道
「ふわぁ、疲れましたト……」
森の木々を動かし続けていたエントたちが地面にぐでっと伸びていた。彼らの活躍もあり一行は獣の森を無事に抜け、国境近くの村メイユ付近にまで来ていた。
「お疲れさまでした。やっぱり相当魔力を消耗するんですか?」
アデルは誘惑に駆られ、地面で伸びているエントの族長イグリットに恐る恐る手を伸ばす。アデルに撫でられてもイグリットは嫌がる様子はなく羽をパタパタとさせるだけであった。
「まあ、多少ですト。魔力よりも、普段木の中でほとんど動かない生活をしているトで、体力が尽きてしまいましたト……」
エントたちの体はまん丸でプニプニしており、確かに運動している感じではなかった。
「な、なるほど。そういう事なんですね……」
疲れ果てたエントたちはダークエルフの手によって馬車に乗せられていった。
「うわぁ、なんか懐かしいな……」
遠くに見えるメイユの村を見ながらアデルは呟く。メイユはヴィーケン王国との国境に最も近いカザラス帝国の村であり、空堀と粗雑な石壁に囲まれている。当然、アデルがカザラス帝国に入ってから最初に立ち寄った村であった。
今のアデルたちにとって問題なのは、この村に数十名のカザラス兵が駐留しており、国境に目を光らせていることだ。こんな数百人の集団が見つからずに移動することは不可能だ。
「ここから先は身を隠せるような場所はありません。両国が監視する中をどうにか進むか、険しく危険な山を越えるかになりますが……」
イルアーナとモーリスが話し合う。
「ふむ……カザラス軍に見つかっては大変だ。魔物は危険だが、山を進む方が安全か……」
眉間にしわを寄せて考えるモーリスにアデルが近付く。
「別にもう見つかっちゃってもいいんじゃないでしょうか」
「なに?」
モーリスとイルアーナが怪訝な顔でアデルを見つめた。
「なんだあれは?」
夜の闇に紛れて走る多数の馬車を、偵察兵は見逃さなかった。彼と同じく馬に乗った同僚が二人、後ろに控えている。手には松明を持ち、周囲を照らしていた。訓練された軍馬は火を恐れることなく、忠実に乗り手の意志に沿う。ヴィーケン王国との最前線。密偵や破壊工作員を通してしまえば、それが帝国の敗因となるかもしれない。常日頃、強面の隊長にそう言われていた彼らは、仲間から見えない夜の偵察任務であっても警戒を怠ることなく真面目に任務に就いていた。
(こっちも砦とか作ってくれれば楽なのに……)
カザラス兵は心の中で愚痴る。ヴィーケンとの国境に砦なり関所なりを作るという計画は何度も持ち上がっているが、実現には至っていない。ここがハーヴィル王国だった時代からヴィーケンとは国力差があり、わざわざ多大な労力をつぎ込んで防御施設を作ってこなかった。それはより強大なカザラス帝国になってからも同様であり、防御を固めたメイユ村から偵察の兵を出せば事足りるであろうという楽観的な考えがあった。そして実際にヴィーケン側から攻めてくることなどもなく、国境整備の計画は常に後回しになり続けていた。
「かなり数が多いぞ……密輸業者か難民か?」
多数の馬車を遠目で見ながら偵察兵の一人が呟く。
「呼び止めてみればわかるさ」
「口封じに殺されたらどうすんだよ! 前に密輸を止めようとして殺された奴いただろう?」
「逆に口止め料がもらえるかもしれんぞ。一人が話しかけて、残りの二人はここから様子を見ていよう」
「『一人が』って、誰が行くんだよ?」
三人の偵察兵は顔を見合わせると、ジャンケンをした。
「おい、そこの馬車! 止まれ!」
ジャンケンに負けた偵察兵が馬車に近づき声を張り上げる。しかし偵察兵を一瞥しただけで、馬車に乗っている者は誰もその指示に従わない。全員が顔を隠した不気味な集団であった。
「止まれ! 止まらないと……」
偵察兵がさらに声を張り上げようとしたとき、一人の少年が馬車から飛び降りて小走りに近寄ってきた。
「あの、この馬車隊に近付かないほうがいいですよ」
「な、なに? お前たちは何者だ?」
偵察兵は戸惑いながら目の前の少年――アデルに問いかける。
「『絶望の森』のダークエルフですよ。聞いていませんか?」
「なっ!? あ、あの捜索命令が出てるダークエルフたちか!?」
アデルの言葉に偵察兵が驚愕する。
「ええ。なので近付かないほうがいいですよ。殺されちゃいますから」
「だ、だがお前は何なのだ? どうして殺されない?」
「僕は案内人みたいなもので……だから大丈夫なんです。あなたは早く帰ってください」
「そういうわけにはいかん!」
「でも三人じゃ勝てっこないですよ。メイユの村にいる兵を全員連れてきても無理です」
「そ、それはそうだが……」
アデルの言葉に偵察兵は鼻白んだ。
「ここで無駄死にするよりも、ロスルーに報告して援軍を送ってもらうほうがいいんじゃないですか? それにあなた方が殺したがっているダークエルフがヴィーケンに行ってくれるなら、あなたたちにとってもいいんじゃないですか?」
「う、う~ん……」
偵察兵は任務への使命感と自分の命の危険を天秤にかけていた。
「大丈夫か? 話が付かなそうなら殺すのを手伝うぞ」
そこへギディアムがやってきた。
「あっ……!」
偵察兵はギディアムを見て驚愕した。ギディアムは素顔を晒したままやってきたのだ。ダークエルフ特有の端正な顔立ちだが、どこか凶暴性も宿している。
「し、失礼しました!」
そして偵察兵は逃げるようにその場を立ち去った。
「ふん、臆病者が」
その姿を見てギディアムが鼻を鳴らす。
「ありがとうございます。おかげで話がスムーズになりました」
アデルは頭を下げる。
「本当に仲間を呼ばれても大丈夫なんだろうな?」
「ええ、大丈夫ですよ。ロスルーから援軍が来るころには僕らはもうヴィーケン領に入っていますから」
そう言うとアデルはギディアムと馬車に戻っていった。
一方、そんなアデルたちの様子をモーリスは馬車の中から見ていた。
「殺したほうが早かったのではないか?」
「いけません。アデルは無駄な殺しを嫌います。彼の協力が得られなくなればダークエルフにとって大きな痛手です」
モーリスの言葉にイルアーナが反論する。
「確かに無意識に使っているという肉体強化魔法をマンティスナイトと戦っているときに見たが、あれはなかなかだった。しかしダークエルフの命運を任せるほどか?」
「それだけではありません。人間特有なのか、ダークエルフに無い斬新な発想ができます。それに彼には特殊な人を見る目があるのです」
「人を見る目?」
「ええ。まだ私と父上しか知らされていません。皆に知られると面倒なことになる能力なので……ただ、人の上に立つ者としてこれほど有用な能力はありません。非情になれない所は短所でもありますが、王としての役割を十分に果たせる能力を持っていると思います」
「ふむ……まあその話が本当かどうかはこれから見定めさせてもらうとしよう。少なくとも我々は彼に借りが出来た。奴を人間の王として協力することは認めよう」
「あ、ありがとうございます!」
イルアーナはモーリスに頭を下げる。本人の知らない所で、アデルは王としての道を歩み始めていた。
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