、就任おめでとう、とでも言っておこうか』

 モニターの中でわざとらしい笑みを浮かべているのは、黒スーツに身を包んだ五十絡みの男。キジタの元上司であり、サンケミカルの重役の一人だった。

 画面に対するキジタは、恭しく頭を下げている。

「ありがとうございます。拝命した役目をまっとうすべく、邁進していく所存です」

そんなキジタに対し、冷ややかな視線を下す役員の男。黒染めした髪の根元には白髪が混じる。

『そうあって欲しいものだ。望み通り、君をそこに送り込むために労した手間を思えばな』

 鼻を鳴らし、吐き捨てるように画面の男はそう言った。

 ここは、セント・エルモの役員執務室。キジタが今日から本格的に仕事場とする部屋だ。自分の勝ち取った王座ともいえるその場所に座りながら、キジタは画面に向けて頭を下げている。

『ミンダ地区は大都市との連絡も良く、利益を生み出す大きなポテンシャルを持ちながらも今まで開発が立ち遅れてきた土地だ。まあ、それも統治企業であるセント・エルモがここのところ経営不振が続いていたせいではあるがね』

 画面の中の元上司は、そう言って大義そうに脚を組み替える。

『街は古い。君のような若く積極的な者が刷新していくには、丁度いいのかもしれないな。とはいえ、住民の懐柔も簡単ではないだろうがね。まあ、手並みをじっくり見せてもらうとするよ』

 元上司は嫌味交じりの言葉を掛けたのち、声を一段と落としてモニターに顔を近づけた。

『それで、例の最重要項目の件はどうだ』

 キジタは、今まで伏せていた顔を上げる。

「もちろん、心得ています。ですが、なにぶんバタバタとしてしまいまして、視察はこれからとなっていまして」

『なんだ。まだ見もしてなかったのか』

「いやはやお恥ずかしい限りです」

『そんなんではこれからが思いやられるな』

と鼻を鳴らしながら、役員の男は太った体で背もたれに寄り掛かった。

『いずれにせよ良い報告を待っているよ。それではな。精々の健闘を祈る』

 プツン、と一方的に切れる通信。”NO SIGNAL”と表示された黒い画面には、キジタ自身の顔が映る。

「あまり快く送り出されてきた訳では無いようですね」

 部屋の中で事務仕事をしていたシエラがパソコン越しに言った。キジタが目だけでそちらを見る。

「別に、よくあることさ。老人が椅子を守って、若造が蹴り落す。願わくばあの脂ぎった手が握力を早く失ってくれれば、といったところだがね。まあ、あの矍鑠たる様子じゃそれもまだ先のことみたいだ」

 首を鳴らしながら席を立つキジタ。リモート会議の後始末を終えたシエラも後に続く。

「彼ら老人がしがみついているその手を蹴り落せるだけの力が必要だ。私の望みを叶えるためにはね」

「力、ですか」

 エレベーターホールに二人分の靴音が響く。高層階用のエレベーターが着くのを待つ間、キジタは壁に寄り掛かってシエラの方を向いた。

「君は思ったことはないか。自由を得るためには、自分が自分らしくあるためには力が必要だと」

 シエラは黙ったまま言葉を返さない。キジタは気にせずに続ける。

「社会で生きている以上、個人の行く手には何かしらの制約や邪魔が必ず発生する。進みゆく意志や努力をあざ笑う様に、老獪たる力が行く手を阻み、足を引っ張り、たやすく手折ろうとしてくるのさ。その理不尽を、運命と諦めるのか、調伏せんと力を貯えるのか。抗いがたい世の外力をねじ伏せんとするその営みに、そこに人の意志を私は感じるがね」

 滔々と語るキジタ。その指はネクタイの結び目にかかり、口には不敵な笑みを浮かべている。

 エレベーターが到着し、扉が開いた。

「私は、与えらえた役目を果たすだけです」

 キジタから視線を外し、そう言うとシエラは狭い箱の中に入っていく。

 その後に続きながら、

「ま、それもまた選択だな」

と呟くキジタ。しかし、扉の横に控えるシエラとすれ違う時、ふと足を止める。シエラの淡々とした無表情を見下ろして、

「だけど、そんな君だって、意志の選択をきっと迫られるときが来る」

と囁く。シエラは行き先のボタンを見つめたまま動かない。

「いつか、見てみたいものだな」

 そう言って、キジタはそのまま奥へと乗り込んだ。

 エレベーターは動き出す。

 セント・エルモ本社ビルは、低層エリアに一般職員の事務所、中層に実験研究設備、そして高層に会議室と役員用の執務室が収まっている。いま、二人を乗せたエレベーターが向かう先は中層の研究エリアだ。その中でも、社内の一部の人間しか立ち入りを許されない重要研究テーマ用実験室に、キジタは用があった。

「お待ちしておりました、キジタ執行役員。さあ、こちらへ」

 エレベーターを降りると、主任研究員のバッジをつけた白衣の男が出迎えた。アッシュグレーの髪に透明なセルフレームの眼鏡を掛ける中老の男だが、眼鏡の奥には思慮深い光をたたえる瞳がある。

 キジタは案内されるままに部屋を横切り、大きなフロアを見下ろす窓際に立った。

「それで、これが例の”強化人間”か」

 実験室、と銘打ってはいるが、その実際はビルの二フロアを丸ごと使った研究施設で、上の階は半分が事務所や小規模な実験設備があり、もう半分が下の階からの吹き抜けになっており、だだっ広い実験設備を収められるようになっている。

 いま、その大きなフロアはさながらペットショップか水族館のような様相だった。

 広い空間は真ん中の通路を挟んで両サイドに分厚いガラスで仕切りがしてあり、片側は〈被検体〉の生活スペース、反対側には検査・測定スペースとなっている。

 いま、この〈水槽〉に入れられているのは薄着姿の少女たちで、肌着同然の黒いスパッツのような上下に身を包んだ姿で数十人が収められている。

 見世物のようにすべてが見通せる空間に閉じ込められてはいたが、少女らにとってはそれは日常らしく、何も気にした様子はない。生活スペースでは、互いにじゃれ合ったり壁際に座っていたり、狭い個室の中に寝ていたりと思い思いに過ごしている。群れから外れて本を読むものもいる。

 反対側の検査・測定スペースにいる少女たちは、それぞれ与えられた課題ごとに運動器具や何かの入力端末で測定を行っている。こちら側の少女たちはどれも頭に大きな猫耳を生やし、腰から細長い尻尾を見せている違いがあった。

B-C.A.T.(ビーキャット)と呼んでいます。適当に取った頭文字語ですがね」

 キジタの横に立った主任が解説する。

「今いるのが第三世代です。失敗の第一世代、脱走の第二世代を経て、ようやく十余年がかりのプロジェクトが実を結びつつあります」

 そこで言葉を切り、意味ありげにキジタの方を横目に見ながら主任は続ける。

「いま少しの資金があれば、ですがね」

「その件は任せてもらって大丈夫だ」

 キジタの方はちら、とだけその視線に応えて、あとは眼下の設備を見下ろしている。

「必ず本社の方から必要な額を引っ張って来るさ。その為に私が来たようなものだ」

 そう言って不敵に笑いながら、キジタは窓ガラスを離れる。

「まあ、彼らにとっても必要な投資ですよ。ここのところウチの陣営は軍事が弱いから」

「しかし私が言うのも何ですが、あまり量産には向かない技術ですし、兵隊として数を揃えて運用するにはえらく金を食いますがね。まあ、とにかくサンケミカルほどの大企業がうちの技術を欲しがるというのは、技術研究者としては誇りですな」

「それはなにより。使い方としては、少数精鋭の特殊部隊にでも仕立てる方向だと思いますが……おや、これは?」

 キジタが書類棚にファイリングされている一つの書類を手に取った。その表紙を見て、主任は顔を曇らせ、自嘲的な苦い表情を浮かべる。

「それは、私たちにとっては恥ずべき過去、というやつです。先ほど言った”脱走の第二世代”の記録ですよ」

 ファイルの表紙には『儚きジェーン・ドゥ(何者でも無い女)たち』と書かれてあるのを二重線で消して、その上から『ジェーン・キャット』と手書きの文字で書かれてあった。

 ファイルを開き、パラパラと捲るキジタ。その中に見た顔があった。

『トラ』と『クロ』。昨日、自分のカバンをひったくりから取り返してくれた二人の路地裏の住人。

「ふむ……」

「三年前に突発的な停電がありましてな。それに端を発した脱走事件で当時ここに飼っていた試験体の全てが逃げ出してしまったのです」

 ページを送っていくと、ところどころに『処分済み』という赤い判が押された資料がある。

「いくらかは止む無く警備員が処分したのですが、多くが街に入ってしまい、ご覧の通りすばしこい奴らですから捕まえるのも難儀しましてね。それで、逃げ出されて技術が漏洩するくらいなら、と大急ぎであのフェンスを造ったのです」

「なるほど、まあ概ね聞いていた通りだが……では、あのフェンスの内側には当時の、第二世代の強化人間たちが今でも?」

「ええ、『裏路地のネコ』とか呼ばれています。まあ、今のところ檻の中で大人しくしているので、会社としては放置していたわけです」

 主任研究員は当時の苦労を思い出してか、年相応に老けた表情を見せていた。

「まあ、第二世代はコントロールに難があるという決定的な問題点もあったのでね。その分、改良してこの第三世代を開発中という訳です」

「脱走したネコを処分した、というのは、つまり銃殺を?」

 キジタが何気なくそう聞くと、主任研究員は半分ほど白く染まった髪を撫でながら、

「殺しではありませんよ。あれ(・・)らに人権はありませんから」

と淡々と答える。

 その言葉を聞きながら、キジタは手の中に閉じたファイルの表紙に殴り書きされた『ジェーン・キャット(何者でも無いネコ)』の文字を見下ろした。

「主任、選抜個体の用意が出来ました」

 一人の研究員が二人に声をかけてきた。主任研究員の男が壁掛けの時計をちらと見て、

「遅かったな。取締役を待たせるなよ」

「も、申し訳ありません。下での調整に少し手間取りまして……」

 眉をしかめる主任に頭を下げる研究員の姿の向こうで、扉が開いてエレベーターから降りる三人の人影が現れた。

 若い女性研究員に連れられて来たのは、三人の少女だった。いずれも上から見下ろしたのと同じ、黒の上下セパレートになっているスポーツウェアのようなシャツとハーフパンツを身に纏っていて、細い体の線が浮き出ている。

 まだ幼さの残る顔立ちを見せる少女たち。彼女らが、『第三世代』の強化人間なのだ。一目には、ただのミドルティーンからハイティーンくらいの子供に過ぎないが、常人を遥か越えた身体能力と反応速度、それに感覚器官の鋭さを持っているということになる。

 キジタは無表情に少女たちを見下ろす。その視線が、彼女らの首に浮き上がるように付いている黒い楕円形の小さな石を見ていた。

「気づきましたかな。その黒いものが第三世代の改良点のひとつ、『懲罰素子』になります」

 主任研究員が部下から小さなリモコンを受け取ってキジタに見せる。

「この端末で指定した個体に信号を送れば、即座に電気ショックと気道の狭窄による行動不能常態へと制御できます」

「そして、特定の電波が一定時間途切れたときも同様に懲罰が襲う、と」

 キジタが呟くように言うと、主任研究員の目が驚きに開かれる。

「ご明察の通り。これなら普段にも言うことを聞かせる役に立ちますし、有事の際にも自動的に全滅して技術情報の漏洩を最低限に留めることができます」

「なるほどねえ」

 顎に指を添え、キジタは三人並んだ中央の少女の目を覗き込む。短い黒髪の少女は、先ほど下のフロアで一人本を読んでいた個体だ。初めて見る大人の男が無遠慮に顔を近づけてきても、少しも身動きせずにじっと命令を待っている。

「あの……取締役、あまり近づいては、その、安全が……」

「ん? ああ、そうか。いかんね、素人は物事の危険度を正しく認識できずに行動してしまうからな」

 落ち着かない様子の主任研究員に気づいて、キジタは少女から離れた。

「いえ、あの、まあ万が一にも何かあってはいけませんから……」

「そうかい。いい子たちに見えるけどねえ」

 キジタは下がりながら少女らをもう一度見やる。

 中央の黒髪、右側に立つ赤髪のアシンメトリー、左側に立つ金髪の団子、どれも見かけ上の違いはあれど、機械のように同じ表情、同じ姿勢で立ち尽くしている。

「開発の首尾は上々です。あとは、問題があるとすれば、実戦経験が無いことでしょうか」

「実戦経験、か」

 主任研究員は頷く。

「ええ、なにぶんこのフロアを出たことのない個体ばかりですから。能力の実力値も正直分かっていないのが現状でして」

「ふうん。ま、そのくらいはどうにかなるんじゃないのか」

「はあ……」

「私に任せてくれ。良い実戦の機会を用意しよう、きっとね」

 キジタは去り際にそう言って、不敵な笑みを残していった。


〈続く〉

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