はじまり
「ただでさえ兵が足りぬというのに……」
ハイミルト・カーベル大将は自身の執務室で怒りをあらわにした。報告した兵士がその迫力に息を飲む。ハイミルトはガルツ要塞の指揮官としてカザラスとの最前線に立ち続けている猛将だ。その体格の良さと迫力から”猛牛”の異名で恐れられている。すでに髪には白いものが多く混じる年ではあるが背筋は伸び、訓練時でもへたばる新兵をよそに熟練兵に混じって汗を流す。その強面から攻撃的な性格と思われがちだが、実際は慎重で思慮深く、常に守勢を強いられるガルツ要塞の司令官は適任であった。
ハイミルトは侯爵であり、ガルツ要塞のヴィーケン側にある町の領主でもある。ここガルツ峠には豊かな水をたたえる泉があり、古来より峠を越えた旅人の憩いの場所として利用されてきた。その旅人目当ての宿場町が発展し、いまのガルツの町となったのである。
もし破れれば真っ先に火の海となるのは自分の町。そういう危機感もあって、ハイミルトはガルツ要塞の防衛に心血を注いでいた。
「いや、油断であったか。もしトンネルを再び利用する時は本隊と連動するものとばかり思っておった」
窓の外に広がるガルツ峡谷を睨みながらハイミルトは独り言ちた。報告に来た兵士は扉のそばで黙って退室を命じられるのを待っている。
「しかしわからぬな。完全な奇襲で、正体すら確認させずに番兵を倒した。だがなぜ殺さずに生かして解放したのだ。しかも中途半端にトンネルを埋めたという。それでは帰り道がなくなってしまうではないか。いったいなぜ……」
ハイミルトは今度は机に向かい、机上に色んなものを並べ始めた。どうやらそれぞれが軍の配置をし示しているようだ。
「トンネルを埋める意味は当然、トンネルを使えなくするためだ。ヴィーケン側はガルツ要塞が通れるためトンネルを使う必要はない。ということはトンネルを埋めたのはカザラス陣営を通さないようにするため……番兵を殺さなかったのも、こちら側の陣営の者だからか? だったらなぜここを通らないのだ……?」
「あの……下がってもよろしいでしょうか?」
兵士はとうとう我慢できず、自分から尋ねた。その姿をハイミルトがギロッと睨む。
「ひ、ひぃ! す、すみません!」
「そうか、お前だったか……」
「へ? な、なんの話でしょう……」
ハイミルトの言葉に兵士は戸惑った。
「ヴィーケンとカザラス……机上の二つの陣営でしか考えておらぬかった。お前……つまりそれ以外の第三勢力が存在する可能性があるということだ。しかもそれは前もってヴィーケン国内にも存在していた。だからトンネルが開く前に番兵を襲えたのだ」
ハイミルトは一人で話しながら納得する。
「王都に伝令を送れ。『国内に謎の勢力あり、至急調査されたし』とな。ガルツ周辺ならともかく、それ以外に調査の兵を出す余裕はない」
「しょ、承知しました!」
兵士は敬礼をビシッと決めて急いで退室した。ハイミルトは室内をキョロキョロと見回した上で、窓際に置いてあった花瓶を机の上に置いた。どうやらそれが第三者勢力を表す駒の代わりらしい。
「う~む……次の戦が終わったらチェス盤でも買うか……」
物だらけになってしまった机の上を眺めながらハイミルトが呟いた。
「……というわけで僕の存在が知られちゃいまして……」
ダークエルフたちの野営地に戻るなり、アデルは申し訳なさそうな顔で村であったことを説明した。
「しょうのないやつだな」
イルアーナはため息交じりに呟いた。
「しかし招集がかかっているというのは気になるな。ガルツ要塞にはまだ目立った動きはないようだが……」
ジェランが口を開く。彼らにとってヴィーケン王国は味方ではないが、ガルツ要塞が落ちればカザラスの大軍がなだれ込んでくる。戦争の動向には常に注意を向けていた。
「父上、人間など勝手に争わせておけば良いでしょう。それより問題は、我々が今後どうするかです」
そこにギディアムが口を挟んだ。
「確かにな。マザーウッドには食糧の蓄えはあるが、さすがにこれだけ人数が一気に増えたらそんなには持たん。農地を広げ、労働力も確保せねばならん。戦力も増えたことだし、森の北にいるゴブリンやオークの村を征服しに行くか……」
ギディアムの言葉にジェランが頷く。
「あ、あの……それって征服じゃなくて、話し合いでどうにかなりませんか?」
アデルは恐る恐るジェランに尋ねた。
「何だって? 奴らと話し合いを?」
ジェランが眉をひそめる。
「無駄無駄、力で従えないと奴らは言うことなんて聞かない。それに断られたらどうするのだ? 我々に飢え死にしろと?」
ギディアムがそう言いながらアデルを睨みつける。
「そ、それはそうですけど、一応……」
ギディアムの剣幕にアデルは鼻白んだ。
「それでアデルの気が済むのであれば、一度話をしてみるのも良いのではないか」
イルアーナがフォローに入る。
「ふむ……まあどのみちそれは戻ってからだな。食料問題だけでなく、他にもいろいろ考えなければならん」
一行は人目を避けるためにさらに北上を続け、今はハーピー退治を請け負ったズールの村とハイランドの町の中間あたりまで来ていた。今夜はここで野営をすることになっている。
「今夜は久しぶりに巣に戻るかのう」
ピーコはそう言ってパタパタとワイバーンたちのいる巣に戻っていた。数日したらまたアデルたちと合流することになっている。
(もうちょっと東に行くとムラビットたちがいる辺りか……みんな元気かな?)
アデルは以前に出会ったムラビット――鹿のような角の生えた大きな兎の姿をした種族のことを思い出した。無性にあの白いモフモフボディが撫でたくなった。
ふと近くを見るとポチが寝そべっていた。ジェランに見せるために元の姿に戻ったままだ。無意識に手が伸び、アデルはポチの頭を撫でていた。
「きゅー」
特に表情を変えることなく、ポチはアデルに身を任せている。
(この鳴き声聞くのも久しぶりだな……)
ポチの頭を撫でていると、いつの間にかポチはスヤスヤと寝息を立てていた。
「僕も寝るか……」
イルアーナはジェランやモーリスらと一緒にいた。少し寂しい気持ちでアデルはポチの横に寝そべると、まもなく眠りに落ちて言った。
ガリッ……ボリッ……
(ん?)
夜中、アデルは異音で目が覚めた。周りはみな寝静まっている。寝ぼけ眼で周囲を見ると、アデルの荷物袋にポチが頭を突っ込んでモゾモゾと動いていた。
「ポチ……変なもの食べちゃダメだよ……」
そう声をかけると、アデルは寝返りを打ち再び重い瞼を閉じる。
(……あんな硬そうな音がする食べ物なんて、何か入ってたっけ?)
薄れゆく意識の中でそう思ったアデルは、かっと目を見開くと慌てて起き上がった。
「ポチ! まさか……!?」
アデルは荷物袋からポチを引っこ抜くと、中を確認する。
「無い! 世界樹の実がない!」
アデルはポチを見る。モゴモゴと口が動いていた。
「ダメだよ、ポチ! 出して!」
アデルはポチの脇に手を入れ抱え上げるとその体を揺らした。
「きゅー」
プリッ
コロン……
ポチのお尻から黒い塊がでて転がった。
「違ぁう! そういう出し方じゃなくて!」
アデルはポチが出したフンの前に突っ伏した。
「きゅー」
ポチは腹も満たされた上にスッキリしたのか、満足げにアデルの横で再び眠りについた。
(終わった……殺される……)
アデルは怒りに荒れ狂うモーリスの姿を想像し、必死に言い訳を考えた。
「……ん?」
アデルが目を開けるといつの間にか朝になっていた。どうやら言い訳を考えながら寝てしまったようだ。
「しまった! どうしよう……」
慌てて身を起こす。地面に突いた手に草の感触を感じた。
(あれ? こんなに草生えてたっけ?)
周囲を見回すと明らかに昨日より緑が増えていた。ダークエルフたちも不思議そうにあたりを見回している。
「アデル、起きたか」
近くに立っていたイルアーナがアデルに気づき、声をかけた。
「イルアーナさん、これは……」
「今朝起きたら、周囲に生命の精霊力が満ちていた。こんな不毛な場所なのに、まるで森の中にいるようだ」
イルアーナが不思議そうにつぶやいた。
「そ、それなんですけど、実はポチが世界樹の実を食べちゃって、そのフンがここに……」
アデルは夜中、ポチがフンをした場所を見る。
そこには昨夜まではなかったはずの、小さな枝木が一本生えていた。
「えっ? これってまさか……」
「……そうだろうな」
話を察したイルアーナは、しばらく無言でアデルと見つめ合った。
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