第9話
画面の中には、二人の男が映っている。長髪の白人と、モジャモジャ頭の黒人だ。二人とも体格の良い体を黒のスーツに包んでいる。
二人はアパートの部屋に押し入っている。中には食事中の若者が数人いて、彼らに怯えた様子を示す。やがてやり取りのあと、黒人の方が聖書の一節を暗唱し始め、それを合図に2つの拳銃が若者のリーダー格の男に向けられ、暗唱が終わるとともに銃声が何度も何度も――――
もう、何度も繰り返し見た映画だった。ここは、ミンダ地区のフェンスの内側、裏路地の一角にあるスクラップ場の片隅に鎮座する、もう動かないバスの車両の中。廃車の中では比較的きれいで、何より窓が奇跡的に全て残っているここは、トラとクロが住処にしている場所だった。
いつも定位置にしている、右側の後ろから三番目のシートに深く腰掛けているトラは、再生停止ボタンを押して映画を止めた。
通路を挟んだシートにはアンソニーからもらった映画のディスクがうず高く積み上げられているが、どれも見飽きるほどに繰り返し見たものばかりだった。
「そろそろ、新しいのもらわなきゃな……」
ひとりごちながら、よっこらしょ、と大義そうに身を起こす。日はすでに傾いていた。
夕陽に染まる車内。二人の日用品や食料、トラの趣味の映画ディスク、その他寝具やら服やらが雑然と散らばっていて、かつてこの部屋が道路を走る車だったことなど忘れてしまいそうな生活感に溢れている。
トラは空のペットボトルの間に手を突っ込んで、まだ開いていないナッツの小袋を取り出した。ポリポリと頬張りながら、窓の外を見やる。
「おっ」
向こうから近づく影があった。洗濯当番だったクロがランドリーから帰ってきたのだ。
「ただいまぁ〜、いい子にしてたぁ?」
バスの扉が開き、クロが入ってくる。
「退屈で死にそう」
「ふふ、何かする? カードとか」
「それよりもさ、話を聞かせてよ。”外”の話」
「またぁ〜?」
少し呆れ顔をしながら、それでもクロはトラに近づいてきて、横に腰掛ける。
「もうあんまり喋れることもないと思うけどなぁ」
「何か思いついてくれよ〜。最悪、捏造でもいいから」
「創作の方が難しいってば……そうねえ、じゃあ、地図見ながら考えましょ」
そう言ってクロは手を伸ばし、トラの座っている座席のリクライニングを倒した。
「うおっ、と。いきなり倒すなって」
「ふふっ、よいしょっと」
同じように隣のシートを倒し、トラに抱きつくように寝転ぶクロ。「ちょっと、離れろよ」と言いながらも、家の外でそうするよりも、ずっと抵抗少なく素直に体がくっついたままにしているトラ。
「ねえ見てぇ、トラ」
クロが天井を指差す。『トラの席』の上には、一枚の世界地図が貼られていた。
隅が捲れ、ところどころ破れて穴が空いている地図には、びっしりとトラの筆跡で書き込みがされている。路地裏に来て、二人で暮らし始めてから今までの間に、トラはクロから聞いた”フェンスの外の世界”の話を、地図上に書き込んで来たのだ。もはや書き込む場所がほとんど無くなり、海の上まで矢印を引っ張ったり、ときにはバスの天井にまで及ぶ書き込みもある。これを眺めながら眠りに就くのがトラは大好きなのだった。
「たくさん集めたねぇ」
「うん」
クロがなぜ、これほどまでにたくさんの話を知っているのか、トラは知らない。はじめの頃に少し聞いてみたのだけれど、あまり話したがらない様子なので深入りはしないようにしていたのだ。その代わり、クロは事あるごとに様々なエピソードをトラに語り、トラは見たこともない土地での光景を脳裏に思い浮かべながら、ワクワクした気分を楽しむ。そうやって、ずっと二人で暮らしてきた。
トラ自身は、セント・エルモの研究室で強化人間にされる前のことはよく覚えていない。狭く汚いスラムで、泥をすするような日々だったことだけ薄っすらと記憶にあり、それ以上は思い出す価値すらもあまり感じていなかった。
「トラ、何か悩んでる?」
「え、なんで」
「ん〜、なんとなくだけどぉ」
クロは少し身を起こして、触れそうなほどに近いトラの顔にかかるブロンドの髪をそっとどけてやる。
「何か不安そうというか……イライラしてるというかぁ」
「イライラ? 別に、何もないよ。私はいつでも元気だし、気に障ることがあれば容赦なくぶち飛ばすからさ」
拳を握り、ガッツポーズを見せるトラ。くすっとクロは笑う。
「ならいーんだけどぉ」
再びボスン、とトラの隣で横になる。
「でも……そうだな」
トラが、何かを頭の底から掬い上げて口にしようとするように、上を向いて難しい顔をする。
「最近、新しい映画を見てもあんまりワクワクしなくなってきたかも。なんか、画面の中が突然すごく狭く感じるときがあるんだ」
「そうなのぉ?」
「うん……だから、またアンソニーにねだって取っておきの映画を貰うことにしようっと!」
「好きねえ、映画。トラもアンソニーもぉ」
また呆れたように笑って、クロは窓のカーテンを下ろそうと手を伸ばす。
「今日はもう寝ちゃおっかぁ。また明日、ゲートの近くに行ってみましょう。知ってる警官がいたら、アンソニー警部補を呼んでもらいましょう」
「うん、そうだな……おやすみ」
日は沈み、藍色の空気が夜闇に塗りつぶされそうになっている。その空を見やりながら、クロはカーテンを下ろした。
〈続く〉