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裏路地のジェーン・キャット  作者: スギモトトオル
第一部 ネコと街
3/10

第2話

「ほれへ、あいふいっはいあいをふふんあおふぁ」

「何言っとるかわからん。飲み込んでから喋れ、トラ」

 アンソニー警部補に渋い顔でそう指摘され、もごもごと口を動かして飲み下したあと、トラは再び口を開いた。

「あいつ、何を盗んだのって」

「ああ、これか」

 警部補は、片手にぶら下げていたカバンを持ち上げる。

「中身は知らんが、一般市民の私物だ。いけ好かない若造だったがな」

「ケッケッケッ、それ、結構いいブランド物だろ。なるほど、警部補どのは成功している人間が憎いですか。」

 揚げたてのカレーパンを片手に笑い声を上げるトラ。隣りにいるクロも同じものを食べている。警部補にねだって駅前の有名店まで買いに行かせたものだ。

 三人は、フェンスを挟んで立ち話をしていた。トラとクロがフェンスの内側で、アンソニーが外側に立っている。捕まえたひったくり犯は他の警官に引き渡し、パトカーに乗せられようとしているところだ。トラとクロの二人はさっきまで生やしていた耳と尻尾を収めていて、細くなっていた瞳も丸く戻っていた。

 アンソニーは鼻を鳴らして、持ち上げたカバンを一瞥する。

「そうだな。こういうのを見るたび思うよ。本当の自分の姿はこんなんじゃなかったはずなのにってな」

「ああ、このお腹もあと十五キロは軽かったり?」

 フェンスの網目から指を突き出したトラがアンソニーの腹をつつく。

「このっ、あんまり調子に乗ってるとその鼻っ面に警棒ぶち込むぞ、この野良猫め」

「きゃあ怖い。クロ守って〜」

 笑いながらクロの背後に回り込むトラ。

 クロはその頭を撫でながら、

「でも、いかに警部補どのでも簡単にはこのフェンスは越えられないのよねぇ」

と、ナノカーボン製のフェンスに手を掛ける。見かけはただのフェンスで、隙間からカレーパンの受け渡しくらいは出来たとしても、トラやクロたち『ネコ』が本気を出してもこじ開けられないよう、相当に頑丈に造られている。

「これが、私達の平穏を保証する守りでもあり、自由を制限する檻でもあるってわけ。あのひったくりの二人が言っていたのことも、あながち間違いじゃないのよねぇ」

「自由、な……」

 アンソニーが再び鼻息を漏らし、フェンスを見上げる。

「別にな、フェンスの外にいたって自由とは限らんぞ。生きている以上、生活をせにゃならんし、そうなると、仕事をすることになる。仕事をするということは社会に組み込まれるということだ。そうなったら、もう自分に許された範囲でしか何も出来ないもんさ。このフェンスみたいにな」

「ふぅ〜ん」

 気だるげに語るそんなアンソニーを、口をもくもく動かしながら眺めるトラ。

 そこに、一人の男が近づいてきた。

「あの、そちらの皆さんがひったくり犯を捕まえてくれたとか……」

 三人の視線がそちらに集まる。アンソニーがひったくりが盗んだカバンを持った手で男を指さした。

「ああ、彼だ。このカバンの持ち主」

「へえ」

 クロの横から顔をのぞかせて、その青年の姿をトラは眺めた。

 ひょろりと背が高く、細身の体に面長な顔が頼り無い印象だった。猫背なのも、どことなく眠そうに見える半分閉じたような目も、自信がなさげに見え、身に着けている上等そうなスーツの立派さとはチグハグな感じがする。

「しかし、信じられないな。こんなお嬢さんたちが取り返してくれたなんて」

 傍らで手錠をしてパトカーに乗せられている屈強なボクサーの体を見やって、男が言う。

「危険は無かったですか?」

「全然、よゆーだね」

「あれくらいはねぇ」

 口々に軽く返す二人に、嘆息する男。アンソニーが肩をすくめて、

「まあ、こいつらは特別だな。お前さん、よそから来たのかね。どうも仕事の用みたいだが」

「ああ、私はこういう者でして」

 アンソニーから受け取ったカバンの中から名刺入れを取り出して、三人に配りだす。

「『セント・エルモ取締役執行役員 キジタミノル』って、へえ、じゃあこの街のお偉いさんだ」

 トラが名刺を挟んだ指でぴしっと男を指す。

「まあ、それはまだ名乗ったことの無い肩書きですがね。今日、サンケミカルの方から出向して来たところなので」

「サンケミカルっていやぁ、世界的三大企業じゃねえの。すごいんだねえ、お兄さんエリートだ」

 アンソニーが腕を組み、改めて男のスーツ姿をまじまじと眺める。

「買収されるって話は本当だったんだな。しかし、この街は古いし、セント・エルモも傾き始めてからもう何年も経つ会社だろう。なにを今更買収してメリットがあるんだか」

「ええ、まあ、それは経営陣の判断したことですからねぇ。私のような下っ端には何とも……」

「ふぅん、よく知らないけど。ま、頑張ってね」

「はい、この度は皆さん、本当にありがとうございました」

「キジタ取締役、もう出発しないと間に合いません」

 フェンスから少し離して停められた黒塗りのリムジンから出てきたグレーのスーツ姿の女性が近づいて来てキジタにそう告げた。

「ああ、済まないねシエラ君。それじゃ、私は」

 慇懃に何度もお辞儀しながら離れていく男を手を振って見送るトラとクロ。アンソニーは胡散臭そうな目でその男が高級車に乗り込むのを眺めていた。


* * * *


「就任初日から災難でしたね」

 キジタが後部座席に乗り込むと、秘書のシエラ・バレンタインが向かいの席に腰掛けながら静かにそう言った。キジタは目だけでそちらを見る。

「ですが、先にお伝えしたはずです。ここの界隈は治安が悪い、と」

 その口調の冷たさにキジタは気付いた。勝手な行動をシエラは非難しているのだ。もとはといえば、途中で車を降りて直接に街を視察するとキジタが言い出さなければ、余計なトラブルに巻き込まれることも無かったのだから。

 キジタは口元を歪めるように笑う。

「いいじゃないか。ここがどういう街か、端的に少し分かった気がするよ。それに、思いがけず裏路地(あそこ)の住人とも話せたしな」

 先ほどトラたちに見せたのとは違う、落ち着いて自信に満ちた表情を見せている。スモークの掛かっているウィンドウ越しにフェンスを見上げた。

「そうですか。収穫があったのであれば良かったです」

「君が心配することじゃあ無い。この街の支配者となった人間にとっては当然のことだ」

 そう言ってクックッ、と笑うキジタ。シエラは少し眉をひそめる。

「あまり不穏な言動は感心しませんね、キジタ取締役執行役員」

「しないよ、君の前以外ではね。クククッ」

 走る車の窓枠に腕を掛け、キジタは肩を震わせて笑った。

 先ほどトラたちに渡した名刺を指に挟んで、窓にかざす。

「サンケミカルのたかが主任級が、吸収合併した子会社の実質的な経営者とはねえ。しかし、笑える話だ」

「くれぐれも、足元を掬われることの無きよう」

 澄まし顔に戻ったシエラにそうたしなめられ、キジタはまだ笑みの残る表情で、「優秀な秘書の仰せのままに」肩をすくめた。

 サンケミカルは焦っている、とキジタは考えていた。

 世界の中でも最も広い地域を統べ、多数の企業をグループ子会社として傘下に収めながら成長を続ける”三大企業”。その一角でありながら、サンケミカルは軍事力において他の二企業に較べここのところ後塵を拝している。

 企業とはいえ、領土を持ち市民を抱える為政者だ。他企業からの侵略や小競り合いに備えるためにそれぞれが強力な軍備を構えなければならない。近年の著しい軍事のハイテク化に合わせ、サンケミカルでも膨大な予算を割いて開発を進めてきたが、もともと重工業分野に弱いこともあり、いま一歩遅れていた。

 そこに、ここ数年業績不振で傾きかけている大手製薬メーカーのセント・エルモからとある技術を売却したい、と申し出があった。

 それは強化人間を造るためのものだった。

 生化学の力で人体に強化を施し、その能力を延伸させ、眠っている力を引き出す。人体を使った科学者のブロック遊び、生化学的なサイボーグ実験、などと揶揄されることもあるこの研究プロジェクトを切り離すことでセント・エルモは延命を図った。

 しかし、その技術に興味を持ったサンケミカルはセント・エルモに対して株式の買収を持ちかけた。結果的には企業ごと身売り(・・・)してサンケミカルの子会社となることで、なんとか命を永らえることになったわけだ。

 そしてそれに伴って、親会社であるサンケミカルから経営陣として送り込む人員の選抜が始まった。そこに無理矢理に押しを掛けて自らをねじ込ませ、キジタのセント・エルモへの出向が決まったのだった。

 キジタの身としては、これから顔を合わせることになるセント・エルモの社員たちが、自身の今後の栄枯を左右する要素となるわけだ。

「着きました」

 シエラがそう告げ、車が停まる。外から開かれるドア。キジタは軽く身なりを整えてリムジンの後部座席を降りた。

 地下駐車場からエレベーターで上層まで上がる。大講堂のホールには、既に二千人からの社員たちが集まっているはずだ。

 シエラにネクタイのゆがみをチェックさせ、ひとつ静かに深呼吸をすると、キジタはゆっくりとした足取りでステージの中央へと歩き出して行った。

 この一歩一歩が、自らの栄達の道へと繋がっていると、必ずそうしてみせるというゆるぎない自信の青い炎をその胸に秘めて。


〈続く〉

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