小休止
森の西の端についたアデルたち一行は森の中から様子を伺っていた。こちら側には千人ほどのカザラス軍が展開しているという話だったが、その姿は見えない。二人の馬に乗った偵察兵が談笑しながらゆっくりと歩を進めているのみだった。
「移動したのかもしれんが……いくらなんでも少なすぎる……罠か?」
モーリスが鋭い目で周囲を見回しながら言った。
「特に気配も感じませんが……ピーコ、空から見てもらったりできる?」
アデルがピーコに尋ねる。ピーコは今、元の姿に戻っている。ポチは人間の姿のままいつも通りぼーっとしている。ポチは変身するときには魔力を使うのだが、変身を維持する魔力はほとんどいらない。そのため一度変身してしまったら、そのままの姿でいるほうが楽なのだ。
「仕方ないのう。落ち着いたらクッキー二枚じゃぞ」
対価を要求すると、ピーコは羽をバタつかせて空へと舞いあがっていった。高いところを飛んでいると地上からは本当に鳶にしか見えない。
しばらく上空を旋回するとピーコはパタパタと戻ってきた。
「こちら側には二人一組の騎兵が何組かおるだけじゃな。大軍はいないようじゃ」
「本当か? それは好都合だが……」
モーリスは訝し気に呟く。
「本隊と合流したのでしょう。どのみち私たちが逃げるのを防ぎたいのであれば、森全体を囲まねばなりません。そこまでの兵力を割く余裕がカザラスにはなかったのでしょう。もしガルツ要塞が落ちていたら、今頃は大量の兵とさらなる攻城兵器がこちらに送られてきていたかもしれません」
「ふむ……そうか」
イルアーナの言葉にモーリスは頷いた。そもそもカザラス軍として、エルフの女王ロレンファーゼはダークエルフたちが里を出るとは考えていなかったし、人間側の指揮官であるケスナーもダークエルフが森から脱出するとは考えていなかった。もし脱出するつもりなら現在のような状況になる前にしているだろうと考えたからだ。
カザラス軍は森の周りに偵察兵は置いていたものの、それは脱出するダークエルフを見つけるためではなく奇襲のために森から出てくるダークエルフを発見するためである。まさかいよいよ里を落とそうというときにダークエルフが心変わりをするとは思ってもいなかった。
そして西側に割いていた兵力を里攻めのために本体に合流させ、後には少数の騎馬隊のみを置いていたところワイバーンに驚いて森から飛び出た野獣たちと交戦になり、その数はさらに減ってしまった。ちょうどそんな状況でアデルたちはここにいるのだった。
「あの偵察兵が見えなくなったら進むぞ」
モーリスの指示でダークエルフたちが動く。こうしてアデルたちはカザラス軍に気づかれることもなく絶望の森からの脱出に成功したのであった。
「マザーウッドとギディアムには風精霊を飛ばしました」
イルアーナがモーリスに報告する。絶望の森から離れたところに身を隠し、一行は小休止をしていた。風魔法で連絡する際、間にエルフがいると気づかれてしまう恐れがあるため、この位置に来るまでギディアムたちとは連絡を控えていたのである。
「ギディアムか……また顔が見れるとは思わなかった……」
モーリスは今までとは違った穏やかな顔で言った。森を出てしまったことで意固地になっていた部分がなくなったようだ。その横でギディアムの母親であるマティアも涙ぐんでいる。
「エルゾの北で合流する予定です。その後はまたエントたちの力を借りて獣の森を抜けようかと」
イルアーナはダークエルフたちといっしょに寛いでいるエントを見た。
「任せてくださいト! 頑張りますト!」
エントがピョコピョコとそれに答えた。
「しかしマザーウッドへ向かうのはわかるが、この大所帯ではガルツ要塞は越えられぬだろう。ケガ人もいれば姿を消す魔法が使えぬ者もいる」
モーリスがイルアーナに尋ねる。
「心配ありません。あそこにはエルフが掘ったヴィーケン領内に続くトンネルがあります。それを利用しましょう」
「なるほど……奴らが作ったトンネルを利用するのか。それは愉快だな」
イルアーナとモーリスが不敵な笑みを浮かべた。
「ところで……なんとなくダークエルフのみなさんとエルフが仲が悪いのはわかるんですけど、前は色んな種族が手を組んで人間の魔法文明と戦ったんですよね? その時は一緒に戦ったんですか?」
アデルはふと気になりモーリスたちに尋ねる。
「奴らと? そんなわけなかろう! 奴らは他の種族全てを見下している。それに奴らは人間と取引などはしているが、基本的に森の外のことには関わろうとせぬ。他の知性と力のある種族はほとんど共闘したが、奴らだけは戦わなかったのだ」
モーリスは不機嫌そうに語気を荒げた。
「は、はぁ、そうなんですね……」
(まあこんな感じじゃ、エルフとダークエルフの共闘なんて無理なんだろうなぁ……)
アデルは苦笑した。
「それでトンネルを使うのはわかったんですが、ヴィーケン側にはヴィーケンの兵士がいて出口塞がれてましたよね? どうするんですか?」
アデルは話題を変えてイルアーナに尋ねた。
「それは先ほどの通信で父上に頼んでいる。付近に潜み、こちらがトンネルに入る前に風魔法で連絡し、通り終えるころにはトンネル出口を制圧して開通させる。あまりに早く出口を制圧してしまうとヴィーケンが異変に気付き兵を送ってくるかもしれんからな」
「な、なるほど……カザラス領を無事に抜けても、今度はヴィーケン兵に気を付けなきゃいけないんですね……」
前途の多難さに、アデルはため息をついた。
(せめてカザラス領はこのまま気付かれずに抜けられますように……)
アデルはそう願わずにはいられなかった。しかし残念ながら、そううまくは行かなかった……
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