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自己肯定感のバケモノ

作者: 猫本

「自己肯定感が高くていらっしゃるのね」


 婚約者の傍にへばりつく男爵令嬢を見てオーレリアは感嘆の吐息を漏らし、なめらかな頬に手を当てた。


 オーレリア・ユージェット。公爵家の一人娘で第二王子の婚約者だった。

 そう、だった。

 愚かな婚約者にたった今、婚約破棄を告げられたからだ。

 その理由は婚約者である彼が寵愛する男爵令嬢に嫉妬して、いじめと言う名の犯罪行為を働いたからだと言うのだけれど、声高に叫ぶ元婚約者と男爵令嬢に対してオーレリアは、ただただ感心するばかりである。


「殿下が自己肯定感の塊であられることは存じておりましたけども……そちらの御令嬢も、大変自己肯定感が高めでいらっしゃいますのね。いえ、悪いことではないと思うのですが」


 だが、過ぎる自己肯定感は目を曇らせるのではないか。オーレリアはそんな風にも思う。


「煙に巻こうとしてもそうはいかんぞ! いさぎよく己の罪を認めよ!」

「そうです! オーレリア様、謝ってさえくれれば私は貴女を許します!」


 オーレリアは手にしていた扇を広げる。

 感心はするが、羨ましくはない。自分を正しく知ることは大切だ、と心の中でひとつ頷き、冷静に言葉を返す。


「殿下とそちらの御令嬢の主張される犯罪行為について、わたくしは一切関わっておりません」

「見え透いた嘘を申すな! 性根の腐った女め!」

「殿下ぁ! いつもこうやってオーレリア様は私の言葉を無視するんですぅ」


 端的に返したにも関わらず、第二王子は口汚く喚き、男爵令嬢は泣き真似をする。

 それらをきれいに無視してオーレリアは続ける。


「そもそも殿下とわたくしの関係は良好とは言い難く、また殿下の学園での学習態度から以前より婚約の解消を申し入れておりました。まあ、貴族学院の卒業パーティーでこのような騒ぎを起こされる殿下ですから、皆様にも御納得いただけるかと存じますが」


 オーレリアが目配せすると、こめかみに青筋を立てながらも静観していた父が、繋がりのある貴族たちが、大きく頷く。


「は? 何をふざけたことを」


 さすがに不穏な空気を察したのか、第二王子が戸惑いを見せた。

 攻勢を緩めることなく、オーレリアは扇をたたみ真っ直ぐに第二王子を冷たく仰ぐ。


「事実です。一学年目の終了時には婚約の解消を打診し、卒業までに殿下の成績や態度が改善しなければ婚約解消とすることが内定しておりました。側近の方から何度も苦言を呈されていたのではありませんか?」


 死んだ魚のような目で壁際に控えていた第二王子の側近たちがわずかに光を取り戻し、金髪の書記官を筆頭にオーレリアに一礼した。

 オーレリアも目礼を返し、臣下の期待を裏切った第二王子へ冷たい視線を向ける。


「わたくしの殿下への期待も関心もとっくに失われております。クラスも違いますし、女性関係など存じません」


 オーレリアは三年を通して優秀な生徒が学ぶ特別クラスだった。

 高位貴族のほとんどは特別クラスに所属しており、一般クラスに配されることを恥と見なすが、三年間一度も特別クラスに入れなかった第二王子は。


「本当に、自己肯定感が高くていらっしゃる」


 嫉妬してもらえるだとか、相手をしてもらえるだとか、そんな価値が己にあると思うのだろうか。

 無能な婚約者は必要ない。必要ない婚約者の恋人にも関心はない。


「お前の……っ! その、人を上から見る態度がぁ!」


 第二王子が顔を真っ赤にして怒鳴る。

 さりげなく会場の警備が動き、有事には割って入ることを確信した上でオーレリアは優雅に一礼する。


「元より解消予定だったものが早まっただけですが、婚約破棄承ります」


 捨てるつもりだった荷物が片付いてさっぱりした気分だ。

 清々とした気分で顔を上げると、ぽかんと目と口を見開いていた第二王子は歪に顔を歪め、狂ったように笑い出した。


「フ……ハハハハ! ようやく己の立場を思い知ったようだな、この犯罪者め! 婚約破棄となれば貴様などが新しい婚約者を得られるものか! せいぜい王族の怒りを買った愚か者として落魄れるがいい!」


 まあ下劣、とオーレリアは扇を開き、もはや相手をすることなく父の元へ向かおうとする。


「オーレリア嬢。よろしければわたくしがエスコートを」

「いいえ、私が」

「わたくしめにお任せを」


 すかさず寄ってくる複数の貴公子たち。卒業生、在校生、来賓の成人貴族まで。

 その様子に目を剥き騒ごうとした第二王子を警備の騎士が確保する。側近たちが壁を作り、可能な限り醜態を隠そうとするがもはや手遅れだろう。

 彼らもすぐに元側近となるのだ。国王陛下肝入りの優秀な人材だったが、苦難の日々に同情するばかりである。


「「「さあ、オーレリア嬢」」」


 オーレリアは王族も降嫁する由緒正しい公爵家の一人娘。自らの価値をよく知っていた。


「ありがとうございます、皆様。父が来てくれたようですので、これで」


 収拾がつかなくなることを察した父によってオーレリアは貴公子の輪を抜ける。

 そのまま卒業パーティーもそこそこに馬車に乗せられ、帰宅を命じられた。

 少し残念な気もするが、親しい友人とは改めて席を設ければ良いだろう。

 父は別の馬車を立てて王宮へ向かい、夜を通して今後のことを話し合うはずだ。


「おつかれさまでした、お嬢様」


 馬車で待機していた侍女に労われ、オーレリアは扇を渡す。


「お父様のお眼鏡に適うのは誰だと思う?」

「お嬢様の御希望が通ると思いますわ」


 予想通りの言葉にオーレリアは肩を竦める。

 きっとそうなるだろう。

 一方的に敵視され、オーレリアも好ましくは思えなかったものの、その第二王子の婚約者という立場は有意義だった。

 幼少の頃より国内外を問わず多くの貴族と交流してきたし、学園生活を通じて同世代の優秀な令息も把握している。

 そんなオーレリアの判断を父は支持してくれるだろう。


「こういうのを自己肯定感と呼ぶのではないかしら」


 オーレリアは呟く。

 視線で問いかけてきた侍女に何でもないと首を振り、窓ガラスに反射する自分を見つめる。

 せっかくのおめかしも無駄になった。公爵領の産業として広める予定だった、豪奢な金刺繍。詳細を知りたがる女性から、話題に火がつく可能性はあるけれど。

 街灯りにきらり、きらりと反射する金糸を見て、自然と思考が向かう。

 もしも縁があったなら、あの方がいい。

 夜闇に溶けるオーレリアの黒髪を美しいと褒めてくれた。それを聞いて馬鹿にする第二王子を嗜めてくれた、元側近の彼。

 ユージェット公爵家にこれ以上の権力は必要ない。

 王家には大きな借りを作った。第二王子の乱行はそれほどのことだった。

 だから、配偶者はこれと言って特徴のない伯爵家の、けれど優秀な三男坊くらいがちょうどいいのだ。






 その後、第二王子は王位継承権を凍結され、療養と称して離宮に封ぜられた。

 お相手の男爵令嬢は不敬を問われ、男爵家は爵位を手放すことになったらしい。


 公爵家からは何の要求もしなかった。何せオーレリアは彼らに対して関心がなかったので。

 懲りない彼らは離宮で、市井で、オーレリアの逆恨みがどうこうと騒ぎ、相変わらず自己肯定感を拗らせているようだ。


 公爵家には国内外から大量の釣書が届き、しばらくお断りに奔走したものの、それも二週間ほどで終わりを告げる。

 目の下に隈を張りつけ全ての処理を突貫で終わらせた伯爵家三男が、百合の花束を抱えてオーレリアに求婚したからだ。

 もちろん父の図らいがあったからではあるが、前の婚約ではなかった熱心な求愛の言葉にオーレリアが頬を染めたのは言うまでもない。


 自分の価値を承知していたとしても、それを認め、愛してくれる人がいることは格別に喜ばしいことである。

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